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もしかして:告白

 もうすぐ中間テストのシーズンが始まる、その1週間前の、うららかな週末の、午後。私にとっては「戦争が始まる前の、最後のクリスマス」的な休日だ。


 幸い、エマちゃんに勉強を教える件は、ご本人から丁寧に「とてもスポーツマンシップを感じる、大変に嬉しいお申し出ですけれど、今回は遠慮させていただきますわ」とお断りを頂いた。「今回は」というところが引っかかるが、とりあえずやるべきことが急増する事態には至らずに済んだ、ということで。


 さて、そんな平和な休日のいっときを、私は学内に設置されたフランチャイズのカフェ・レストランで過ごしている。イタリアがトマト的な名称のアレだ。

 私としては、お茶が飲みたいなら寮食で無料の麦茶が飲めるし、何か食べたいなら購買か寮食でいいじゃないか、ということで、基本、縁遠い場所だ。これは何も私だけではなく、だいたいみんな同じ感想。

 とはいえ絶対的なお値段で言えば学食と劇的に違わない(相対的には倍、つまり学食が安すぎ)ので、高等部にもなってお洒落に目覚めはじめたグループは、身を削るようにしてカフェ・レストランでの優雅なランチに向かう。


 そういえば学長が「学内にカフェを作ります」と言い出したときは、いろいろ反対意見が出た。誰が使うんだとか。生徒には早過ぎるとか。学長の見解は明確で「こういう背伸びは、早めに経験させておくべきです」。


 なるほど。


 とはいえ今日、私がこの店を選んだのは、背伸びでもなければ、お洒落に目覚めたのでもなく、ましてやカフェで林檎ノートPCを広げてみたくなったのでもない。

 土曜日の学内カフェは、ほぼ無人だ。寮生は基本、寮食と寮の購買でこの手の用事を片付けるし、カフェに行きたい生徒がわざわざ土曜の学校に登校してくることも、あり得ない。

 せいぜい、職員室での業務に疲れた教諭が、ノートPCと書類片手に、コーヒー1杯で長時間の居座りを決めるくらい。迷惑な客だ。


 そんなわけで、誰かとひっそりお喋りをしたい(でも学外まで出て喫茶店とかカラオケボックスに行くほど手間も予算もかけたくない)場合、私はこのカフェを穴場的に使うことにしている。


 本日の注文は、私は普段通り、カフェラテ。私の向かいに座る永末さんは、梓先輩的冒険主義に則ってアボガドグレープフルーツジュース。

 しかるに永末さんは先程からずっと黙っているが、これはどうやらアボガドグレープフルーツジュースに圧倒されて黙っているというわけではなさそうだ。

 ちょっと複雑なお悩み相談の予感はしてたんだけど、どうやら想像よりも事態は厄介っぽい。


 ことの始まりは、金曜の放課後だった。


 いつもどおり生徒会室で仕事を片付けていると、放送部長が血相を変えて生徒会室に怒鳴りこんできた。いつも温和で物静かな放送部長が、こんなに感情をあらわにするだなんて、とても珍しい。

 話を聞くに、なんでも文化祭でステージ発表をするバンドのひとつが、電源容量のことをまったく理解できない連中だという。それだけならよくある話なのだが、彼らは「構造的に無理」というのがどうしても理解できず、「不当な抑圧に反抗する」ことを選んだ。

 その結果、どこでどう理屈が錯綜したのか、彼らは街の大手電器屋の楽器コーナーに行って「こういうことがしたい」と店員に訴える道を選んだ。訴えは順調にアルバイト→フロア担当→フロアリーダーへと駆け上がり、技術者でもあるフロアリーダー氏は資料と図面、そしてそこに署名された放送部長の名前を見て、「これは無理です」とバッサリ(フロアリーダー氏は、放送部長と個人的な友人なのだ。恐るべし、技術者つながり)。

 だが案の定、彼らはそこで逆ギレした。そしてあろうことか、メンバーの一人の親が、その電器屋の系列会社の偉い人なんだぞ、とフロアリーダー氏を脅しにかかったらしい。うちの学園は、世間的には「良い学校」なので、この手のお坊ちゃんお嬢ちゃんも結構な数がいる。


 うん、私ならその段階でブチ切れだ。

 とはいえ接客のプロとして百戦錬磨のフロアリーダー氏、「無理なものは無理です」と、やんわりとお引き取り頂くことに成功。


 だが問題は、そこで止まらなかった。

 フロアリーダー氏は、さすがに腹に据えかねたのか、厳重に鍵のかかったクローズドのSNSで、「今日来たキチガイ高校生」の愚痴を書いた。それが1時間前。

 30分ほど前、私物のスマホで調べ物をしていた放送部長が、その書き込みを読んだ。彼はすぐに何が起こったかを悟り、大慌てで謝罪するも、フロアリーダー氏の怒りは収まらない。むしろ「こういうことには、君ももっと怒るべきだ。そうしないと、ああいう連中はイベント当日に『ゲリラ』でやるぞ」と説教される始末。


 問題の大手電器店には、文化祭に向けた準備の中で、毎年いろいろと便宜をはかってもらっている。これは歴代の生徒会会長と執行部、そして放送部員が積み重ねてきた信頼関係だ。

 そうである以上、こちらとしても早急に誠意を示す必要がある。


 このあたりからは阿吽の呼吸。


 星野先輩は立ち上がると、てきぱきと指示出し開始。

「梓、第1購買でいつもの買ってきて。お金はこれ。領収書を忘れないで。校門で合流しましょう。

 永末さん、顧問の小林先生を呼んできて。

 御木本会長、出る準備をしてください。

 高梨さん、留守を預けます」


 奇跡的に生徒会室にいた梓先輩は「あいよ」と言うやいなや、つむじ風みたいに走り去っていった。永末さんもパタパタと走って行く。会長はワイシャツのボタンを喉元まで止めると、学ランを手に取った。私は作業用のPCを閉じ、ホワイトボードの前に陣取る。


 永末さんが顧問の小林先生を呼んできたので、星野先輩が事情を説明。小林先生、苦々しい表情になりつつも、「俺も行こう」と即断。このあたり、話が早い先生でありがたい。


 話がまとまったところで、謝罪チームが移動を開始――するところで、私は会長の首根っこを背後からキャッチ。「ぐえっ」という間抜けな音がしたが、気にしてはいけない。


「会長! 学ランの背中が猫の毛だらけですよ!

 さては昼休み、野良と遊んでましたね?」

「高梨、野良なんて名前の猫はいない」

「はいはい、雑草という名前の草もありません」

 言いながら、近くにあったガムテープで手早く抜け毛を拭い取る。取りきれてはいないけど、こんなもんでしょう。少なくとも失礼を通り越して恥ずかしいレベルは脱した。

「できました、ではよろしくお願いします」


 ご一行が電器店へと旅だったところで、私は全員の仕事の状況を確認、ホワイトボードに書き出す。星野先輩のようなきめ細やかな管理は無理なので、作業が終わったところで報告してもらうスタイル。


 その後、私の仕事を押し付けてしまった永末さんと2人で、校舎に鍵がかかる時間まで待ったが、謝罪チームは帰ってこなかった。梓先輩のLINE(結局LINEも使うことになった)に「校舎が閉じるので引き上げます」と入れて、生徒会室の鍵を閉める。

 鍵を閉めたところで、永末さんがようやく踏ん切りがついたかのように、「先輩、明日、お時間ありますか!?」と必死の形相で聞いてきた。なんだろうと思いつつ、「明日はいつでも暇だけど?」と言ったら、「ご相談したいことがあるんです!!」と勢い込まれる。


 かくして、その勢いに押されるがまま、土曜日の午後イチに学内カフェで待ち合わせということになったわけだ。



          ■



 あの後、梓先輩から「なんのかんので、お店の人に晩御飯まで奢られちゃったよー(謎のキリン型スタンプ)」という通知が来たので、とりあえずそっちの話は上手くまとまったのだろう。


 カフェラテを一口。問題は、こっちだ。


 さっきから永末さんは、ずっと黙っている。

 ときどき、一瞬だけ口を開くんだけど、すぐまた黙りこんでしまう。

 最初はわりとニコニコしていた表情も、だんだん泣きそうな顔になってきている。


 ううん。


 これ、なんかこの、この構図って、私が永末さんを苛めてるみたいなんですが……。


 というか……その――

 私、気になります!

 だってこういうシーン、知ってます!

 漫画とかで、たくさん見たことあります!

 永末さん席にヒロイン、私の席に男主人公。

 突然始まる別れ話!

 何が起こってるか理解できずに、さめざめと泣くヒロイン!


 やーめーてー。


 とはいえ、こっちから話を振っても、どうにかなるものでもなさそうだし。ここはのんびり、永末さんの気持ちが決まるまで、待ちに徹するのがいいんじゃないですかねえ。いやほんと、女心はわからんとです。


 ということで、のんびり待つ。

 永末さんの目が赤くなってきた。


 ……も、もうちょっと待つ。

 永末さんの口元が細かく震え始めた。


 …………も、も、もうちょっとだけ、待つ? のかな?

 永末さんは完璧に俯いてしまった。


 や、やっぱり、あれか。こっちから何か言うか。言うべきか。


「ねえ、永末さん」

「あ、あの、高梨先輩ッ……」


 ……やってもうた! やってもうたよ!

 ここでまさかの交通事故! 私、どんだけ間が悪いんだッ!


 思わず苦笑しながら、永末さんの話を促す。


「――あ、あの……先輩のお話を先で――」


 ぐわー。


「心配しないで、永末さんが話しにくそうだったから、何か気楽な話題でも振ろうかなって思っただけだから」

「そ、そうですか……すみません、腰を折ってしまって――」

「気にしないで! それより、相談って何?」


 永末さんがまた黙りこみそうだったので、慌てて話の穂を継ぐ。

 永末さんは、深呼吸して、それから思い出したようにアボカドグレープフルーツジュースを一口。

 それから、もう一回深呼吸。

 私はカフェラテに口をつける。


「あ、あの、先輩は……御木本会長と、つきあってるんですか?」


 ――!!!!!


 あぶな! いまカフェラテ吹く寸前だった!


 私のリアクションをどう解釈したのか、永末さんの顔が半泣きから本泣きに移行しようとする。


「やっぱり――そうだったんですね?

 絶対そうだって、思ってました……すみません、お時間、ありがとうございました――」


 私は盛大にむせながらカフェラテのカップをソーサーに戻して、席を立とうとする永末さんの裾を必死で掴む。


「……待った。待った、待った!

 なんかその誤解、今月に入ってから2回め! なんでそうなるかな!」

「え」

「え、じゃなくて!

 とりあえず、まずは、座って!」


 内心で「説明!」と一言付け加えつつ、思わず叫ぶ。

 永末さんを無理やり座らせて、私はお冷やを飲む。

 あー、もう、カフェラテが気管に入ったのか、喉が痛い。


「一番大事な部分から言うけど、私は会長とつきあってなんかいないし、そもそも会長を好きだとかなんだとか思ったこともありません!

 ここ大事よ! 試験に出るよ!」

「え」

「え、じゃなくて!

 てかさ、何をどう解釈したら、そんな妄想が飛び出てくるわけ?」

「――だって、執行部のみんなが、噂してますよ?

 お喋りもお仕事も息がピッタリだし、伊豆もお二人で行ったし、それに昨日だって」

「昨日?」

「会長の学ランを綺麗にしてあげてるのを見て、ああ、やっぱりって……すごくお似合いの2人だなあって――」


 おおおお、それをそう拾って繋げるか!

 それ、格ゲーだったらチートだよ! 無限コンボだよ!


「ない。それはない」


 断固として否定。


「で、でも、ほんといつも、夫婦漫才みたいな感じで」

「どつくぞ」

「え」

「え、じゃなくて!

 あのねえ。正直、私は会長の事務能力の低さには、ほんと辟易してる。無駄に調子がいいところとか、八方美人なところとか、時間の守れなさっぷりとか、そういうところは、10フィートの角材で殴ったら直るなら、直したほうがいいと思ってる。というか殴りたい。じゃない、直したい。

 でもね、勘違いしないでほしいところもあるの。私は、生徒会長って、ああいう人でいいんだと思う。

 私達は執行部員は、選挙で選ばれたわけじゃないでしょ? 好き好んで、生徒会の雑用を一手に引き受けてるってだけ。だからどうしても、何か問題があれば、『できるだけ面倒が少ない方』に誘導しよう、と思っちゃいがち。

 会長は、選挙で選ばれた、生徒の代表。だから会長は、そういうときに『できるだけみんなが満足できる方』を考えなきゃいけない。本当は、私達だってそう。会長は、私達が本来見るべき方向に、私達の視線を向けさせてくれてる。

 その点については、御木本会長は、本当によくやってると思う」


 永末さんは、こくん、と頷く。


「でもね、改めて言うけど、生徒会長として尊敬できるっていうのと、人間として尊敬できるってのは、全然別の話。

 ましてや人間として好意を持つとか、私の守備範囲的には、絶対に、絶対に、ありません。ないです」

「……本当ですか?」

「絶対に、絶対に、絶対にだ! あり得ません!」


 そうですか、と永末さん。その表情が、嘘みたいに明るくなる。


「良かった! ありがとうございます! 本当に、ありがとうございます!」


 お礼を言われるようなことでもないような。


 ……って、これは――あれか!

 つまり、そういうことか! ようやく分かった!

 やばい、また超絶ニブチンやらかしたよ、私!

 永末さんに好きな人がいるところまで感づいてたのに、その対象まで考えてなかったよ! ヒントはこんなにバリバリ出てたのに!


 永末さんは、えへへと笑う。

「あ、あの、もうバレバレだから、先輩には言っちゃいますけど。私、御木本先輩に、ずっと憧れてたんです。御木本先輩、3年生だから、もう今年に賭けるしかなかったんですけど、まさか生徒会長になってくれるだなんて……私、普段は中等部ですから、こんなチャンス、普通なら絶対にあり得ないじゃないですか。

 でも、そしたら高梨先輩と御木本会長が、すごくいい雰囲気で――高梨先輩相手じゃ、絶対敵わないなって、諦めかけてたんです。すみません、なんかすごく馬鹿な話に、こんなにお時間とって頂いて……」


 とっても嬉しそうな永末さんの話を、うんうんと頷きながら聞きつつ、カフェラテを飲む。そうかー。あんなのの、どこがいいんかなー。とか思ってると、「会長のここが素敵で」「あそこが尊敬できて」と、のろけ話がスタート。

 なるほどー。そういう解釈もあるのねー。人間、あばたもえくぼって言うからなー。

 ……などという言葉で水を注すのもアレなので、永末さんが自分だけ話し続けていることに気がつくまでの30分間、会長ファントークを聞き続けることにした。


 いやその、意地悪したかったんじゃなくて、正直圧倒されてました。

 すごいなあ。すごい。人を好きになった人って、ほんと、すごい。


 それはそうと、永末さん。会長ってあんなだけど、人気はあるから、競争は結構厳しそうなんですが。勝算の方は、いかほど?


「絶対、勝ちます! 先輩以外に、負ける気はしません!」


 ははあ。

 参った。参りました。

 呆れ半分、感心半分。


 でも、悪い気分ではなかった。

 人間はここまで一途になれるんだなあと、ほとんど感動させてもらった気分。


「すみません、私ばかり喋っちゃってますね」と言いながら、なおも会長ラブトークを続ける永末さんの声を聞きながら、私はいつになく穏やかな気持ちで、カフェラテを飲む。

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