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ユスティナ10

神聖暦1968年12月


(メモ:案の定、昼間の件が頭のなかをグルグルして眠れないので、まだしも穏当なユスティナの記憶チェック作業に切り替える)




 ふと、目が覚めた。


 体質なのか何なのか、昔からこうやって夜中に目が覚めてしまうと、即座に二度寝ということができない。懐中時計を確認すると、23時をちょっと回ったくらい。早起きするには、いくらなんでも早過ぎる。

 しばらくベッドの上でぐねぐねした後、諦めて部屋着に着替え、本を片手にキッチンに向かう。暖かいお茶でも飲みながら、読書で少し時間をつぶして、眠気の再来を待とう。


 2ヶ月前の学院出張で手に入れたこの本、なかなか読み応えがあって、未だに完全に読み解けたとは言えない状況だ。

 著者は若き気鋭の魔術理論家(私より若い。いや、私が歳をとっただけか)で、私が最後に学院に残していった曰くつきの論文を、確かな理論構築で「妄想」と一蹴しているのが小気味よい。

 きっと彼は、歴史に名を残す魔術理論家になるだろう。彼が提唱する「魔術理論は無矛盾であり、あらゆる魔術理論上の問題は真偽いずれかの判定が可能であって、真偽が同時に両立するような状況は決してあり得ない」とする説は、実に気宇壮大で、完成の暁には魔術理論を大きく前進させるに違いない。


 ……もっとも個人的には、この説に、なんとも言えない違和感を感じたりはしている。

 まあ、私のような外野が何か言うことではない。あくまで魔術理論を趣味として嗜む、いち在野魔術師の「直感」でしかないわけだし。


 キッチンのある1階に降りたところで、足が止まった。イリスの部屋から、声がする。まだ起きてたのか――って、そうか、今晩は〈勇者〉はイリスの部屋でお泊りだった。

 そういう趣味はないので、そそくさとキッチンに撤退しようと思ったけれど、またしてもそこで足が止まった。イリスが話しているのは、私について、だ。

 うう、立ち聞きの盗み聞き、失礼の極みだけれど、さすがにこれは気になる。


「……ユスティナはさ、ボクらと一緒にいるより、魔術学院に戻ったほうがいいんじゃないかなあって、すごく思うんだよね」


 おおっと。


「お前、ユスティナと上手くいってないのか?」

 心配そうな〈勇者〉の声。私も不安で死にそうな気分。


「まさか! ユスティナのことは大好きだよ! あなたとどっちか選べって言われたら、ボクはユスティナを選ぶね」

「そうか。それは良か……いや、あまり良くない」

「あはは。だからね、両手に花の今の生活、ボクは大いに気に入ってるよ」

 両手に花ときましたか。


「じゃあ、なんでユスティナが魔術学院に行った方いい、なんてことを?」

 そこは私もすごく聞きたい。


「うーん。いやさ。正直、ユスティナとそこまで長いつきあいじゃないけど、学院でいろいろやってたユスティナ、すごく楽しそうだったじゃない。

 本人的には思うところもあるんだろうけど、やっぱりあそこが、ユスティナのホームなんだなあって」

 ううん。そこまで楽しそうでしたかね。いやそれはもちろん、結婚記念日のお食事会は、ほんとうに幸せだったけど。


「学院があいつのホームだってのは、俺もわかる気がする。

 でもな、イリス。人間は、ホームだから、生きやすいってわけでもないんだ。ふるさとは、遠くにありて思うもの、とも言う」

 ……ああ。なるほど、上手い表現だ。

 確かに久々の学院は楽しかったが、毎日となると、多分私は病むと思う。だからかつての私は、外の世界に居場所を求めた。


「そうかもしれない。でもさ、それやっぱり少し、逃げが入ってると思うんだ。

 逃げるのが悪いとは言わないよ? でも逃げ続けていたら、いつか逃げきれなくなる。

 ユスティナが逃げてる何かに、彼女が追いつかれちゃったら、そのときボクたちが助けてあげられる保証は、ない。それくらい、ユスティナは凄い人だからね」

 ま、またすごい高評価が。そりゃあまあ、逃げてると言えば逃げてますけど。でも、そんな何か凄いものから逃げてるわけでも。それに、逃げてるっていうより、立ち向かいたくないっていうか、そういうタイプのものだから、あっちからは追いかけてはこないし。


「あいつは何でもかんでも抱え込みすぎるからなあ……。

 もっと適度に無責任に、自分に自信を持ってくれるといいんだが」

 い、いや、無責任に自信を持てと言われても。

 というかそこまで私、自分に自信がなく見えますかね。

 これでも、結構プライド高いほうだと思うんですが。


「そうなんだよねえ。

 ほら、この前の学院出張のとき、ユスティナが本を買ってたでしょ? あの本、ちょっと見せてもらったんだけど、ボクじゃ何が書いてあるのかさっぱりでさ。

 こんなこと言うと『お前は自分に自信を持ちすぎだ』とか言われそうだけど、ボクが読んでまったく理解できないってことは、あの本、相当だよ。

 それを普通に読み解いちゃって、挙句『この理論、素晴らしいですけれど、何か言葉にできない違和感があるんです。イリスはどう思います?』って聞かれても、ボクには何がなんだか」

 あれれ。いやまあ、専門書だから、そんなものかもだけど。言い回しとか、記号の使い方とか、いろいろ独特だし。私だって、完璧に理解したとは言えないし。


「イリスにも分からないことがあるのか」

 少し感心したように〈勇者〉。私も同感。


「それこそ買いかぶりすぎ!

 ボクにだって分からないことはあるし、知らないことだってあるよ」

「……何でもは知らない、知ってることだけ、か」

「あっは、それ上手い言い回しだね。

 ほんと〈勇者〉は、そういうの、上手いよね」

「それこそ買いかぶりだ」

 いやいや、実際、〈勇者〉はこの手の格言というか、コンパクトな言い回し、とても上手いと思う。まったく、どうしたらそんなの思いつくのやら。それこそ「自己評価が低い」ってやつですよ。



          ■



「……話を戻すんだけどさ。

 これ、本人にはまだ言わないでほしいんだけど。ちょっと真面目な話をすると、ユスティナが学院に戻ったほうがいいって思うのは、本当は、そういうのが理由なんじゃないんだ」

 あら、話が蒸し返された。


「と、言うと?」

「そうだね……どういう順番で話すのが一番いいか……」

 イリスはしばらく黙りこんでしまった。私もドキドキしながら、気配を消して盗み聞き。


「魔術の仕組みは、〈勇者〉もわかってるよね?」

「そりゃ、一番基本的なところはな」

「魔術には、5つの技法と、10の領域があって、この組み合わせで基本的な魔術は構築されるわけだけど。

 魔術を革命的に進歩させようとする人っていうのは常にいて、そういう人が最初に試みるのは、新しい技法なり領域なりを開発しようっていうプロジェクトなんだよね」

 それは、よく分かる。私の同窓生にも、それを志した人物がいた。

 私自身、まったく考えなかったかと言えば、嘘になる。炎の領域以外の実技がからっきしだった私にとって、「既存以外の技法や領域があるかもしれない」という仮説は、福音そのものだ。


「これ自体は、とても合理的な発想だよ。なにしろ新しい技法を確立すれば、それだけで魔術の『法』は10種類増える。たった1つの発明で、50が60。革命的って言葉がふさわしい発達だよ。

 もちろん、領域を1つ新しく開発するのでも、その1つで50法が55法になる。これもすごい仕事だね」

 そうだ。しかも魔術には、複数の魔術を融合させた複合魔術があるので、基本となる50法の拡張は、魔術世界そのものを激変させるポテンシャルを持っている。


「このクラスの発明は、これまでまったくなかったわけじゃあなくて。

 400年前の記録によれば、その頃は5つの技法に、8つの領域しかなかった。今の5つの技法、10の領域による50法が完成したのは、300年前なんだよね」

 おっと、それは知らなかった。魔術史はあまり真面目に勉強しなかったからなあ。


「それから300年、たくさんの試みが成されてきたけれど、新技法だとか、新領域だとかの開発には、誰も成功していない。

 いまでも1年に1回くらいの割合で『新領域を発見した』っていう報告が界隈を賑わすけれど、ほとんどは早とちりだったり、ひどくすると捏造とか詐欺とかだったりしてる。

 10年に1回くらい、これは本物かもしれないって盛り上がるんだけど、結局、従来の領域のいずれかに従属する、副領域でしかないんだよね。それはそれで、すごい発見ではあるんだけど」

 その通りだ。私の恩師であるゲーベル師もまたこの手の「発見者」の一人で、若い頃はその論文が激しい毀誉褒貶に揉まれたらしい。

 結局、師の発見は「炎」領域の副領域であることが実証され、師は魔術世界の革命家にはなれなかった。とはいえ、新しい副領域を編み上げるというのは誰にでもできることではなく(イリスの表現を借りれば、10年に1人の才能だ)、ゲーベル師が学院の魔術理論主任教官として雇用されたのも、この功績によるところが大きい。


「……それは、つまり、何か。ユスティナは――」

 〈勇者〉が、恐る恐るといった様子で口を挟む。

「あくまで、これはボクの直感。仮説なんていう立派な段階には至ってない。

 でもボクは、ユスティナが誰も知らない領域の魔術を、無意識に使っている可能性が高いと思ってる。思うっていうか、ほとんど、確信してる。

 学院でユスティナの論文を読んで、これは間違いない、本物だって」


 ……はい?

 いや――それは……それは、いくらなんでも――

 第一、私はそういう「無意識でどうこう」っていう直感派じゃなくて、とにかく理論と実践を延々と積み立て、ようやくなんとかっていう方向の魔術師なんですが。


「魔術領域には、親和性っていう概念があってね。例えば炎の領域が得意な人の場合、炎の領域と負の親和性を持つ水の領域が、どうしても苦手になる。逆に、親和性の高い地と風の領域は、炎の領域が得意なら、その応用で何とかできてしまう。

 ボクがよく複合魔術を使うのは、この親和性を上手く利用すれば、ボクみたいな飽き性の術師でも、いろんなことが満遍なくできるからなんだよね」

「なるほど――いや待て、でもそれは」

「そう、おかしい。おかしいんだ、それだと」

 ズキン、と胸が傷んだ。

 そう。私は親和性理論にとっての、特異点であり続けた。

 炎の大導師にまで進んだ私は、親和性に頼る範囲で、地と風の領域の魔術も、それなりに使えてしまうはずだった。

 が、現実には、私は地も風も、まったく使えない。「親和性理論」を研究する魔術師からは、「あいつは目立とうと思って、炎の魔術しか使えないふりをしているだけ」という陰口を叩かれていた。

 そうだったら、どんなによかったか。


「当代きっての炎魔術の使い手が、地と風の魔術をまったく使えない。

 魔術理論で言えば、これは本来、ありえないことなんだ。

 でも、もしユスティナが習得したのが炎魔術ではない、としたら?」


 ……!? まさか、そんな――

 いや、でも、筋は通る。しかし。そんな。まさか。


「ユスティナは、炎の領域に高い親和性を持った、何か未知の領域の魔術の、達人だと考えたら。

 だったら、ユスティナが炎の魔術しか使えないことに、説明がつく。二重親和性の否定、つまり『親和性は、1つ隣の領域までにしか及ばない』っていう理論があるから、ユスティナが地や風の魔法が使えないことと、矛盾しない。

 つまり、彼女にとって炎の魔術は、『おまけ』である可能性が高いってこと」

「――背筋が凍るな。余技で、あの威力ってことか」

「そうだね。ボクも正直、ちょっと信じがたいなって、最初は思った。

 でもこれだと、ユスティナの魔術特性が、すべて綺麗に説明できる。

 普通の魔術師なら数発で昏倒しちゃうか、悪くすると『魔力焼け』で発狂するような規模の術を、なぜあんなにも連発できるのか。

 それでいて、なぜ炎の魔術しか使えず、しかも威力の調整ができないのか。

 全部が、綺麗に、説明できるんだ」

 イリス――あなたは天才独特の、理論の飛躍というか、説明不足に陥ってる。どうか、その不足部分を、聞かせて。でないと、このままじゃ、寝るに寝れない。


「待った、それは全部を説明できてなくないか?

 少なくとも、ユスティナがあの規模の魔術を連発できる理由にはなってない。むしろ、余技として炎の魔術を使ってるというなら、消耗はより大きくなるんじゃないのか?」

 ナイスフォロー、〈勇者〉。そう、そこだ。そこが説明できていない。


「ああ、ごめん。ちょっと先走った。

 ボクの予想では、ユスティナは、炎領域じゃなくて、いわば『魔力領域』の魔法を使ってるんだと思う。

 ユスティナの論文を読むまでは、彼女が真に熟達しているであろう未知の領域を、推測することもできなかったんだけど。でもあの論文を読んで、ユスティナが炎の魔力粒子そのものを、とんでもなく高度な理論に基づいて、ものすごい精度で操っていることに気がついた。

 つまりユスティナは、魔力粒子を直接扱う、未知の魔術領域の、達人。これがボクの推理。

 だから魔術師の脳と魔力粒子の過度な干渉で発生する『魔力焼け』なんて起こさないし、魔力を直接扱うぶん効率が良くなって術による消耗も小さい。だけど、魔力粒子なんていう超高エネルギー体を直接扱うから、威力の調整が苦手」


 ――なるほど。仮説としては面白い。面白いけど……


「ボクが、ユスティナは魔術学院に戻ったほうがいいかもって思うのは、これが理由。

 ユスティナには、300年間停滞してる魔術の世界を、根底から前進させる可能性があるんだ。前進っていうか、既存の魔術理論が全部、根っこからひっくり返る。

 魔力を直接操る魔術(メタ・マジック)なんて途方もない技術がきちんと理論化されたら、それはもう、魔術革命なんてレベルの話じゃないよ」


 勇者が、ため息をつくのが聞こえた。珍しい。


「ってことはなにか。

 あいつは、自分だけの力で、世界を変えることができる、ってことか」


 違う。私には、そんな力はない。

 よしんばあったとして、私はそんなことをしたいんじゃない。


「そうなるね。

 もちろん、時間はかかると思う。

 でも学院できちんと研究を進めれば、ユスティナは、絶対に、世界そのものを革命する。ボクらが想像すらできない世界を、切り開くことができる」


 違う。イリス、違うの。

 私は、世界を革命したいんじゃない。

 新しい世界を、作りたいんじゃない。


「あなたは、ユスティナに『新しい世界を見せる』約束をしたんでしょう?

 だったら、このことは、少しだけ真面目に考えてみて。

 ボクは、ユスティナが好き。あの自信のないところも、びっくりするくらい粘り強いところも、土壇場で見せる怖いくらいの果断さも、みんな、みんな好き。

 それはアイリス姉さんもそうだし、ロザリンデもそう。このままみんなで、ずっと暮らしたい。

 でも本当にそれでいいのか、ボクには確信が持てないよ。世界をもっと良くできる才能をもった人を、ボクのささやかな幸せのために閉じ込めておくのって、良いことなの?」


 いいんだよ、イリス。

 私がいることで、あなたが幸せなら、私はそれで満足なの。


「……みんなでカラクフに引っ越して、そこで暮らすのもいいかもな。イリスだって、学院で教師になってほしいってオファーはあるんだろ? ロザリンデはああいう土地じゃいくらでも仕事があるだろうし、アイリスは魔術師を守る技を教えれば、それで食っていける」

「そうだね。そういう方法もあると思う。

 でもね、これは忘れないで。こんな提案をしときながら何だけど、もしユスティナが学院で新領域の研究を始めたら、それはものすごく孤独な戦いになる。

 ボクにも、ユスティナが見ている世界は、まったく分からない。

 ユスティナが戦う敵からは、アイリス姉も守ってあげられない。

 ロザリンデがどんなに根回ししても、魔術理論そのものは、なびいてはくれない。

 あなたが手を握ってあげることくらいしか、ユスティナを助けてあげられることは、ない」


 イリスは、やっぱり天才だ。私が何から逃げているのか、正確に見抜いていてる。

 新しい世界を見たい、それは、嘘偽りない思い。

 でも私は、あなたたちと一緒に、新しい世界が見たい。


 お願い。私を、一人に、しないで。


「――割り切れない、話だな」

「うん。でも、世の中には、割りきらないといけない話もある。

 あなたが言ったことだよ。四分の二は、二分の一に、割りきらなきゃいけない。そういう話も、世の中にはあるんだって」


 そう、その通りだ。

 それが、綺麗エレガントな、答え。

 でも。でも!


「ああ――だが俺は……

 俺はね、四分の二は、四分の二のままだからこそ、意味があるとも思ってる。

 世界は、そう簡単に割り切れたりは、しない。

 イリスなら、分かるだろ? 四分の二が二分の一に割り切れるからって、四分の二で書かれた楽譜を、勝手に二分の一に書き換えることなんて、できないじゃないか」

「あはは、また上手い喩えだね。

 綺麗とは言いかねる(エレファントな)答えだけど――ボクはそれも、嫌いじゃないよ」


 衣擦れの音がして、やがてバサリと2人がベッドに倒れこむ音が続いた。

 私は足音を忍ばせ、キッチンに向かい、本を広げて。


 それから朝まで、私はずっと、本を読み続けた。

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