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もしかして:恋だった

 気がついたら、ストレッチャーに乗せられていた。

 ああああ、またやっちゃったのか。


 大げさだよー、救急車はやめようよー、保健室で十分だよー。

 ……と思ったけど、手遅れっぽい。

 こうなったらもう、成り行きに任せるしかない。


 私が目を覚ましたのに気づいたのか、救急隊員の人がすごくテキパキと意識の確認をしてきたので、自分の名前と生年月日を伝える。

 質問に答えているうちに、救急車に到着。

 救急車は、部活に勤しんでいる生徒たちに、遠巻きに包囲されていた。


「高等部の高梨先輩じゃない?」

「ああ、あの、執行部の」


 ヒソヒソとうわさ話が飛び交っているのが、ここまで聞こえてくる。

 うわー、めっちゃ恥ずかしい。


 注目をガッツリ集めたまま、救急車に搬入される。

 バタン、と後部ドアが閉じられた。


 またこれ、宮森おばさんには心配かけちゃうなあ。

 精密検査とかあるんだろうなあ。

 できれば明日には学校に戻りたいんだけどなあ……。


 そんなことを考えながら、特にやることもないので、近くの救急隊員さんに「すみません、少し休みます」と告げてから、目を閉じた。



          ■



 事は放課後、末永さんが作った「半神」の概説をチェックしているときのことだった。

 さすがに私も細部はうろ覚えなので、図書館まで行って台本を借りて、内容の確認をすることにした。


 予定では、このあたりの最終チェックは星野先輩にお任せするつもりだった(先輩ならわざわざ台本に戻らなくてもチェックできちゃいそうだし)。

 でも今日は執行部員エマちゃんの初日だったので、星野先輩はエマちゃんにかかりっきりだったのだ。


 「半神」の台本を読み進めるうち、だんだん気分が悪くなってきた。

 それでも好きな台本なので気にせず(というか、あまり気にならず)読み進めていたら、くらっと来て、ああ、やばいな、と思ったときには手遅れだった。


 世界がぐるぐる回って、椅子に座っていられず、派手な音を立てて床に倒れて、聞き覚えのある声で悲鳴が上がったところまでは、なんとか覚えている。

 そこで意識がブラックアウト。


 いやあ、昨晩の「気付き」があったから、もしかしたら「半神」読んでたらヤバイかもなって――思わないよねえ。思わない。私だって思わなかったもの。


 でもこれ、本気で、困る。

 このままじゃ、朝倉君じゃないけど、社会生活に差し支える。

 なんとかしたいんだけど……なんとかなるのかなあ。これ。


 いやほんと。

 なんとかしたいんだけど。



          ■



 救急車からストレッチャーが降ろされる、ガタンという振動で、目が覚めた。

 一眠りしたせいか、気分の悪さはスッキリと抜けている。


 運び込まれたのは市内の赤十字中央病院。

 ここらでは一番大きな病院で、何回か入院させられたこともある。

 だいたいいつも通りの診察を受け、いくつか検査されたあと、大事をとって今日はお泊りということになった。明日、改めて精密検査の予定、という話。


 ああ、やっぱりこうなったか……。


 大きな病室の病床に空きがないということで、案内されたのは個室。いやそれ、たぶん嘘でしょ。だって前回も個室だったし。

 私が事実上、宮森学長の養子のような人間だから、病院長が勝手に気を使っているんだろうなあというのが、勝手な推理。

 でもたぶん、当たらずといえども遠からず、だと思う。ヘタすると、宮森おばさん側で、病院長にそういう話をつけている可能性もある。


 夜7時頃になって、永末さんとエマちゃんが、着替えを届けてくれた。

 エマちゃんが私の寮部屋から、お泊り一式を発掘してくれたらしい。

「遙さん! 元気になったら、お話したいことが一杯ありますわよ!」

 ……というのが、エマちゃんの第一声。

 呼び捨てから「遙さん」に変わった理由が、エマちゃんの執行部入りにあるのか、私の公然の秘密的な趣味にあるのか、ちょっと問いただしたいところではある。


 エマちゃんは黒○ちゃん派っぽいしなー。


 永末さんは、ちょっと興奮気味のエマちゃんを制しながら、進捗報告。

 エマちゃんは「病院でお仕事の話だなんて、クレイジーですわ!」と憤慨したけれど、永末さんが「星野先輩が『進捗報告するのが高梨さんを一番落ち着かせるはずです』って」と言うと、呆れたように首を振って、反論をやめた。

 ううむ、星野先輩には、ほんと何もかも見ぬかれてますね……


 2人が帰ると、病室はすっかり静かになった。

 9時には消灯。こっそり起きて勉強したり、ユスティナのあれこれを思い出したりしてもいいけれど、今日はさっさと寝てしまったほうがいいだろう。寝不足で明日の精密検査を受けて、入院が長引いたら、たまらない。


 暇つぶしに読む本もなし、このまま起きていても良くないことしか思い出しそうにないので、私は枕元の灯りを消して、目を閉じる。

 そうするなり、自分でもびっくりするくらい、すうっと眠りに落ちた。



          ■



 次の日、朝食を食べていると(病院食の分量は、私にとっては大変理想的な量に近い)、宮森学長の秘書、今宮さんが病室を訪ねてきた。

 宮森おばさんは、私がまた倒れたと聞いて、非常に心配しているとのこと。

 おばさんには逐一、検査の結果がメールで報告されていて、場合によっては出張を早めに切り上げることも考えている、という話だ。


 いやいやいや。いやいや。

 本当、そういうの、勘弁して下さい。

 おばさんが不安になるのは、すごく分かる。私の出生の事情を知った今では、おばさんにとって私は半分、自分の娘みたいな存在なんだろうなあ、というのも、想像できる。

 でも、ほんと、マジで勘弁して下さい。


 今宮さんは、宮森おばさんよりやや年上かなという感じの、いぶし銀な感じの男性だ。全身から「私は仕事ができます」という気配が漂っているけれど、それが嫌味ではないのが、一流の秘書さんなんだなあと思わせる。

 でも私にしてみると、そんな今宮さんに「何かあったら、遠慮なく連絡してください」と言われてしまうと、その、なんだ、とても恐縮してしまう。


 ともあれ、今日は1日、検査と静養の日になる見込みらしい。

 退院の可否は院長先生の決済次第。うへえ。

 いやほんと、今日の検査終わったら帰りたいです……


 今宮さんが帰ったところで、検査が始まった。病院の中を右に、左に、上に、下に、クリアフォルダに入った書類を片手に、指示に従って大移動。

 毎回思うんだけど、私が病人だったら、これ相当きついんじゃないかなー。

 それとも本当の病人向けのコースとかあるんかなー。


 そんなことを思いながら、夕方までかけて、検査は終了。

 最後はロマンスグレーも眩しい院長先生、御自らの問診。うへえ。冗談抜きに、私、健康なんで。


 と、恐縮していたら、診察を終えた院長先生が、少し難しそうな顔で、私に声をかけてきた。


「高梨さん。君の体調不良は、十中八九、精神的な何かが原因だ」


 知ってます。大変によく存じております。


「でもね、君はひとつ、大きな勘違いをしてないかな?」


 え。


「精神的な何かが原因で、ときどき倒れてしまう。

 そのたびに、その場に居合わせたクラスメイト、先輩、後輩はもちろん、授業中なら担当の先生、保健室に行けば養護の先生、病院に行けばお医者さんや看護師さん、そのみんなに、『たかが精神的な何かが原因で』迷惑をかけている――そう、思っていないかい?」


 ……あー。はい。図星です。


「僕に言わせればね。突然、意識を失って、倒れてしまうっていうのは、その理由がなんであれ、とても大変なことだ。

 たかが、も、何も、ないんだよ。

 それにね、僕自身、『十中八九、精神的な何かが原因』と言ったけれど、人間の体っていうのは、そりゃあ不思議なものだ。つまり、10のうち1か2は、君の体質や生活環境に原因があるかもしれない」


 なるほど。それはとても、綺麗な理屈です。


「だから、君はもう少し、自分の問題として、君の病気と向き合わなきゃいけない。

 周りの人に迷惑になるから、君の病気は問題なんじゃない。

 もしかしたら、君の未来を損なわないとも限らないから、問題なんだ。

 厳しい言葉で言わせてもらえば、君の病気は、他人ごとじゃないんだよ」


 返す言葉もありません……。


「病人にはもっと優しい言葉を使えと、研修医の頃から言われてるんだけどね。

 どうにも、こればかりは僕の悪癖だな。

 まあ、悪癖ついでに言えば、僕は君の病気の原因に、だいたいの当たりはつけてる。こう見えても、医者やって長いからね」


 え!?


「ただね、その原因をなんとかするのは、僕では無理だ。

 つまり今ここで、君に『これが原因だ』と告げても、どうにもならない。

 君は、すごく賢い子――いや、もう『子』だなんて失礼だな、賢い人だ。

 だから僕みたいな賢い医者では、君の問題の根幹を解決できない」


 ――はあ。


「でもこれだけは、覚えておいてください。

 君の病気は、必ず治る。それも、そんな遠い未来の話じゃあ、ない。

 早ければ年内。どんなに遅くとも、君が大学に行くまでには、治るでしょう。

 僕の診断は、以上。何か質問はある?」



          ■



 結局、私の退院は明日に持ち越されることになった。理由は「もうすぐ日が暮れるから、今日は泊まって行きなさい」。小学生か!


 しかし院長先生の判断は絶対だ。

 仕方ない――仕方ないので……何か――


 ……何も、やることがない――だと!?


 愕然としていたら、救いが現れた。進捗報告に来た永末さんと、星野先輩だ。永末さんはさっぱりとした半袖セーラー、星野先輩は珍しくワンピ型の制服。2人が並ぶと「元気な妹」と「超美人の姉」が並んだ一枚の絵のようんで、実に眼福眼福。

 おまけに星野先輩は、「退屈してるかと思って」と、本を1冊、持ってきてくれた。ほんと、この人は、どうしたらここまで気が回るのか……。


 2人が帰って、夕食までの間を、星野先輩の差し入れで凌ぐ。

 しかしここで選んだのが「介護入門」とは、星野先輩の本の評価関数はどうなってるんだろう。

 って、そういえば私、生徒会室で舞城王太郎読んでたときに、星野先輩と読書話になって、「モブ・ノリオはまだ読んでないんです」って言った。言ったわー。なんつー記憶力。


 夕食までの1時間ほどで、とりあえず一度読了。なるほど。なるほど。

 改めてもう一度――と思ったところで、夕食の時間。食べるだけで健康になりそうなメニュー。


 夕食を終えたところで、どうしようもなくコーヒーが飲みたくなった。

 基本的には「飲み物は麦茶でいいじゃない、寮食で無料なんだから」派なのだけれど、なんというか、ここまで「健康! ほらこれ食べて健康! みんなで公共性とリソース意識を高めていこう! はいそこ、もっと声だして!」みたいなムードを高められると、猛烈にカフェインが欲しくなる。


 幸い、まだギリギリ売店が営業している、はずだ。さもなくば自販機。最悪、病院を出てすぐのところにコンビニがある。


 財布を片手に病室を出て、最短経路で売店に向かう。勝手知ったるなんとやら。ルート的に言うと、愚直にエレベーターホールに向かうより、ICUのある棟を経由すると、3分ほど早い。


 ――が、途中で足が止まった。


 薄暗い廊下の、ずっと先。ICUの出入口あたりに、星野先輩がいた。

 規格外の美人だけあって(しかも学園のワンピ型制服は超目立つ)、多少暗かろうが、この距離でも見間違えようがない。


 星野先輩の隣には、院長先生がいた。


 静まり返った廊下に、星野先輩の嗚咽が響いている。

 院長先生は、そんな星野先輩を抱きしめる。

 星野先輩は、院長先生の胸に顔を埋めて、泣き続けた。


 そうやって泣き続ける星野先輩の顎に、院長先生が手を添えると、2人の距離がもっと近づいて。


 星野先輩の踵がすっと上がると、小さな嗚咽は、聞こえなくなった。



          ■



 気がついたら、私は自分の病室に戻っていた。コーヒーは、持っていなかった。


 ぼんやりしたままベッドに横になると、なぜか、涙が流れ始めた。


 なぜだろう。


 なぜ?


 考えるまでもない。




 今の星野先輩には、好きな人がいるのだ。

 そしてそのことが、私はこんなにもショックなのだ。




 梓先輩は、星野先輩が「今はフリー」だと言った。この手のことで、梓先輩が嘘をつくとは思えないし、ガセを掴むとはさらに思えない。こうなって改めて思い知らされたけれど、私は梓先輩の言葉に、希望すら感じていたのだ。


 だから。


 だから私は――バスに、乗り遅れた。


 自分がバスに乗りたいということに、乗り遅れてから、気づかされた。




「星野先輩、好きです」


 そう、呟いてみる。




 その言葉は、からっぽの部屋にいる、からっぽの私の胸の中で、何度も反響した。




「YO、朋輩ニガー、まだ始めもしていないテメエの音楽がそれほど大事なものかい? 親の会社だって辞めちまったことだし、家族なんてもう関係なくなって自由にやろうって企んでたのかい? 素晴らしい街がお前を素晴らしくしてくれると期待してたのかい?」




 他にできることもなくて、逃げるように読み返した「介護入門」の一節が、心に突き刺さる。


『まだ始めもしていないテメエの初恋』は、始まる前に、終わってしまった。




「星野先輩、好きです」


 呟いて、その言葉の無力さを、噛みしめる。

 なぜ、もうちょっと早く、それを言えなかったのか。

「死なないでください」なんて、トンチンカンな言葉ではなく。




「星野先輩、好きです」


 そう言えていたら。

 たとえ私を選んでもらえなかったとしても、こんなにも苦しまなかっただろうに。




 今夜は、今夜だけは、泣こう。

 泣いて、泣いて、気が済むまで泣こう。明日からは、泣かないために。

 そしていつかきっと胸を張って、「星野先輩、好きでした」と、言えるようになろう。


 でも、今夜だけは、泣こう。




 星野先輩が貸してくれた本をサイドテーブルに置くと、頭まで布団を被って、泣いた。

 泣き疲れて眠るまで、ずっと、泣いた。

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