夢4
「ねえユスティナ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんです、イリス?」
「この前、学院に行った時にユスティナの書いた論文を読んだんだけど。
いまだにちょっと理解が追いついてない部分があってさ」
「うわ恥ずかしい。イリスに読まれたんですか」
「そりゃ読むよ! だって魔術理論に関しては、明らかにユスティナが段違いだもの。
これはボクの個人的な評価って話じゃないからね?
先生たちも、ユスティナは理論専門の研究者になるものだとばかり思ってたって」
「いやでも、魔術理論はゲーベル師がいらっしゃいますし」
「そのゲーベル先生が言ってたんだって。
まあいいや、それで質問っていうか、要はボク、例の『猫の論文』、あれがずーっと引っかかっててさ」
「ああ、はい。あれは冒険的な論文でしたから……仕官先も決まって、もうどんな評価を受けても構わないモードで。
当時考えてたこととか、途中まで実験してたこととかを、全部投入したちゃったんですよねえ。
おかげですごくまとまりの悪いブツになりました。オチは力技だし」
「『この分野における今後の研究に期待する』は、さすがに笑ったねえ」
「最初は『仮説をすべて論じるには、この紙片は狭すぎる』って締めといたんですが、『それだけはやめろ』ってゲーベル師に怒られまして」
「あはは、それだったらガチで伝説の論文になったかもね」
「で、どのあたりが引っかかりました?」
「んー、理論まわりはもちろんなんだけど、一番気になったのは、実験データなんだよねえ」
「……ああ」
「ここまで斬新な仮説を立てて、それを証明する実験方法も編み出していて。
でも肝心の実験データが、最後まで揃ってない。
そのせいで、あの論文、批判も多いよね。『妄想に過ぎない』みたいな」
「そりゃそうですよ。私だってあんな実験データ見たら、そう思います」
「なんでデータをきちんと記載しなかったの?」
「肝心の実験が、ですね。最後まで、できなかったんです」
「どういうこと?」
「大規模魔術実験棟の、S1部屋を使ったんですが、途中で発現魔力中和装置がキャパシティオーバー警告を吐きまして」
「――はあ!?」
「あの論文に書いた通り、設定は最小限にしたんですよ。炎の魔力粒子2つを、同時に同じ空間に存在させる。
それだけのミニマムな条件だったから、いけるんじゃないかなって思ったんですけど。
4回くらい挑戦してみたんですが、ダメでしたね。結局、実験は無期延期にせざるを得ませんでした。そのまま強行してS1部屋をふっ飛ばしたら、一生かかっても弁償できませんし」
「待って待って待って。待ってよ。
クラスS1の中和装置がある部屋って、“ダリア”暴風雨を逆位相で解除した気象魔法の、実証実験をしてた部屋、だよね!?」
「ええ。卒業まで時間がなかったので、一番中和力が高い部屋を使いました。
S3あたりから順番に格上げしてもよかったんですが、時間を無駄にしたくなかったんで。
結果論で言えば、無駄でしたが」
「S3だったら、予備発現の段階で、中和装置がキャパオーバーしてたかもね……」
「そういえばイリスはS3の中和装置を壊したらしいですね」
「ぐっ……そ、それは……いや、いまはそういう話じゃなくて!
じゃあ、あの仮説に従って魔術を構築して、発現させたら――」
「そうですね、少なくとも“ダリア”暴風雨よりも大きなエネルギーを解放できることになります。
概算ですが、これによって発生する爆風は、最低でも地球を1周くらいするかと」
「――それ、本気でやったら人類が滅んじゃわない?」
「可能性は否定しません。でもこれはもう、仮説の上の仮説なんですけど、どんなに同時に存在する粒子の数を増やしても、途中から威力は上げ止まると見てます。
一発で人類が絶滅するような、そんな威力には、到達しないんじゃないですかね」
「なるほど、ねえ。
ユスティナ、2つほど質問、いいかな」
「はい」
「まず1つめ。ユスティナは、どうやってそんなとんでもない魔法理論を思いついたの?」
「厳密に言うと、私が思いついたわけじゃないんです。
卒業の単位は随分前に揃っていて、ようやく仕官先も決まったら、ヒマになりまして」
「……ヒマに、なった」
「ええ。すごくヒマで……それで、折角だから、もっと威力の高い火炎魔法を作れないか、と思い立ちました。
戦争のプロになるんですから、威力はあるだけあったほうがいいだろう、と」
「それは、そうだね」
「ただ、普通にやったのでは、自分の実力では限界が見えてたんです。なので、先人の知恵に学ぼうと」
「図書館?」
「いえ、魔術実験棟の、実験記録です。S1クラスの部屋で行われた魔術実験を、300年前までさかのぼって調べました」
「気が遠くなりそうだね」
「そうでもないです。中和装置のリチャージに1週間かかりますから、実験は最速で1週間に1回。もろもろ込みで10日に1回のペースです。
なので1年に約36件、300年で10000件ちょっと。同じ実験を複数回やってることも多いので、現実的な日数で全部確認できます」
「気が遠くなるね。ボクなら初日で飽きるよ」
「ヒマだったんです。実験の梗概と結果のまとめを読む程度なら、短ければ1本10分程度ですし。
それで、調べてるうちに、220年前くらいの実験でひとつ、80年前の実験でもうひとつ、キャパシティオーバーで中止になった実験を見つけました。
その2つの実験記録が、私の最後の論文の、最初の手がかりです」
「……やっぱさ、ユスティナはすごいよ。
普通そこに注目しようと思わないし、思いついても1万件の記録に総当りしようとは思わないって。
まあ、いいや。じゃあ、もう1つも、質問していいかな?」
「どうぞ?」
「『猫の論文』の理論に従って発現する魔法ってさ。
――世界を、根底から、変える力を持ってると思わない?
だってさ。その魔法の前には、1万の軍隊だ、10万の軍隊だみたいな話は、まったく無意味じゃない。
つまりそれって、今のいろんな王国が持つ『権力の根源』を、全面的に否定するんだよね」
「……そういう使い方も、できなくはないでしょうね」
「ユスティナ。こう、考えられない?
その魔法の本質は、世界に存在する何かを、物理的に破壊するものなんかじゃあ、ない。
世界のルールを、破壊できる魔法なんだ」
「――そんなことしたら、とんでもない無秩序が待ってますよ?」
「そうだね。
でもそこに、新しいルールを作る力が一緒にあったら、どうなるだろう?
ねえ、ユスティナだって、300年間の実験記録を見たなら、薄々気づいてるでしょう?
ボクたちの世界が、この300年、一歩も前進してないってことに。
乳幼児死亡率や識字率はもちろん、天候不順時に餓死する人口の割合に、1年あたりの紛争発生リスク。
あらゆる面において、この300年、世界はずっと停滞してる。
……本当は、停滞すらしていないんだ。統計の数字は、少しずつ、悪くなってる。
ユスティナ、この世界は、死にかけてるんだよ」
「だからさ」
「だから――ボクと一緒に、世界を、変えてみない?
この世界を、救ってみない?」




