表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/85

もしかして:お引き受け

 生徒会室の扉が、バーンと音高く開かれた。

「たのもー!」

 甲高い声と共に姿を見せたのは、当然のようにエマちゃんだ。


 ……あなたはどこでそんな日本語を覚えたのか。


「高梨遙! 今日こそはこの果たし状、受け取ってもらうわよ!」


 あー、はい。そういえばそんな話もありましたね。

 予告では「明日来る」はずだったんだけど、さすがに弁護士さんにも内容を相談するとなると、今日言って明日というわけにはいかなかったみたいだ。そりゃそうだ。

 私は渋々と席を立つと、エマちゃんが差し出す「果たし状」を受け取りに行った。


 うへ、なんか分厚い封筒になってる。


「……ええと。さすがにこの分量になると、今すぐご返事は――」

「失礼な女ね! abstractも作ってもらったわよ!

 ちゃんと封筒を開けて、読みなさい!」


 おっと、これは失礼しました。そうかー、梗概つきか……って、梗概作ってもらったのか! こんなことで働かされた弁護士さん、複雑な気持ちだったろうなあ……いや、お金が貰えると思えば、楽な仕事か。


 とりあえず背後を確認し、まずは会長をひと睨み。前回は肩越しに「果たし状」の内容を盗み見られたので、今回はその手のプライバシーの侵害には前もって釘を差しておく。

 会長はひょいと肩を竦めた。どういう意味だか。

 最低限のセキュリティが確保できたところで、茶封筒を開封。前回のファンシーな封筒とは大違いだ。きっと封筒も弁護士事務所のものなんだろう。


 ……どれどれ。


 ざっと梗概に目を通す。この手の文書のお約束、エマと乙(高梨)の定義からスタート。

 この手の文章、執行部の仕事以外じゃ読みたくないんだけどなー。でも読むしかないか……


 嫌々ながらも、ざっと一読。要約すると、

1)次の定期試験、全教科の合計点で勝負する。

1-1)同点の場合は引き分けとし、勝負は次回の定期試験に持ち越し。

2)乙が勝利した場合、甲は自らが所属する盆栽部の副部長を一時的に辞任し、学業に専念する。

3)甲が勝利した場合、乙は生徒会執行部の活動を一時的に休止し、学業に専念する。

4)活動休止の期間は、次の定期試験まで。

 というところか。


 これは引き受けられないなあ。私の側にまったくメリットないじゃない。どういうバランス感覚でこの条件決めたんだろう。

 とはいえ、書類はさすがの完璧さで仕上がっている。突っ込みどころがない。書類不備です、出直してきてください、というわけにはいかない。おまけに「この勝負が決闘罪に抵触するか否か」の見解までレポートとして付属している。これ、相当お金かかってるよ……もったいない……。


 どうやって断ったものか、こういうのはきっぱりと断るのがベストだな、などと思案していると、背後から声がかかった。いつもの御木本ボイスだ。

「高梨さん、差し支えないなら、内容を簡単に報告してもらっていい?」

 面倒くさいことを。

 でも仕方ない。報告ほう連絡れん相談そうは執行部員が最初に徹底を求められるマナーだ。

 梗概に書かれていることを、簡潔にまとめて、説明。要求が要求だけに、執行部員たちに隠しておくような配慮は不要だ。私が負けて、期末試験までの間、執行部の仕事を強制的に休まされると、彼らも困る。


 報告を聞いた会長は、しばし思案顔だったが、ふと思い立ったようにエマちゃんに声をかける。

「失礼、エマさん。お待たせしちゃってるね。

 永末さん、椅子と、飲み物を用意してあげてくれる?」

 永末さんは「いいですよ」と言って立ち上がると、エマちゃんに折りたたみ椅子を薦めた。エマちゃんは「ありがとうございます」と言いながら、優雅に座る。


 エマちゃんと永末さんの「お茶がいいです? コーヒーもありますよ?」「お茶でお願いしますわ」などといったやりとりを聞きつつ、私は会長を睨む。あの顔は、何か良からぬことを考えている顔だ。

 会長は涼しい顔で私の視線を受け流すと、ちらりと星野先輩を見る。星野先輩、軽く頷く。

 むむむ。私の知らないところで、何か根回しされてたな、これは。


 いやな予感をひしひしと感じる私をよそに、会長は席を立つと、空いていた椅子をひとつ、エマちゃんの前に引っ張りだして、どかりと座る。

「本来はこれ、先に高梨さんが話をすべきだと思うけど、まずは僕から意見を言わせてもらっていいかな?」

「構いませんわ」。エマちゃん即答。待った、私の了解は!?

「高梨は、どう?」

 ぐぬぬ。ここで「どうしても私から」とか言い出したら、私が狭量に見えるじゃないですか。図ったな!

「――いいですよ。先に、お願いします。

 ただ内容いかんによっては、口を挟ませてもらいますからね」

「そりゃそうだね、オッケー。ありがとう」

 会長は私達に軽く頭を下げると、居住まいを正した。


 ああ。これはきっと、ろくでもない話になるぞ……


 が、意外にも会長は、恐ろしく常識的な提案を切り出す。


「この条件だと、高梨が何と言おうと、僕としては『引き受けてはいけない』と命令せざるを得ないね」


 当然ながら、エマちゃんは顔色を変えて、抗議しようとする。

 会長はそれを、素早く手で制した。


「まあ、待って。『この条件だと』と言った通り、問題は条件だ。

 この条件では、エマさんが勝っても、高梨さんが勝っても、互いに得るものがない。相手の自由を制限するだけの勝負は、いくらなんでも非生産的すぎると思わない?」


 これまた正論。会長はときどきコレがあるから厄介だ。エマちゃんも、ハッとしたような顔になっている。

 でもこの男が、こういう正論で入ってきたときは、要注意なんだ、これが。

 大抵、この後に、とんでもない飛び道具が来る。


「それに、エマさんが盆栽部の副部長を辞任すると、盆栽部は存続に関わる事態に陥る。

 エマさんが個人的な動機で挑む勝負のとばっちりで、まったく非のない盆栽部員が損害を受けるというのは、僕としては認められない。エマさんだって、そんなことは望まないでしょう?」


 正論に正論を積み重ねる。

 盆栽部は歴史と由緒ある部なのだが、なにせ活動内容が渋すぎて、毎年、存続の当落線上にある。今も、盆栽部の部員は高等部3年生が3人、2年が1人、1年が1人で、「部」として認められる下限の人数。

 3年生は部の役職に就くことが禁じられているので、エマちゃんが副部長を辞めると、副部長が空席になる。生徒会の部活動規約的には、「望ましくない状態」だ。


「もちろん僕達としても、高梨さんに執行部を外れられてしまうと、非常に困る。

 僕達の仕事は、生徒会活動全体に影響する。たとえ高梨さんが個人的にこの勝負を受けたいと思ったとしても、僕としてはそれを認めるわけにはいかない。

 執行部員を辞任してでも勝負を受けると言われたら、どうしようもないんだけどね。高梨、そのあたりは、どうなの?」


 確認されるまでもない。

「勝負を引き受けるつもりも、執行部を辞めるつもりも、ありません」


 エマちゃんは額に皺を寄せている。

 反論したい気持ちで一杯だけど、反論の糸口が見つからない、そんな顔だ。

 ちょっとだけ、エマちゃんに同情した。会長のコレが始まると、ほんと、黙るしかなくなっちゃうんだよねえ。


「でもね、僕としては、エマさんが高梨さんと勝負したいという気持ちを、否定したくないんだ。

 エマさんも、生徒会の一員だ。そして僕は生徒会会長として、生徒会のメンバーの要望を、できるだけ叶えたい」


 ぐわわ、正論の積み重ねの矛先が、私に向かった。

 自分でも、自分の顔がしかめっ面になっているのが分かる。

 反対に、エマちゃんは満面の笑みで大いに頷く。

 いや、でも、私も生徒会の一員で、私の要望は「こんな馬鹿なことに、これ以上1秒たりと付き合いたくない」なんですけど! そのあたりはどうなるんですかね!



          ■



 そんな私の内心での葛藤など綺麗にスルーして、会長は立て板に水な演説(というかプレゼンか、これは?)を続ける。

「さて。そこで、だ。僕から提案がある。

 勝負は、原則的に、このルールでいいと思う。

 ただしこの条件で、このルールだと、2人が高等部にいる限り、相手に損をさせるための勝負が延々と続くようにしか読めない。

 どうやって終えるかを想定せずに始める戦争は、双方にとってロクなことにならないよ。

 文明人として、そういう争いは避けよう」


 なんとまあ大げさな。

 でも、どこかで聞いたことがある、セリフだ。

 どこだったか……?


「だから、新しい条件を提案したい。

 エマさんが勝ったら、高梨さんは盆栽部に入部する。

 高梨さんが勝ったら、エマさんは執行部に入る。

 どうかな? エマさんは新入部員を獲得するために戦い、高梨さんは執行部の新戦力を獲得するために戦う。

 お互い、失うものはない。どちらかであれ、一度でも勝てば、生徒会全体の利益が増える。誰も、何も、失わない。

 で、両方ともが1勝ずつすれば、そこで事実上の終戦だ」


 ――やられた。


 私は部活動に入ってないから(興味のある部がないではないのだけれど、体調の問題があるので入部はしていない)、盆栽部に入ることになっても、それで誰かが困る、ということはない。そしておそらく、盆栽部なら、私のように健康に不安を抱えた人間でも大丈夫だろう。

 一方で、エマちゃんは盆栽部の副部長だが、執行部は「部活」ではない。兼部は禁止だけど、執行部となら問題なく兼任できる。そして執行部には「猫の手でも借りたい」時期があって、そういう最繁忙期のための兵隊はいつでもウェルカムだ。


 しかしこれ、冷静に考えれば、執行部にとって圧倒的に有利な条件だ。私が盆栽部員になっても、執行部はほとんど何も失わない。エマちゃんが執行部員になれば、兵隊が一人増える。

 でも私とエマちゃんという関係で見れば、条件はイーブンになっている。勝者は、敗者を、自分のホーム・グラウンドにおける「部下」にできる、という条件なのだから。


 うっわ、ずるいな。ずるい。大人って汚い。


 でもエマちゃんは世紀の大発明を見たかのように、目を丸くして感動している。

 あー。あかんよー。エマちゃん、騙されてるよー。


 と思ったら、急にその顔がしゅんと萎れた。なんだなんだ。会長がすかさず「ん、何か問題があるかな?」とフォローに入る。

 エマちゃんは唇をむーっという形に膨らませてから、意を決したように切り出した。


「御木本会長の優れたご提案、感動いたしましたわ。

 ですがわたくし、日本語の筆記に、多少、その、完璧ならざる部分がありますの。

 わたくしが、生徒会執行部などというエリート組織に加入して、お役に立てることはあるのかしら? ただ禄を食むだけの立場として迎えられるのであれば、わたくし、そんな屈辱には耐えられませんわ」


 大丈夫だよー。紙をひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすら折るだけの仕事とか、たくさんあるよー。


 エマちゃんの質問は、星野先輩が引き取った。

「大丈夫ですよ。

 エマさんが執行部員になったら、何がどれくらいできるのか、聞き取りをさせてもらいます。それをもとに、主に私が、仕事の分配を行います。

 部活動や委員会が忙しい時期には、そちらを優先して頂いて構いません。ほとんど部活にしか出ない執行部員もいるくらいですから、そこは気にしないでください。

 エマさんのような活動的な人が執行部員になってくれたら、とても嬉しいです」


 学園トップの才媛、星野先輩のことは、エマちゃんもよく知っているようだ。星野先輩が面倒を見ると聞いて、エマちゃんの渋い顔は、ぱっと明るくなった。


「素晴らしいですわ!

 わたくしといたしましては、御木本会長のご采配に、全面的に従います!」


 会長はにっこり笑うと、その笑顔のまま、私を見る。

 くそー。内堀も外堀も埋められた大阪城を擬人化したキャラになった気分だ。

 つうかさー、エマちゃんさー、執行部入りを薦められたのがそんなに嬉しいなら、勝負なんか端折って、いますぐ執行部に入りなよー。それで万事解決じゃないのー。


 ……ってわけにも、いかないんだろうなあ。

 こうなったからには、エマちゃん的には「勝負に負けた結果として執行部に入る」以外のルートで、執行部に入ろうとはしないだろうなあ。


 あー。もう。もう! もう!!

 悔しい! でも星野先輩が「エマちゃんに執行部に来てほしい」と言うからには、この条件、飲むしかない! そして速攻で勝つしかない!

 ああああ、会長めッ! このクソ会長めッ!!


「……分かりました。その条件で、勝負をお引き受けします」

 遺憾の極みながら、受けざるを得ない。遺憾。実に遺憾。最大級の遺憾の意ですよ。


 エマちゃんはにっこり笑うと、椅子から立ち上がって、私に手を差し出す。

 私も手を差し出し、握手……しようとしたところで、急にエマちゃんが手を引っ込めた。

 思わずたたらを踏む。


「よく考えましたら、これでいざ勝負とは申し上げられませんわ。

 念の為、本日ご提案頂いた条件、弁護士の先生と協議して参ります。

 今度は、それほどお待たせいたしません。

 では皆様、ごきげんよう」


 あー、はい、左様ですか。はい、では、では、ごきげんよう。


「それから永末さん、お茶、たいそう美味しかったですわ。ありがとうございました」


 エマちゃんは綺麗にレヴェランスすると、パターンと小気味よい音をたてて扉を閉め、駆け去っていった。

 私は天井を仰いで、ため息をひとつ。執行部のみんなは、それぞれ自分の仕事に戻っていく。


「高梨、こんなので、どうかな?

 高梨が不利になる要素は全部取り除いたつもりだけど」


 仕事に戻らず、ニコニコしているのは会長。

 へーへー。まったくもって、ご高配に感謝感激です。


「実際問題さ、この勝負、高梨が負ける要素、まるでないからなあ。

 つうか、確かエマちゃん、寮生だよね?」


 確かそうですね。夕食のときに一度、食堂で見たことがあるから。


「だったらさあ、高梨がエマちゃんの勉強、見てあげたら?

 人に教えるのって、自分の勉強にもなるから、お薦めだよ。

 それにぶっちゃけさ、エマちゃん、このままだとA組から落ちるじゃん。

 そうなったらたぶん、執行部どころの話じゃなくなると思うんだよね」


 そこは、実は私も気になっていた。

 エマちゃんはA組、つまり特進クラスだが、特進クラスでは中間・期末の試験が2連続で総合51位以下だと、普通クラスに落ちてしまう。そうやって空いた席には、普通クラスから希望者が(成績順で)繰り上がる。

 厳しいシステムだが、特進クラスの授業内容はまったく容赦がないので、成績的には残留できる生徒すら、ときおり普通クラスへの移転を申し出るくらいだ。


 学年最初の試験で、エマちゃんは50位。きわどい。とても、きわどい。

 日本語の筆記まわりで苦労するという話からして、それでもなお50位に入るのは驚異的だけど、学園のシステム的には赤ランプ気味だ。

 もうすぐ始まる中間テストで51位以下に落ちてしまうと、期末テストはカド番になる。カド番の期末テストはプレッシャーがかかるせいか、まさかの人が特進落ちを喫するケースが、ときどきある。


 って、待ってくださいよ。なんで私がエマちゃんの勉強まで手伝わなきゃいけないんですか。執行部員を確保したいからって、そこまで面倒見ろってのは、いくらなんでも行き過ぎだと思うんですが。


「いいじゃない。高梨はさ、ときどき自分の足下も見たほうがいいって。

 星野とかと比べて『自分はまだまだ』とか言ってると、嫌味に見えるぜ?

 なあ、星野? そう思わない?」


 突然話を振られた星野先輩は、上品に小首を傾げると、「一般論ですけど、いろんなお友達を作ったほうがいいと思いますよ」と、実に哲学的なお答え。

 先輩、それ、答えになってないと思います……。


「エマちゃんがノンって言えばそこまでだけどね。

 実際さ、一人で部屋に篭ってるより、ずっといいと思うけど?」


 なんであんたは私が一人で部屋に篭ってると思うかな!

 いや、真実だけど! うっさいわ! ほっとけ!


 と思ったけれど、ユスティナの件でまたしくじると、一人で部屋にいるのが極端に辛くなるのも事実。というか正直言うと、今でも「これ終わったら寮部屋で一人か」と思うだけで、結構憂鬱になる。

 うーん。エマちゃんと上手くやれる自信はないけど、そういう選択肢を持っておくのは、悪くないかもだなあ。


「――考えておきます」


 とりあえず、保留。会長はもう話が決まったかのように満面の笑みだけど、それは先走りすぎですから。


 ……でもきっと、私はエマちゃんに勉強を教えることになる。

 会長の笑顔を見ていると、そんな不思議な確信が心をよぎる。


 やれやれ。


 私はもう一度、天井を見上げてため息をつくと、エマ騒動で遅れた仕事を片付けるため、自分の席に戻る。

本日2度めの更新です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ