ユスティナ7 あるいは夢2
神聖暦1970年?月
(メモ:前回のように、食事の支度の記憶までいちいち掘り起こしていたのでは、ユスティナの記憶の全貌を把握するのに何十年もかかってしまう。もう少し、核心に踏み込んだ記憶を辿ってみることにする。
小学生の頃の漠然とした記憶によれば、ユスティナの冒険は未完に終わっていたはずだ。だが、「現実」に未完はない。あの冒険は、どういう結末を迎えたのか? ちょっと嫌な予感もするが、探ってみるべきだろう)
状況は極めて悪い。
悔しいが、巧妙な待ち伏せだったことは、認めざるをえない。この手の奇襲を感知することにかけてはピカイチの腕前を誇るアイリスをして、「何か嫌な予感がする」以上のことは、わからなかったのだ。
待ち伏せの仕掛けは、実に原始的なものだ。
私達は、落とし穴の上に誘導されていたのだ。
これがただの落とし穴なら、アイリスが回避していただろう。
しかしこの落とし穴は、アイリスですら存在を確信できなかった。なぜなら落とし穴というより、もはや「地形」だったから。
魔族の迎撃隊は、偵察部隊を使って私達を台地に誘い込んだ。こちらとしても誘導されているのは分かっていたが、付かず離れず追跡してくる偵察隊を放置するわけにはいかない。
そうやって台地に上がり込んだ私達は、そこからほぼ1日、敵を追ってさまよった。アイリスは万全の体制で奇襲に備えていたし、イリスの追跡術は完璧だった。ロザリンデは対魔法結界を最大範囲で稼働させ、私達はロザリンデから決して7m以上離れないフォーメーションを組んでいた。
どんな罠が待っていようと、その罠を食い破れる、そのはずだった。
ようやく魔族の偵察部隊を追い詰めたと思ったそのとき、突然地震が起き、私達の足下が崩壊した。私達の周辺7mの地面は揺れなかったが、ほぼ1キロ四方に渡って大規模な陥没が発生、私達はなすすべもなく落下した。彼らは前もって、魔術で台地の地下を空洞にしていたのだ。
落下で死ななかったのは、イリスが魔法で落下地点の岩石を大量の羽毛に置換したからだ。確実な死が奇跡の生に切り替わったにしては、いささか洒落が効きすぎている気もしたが、この判断の早さはさすがだ。
とはいえ代償は大きかった。あまりに強引な魔法を、大規模に発動させたイリスは、落下の衝撃と相まって、前後不覚の状態に陥ってしまったのだ。
ロザリンデが素早く魔法結界の透過性を切り替え、イリスが作った羽毛も「解除」するようにしたため、視界はすぐに回復したし、気が利いた魔族が松明1本で私達に蓑踊りさせる危機も脱した。だが、最も柔軟な魔法戦力であるイリスが、しばらく役に立たないのは、とても痛い。
アイリスは朦朧とするイリスを背負い、瓦礫の山を踏破していく。私がアイリスの背後を守り、〈勇者〉はロザリンデの手を引いて走る。
こんな手の込んだ奇襲が、これで終わりなはずがない。なにしろ彼らが囮にした偵察部隊は、この罠に巻き込まれれて全滅しているのだ。自分たちの兵士を犠牲にしてでも仕掛けてきたからには、相手は必殺の構えでいると思って間違いない。
逆に言えば、これは私達にとって大きなチャンスでもある。この待ち伏せを無傷で切り抜けることができれば、敵の士気は大きなダメージを受ける。「派遣した部隊が絶対に助からないことを前提とした作戦」は、仕掛ける側にとっても諸刃の剣だ。
つまり、私達にとっても、魔族にとっても、ここが正念場なのだ。
案の定、追撃はすぐに始まった。上空には翼人族の弓兵隊が舞い、容赦なく矢を撃ち下ろしてくる。飛行しながらの射撃なので命中精度は低いが、命中したら間違いなく即死だ。
物理的な外傷としては耐えられたとしても、着弾の衝撃で心臓が止まる。翼人たちの矢は貫通力よりも衝撃力を重視した構造になっていて、金属鎧の上からでもその一撃は致命傷となる。
矢の雨を牽制するため、上空に向かって広範囲の火炎魔法を撃ちこむ。威力は最低限に抑え、可能な限り範囲を重視した一撃。翼人族の翼は非常に燃えやすいため、飛んでいる翼人族は私にとってはカモに近い。
案の定、その一発で十数人の翼人の翼に火がつき、黒煙を上げながら彼らは地上へと落ちていった。
ざまあみろと内心で呟き、次の詠唱の準備に入ったところで、〈勇者〉に叱責される。
「ユスティナ、やめろ! 魔法を温存するんだ!
蒼の森のことを忘れたのか。そのペースで攻撃すれば、翼人が全滅するころにはお前も昏倒する!」
悔しいが、正しい指摘だ。私が連発で魔法を使えるのは、安全な状況で、せいぜい5~6発。そこから先は気力を絞り尽くすような戦いになる。イリスが動けない今、私まで倒れれば、完全に身動きがとれなくなってしまう。
しかし、このままでは、ジリ貧――
その瞬間、背後で小さく、息を吐く音が聞こえた。
かつて戦場で、何度も聞いてきた、音。
振り返らなくても、何が起こったかは、自明だ。
でも、反射的に振り返った。
私の目は、瓦礫の上に仰向けに倒れたロザリンデの姿を捉える。
ロザリンデが倒れた赤茶けた岩の上には、より鮮やかな赤が、じわりと染み出していた。
■
あろうことか――私はその、あまりの美しさに、打たれていた。
いままさに死につつあるロザリンデは、あまりにも、あまりにも……美しかった。
その美は、文字通り、この世のものを越えようとしていた。
そして次の瞬間、今までに感じたことのない怒りが、私の全身を灼いた。
Zig et zig et zag, la mort en cadence
Frappant une tombe avec son talon,
La mort a minuit joue un air de danse,
Zig et zig et zag, sur son violon.
私が編み出した魔術の中でも、もっとも威力の高い術式の構築を開始する。
理論上は最大火力を発揮するこの魔術を、実際に使ってみたことは、ない。
その必要がなかったからだ。
必要? なぜ私はこの必要な判断を、10秒前にしなかった?
Le vent d'hiver souffle, et la nuit est sombre,
Des gemissements sortent des tilleuls ;
〈勇者〉が必死に私を止めようとする声が、聞こえる。
なぜ? なぜこれを止めねばならない?
あいつらを地上から根絶する祈りを、なぜ天に届けてはならない?
私達を暖かく包んでいた、上質の絹のような存在感が、ふっつりと消える。
何が起こったのか、考えるまでもない。
ロージィは、死んだ。対魔法結界は、途絶えた。
Les squelettes blancs vont a travers l'ombre
Courant et sautant sous leurs grands linceuls,
上空で、チラチラと光が瞬く。
とどめを刺そうと、翼人の魔法使いが詠唱を始めたのだろう。
馬鹿め。もう、遅い。
私の復讐を、邪魔させはしない。
Zig et zig et zag, chacun se tremousse,
On entend claquer les os des danseurs,
左肩に、強烈な痛みが走った。翼人の矢だ。
衝撃で心臓が、同時に呼吸が止まる。
Mais psit! tout a coup on quitte la ronde,
On se pousse, on fuit, le coq a chante
その程度で、詠唱は止まらない。
いま、私は、ひとつの、戦争機械。
世界を破壊する、等加速の運動。
肉体の痛みをもって、ましてや個別の死などをもって。
この舞踏を、止められるとでも思ったか!
Oh! La belle nuit pour le pauvre monde!
Et vive la mort et l'egalite!
詠唱が完成した。
渦巻く魔力を、極限まで圧縮して、空の一点に向かって放出する。
はるか上空、術式の解放点で、魔力が具現化した。
無数の炎の魔力粒子が、同時に空間を専有しようとする。
が、同一空間に、複数の粒子が存在することは、できない。
その矛盾は、大規模な爆発に転化する。
紫色の空は、一瞬で紅蓮に染まった。
紅蓮はどんどん広がり、すべての翼人を飲み込み、それでもまだ広がり続け、広がり続け――
そして私は、意識を失った。
■
目が覚めると、世界は闇に包まれていた。
私は身体を起こそうとするけれど、全身にまったく力が入らない。
意識を失って倒れたあとは、いつもこうだ。
「起きたかい」
声がする。
誰の声だろう? 咄嗟に判断ができない。
「起きたばかりで申し訳ないが――とても、残念な知らせがある」
どくん、と心臓が跳ねた。
この風景を、この言葉を、“私”は知っている。
「彼女が死んだ」
知っている。
そんなことは、知っている。
私はのろのろと、身体を起こす。
隣には、誰かの身体があった。
見なくても分かる。ロザリンデだ。
頭を振って、ぼやけた視界をはっきりさせようとする。
そして私は、隣に横たわる死体が誰かを、知った。
強烈な嘔吐感がこみ上げる。
馬鹿な。
ばかな。。
私は口元を抑え、スリッパも履かずに部屋を飛び出て、寮の共有の手洗いに走る。ギリギリ、間に合った。何ほども入っていない胃の中味を、すべて吐き出す。
吐いて、吐いて、胃液しか吐くものがなくなって。
それでも、しばらく吐き続けた。
(メモ:
ありえない。これはありえない。
これは、誰の、記憶?
■
「――高梨さん? 高梨さん?」
気が付くと、すっかり寝込んでいた。
「悪い夢でも見ました? 顔色が悪いですよ?」
星野先輩が、心配そうに私の額に手をあてる。自分でも気持ち悪いくらい、寝汗をかいている。
そうだ。今は、土曜日の夕方。
私は、星野先輩に呼ばれて、生徒会室に仕事の手伝いに来ていたんだった。
高梨先輩が顧問の先生に書類を提出に行く間に、うたた寝してしまったようだ。
「――悪い夢……
……はい、とても――嫌な夢を――見ました」
呼吸が定まらない。星野先輩が不安げに差し出してくれたコーヒーを、奪い取らんばかりの勢いで受け取って、一気に飲み干す。喉がカラカラだ。
「そう……お休みの日に呼んでしまって、すみませんでした。
具合が悪いときは、そう言ってくださいね?」
すみません、星野先輩。具合が悪いんじゃないんです。
ただその、何かが――何かが、すごく、気持ち悪くて。
まだ自分が昨日の夜の記憶の中にいるような……まだ自分の机の前でユスティナの記憶をたどりながら、キーボードを叩いているような――
星野先輩は、もう一度、私の額に手を当てる。
私はすがりつくように、その手に自分の両手を重ねた。
先輩の手が、驚いたように一瞬震えたけれど、すぐに私の手をしっかりと握ってくれる。
その手は、いつものように少し冷たいけれど、確かな暖かさもあって。
大丈夫。
星野先輩は、生きてる。
生きてる。
でも私は、つい口走ってしまう。
「先輩――どうか、死なないでください……」
言って、速攻で大後悔。これじゃ電波ちゃんだ。
でも星野先輩は、しばらく黙り込んだあと、「大丈夫ですよ」と呟いた。
その小さな声は、私の不安をかきたてた。
私は一層必死に、先輩の手を握る。
先輩はただ、「大丈夫」と、繰り返す。
しばらくそうやって、先輩の手に甘えていたけれど、私の脳裏には、「あの記憶」の風景がこびりついていた。
ユスティナの隣に横たわっていた、美しい死体は、ロザリンデではなく、星野先輩の顔をしていた。
いや、違う。ロザリンデと星野先輩は……あまりにも――似すぎている。
あまりにも、似すぎている。
■
目が覚めた。今は、日曜の夜。自分の寮部屋の、机の前。
夢の中でまで星野先輩の手の柔らかさを思い出すだなんて、我ながらどうかしている。
以下、自戒を含め、メモ:
興味半分で、死を覗きこんではいけない。
この週末は、最悪の週末だった。自分がちゃんとこの世界に生きている確信が揺らぐというのは、最悪の体験だ。
そもそもこの記録は、私が現実に足をつけて生きていくための、記憶の整理整頓でしかない。深淵を覗きこんで、深淵に覗き返されるような愚行は、今後、絶対に犯してはならない。
死を、覗き込むな。絶対に。
私の心は、死に、耐えられない。
後書き
呪文はカザリスの詩(部分)です。日本語訳はこちら。
http://kcpo.jp/info/35th/DanseMacabre.html
フォントの問題が発生する(ブラウザによって文字化けが起こりやすい)こともあり、アクサンは省いています。




