もしかして:正論
都合本日3本目です
中間テストは、無事に終了した。
なにはともあれ、テストが終わったのは喜ばしい。出来栄えとしてはだいたい普段通りなので、運が良ければ学年1位もあり得る。
運、というのは謙遜ではない。
50位以内は努力で維持できるが、「1位」というのは完全に運の領域だ。
例えば中等部の頃、A組を担当していた国語の先生は、それはもう凄い先生で、クラス全員の尊敬を集めていた。
だが一方で、「君の解答は内容的には100点ですが、僕は君の人格が気に入らないので1点減点して99点とします。この1点のせいで君が50位を割るようでしたら、謹んで『ざまあみろ』と申し上げます」と笑いながら平気で言う(そして言われたほうも大笑いする)、そんな傑物でもあった。
実際、あの先生から「実質100点」を引きずり出した彼が、50位圏内から落ちることは、なかった。でもその1点の差で、私は初めての学年トップを獲得した。
そしてそのテストを最後に、彼は親の海外出張にあわせて転校。以後、私が学年トップに居座っている。
これが運でなくして、何が運か。
こういうことは、特進クラスであるA組にいるクラスメイトなら、だいたいみんな理解している。
それにこの特異な学園の、ぎゅっと絞った一滴みたいな生徒が集まるA組には、例えば学年50位を維持しながら、本気で藝大の美術学部を目指している人物もいる。こうなってくると、テストの順位で何かを評価すること自体、バカバカしく思えてくる。
だからA組の内部では「1位おめでとう!」みたいな挨拶は、まずない。
あるとすれば「50位以内キープ」や「カド番脱出」をお祝いするか、さもなくば限られた人向けに「10位以内キープ」がお祝いされるだけだ――10位キープは、特待生に対する、暗黙の要求ラインなので。
ともあれテストが終わって1週間は、テスト期間中に溜まった執行部の仕事を消化することに専念した。
というか、専念せざるを得ない。
演劇鑑賞会の件は、職員会議を無事通過した。
なので、まずは演目を簡単に説明したアンケートを作って、全校生徒に希望を取らねばならない。
同時に、「ハムレット」を上演する劇団の制作さんにコンタクトをとって、団体予約が可能かどうかの打診も開始。
こっちは御木本会長に交渉を一任した。もともと「ハムレット」を見るプランを出してきたのは会長なのだ。一番面倒くさい部分を押し付けてもバチはあたるまい。
で、どうやら件の「ハムレット」、チケットの前売り状況はあまり芳しくなかったようで、劇団の制作さんは二つ返事で団体予約&割引を引き受けてくれた。
アンケートの回収も順調に進んでおり、とりあえずこの案件は一山越えた、というところか。
当日用の「演劇鑑賞会のしおり」の制作は、永末さんをリーダーにして進めてもらっている。
私も中等部2年のときに初めて「しおり」作成のリーダーを任せられたので、丁度いいだろう。
そんなこんなで演劇鑑賞会の修正に目処がたった週明け月曜の朝。中間テストの成績が発表される、運命の朝だ。
月曜は朝礼の準備がある、というのを口実に、いつもは発表をなるべく見ないようにしている私だが、エマちゃんとの勝負があるので今回ばかりは仕方ない。
エマちゃんの雰囲気だと、まかり間違っても自分が負けているのに「あたくしの勝ちですわ! さあ盆栽部に入りなさい!」と言ってくる可能性はないとは思うけれど、世の中何が起こるかわからない。
さて。
ひとつ、深呼吸して、朝も早くから人だかりができている職員室前の成績一覧の前に立つ。
なんだかえらく盛り上がってる一団がいるけれど、とりあえず無視してにじり寄り。
一応、その程度の自信はあるので、高等部1年の欄を、上から順番に確認。
1位 朝倉武志 661点
あら。
いやまあ、こんなもんでしょう。
朝倉君、高等部に入ってめっちゃ頑張ってるし、週末は予備校の特別講習受けまくってるらしいし。
……うう、まあその、やっぱり記録が途切れたってのは、それはそれで悔しいなあ。
でも、これでだいぶ気が楽になったってのは、あるかな。
問題は、自分が何位かだなあ。50位を下回った可能性はない、と思いたい。
1位 高梨遙 661点
あら。
同点でしたか。これは珍しい。
とりあえず「単独1位の連続記録」は止まった、ってことでいいですかね。
そんなことより、エマちゃんの順位はどうなんだろう。
ずっと見ていくと……ない……まだない……あ、あった。
54位 千代・エマ・ボヴァルレ=シャルパンティエ 597点
あっちゃあ、50位割ったかあ。
でも英数国に理科2つ社会2つ、合計7科目で597点だから、平均85点くらい?
国語とか社会とかヤバそうな雰囲気なのに、それで平均85って、点数の内訳はどうなってるんだろう。気になる。
ともあれ、こんなもんでしょう。
エマちゃんの執行部入りは決まったし、私はA組キープ。
なべて世はこともなし。さっさと朝礼の準備に行きますかね。
……と思ったら、背後から突然、肩を掴まれた。びっくり。
振り返ると、朝倉君だ。ええっと。何の御用でしょう。
「高梨! やっと追いついたぞ!」
あ、はい。
「これでお前の単独首位記録はストップだ!」
そうですね。
「期末テストでは、必ず俺が単独1位を頂く!
高梨が執行部活動なんかにかまけてるようなら、もう間違いなしだ!」
ははあ、そうかもしれません。
「執行部活動なんかで先生に媚び売って内申点を稼いだって、最後にものを言うのはセンター試験、それから2次試験だ! 少しは優先順位を考えることだな!」
ええと。別に私、内申点のために執行部やってるんじゃないんですが。
っていうか、執行部って公式には存在しないから、内申にプラスになるんですかね。ならないような気がしますけど。出席日数のほうがよほど内申点に効くような。
……っていうか。
さすがに、ちょっとイラっときたんですけど。
でもこういう状況では、何を言っても無駄だ。
実際、朝倉君が普段からこういうテンションの人かと言えば、そんなこともない。初めて学年トップを取って「さすがに気分が高揚します」みたいな状態なのだろう。
私だって、初めてトップを取った時は、そりゃあ嬉しかった。たとえ取れた理由が、「ライバルが国語の先生に人格を嫌われたから」であったとしても。
私はわざとらしくにっこりと笑顔を作ると、朝倉君の目をじっと見る。
ポイントは、絶対にまばたきをしないこと。
途端に、朝倉君は露骨に動揺する。
「朝倉君、学年トップおめでとうございます。
これからもクラスメイトとして、一緒に頑張りましょう。
では、私は朝礼の準備がありますので、お先に失礼します」
一礼して、回れ右。御木本会長式のあしらい方だけど、なるほどこれは効果的。
私は内心で少し感心しながら、講堂に急ごうとする。
……が、そこに甲高い声がかかった。
■
「さすがですわ、高梨遙!
敗れてなお、高梨に一日の長あり、と申し上げるべきでしょう!」
声の主は言うまでもなくエマちゃんだ。
いや待って。エマちゃん、その日本語、どこで覚えたの。
じゃない、そもそもエマちゃんの中では、誰が、誰に、負けたってことになってるの。
案の定、周囲はみんなポカンとしている。
エマちゃんはビシッと私を指さす。
「高梨遙! あなたが同点を許すなど、負けも同然でしょう!
あなたは生徒会執行部という、noblesse obligeを実践する身!
そのあなたが、己の野心以外、その身に何ら携えぬ凡夫に並ばれるなど、恥を知りなさい!」
うっわ。それ言い過ぎだって。
「……な、な、な、た、たかが50位にも入れない奴が! 何を!」
ほーら、朝倉君が怒った。これはエマちゃんが一方的に悪いよ。
まあ、いまので朝倉君も50位以下の生徒を全員敵に回したけどね。
「それがどうかいたしましたの?
確かにわたくしは今回、わたくしの思うような結果を残せませんでしたわ。
ですがそれは、次で取り返せばいいだけのお話。
この学校のシステムには、ちゃんとその機会が用意されておりましょう?」
いやいやいや、だからって凡夫は言いすぎだって。
「……これだから日本の厳しい競争社会を知らない奴は困るんだ!
いいか、この社会では! 失敗は、一度たりと、許されないんだ!
俺達はその現実に向かって、自分を鍛えなきゃいけないんだよ!」
――朝倉君?
あなた、なんか変なものでも食べた?
それとも、Facebookとかで変なグループにでも入った? 互いにLike!押しまくる系の。
でも、それを聞いたエマちゃんの表情が、すうっと変わった。
朝倉君はもちろん、突然の対決に集まってきた野次馬も、ピタリと静かになる。
「ムッシュ・朝倉。
あなた、アンドリュー・ワイルズをご存知なくて?」
エマちゃんが、ピシリと言い放つ。
あー。まあ、そりゃあ、彼を出すのは、ねえ。
この手の問題については、一撃必殺ではあるけど、ねえ。
……ってさあ、朝倉君タイプだと、ワイルズなんて名前、そもそも知らないかも。
案の定、朝倉君は言葉に詰まった。
「確かにワイルズは、典雅を介さぬジョンブルですが!
まさか、この宮森学園高等部1年生の、学業における最高峰が!
アンドリュー・ワイルズを知らない――などとは申しません? ……わよ? ――ね?」
おおう、エマちゃん、挑発するかのように言い放ちながら、途中で「まさか本当に知らないんじゃ」っていう驚きに飲み込まれたっぽい。そしてエマちゃん的な予想とあまりに違う展開に陥ったせいか、エマちゃん本人まで黙りこみモード。周囲は言わずもがな。
なんだこれ。
いや、日本で、高校1年生で、ワイルズ知ってるって、結構レアだとは思うけど。
仕方ないので、助け舟を出す。
――って、これ普段は御木本会長の役回りだ。嫌だ嫌だ。
「アンドリュー・ワイルズ。イギリスの数学者です。
1993年の、確か6月頃だったと思いますが、彼はそれまで350年以上未解決だった、フェルマーの最終定理の証明を宣言しました。
その証明を披露するケンブリッジ大学での講演には、世界から著名な数学者が詰めかけたと言います」
ふと悪戯心が動いたので、説明を補足。
「フェルマーの最終定理がどのような問題なのかは、この場で説明するには時間がなさすぎますので、省略します」
エマちゃんがクスリと笑う。
「ですがワイルズがこの講演で披露した証明は、実は本人すら納得できていませんでした。
そして彼は、自分の証明に残る問題点を解決できませんでした。
講演まで開いたにも関わらず、彼の失敗は、ほぼ明らかでした。
実際、彼はここで一度、自分の証明を半ば諦めています」
このあたりで、話がどこに落ち着くか先を読んだ生徒たちが、「ああ」という顔をし始めた。これこれ。先回りしすぎですよ。
「ですが1994年、ワイルズは突然、証明をひらめきます。
翌年、この証明は論文となり、審査によって正しいことが認められました。
ワイルズは、一度の失敗を乗り越え、4世紀に渡る問題に終止符を打ったことになります」
演説が全員に理解されるまで、やや間を取る。
時間がないから一気に喋ってしまいところだけれど、会長のやり方を見ていると、この「間」は結構大事だ。
「朝倉君。
『社会では一度の失敗も許されない』という仮説は、常に偽ではありません。
失敗すれば次がない事案は、いくらでも列挙できます。
ですが、ワイルズの例から、常に真でもないとも言えます。
以上より、その仮説は、現状ではただの憶測です。
私見ですが、何らかの境界条件の設定が不可欠だと思います」
そろそろマジで朝礼の準備に向かわないとヤバイので、朝倉君には申し訳ないけれど、正論でぶん殴って黙らせる方向で話をまとめる。
しかるに、もう一人も正論パンチで黙らせないと、私はこの場を離れられない。
「それからエマさん。
執行部の活動は、noblesse obligeではなく、趣味です。道楽です。伊達と酔狂です。その点、妙な風評を広めないでください。
また、『己の野心以外、その身に何ら携えぬ凡夫』という言葉は、エマさんのもう一つの発言、『この宮森学園高等部1年生の、学業における最高峰』と矛盾します。少なくともその点については、朝倉君にちゃんと謝罪したほうがいいと思います。
加えて老婆心ながら、今、エマさんがすべきことは、ライバルを挑発することではなく、己を高めることに一刻一秒を惜しむことではないでしょうか。
期末テストまで、あと50日もありません。日曜日が7回来たら、期末テストだということを、お忘れなく」
青菜に塩を大量投入したみたいにエマちゃんがしゅんとなってしまったので、ちょっと罪悪感に駆られる。でもこれくらいやっておかないと、この場から解放されまい。
「では、改めて、私はこれで。
朝礼に遅れないように、気をつけてください」
どこからともなく拍手が湧き上がったが、その部分は無視。
会長ならここで「ありがとう!」くらいのレスポンスを返すのだろうが、そんな芸風は、私には、ない。
野次馬生徒たちに一礼して、踵を返すと、私は足早に講堂へと向かう。




