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もしかして:藪蛇

 1日の授業が終わって、さて今日もちょっくら生徒会室に顔を出して、特に何もないようなら、とっとと帰って中間試験対策でもしますかね――と思いながらカバンを片付けていると、突然、大変に素晴らしいアイデアが閃いた。というか、思い出した。


 そうだった。私、小学校の頃の私物を全部、宮森学長に預けてたんだった。

 と、いうことは、小学校の頃に書いたユスティナ・ノート、意外と簡単に発掘できるんじゃないだろうか。


 うん。勝算は高い。


 亡き母と暮らしている頃、私にはあまり「私物」という概念がなかった。私がねだるのは大抵は本で、本棚は母と共用だったというのが、一番大きい理由だ。母は自分用に買ったちょっと対象年齢高めの(いかがわしくはない)漫画を私が読んでいても怒らなかったし、私も母がいつのまにか「日本の歴史」的な学習漫画を熟読していても、特に腹をたてることはなかった。

 本以外となると、私がマイブーム的こだわりを持っていたのは文房具だが、これも母と趣味が共通していたこともあって、なんとなく「そこにあるもの」を使う感じで暮らしていた。


 結果的に、明確に私物と言えたのは、衣料品ばかり。さすがに子供服を大事に取っておいても仕方ないので、このあたりを全部バザーに出してしまうと、残ったのは誕生日に買ってもらった特別な本が数冊に、お絵かき帳や自由帳といった類が多少。

 あの手の一式は、宮森学園中等部に入学して、寮に入った時に、ダンボールに詰めて宮森学長に保存してもらっている。

 1箱に収まりきる程度だったから、寮の部屋に置いてもよかった。でも、これから新生活を送ろうという場に、過去の思い出が詰まった箱を、持ち込みたくなかったのだ。


 善は急げということで、私はスマホを取り出し、メーラーを起動する。




To 宮森おばさん

件名 お願いをしてもいいでしょうか?


突然のメールですみません。


中等部に上がった時に、ダンボールに詰めて送った私の昔の私物なのですが、諸般の事情がありまして、少し発掘作業をしたいと思っています。

急ぎませんので、お時間に余裕のある折にでも、伺えたら幸いです。


よろしくお願いします。




 ちゃっちゃと文面を作り、送信。高森おばさんは忙しい人だから、のんびり返事を待つとしましょう。メールにも書いたけど、そんなすごく急ぐものでもないし。


 教室のある3階から、生徒会室のある1階まで降りたところで、ポケットに収めたスマホが軽く振動する。ん、まさかもう返信? それとも梓先輩のLINEかな?

 スマホを取り出してみると、なんとメールに返信が届いていた。いやそれ早すぎでしょ。




From 宮森おばさん

To 高梨遙

件名 Re: お願いをしてもいいでしょうか?


 ごめんなさい、いまヨーロッパ出張で、飛行機の中にいます。最近は飛行機の中でもインターネットが使えて便利ですね。もっとも、今までは読書と睡眠に専念できた時間を、仕事に使うようになってしまったので、良し悪しですが。


 高梨さんの私物のダンボール、確かに預かっています。ですがこういう状況ですので、私の家に来てもらうというのは、私が出張から帰るまでは、ちょっと難しいですね。


 戻りは1ヶ月先ですが、それでも大丈夫ですか? 急ぐようなら、秘書の今宮にダンボールの中味を探させます。探しものが何であれ、今宮なら高梨さんの秘密を口外したりはしませんから、安心してください。


 体に気を付けて。




 ははあ。なるほど、飛行機で移動中でしたか。そりゃ確かに、あの忙しい宮森学長でも、即レスできるはずだ。って、もしかしてファーストクラスとか乗ってるのかなあ。インターネットが使えるとなれば、それくらいでも不思議はなさそう。


 さて、しかしどうしよう。1ヶ月かあ。まあ、1ヶ月が1年でも、それで困るってものでもないしなあ。

 あー、でも、気がついちゃった以上、結構、気になりそうな気もするなあ。テスト期間中に、そういう不安材料というか、先送り材料を残しておきたくもないなあ。

 とはいえ秘書の今宮さんは、何度か会ってるけど、あの人にこんなくだらない仕事をさせちゃうのも、どうかな……。


 いや、ここはやっぱり、お願いしてしまおう。

 だってエマちゃんは果たし状作るのに弁護士を頼ったんだから。

 私だってこれくらい甘えてもいいと思う!


 ということで、折角なのでこちらからも即レス。今ならすぐ捕まるし。




To 宮森おばさん

件名 Re: Re: お願いをしてもいいでしょうか?


出張お疲れ様です。ヨーロッパ、ちょっと羨ましいです。


お言葉に甘えて、今宮さんに探しものをしてもらってもいいでしょうか?

自分勝手でほんとうに申し訳ないんですが、テスト期間が迫っていますので、気になったことを早めに解決してしまいたいと思います。


目標物は、50枚入りのルーズリーフの袋で、1枚目には「ユスティナ・ノート」と書いてあります。


私宛に郵送頂ければ助かります。宮森おばさんにも、今宮さんにも、余計な手間をおかけしてしまいますが、よろしくお願いします。




 送信、っと。

 生徒会室に行ってしまうと、会長にメール画面を盗み見られないとも限らないので、階段に腰を下ろして、しばし返信を待ってみる。さっきの感じなら、すぐ返事がくるでしょ。

 ……と思っていたら、予想通り、メール着信。どれどれ。




From 宮森おばさん

To 高梨遙

件名 Re: Re: Re: お願いをしてもいいでしょうか?


 わかりました。今宮に伝えておきます。


 そのユスティナ・ノートというのは、高梨さんが書いたものかしら? それともお母さんが書いたものですか?

 できれば詳しいお話が聞きたいです。向こうに着いて、落ち着いたら、時間を見計らってお電話します。




 おお!? なんかまた、藪をつついて蛇を出しまくったぞ!?

 あの超絶忙しい宮森学長が、海外出張先から、国際電話をかけないといけないレベルの何かが、今の流れにありました!?


 ……って、ありましたも何も、この流れで考えれば、常識的に言って、宮森おばさんは「ユスティナ・ノート」というタイトルに反応したとしか、考えられない。


 なぜおばさんが、「ユスティナ」に反応を?

 しかもおばさんは、母の関与までもを疑ってる。

 客観的に言えば、「ユスティナ」は、私の妄想でしかない。

 なのに、ここでなぜ母が?


 むむむ。

 嫌な汗が滲んできた。

 「ユスティナ」は、主観的に言えば、妄想ではなく真実だ。現に私は、魔法が使えてしまうわけだし。でもそのことは、私だけが知っていることだった、はず。


 まるでユービックみたいに、「ユスティナ」が現実に染みだしている。


 ……あー、でも、もういいや!

 このあたりで、この案件を考えるのは、おしまい!

 どうせ電話は明日にでもかかってくるだろうし、ノートも明日明後日には届くはず。あまりにもピースの足りないパズルで頭を悩ませるのは、百害あって一利なし、だ。


 いや、きっと今夜はずっとこのことばかり考えるだろうけど!


 とりあえず今は、生徒会室に行って、星野先輩のお姿を拝んで、永末さんを応援して、コーヒーでも飲んでから帰ろう。そうしよう。



          ■



 期待した癒やしは、生徒会室にはなかった。


 いや、星野先輩はいるし、永末さんもいるんだけど、その、何か、空気がちょっと違う。緊迫した感じ、というか。

 私はいつもの定位置に座るのを諦め、入り口付近の椅子に適用に腰掛ける。


 緊迫感の原因は、すぐにわかった。会長と、星野先輩が、正面衝突しているのだ。

 珍しいこともあったものだ。普段、会長は星野先輩の判断に口を挟まない。星野先輩も、会長が真面目な判断を下したときは、口を挟まない。永末さんには悪いけれど、以心伝心としか言いようのないくらい、息があっている。


 その2人が、どうやら、互いに譲れないラインでせめぎ合っている。


「星野が言いたいことは分かるけど、俺としては演劇部の要望を重視したいんだよなあ。だってこの件で要望を出してきたの、彼らだけなんだぜ? サイレント・マジョリティの漠然とした意見よりも、ちゃんと声を出した連中の意見を重視すべきだよ」と会長が演説をぶてば。


「演劇部の真摯な要望は重要だと思います。ですが、その要望はあくまでごく一部の、自分たちの便宜のみを重視した声であることは、動かない事実です。要望としては、自分勝手と言うしかありません」と星野先輩が返す。うわ、声がトゲトゲしい。


 私は側にいた永末さんに、ひそひそ声で状況を聞いてみる。

 永末さんも状況に困惑しているようだったが、衝突が起こった段階から部屋にはいたようで、ざっくりと事情を教えてくれた。


 意見がぶつかったのは、1学期の終わりに開かれる、演劇鑑賞会の演目を巡ってのことだ。

 もともと演劇鑑賞会では、市の文化会館で上演される、野田秀樹の「半神」を見ることになっていた。無論、本家の講演ではないが、大手劇団が独自の新演出で挑むとあって、その筋では評判になっている。

 が、そこに演劇部が意見を具申しにきた。なんでも同じ日、1日だけの公演で、新進気鋭の劇団がシェイクスピアの「ハムレット」を現代アレンジして上演するらしい。彼ら的には、そちらを観たい、いや全校生徒こぞって観るべきだ、と。


 なるほど。

 確かに、演劇部の申し出は横紙破りだ。チケットの予約の問題もあるし、はっきり言えば、今更の変更など無理、の一言に尽きる。

 けれど演劇鑑賞会は、改善すべき根本的な問題を抱えている、という側面もある。現状の演劇鑑賞会は、生徒から前向きな興味を抱かれていない。生徒の多くが、観劇中に寝てしまうのだ。このあたりの「若者の熱心さ」に関しては、劇団の人から露骨な嫌味を言われたこともある。

 だから、「これが観たい!」という熱意は、できるだけ大事にしたほうがいい。熱意は伝染性がある。熱意の高い参加者は、周囲の参加者の熱意も高めるのだ(これは逆も真――つまり失望もまた伝染し、周囲を失望に巻き込んでいくということでもある)。


 ……いやでもこれ、そんな角突き合わせるような問題ですかね。なんで2人とも、こんな簡単なことで、いつまでも喧々諤々やってるんだろう。


 そんなことを思っていたら、会長が突然くるりと振り向いて、「なあ、高梨はどう思うよ?」と聞いてきた。

 うおおい、なんで私かな……と思って星野先輩のほうを見たら、星野先輩も私のほうを見ている。

 あれー、先輩まで私をご指名なんですか。

 もしかして、「この人達は何やってんだ」っての、表情に出ましたかね。


 とはいえ、星野先輩のご指名とあっては仕方ない。私は立ち上がって、自分の見解を示すことにする。


「ええと。まず最初に質問なんですが、『ハムレット』の上演はどこで?」

「市民ホールだ」と会長。

「だったら、詰め込めるだけ詰め込んでも、200人ですね。そもそも、全校生徒は入りません。

 こちらから『全校生徒に観せたいから、もっと大きな小屋を借りてくれ』というわけにはいきません。それに、数ヶ月後の公演の、会場の予約を今から変えるという部分だけ見ても、明らかに非現実的です。

 仮に別日公演を、別会場でお願いできるとしても、1200人が入る規模の小屋を借りる予算は、生徒会予算のどこをひっくり返しても出てこないはずです」

 星野先輩がこくりと頷く。


「ですので、演劇部の主張である『全校生徒がハムレットを観る』は、不可能です。これはもう、理念がどうこうの問題ではありません」

 会長が何かを言い出しそうになるが、手で制する。あんたは気が早いんだって。ここから弁護の時間なんだから、黙って聞いてれ。


「ですが、例えば希望者だけが『ハムレット』を観に行くというなら、これには考慮の余地があります。

 これは私が中等部の頃に、当時の生徒会長から聞いた話ですが、昔は学年ごとに違う芝居を観ていたらしいです。つまり、生徒がそれぞれ違う芝居を観るというのは、前例があります」

 星野先輩が、何かを考えこむような表情になって、それから小さく「ああ」と呟く。星野先輩も、思い当たったようだ。


「演劇部員だけ、特別に『ハムレット』の鑑賞をするというのは不公平ですが、全校生徒に対して『どちらの芝居を観に行きたいか』の選択をオープンにすれば、システムとしては筋が通ると思います。

 それに、選択肢があることによって、演劇鑑賞会に興味がなかった生徒も、少しは興味を持つようになるかもしれません。最初から全力で寝る予定の人はともかく、普通はそれぞれの演目について、ちょっとくらいは調べたいと思うんじゃないでしょうか」

 選択肢があると、人はそこで最善の選択をしたいという欲求に駆られるものだ。


「問題があるとすれば、まず『半神』側の予約処理です。予定より人数が減るわけですので。

 ただ、この予約は当日のチケットを全部抑えるのではなく、生徒会がその日の公演そのものを借りきる形での『予約』です。費用的な問題は、ありません。

 その上で、空席が目立つのではないかという恐れは、残ります。ですが仮に『ハムレット』に200人が移動したとしても、中等部と高等部は合計で約1200人。文化会館の構造を考えると、舞台が見きれてしまう左右のウィングを封鎖したら、1000人ってむしろ丁度いいくらいの人数じゃないでしょうか」

 会長と副会長が、揃ってフムフムと頷いている。あ、でも星野先輩がこの解決法の、問題点に気づいたっぽい。なので、こちらにも先手を打つ。


「個人的には、『ハムレット』側のチケットを、人数分きちんと抑えられるのか、というところが気になります。この計画が職員会議を通れば、こちらの希望人数はすぐにでもアンケートを作って集計可能ですが、本当にその全員ぶんのチケットを確保できるのか、という疑問ですね。

 この点については、劇団と直接相談したほうがいいと思います。200人全員は無理なら、100人ならどうか、とか、交渉すべきことは多いです。『ハムレット』を希望する生徒は、チケットを原則自費で買ってもらうことになると思いますが、団体割引は効くのかとか、いろいろ。

 ともあれ、『ハムレット』を上演する劇団が、こういう形での予約をなんらか受け付けてくれるなら、システムとして回るかなと。

 演劇鑑賞会の本質的な改善には程遠いですが、鑑賞会に積極的に参加したいという熱意を最大限に尊重するなら、とりあえずはこのような対策が可能だと思います。

 私からは、以上です」


 会長は少し考えこんでから、小さく拍手した。星野先輩も、さっきまでの少しトゲトゲした空気が引っ込んで、いつもの星野先輩に戻った。


「高梨のプランが、隙がないように聞こえるね」と、会長。

「大筋に異論はありません。良い計画だと思います」と、星野先輩。えへへ、星野先輩に褒められた。


「みんなはどうかな?」

 会長がぐるりと生徒会室を見渡すと、みんなが軽く頷いて、同意を示した。つうかこのプラン、そんな思いつくのが大変なプランじゃないでしょうに。みんなも内心で考えてたでしょ?


「よし、じゃあ執行部としての方針は、これでいこう。

 高梨が責任者ね。まずは職員会議に提出するための企画書を作って」


 うんうん――うん!?


「忠告しとくけど、何もかも全部、自分でやろうとするなよ?

 ああそうだ、企画書と一緒に、おおまかでいいから、予想される仕事と、分担表も作っておいて。俺とか星野とか、バンバン使っていいから」


 はーいー!?


「じゃあ、この件は高梨の企画書待ちってことで。

 みんな、すまんね。空気悪くしちゃってたな」


 はーいー!?!?


 あまりの展開に目を白黒させる私に、星野先輩からありがたいお言葉が。


「高梨さん、頑張ってください」


 はい、頑張ります。


 かくして私は、中間試験を至近に控え、とんでもない大仕事をゲットした。

 ああああ。なんなのこれ。藪をつついて蛇を出すとは言うけれど、なんで1日で2つの藪をつついて、2匹も蛇が出てくるかな……。


 私は天井を仰いで、ひとつ、ため息。それから改めて自分の席に座り、企画書の制作にとりかかる。


ちなみに国際線機内でのインターネット利用はファーストクラスでなくても可能です(申込制)。ただしメールやtwitterなど、プレイン・テキストの送受信に事実上限られると言ってよいかと。詳しくはご利用各社のウェブページを御覧ください。

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