もしかして:果たし状
「めんどくさい」。
それが第一印象だった。
千代・エマ・ボヴァルレ=シャルパンティエさんが生徒会室に飛び込んできたのは、4月頭の校内実力テストの結果が貼りだされた、その日の放課後だった。
彼女は高等部1年A組、有り体に言えば私のクラスメイトだ。
今年から転入してきたフランスからの帰国子女で、ソフトショート? とかいう髪型にした、茶色寄りのブロンドがチャームポイント。とにかく活発、積極的、そして勝ち気で早口でお喋りという、日本人がフランス人女性に抱く偏見をそのまま形にしたような女の子。
ボヴァルレ=シャルパンティエさんは生徒会室の扉をズバッと開き、入り口で仁王立ちになると、私を指さして大声で叫んだ。
「高梨遙! あなたに正々堂々の勝負を申し込むわ!」
……
…………
………………
えーと。まさかユスティナさんの関係者ですかね。
なんだか執行部員の目が痛いので、私はおずおずと首を傾げながら、
(私に言ってます?)
というニュアンス満載で自分を指さしてみた。
ボヴァルレ=シャルパンティエさんは大いに頷く。
「あのー。誰かと勘違いされてません?
私、勝負を挑まれるようなことをした記憶がないんですけど」
不当かつ散漫とした要求には、敢然と立ち向かうべし。
これは御木本会長の治世において、生徒会執行部が掲げる重要なテーマだ(主に、というか完全に会長に対するテーマだが)。
だがこの真っ当な反論は、ボヴァルレ=シャルパンティエさん――ああもう面倒臭い、エマちゃんの堪忍袋を一発で崩壊させた。
「なんですって! なんですって!! なんですって!!!
この侮辱! この恥辱!
淑女の名誉を賭けて正々堂々、正面からの宣戦のご挨拶に、この仕打ち!
あなた、人として、恥ずるところはございませんの!?」
……
…………
………………
あかん。このテンションに、ちょっとついていけません。
静まり返る生徒会室に、ベストな助け舟を出したのは、エマちゃんとだいたい同じテンションで生きていると思しき御木本会長だ。
「んー、エマさん、でいいかな?
とりあえず、君の勝負の条件を聞きたいんだけど。
言い遅れたけど、僕は御木本進、生徒会長をやらせてもらってる。
高梨さんは、ここでは執行部員で、僕の大事な部下だ。エマさんの申し出が不当だと僕が判断したなら、僕には彼女を守る義務がある。違う?」
歯が浮くというか、脳味噌が月の裏側までぶっ飛んだような会長の言葉に、エマちゃんは一瞬、虚を突かれたような顔をしていた。
が、すぐに無茶苦茶真剣な思案顔になる。
えー。それ、そんな考える話だったかなー?
こちらの無粋な感想をよそに、少ししてエマちゃんは大きく頷く。
「なるほど、お申し出はごもっともですわ、御木本生徒会長!
ですがわたくし、一点の恥じることなき勝負を所望ですの。
会長が心配なさるようなことは、決してございませんわ」
いやだから、せめて何の因縁なのか言えよコラ。
「というわけで! わたくし千代・エマ・ボヴァルレ=シャルパンティエ、高梨遙に正々堂々、勝負の申し込みですの!
受けて頂けますわね!?」
いやだから、何の因縁なのか言えっつってだろオラ!
こっちはテメーの遊びにつきあってられるほどヒマじゃねーんだよ!
内心で雄叫びをあげるも、さすがにそれを外にぶっ放すほど子供ではないので、とりあえず作業を再開。
案の定、無視されたとすぐに理解したエマちゃんは、地団駄を踏む。
「きっー! 無視、無視ですの!?
このわたくしが! ここまで誠意を尽くして! 挑戦状をお持ちしたと」
「あ、書類あるなら、ください」
すかさずインタラプト。
書類、いいよね。書類は嘘をつかない。
きょとんとしたエマちゃんが、えらく素直にファンシーな封筒を差し出したので、私は生徒会室の入り口まで行って、手ずから受け取る。書類を受け取るときのマナーくらい、私もわかってますんで。
「では! 果たし状はお渡ししたわよ!」
「はい、頂戴しました」
……
…………
………………
あれ、ここは「おーほっほっほっ、ごきげんよう!」って帰る場面なんじゃ。
エマちゃんは仁王立ちのまま、ツンツンと私が持つ封筒を指差し。
あ、はい。いま読め、ですか。
ははあ。
――もしかしてエマちゃん、考えてきた締めのセリフにうまく接続できない展開に、困ってるのかなー。
その妄想癖、絶対に社会生活に差し障るから、早いうちになんとかしたほうがいいんじゃないかなー。
なんてことを考えながら、このまま居座られても困るので、私は黒○ちゃんのシールで封された封筒を、慎重に開封する。
……はっ。まさか――同志!?
いや、いまはそんな話じゃない。たぶん。きっと。
■
封筒を開いてみると、中にはこれまたファンシーなキャラクターものの便箋が入っていた。非合理的なくらい、文字が書けるスペースが小さい。
これもしかして、伝説の「同人便箋」ってやつじゃないですかね。
便箋の仕様上、文字数が極端に少ないので、まずはざっくりと一瞥。
内容を要約すると――
・学力テストで私が1位を取れないのはおかしい。
・よって1位であるあなたは私と勝負しなさい。
は、はあ。
えーと。
と、そこで背後に気配。ヤバ、と思って便箋を隠そうとしたときには、もう背後から手元を覗きこんだ会長が全文を読んでいた。
「会長! それ、マナー違反ですよ! 通信の秘密は守ってください!」
いくらなんでも、こればかりはハッキリと叱らざるを得ない。
振り返って、きつい口調で会長を一刺し。
しかるに向き直って、目の前のエマちゃんにも頭を下げる。
「ごめんなさい、エマさん。
あなたからの私信を第三者に見せるつもりはなかったのですが、油断しました。
深く、お詫びします」
エマちゃんはまたしてもきょとん、としたが、すぐに立ち直った。
「よろしくてよ! もともと、皆様の前で宣言する内容でしたし」
あっ、はい……。
……
…………
………………
ええと。
私、ちゃんと読んだんで。
もうお帰りあそばれになられませんか、エマちゃん?
「高梨、返事、返事。
高梨がその勝負、受けるか受けないか言わなきゃ、エマさん、帰るに帰れないだろ」
背後から会長。あー、左様で。
ここはその、私の一存では決めかねますので、持ち帰らせて頂き、上と協議してからご返事さしあげたい
「高梨ー、ここで『私の一存では決めかねますので、持ち帰らせて頂き、上と協議してからご返事さしあげたいと思います』みたいなこと言って、日本の恥を増やすなよー」
背後からまた会長。くっ、貴様はエスパーか。
はー。思わずため息。
わかりました。わかりましたよ。
記憶を少し漁って、こういうとき「ユスティナ」ならどう答えたかを思い出す。
(ユスティナ:『私の一存では決めかねますので、持ち帰らせて頂き、上と協議してからご返事さしあげたいと思います』)
……おい! おい!! ユスティナ!!
こんなときまで使えねえな!!
仕方ない、アドリブだ。
「勝負は、お引き受けできません」
エマちゃんの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「……!!! どういうことですの!?
わたくしなど歯牙にもかけぬ、ということ」
エマちゃんの、暴走を、遮って。説明!
「まず、何をもって勝負するのか、これではわかりません。私事で申し訳ないのですが、私は体調に問題を抱えていますので、お受けできない勝負もあります。
次に、いつ勝負をするのか、わかりません。時期によっては、執行部の仕事がピークを迎えます。体育祭や学園祭など、学園の全生徒が一致団結して成功に向けて努力する時期です。それを私事で疎かにはできません。
それから、どこで勝負するのか、わかりません。私は寮生ですので、夜の外出には許可が必要です。必然的に、遠方に出向くのも困難です。
最後に、勝負の結果、どうするのか、わかりません。負けたほうが公序良俗ないし社会通念に反する損害を受ける勝負でしたら、私は絶対にお引き受けしません。
以上です」
エマちゃんは途中で目を白黒させ始めたが、容赦しては生徒会執行部書記班の沽券に関わる。
要するに、書類不備なんですよ。このままでは責任問題です!
私が問題点をすべて指摘し終えると、執行部員からなんとなく拍手が沸いた。
永末さんたち書記班が(やっぱ高梨先輩、カッコイイよね)とか囁き合ってるのが聞こえる。いやその、こういうところ全部一息でチェックするのが、私達の仕事なんだからね?
そこに助け舟を出したのは、またしても会長。
「うん、そうだね、ここは高梨さんの主張に理がある。
エマさん、今の点についてクリアにした書類を、もう一度持ってきてくれるかな? 僕としても、高梨さんが指摘した点について、書類ではっきりと明示されていないと、判断できない。
それに、フランスのことはよく知らないけど、日本には『決闘罪』というものがある。
ここは日本で、エマさんも高梨さんも、宮森学園生徒会の一員だ。
個人の自由意志と選択を尊重したいのはやまやまだけど、法治国家のいち市民として、生徒会長として、エマさんの『正々堂々の勝負』が、法に触れるようなことになるのは、全力で阻止しなくてはならない。
――どうかな?」
おい会長、ついさっきプライバシーを盛大に侵害したテメーが遵法精神を語るかよ。
……と思ったけれど、ここは我慢。あの会長が珍しく事態の収拾に努めているのだから、乗っかっておくべきだろう。収拾というか、先送りだけど。
エマちゃんは会長の言葉を、もう一度、とても真剣な顔で吟味して。
しかるに突然、あっさりと頭を下げる。
「御木本会長のお言葉通りですわね。わたくしのほうに、欠缺がございました。
さきほどの果たし状、お返し頂けます?」
はいはい、ありがたく。
「では、問題点を解決した果たし状を、明日にはお持ちいたしますわ!
明日もここにいらしゃいますわね!?」
遺憾ながら、おります。
エマちゃんは満足そうに頷くと、綺麗にレヴェランス(バレエの「おじぎ」)して、くるりと踵を返した……と思いきやそのまま1回転して、会長に向き直る。
「御木本会長、貴重なアドバイス、どうもありがとうございました。
弁護士と相談の上、きっとご満足頂ける果たし状を作って、お持ちしますわ!」
弁護士と相談ですか。スケール、でかいっすね……
エマ台風は、来たときと同じくらいの勢いで去っていった。
思わず、ため息を、ひとつ。
明日はどうやって言いくるめたもんかねー、などと思いつつ、席に戻ろうとする。
と、会長とぶつかりそうになった。おっと、後ろにいたんだった。
いつもなら紳士的に、大げさなくらい素早く道を譲る会長だが、今日は少し違った。
「高梨。今回の校内テスト、自分が何位だったか、確認した?」
あー。
ええと。その、月曜の朝は朝礼の準備とか、いろいろありまして。
それにA組だと、諸般の事情で、定期テストの成績はあんまり話題にならないんですよ……実際、お昼はクラスメイトと学食行ったけど、話題にならなかったし。
だから、今日の帰りに見ればいいかなー、とか。
……
………
………………いいえッ、嘘ですッ!
猛烈に、猛烈に、気になってましたッ!
でも怖くて見に行けてませんでしたッ!
エマちゃんの果たし状に、思いがけず自分の順位が書いてあって、内心でちょうほっとしたのは秘密ですッ!!
「その様子だと、行ってないんだろ。今すぐ、見に行ってきな。
もう構わないだろうからネタバレするけど、高梨が学年1位だったよ。
中等部からの通算で、学内試験7回連続のトップだよね。おめでとう」
私はちょっと戸惑って、会長を見る。
会長は少し、難しそうな顔をしていた。
「あの、会長、ええと、まずは、ありがとうございます。
でもその、急ぎの仕事が残ってますから……」
会長は、妙に厳しい口調で私の言葉を遮る。
「見に行くのなんて5分もかからないでしょ。
その程度で、高梨の仕事が今日中に終わらなくなるなんて、あり得ない。
それに、どうしようもなかったら、みんなが助けてくれる」
いや、それは、そうなん、ですが。
「それより、ちゃんと、自分の目で見てきなよ。
高梨が、すごいことをやってんだっての、自分の目で確認しな。
あと、エマさんの順位も確認しておくこと。彼女、また来るんだから」
ダメだ。こうなっちゃうと、会長を言い負かせる気がしない。
我ながらぎくしゃくと頭を下げて、機械人形みたいにターンすると、私は職員室前に張り出された順位表を見に行くことにする。




