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ユスティナ:旅の仲間(5)

(メモ:They are too elegant to be elephants.

 ユスティナ、なぜあなたは、そこまで自分を追い詰めなくてはならなかったの?

 以下、ヴェスダ城攻めの顛末)




神聖暦1970年 4月


 マルキ公爵が率いる異端討伐軍5000は、ヴェスダ城の前、城壁からの矢がギリギリ届かない距離に布陣した。


 その軍勢は、明らかに異様だった。

 構成のほとんどは騎兵で、弓や弩といった長射程武器を携えた兵は、それら高位の騎士の従卒ばかり。

 城を攻めるにしては、攻城兵器を引いていない。

 教会から派遣されたと思しき従軍司祭も、騎乗している。

 城を落とすというより、可能な限り早くこの場に集結することを目標にしたかのような、機動力重視の陣容。

 色とりどりの紋章は、この5000騎に含まれる貴族の数が、普通よりも明らかに多い――多すぎることを示している。


 はっきり言えば、戦う軍ではない。

 ましてや、城を攻める軍などでは、あり得ない。


 だが、これで良い。いや、これ「が」最良の選択だ。

 なぜなら、もうヴェスダ城は陥落しているのだから。

「世界の破壊者」たる私を、城が一望できる地点に伏せさせることに成功した段階で、ヴェスダ城の命運は尽きていた。

 あとは、必要な儀式を行うだけだ。


 眼下の5000は、その儀式、というか茶番のために集まった、烏合の衆。


 やがて、5000の陣営が2つに割れると、ひときわ綺羅びやかな鎧に身を固めた男がその中央から歩を進めた。

 さすがに、もう私でも目視で識別できる。あれはマルキ公爵だ。


 風に乗って、マルキ公爵の大音声が、ここまで聞こえてくる。

 それとも、従軍魔術師が声を拡大しているのか。


「……ヴェスダ城を守る、名誉ある『人類の盾』の貴公に問う!

 魔族と人間の境界を守ることをもって己が伝統とし!

 それをもって諸君らの矜持と栄誉としてきた貴公らに問う!

 貴公らには、魔族と通じ、魔族と友誼を結び、あろうことか、魔族と交易を交わしているという疑惑が持たれている!」


 城壁に並んだヴェスダ城の兵士たちは、大いにざわついた。「そんなことがあるか!」「不当な言いがかりだ!」「囀ることしかできん戦士もどきは家に帰れ!」的な罵声が、途切れ途切れに聞こえる。


「なるほど、貴公らは300年の歴史を持つ、最古の対魔傭兵団である!

 ゆえに、魔族の言葉を研究することはあるだろう!

 魔族と一時的な休戦を結ばざるをえないことも、またあるだろう!

 勝敗は兵家の常、一時の屈辱を耐え忍ぶことで、人類全体の盾とならんとする、かような尊い決断を成さねばならぬことも、あったであろう!」


 城壁のざわめきが、少し静まる。

 さすがマルキ公、百戦錬磨だ。明白な敵対相手の心を、一部なりとも、掴んでみせた。

 ……ロザリンデは、こんな弁舌の怪物と渡り合っていたわけか。


「だが! 魔族に人間世界の資産を渡し!

 その対価として魔族より利を得ているという疑惑が真であるならば!

 これは、看過すべからざる、異端の行いである!

 ゆえに問う、『人類の盾』よ、これは真実であるか!?」


 またしても、下から聞くに堪えない罵声が湧き上がってくる。

 バカな連中。寛恕の言葉に続いて、「その一部だけを糾弾する」と言っているのだから、大人しく受け入れればいいのに。

 そうすれば、被害は最小限で済む。


 少しして、眼下の城塞から、別の大音声が聞こえてきた。

 はっきりと、魔術で拡大したとわかる声だ。


「その紋章、マルキ公爵閣下とお見受けする!

 聖教会の司教様も、このような僻地までご足労頂いたこと、心痛に耐えぬ!

 だが、かような疑惑は、まったくの事実無根である!

 遠路遥々、長旅の先の無駄足、当方としても遺憾に思う!

 しかしながらこの地は、半ば人間、半ば魔族の土地!

 我らの不断の闘争により、人間世界の境界となりし土地!

 御身らの安全のため、早々に引き返されることを推奨するものである!」


 城壁から、一斉に歓声が上がった。盾と剣が打ち鳴らされ、それに合わせて「帰れ!」コールが始まる。


 その罵声は、一瞬で鎮まった。

 マルキ公爵が右手を上げ、それに応じて縄で縛られた魔族が公爵の足下に転がされたのだ。


「なんと、嘆かわしい! 貴公らは、誠実の美徳すら失ってしまったのか!

 この魔族が、すべての真実を告白した!

 貴公らが――いや、貴様らが、魔族と取引をしていたのは、神のみならず、いまや我らも知るところとなっているのだ!」


 「貴公ら」から「貴様ら」への、見事な転換。

 一瞬でヴェスダ城の守り手は、賊軍になった。鮮やかとしか言いようがない。


「300年は、英雄アーレント卿の崇高な信念を腐らせるに、十分すぎる時間だったようだな、異端者ども!

 これより、主が貴様らに裁きを下す! せめて、己の罪を数えるがいい!

 懺悔の猶予は与えぬ! 申し開きは、主の前で為せ!」


 城塞から、どっと笑い声が上がった。

 それは、あまりにも儚い抵抗にしか、聞こえなかった。


「お言葉ですがな、マルキ公!

 それはまったくの、虚偽であると申し上げますぞ!

 マルキ公は、その魔族にたぶらかされておられるのだ!

 違うと仰られるのであれば、どうぞ、その主の裁きとやらで、この不抜の城塞を落とされるがよろしい!

 抜けぬのであれば、それが主の御心ということでありましょうぞ!」


 茶番は、終わりだ。

 誰が聞いても、弁舌勝負の勝者はマルキ公だ。

 伝統ある『人類の盾』は、ヴェスダ城は決して落ちないという根拠なき自信以外に、もはや拠るべきものを持たない。


 ならばその最後の拠り所を、砕いてみせよう。


 私は体の内側で渦巻く炎を、さらに研ぎ澄ませる。

 温度は、高すぎてはいけない。

 炎は、一瞬で燃え尽きてはいけない。

 まったく、我らが旦那様は、とても面倒な注文をするものだ。


 視界の隅で、アイリスが油断なく盾を構えるのが見える。

 大丈夫だ。万が一、ここで私がヴェスダ城の兵士に発見されても、アイリスが必ず私を守ってくれる。

 だから今は、己の魔法に集中しろ、ユスティナ!


 マルキ公が、大音声を発する。


「いまこそ、我は天に問おう!

 貴様らに罪あらば、貴様らは天からの劫火に包まれ、ことごとく苦悶の末に滅びるであろう!」


 マルキ公の両手が、芝居がかって天にかざされる。

 その顔が、どこまでも青い、空を睨む。

 「合図」だ。

 私は己の内側で荒れ狂う炎を、解き放つ。


 ……そして、この世のものとは思えぬ絶叫が、ヴェスダ城から湧き上がった。



          ■



 その後、イリスがお迎えに来るまで、私達は山肌の茂みの中で待機した。

 ヴェスダ城を包んだ炎による火災は、イリスの気象魔法で消し止められた。

 気象魔法は極めて多領域の技術が必要となる複雑な魔術だが、イリスは難なくこれをこなす。

 だが、おかげで私達もずぶ濡れだ。

 文字通り、バケツをひっくり返すような豪雨が、私達を含むヴェスダ城全域を洗ったのだ。


 ヴェスダ城を守っていた最古の対魔傭兵団『人類の盾』は、マルキ公の言葉通り、全滅していた。

 誰一人、生き延びた者はいなかった。

 当たり前だ。私はほぼ5分間、気力の続く限り、比較的低温の炎を維持し続けたのだ。

 低温とはいえ人間を(あるいはその衣服を)焼くには、充分な温度だ。たとえ彼らが炎の及ばぬ領域に逃れたとしても、私の炎は生物が呼吸するための空気を焼き尽くし、あるいは延焼した木材や絨毯は有毒な煙を発生させ、やがて人びとを窒息死させる。


「密閉空間で炎を燃やし続けると、その空間の内部にいる生物は窒息して死ぬ」というのは、私が経験から学んだ、火炎魔法の副効果だ。

 かつてノラド王国の将軍を怯えさせた言葉をちょっと変形させれば、「空気を操作することはできなくても、生物を窒息死させることはできる」のだ。


 言うまでもなく、これは必要以上に残虐な殺しだ。

 私が全力を出せば、炎の温度は岩石や金属を溶解させる温度を越え、蒸発させるレベルに達する。

 ヴェスダ城程度であれば、その周辺のおどろおどろしい峠道と一緒に、すべてを綺麗に地上から消し去ることができる。

 魔術の範囲に入っていた者は、苦しまないどころか、自分が死んだことにすら気づかないだろう。


 だがヴェスダ城は、魔族の支配域と、人間の支配域の端境に建つ、戦略的に極めて重要な拠点だ。それを地図上から消し飛ばせば、人類社会全体に激しい動揺を与えかねない。

 魔法を使えば、城を消すのは一瞬だが、残念なことに魔法を使っても、一瞬で城は作れない。


 加えて言えば、ヴェスダ城を蒸発させてしまえば、マルキ公はこの地までついてきた貴族たちに「取り分」を与えられなくなる。

 ヴェスダ城は辺境も辺境、まさに世界の果てだが、それでもその城主や家宰となれば、無役よりはマシだ。

 あるいはヴェスダ城で新たに結成される『人類騎士団』に参与するというのでも、名誉と実益(『人類の盾』が有していた利権は、すべてマルキ公が再配分することになる)が得られる。

 そしてマルキ公は、利益を配分した貴族たちに、大いに恩を売る。今回の遠征に随伴した貴族たちは、よほどの政治的地殻変動がない限り、マルキ公の強力な支持者となり続けるだろう。


 めでたし、めでたし。


 濡れ鼠になった体を焦げたカーテンの切れ端で包んで、体の芯から痺れるような寒さを誤魔化しつつ、私はヴェスダ城から次々に運びだされる死者の群れを見ていた。

 死者の顔には、苦悶と絶望が、はっきりと刻まれている。

 さもなくば、私にとってはお馴染みの、うずくまるような姿勢で炭化した、「かつて人間だったもの」。


 ……めでたし、めでたし――か。


 私は内心で、そう呟く。

 体の奥深くからため息がこみ上げてくるが、いまここでため息をつくのは、非常にマズイ。

 死体はみな異端者であり、この惨劇は「大罪ある者が、しかるべくして受けた、神の裁き」なのだから。

 彼らの死は、ため息ではなく、歓呼で迎えられるべきものだ。


 そうやって城門のはずれのあたりで寒さに震えている私に、突然、湯気をたてるカップが差し出された。


 〈勇者〉だ。片手に、酒瓶を下げている。


 私は無言で、カップを受け取る。匂いからして、イリスが選んでくれたお茶だろう。一口飲むと、体の芯の寒気が少し緩んだ。


「――どうです?」

 沈黙が嫌だったので、質問にもなっていないことを、聞く。

 そもそも、たいして聞きたい話でもない。


「……ん。

 ほぼ、計画通りだよ。いや、計画以上と言っていいかな。

 マルキ公は大喜びしてる。おつきの連中は踊りださんばかりだ。

 城の被害は、予定より少し大きかったけれど、屋根が全損したのが問題な程度で、いま修復専門の魔術師たちが急ピッチで基幹部分の修復中。

 城塞としての機能は、あと数時間で復旧する」


 無から水を作るより、既にある水を変性させるほうが容易なように、燃え尽きた木造部分を無から作るより、焼け残った木造部分を「元に戻す」ほうが、作業的にはずっと楽だ。


「地下の宝物庫の中身は、ほぼ無傷だったらしい。見事なもんだ。

 俺の予想では、宝石の類は全滅すると思ってたんだが。

 アウトだったのは、絵の類と酒、それくらいだそうだ」


 地下に宝物庫があるというのは、事前の調査で掴んでいた。そのため私は、意図的に地下を魔法の効果範囲から外していた。

 殲滅力的には、問題はない。地下に逃げ込もうが、窒息死は免れない。

 そんなことは、とうに実験済みだ。

 だが絵となると、絵の具が溶けて絵の意味を成さなくなっても不思議ではない。同様に、保存温度が重要なお酒は、5分も高熱に晒されたら確実にダメになるだろう。

 ……そういえば〈勇者〉が持っている酒瓶も微妙に煤けているが、さては熱で傷んだ酒を盗んできたか。


 お茶を飲みきった私は、仮説の検証のため、〈勇者〉に向かって空のカップを差し出す。

 〈勇者〉は片手に下げたボトルから、琥珀色のお酒を注いでくれた。

 やけ酒気味に一口飲んで、思わず、むせた。

 やけに酸っぱい。こんなの、人間の飲むものではない。


「イリスは、ロザリンデを迎えに行ってる。アイリスも一緒だ。

 天気次第だが、明日の昼には合流できるだろう。夜間は飛ぶなと言ってあるからな」


 イリスは身体を変化させ、背に翼を生やして飛ぶことができる。

 これもまた、驚嘆すべき複合魔術だ。


 私は、黙ってカップのお酒を煽った。

 救いようもなく不味いが、今の私にはぴったりだ。


「――ユスティナ」

 〈勇者〉が、ぼそりと呟く。私は喉を刺す液体を口に含みながら、彼のほうを見る。

「すまなかった。一番損な役回りをさせた」

 お酒を吹きそうになった。思わず、あたりをキョロキョロと見渡す。

「やめてください! 誰が聞いているか、分からないのに!」

 そう、小声で抗議する。


 公式には、ヴェスダ城は神の怒りに触れて、天からの劫火に包まれたことになっている。これは従軍司祭も認めた「奇跡」だ。


 だがこの場にいる5000人の全員が、本当は誰が、何をしたかを、理解している。

 城門のすみっこで、濡れ鼠になって、焦げたカーテンに包まり、寒さに震えながら不味い酒を飲む、見すぼらしくも平坦な小娘。この女が、たっぷりと時間をかけて1000人を焼き殺し、蒸し焼きにし、あるいは窒息死させた。

 いま私達が少しでも弱みを見せれば、彼ら5000人が抱いている本能的な恐怖は、その恐怖の根源を駆逐する意志へと、素早く切り替わるだろう。


「そんなことは、分かってる。

 でも俺は、言うべきことは、言えるうちに、言っておきたい。

 俺も、ユスティナも、明日を生きてる保証はないんだから」


 一瞬、何を大げさな……と思ったが、これは本当にその通りだ。


 いまこの瞬間、私達の知覚範囲外から、私が使うような魔術がこの場に行使されれば、私達は一瞬でこの世から蒸発する。ロザリンデの守護がない今、私達は途方もなく無防備だ。

「そんな破壊的な技を使える魔術師が、そうそういるはずがない」? 馬鹿を言ってもらっては困る。なにしろ、私ごときが使える技だ。他に誰も使えないと考えるほうが、間違ってる。


 これは謙遜ではない。私は魔術学院の出身だ。つまり私の技は、魔術学院に通う者なら(かつ素養があれば)、誰でも学べる。それが可能なようにするのは学院生の義務だったし、その義務に従い、私は正式な研究記録を学院に残してきた。

 とはいえその記録が世界を危機に陥れる可能性は、ほぼ、ない。なぜなら学院には、もっとシンプルで、もっと破壊的な魔術が、いくらでも残されていたから。


 世界はもともと、過剰なくらいに危険だ。

 私達はずっと、人類すべてを何百回となく根絶できる魔術の下で、平穏な日常を生きてきたのだ。


 だから。


 だから私は、〈勇者〉に請い、願う。


「……あなたが、約束を守ってくれるなら。

 この世界を変え、より良い未来を見せてくれるなら。

 私にできることを、何度でも、します。

 それが必要なときは、躊躇わず、私に言ってください」


 〈勇者〉の瞳が、私の瞳を覗きこむ。

 「もうそれ以上は言うな」とでも訴えるかのように。

 でも、彼が言うべきことを言ったように、私も言うべきことを言わねばならない。今、ここで。


「そして、状況が許すなら、イリスや、アイリスや、ロザリンデに、それを求めないでください。

 修羅(エレファント)たるには、彼女たちは綺麗(エレガント)すぎます」


 〈勇者〉は私から視線を逸らすと、無言でボトルを掲げ、一口飲んだ。

 私はそのボトルを横から奪い、一口飲む。


 千人の人間を焼いた炎で鍛えられた酒は、やはりどうしようもなく酸っぱく、救い難いほど不味かった。




【第2部:ユスティナ物語・完】


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