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ユスティナ:旅の仲間(4)

(メモ:体調が悪かった時期の記憶なのか、時期があいまい。他の記録が増えてきたら、どのあたりに当てはまるのか推測も可能になると思う。

 現状、正確な時期特定は保留)




神聖暦?年 秋(夜)


 誰かが激しく咳き込んでいるのが、あまりにうるさくて、目が覚めた。

 目が覚めてみると、咳き込んでいるのは自分だったのだが。


 数日前、少し体調が悪いかなとは感じていた。

 でもこの程度でどうこう言っていてはノラド王国での軍務は務まらなかったと思い直して秋雨の中を走り回ったら、その翌朝、割れるような頭痛と燃えるような関節の痛みで、起き上がることすらできなかった。

 朝食の当番日なのに、いつまでたっても部屋から出てこない私を訝しんだアイリスが、イリスの助力を得て部屋に突入してこなかったら、私は不気味な唸り声をあげる芋虫めいた何かとして半日過ごしたかもしれない。


 ときにイリス、あなたが万能の天才だというのはよくよく知っていたつもりだったが、錠前の構造にまで精通しているとは思わなかった。

 錠前は貴族の趣味の一つと、聞いたことはあるが――

 いや、何も言うまい。

 おかげで私の部屋の扉は、アイリス渾身の体当たりで破壊される前に、救われたのだから。


 何はともあれ目が覚めたので、ベッドサイドのテーブルに置かれた大型の鈴(このサイズだと、ハンドベルとでも言うべきか)を鳴らす。

「たとえ深夜でも、目が覚めたら鈴を鳴らすように」と厳命されているので仕方ない。

 というか昨晩は満月の月明かりが窓の真正面から差し込むような時間に目が覚めたので、遠慮して朝まで朦朧としながらうたた寝と読書を繰り返していたら、夜明け一番に飛び込んできたイリスの怒髪が天をついた。あんなに怒るとは、想定外だ。


 少しして、エプロン姿のイリスが部屋に入ってきた。チマチマとしたお皿をたくさん乗せたお盆を持っている。


「ユスティナ、体調はどう?」

 イリスの明るい声。

 それだけで精神的には元気になるのだが、どうにも体が追いつかない。

 私は自分の不甲斐なさに落胆しながら、首を横に振る。

「うーん、やっぱり昨日の馬鹿な夜更かしが効いてるんだよ。

 もう、あんなことやったら、メッ、だよ!」

 子供っぽい叱られかただが、今の私には言い返す資格も気力もない。


 しかし、それにしても今朝の激怒イリスは本気で怖かったな……

 軍務でいろいろ危ない橋を渡ってきたけれど、ベストテンに入るレベルで命の危険を感じた。


 呆然とそんなことを思う私の横に、テキパキと小皿が並ぶ。

「はい、まずはこれ食べて。残しちゃダメだよ!」

 イリスの独自理論による治療法だ。食餌療法、というらしい。

 少食な私とは決定的に相性が悪い治療法だと思うのだが、無論、私に拒否権はない。


 イリスに手伝ってもらって上半身を立てようとしたが、どうにも関節が痛むわ、目眩がひどいわで、気がついたらまた横になっていた。

 思案顔なイリスは、私の背中に大きなクッションを挟む。ああ、これなら、なんとか。


 ……しかしこのクッション、何か人間としてダメになりそうな柔らかさだ。


 スプーンを手に取ろうと、お盆の上を手がさまよう。

 どうも、目と頭がはっきりしない。

 と、ぼやけた視界の下の方に、木のスプーンとその上に乗った白い何かが見えた。


「ほら、あーん、して」


 ……!!

 これは、あれか。

 帝都の退廃貴族が耽溺するという、最新流行の茶屋で流行の、アレか。

 あまりに退嬰的かつ刺激的、かつ身体的限界が事実上ないとあって、ハマりにハマった貴族の三男が身代を傾けたという、流行のアレか。


 ん、「流行」が派手にかぶった。


 などと考える暇もなく、半開きになっていた私の口に、スプーンが押し込まれる。

 反射的に、匙の上のなにものかを、飲みこんだ。


 少し、酸っぱい。そして甘い。なんだかトロっとしているようだが……


「食べられる? これ、駱って言ってね。

 そのままだと少し酸っぱいから、蜂蜜とあえてみたんだ」


 駱? 聞いたことがないけれど、また高価そうな食べ物だ。

 そのうえ蜂蜜とは、なんて贅沢品を。


「病気のときくらい、ちゃんといいもの食べないと、治るものも治らないよ。

 ユスティナが何もできずに寝てるほうが家計に響くんだから、しっかり食べる!」


 はい。ごめんなさい。



          ■



 1時間ほどかかったが、イリスが用意した小皿は全部空になった。

 最初は絶対に無理な量だと思ったけれど、弱った体にも優しい食べ物ばかりで、気がついたら完食していた。

 今は、食後のお茶を、ちびちびと頂いているところ。

 自分で飲めると思ってカップを手にとったら零しそうになったので、イリスが匙で掬ってくれている。

「全部食べられて、偉かったね」と上機嫌になったイリスが、お茶にひとしずく、ブランデーを垂らしてくれたのが、とても嬉しい。


 体調はグダグダだが、頭は少しだけマシなので、少し気になっていたことをイリスに聞いてみることにする。


「イリス……瀉血とかは……しないんですか?」


 瀉血、つまり体から血を抜く治療は、非常に一般的な医療行為だ。

 医者がする治療と言えば、つまりは瀉血と言っていい。

 ノラド王国に赴任した最初の年、初体験となる厳しい冬を前に高熱を出して倒れた私は、エヴェリナ女王の侍医に瀉血してもらったことがある。あのときは確かに、体温がすっと落ちた気がした。


 でも瀉血と聞いた途端に、イリスは難しそうな顔になった。

 あら。そんな面倒なことを聞いたのかしら。


「瀉血。瀉血ねえ。

 そりゃま、ボクも瀉血は、できないわけじゃないんだ。

 でもねえ、これあんまり大声で言えないことだし、ユスティナも秘密にしてほしいんだけど、ボクは瀉血は有効どころか、害しかないと思っててね」


 ……なんと! それは確かに、とても大声では言えない見解だ。

 宮廷に勤める侍医がその技術と知識を競う瀉血を、真っ向から否定するだなんて。


「もう300年前になるかな。

 だいたい、英雄アーレントと同じ時代の、お伽話っていうか、訓話として伝わっている話があってね」


 イリスは、ベッドサイドに置いた椅子に座ると、昔話をねだられた母親のような口調で話し始めた。


「昔々、あるところに、腕はいいけれど、傲慢で強欲な医者がいました。

 彼はあちこちの王様からその腕を見込まれ、とてもとてもたくさんのお金を稼ぎました。

 ところがある日、彼は血を吐きました。経験上、彼は自分がもうすぐ死ぬ、そんな病気にかかったことを知りました。

 彼は焦り、怯えて、神様に『これから500人の病人を、無償で救います』と誓いました。

 だからどうか、自分の死病を癒してください、と。

 彼のもとに、富める者も、貧しい者も、世界中から病人が集まりました。彼は精一杯努力しましたが、500人のうち、250人しか救えませんでした。

 そして501人めの治療を始めたとき、彼は天に召されました」


 よくある「強欲を戒める」系の昔話だ。

 死が迫ってから善行に励むのではなく、普段から善を成していれば、合計で500人を救うくらい、わけなかっただろう。


「これねー。一般的にはこの話をした牧師さんが、『善は日々の行いの中にある』って言って、話を締めるんだけど。

 200年くらい前にね、この話が作り話じゃなくて、史実だってことに、気づいた人がいたんだ」


 ああ、まあ、実際に起こった事案だったとしても、そんなに不自然な話ではない。

 501人めの治療中に死んだとかいうのは、さすがに出来過ぎだけど。


「で、その人は、実態はどうだったのかを、徹底的に調べた。

 その人は新教会の人で、ちょうどその頃、聖教会と新教会は仲が悪かったからね……『聖教会は、神の慈悲を矮小化してはいまいか』ってわけ。

 確かに、教えを厳密に踏まえれば、このお話の強欲医師だって、せめて誓いを果たすチャンスくらいは与えられるべきだからね」


 神学のことはよくわからないが、そうかもしれない。


「それで、その人はお医者さんでもあったんだけど、『自分も500人を無償で救う』ことにした。

 新教会の教えに従う自分なら、250人しか救えないなんて醜態は見せない、ってね」


 ……実にくだらない、そしてどこにでもある、意地の張り合い。

 そんな意地に、自分の命を賭けねばならなかった患者こそ、不幸だ。


「だけどやっぱり、彼もだいたい250人くらいしか救えなかった。

 でもそのせいで、彼はなぜあの話に出てくる患者の生存率が5割程度なのか、理解できたんだ。

 短時間に患者が押しかけすぎて、彼が捌ける人数を超えちゃったんだよ。

 結局、ほとんどの人は、暖かい寝床と、充分な食事で『体調を維持する』のが精一杯で、治療できたのは150人ほどだったって」


 なるほど……あれ、でもそれ、おかしくない?

 私はまた曖昧になってきた思考回路を振り絞って、何がおかしいかを考える。


「そう、これ変な話なんだよ。

 500人のうち、彼が治療したのは150人。

 命を永らえたのは、250人。

 少なくとも100人は、『勝手に助かった』ことになる」


 ああ。その、通りだ。

 最低でも100人は、食べて寝ていたら、治った計算になる。


「この数字は、長らくタブーだったんだ。

 そりゃ、いくらでも理屈はつけられると思うよ?

 でも同じくらい、深く問い詰められたくはない数字だからね」


 ……いけない。なんだか、眠く、なってきた。

 もうちょっと、イリスの話の続きを、聞いていたいんだけど……


「そのタブーに突撃したおバカさんが出たのが、20年前。

 その人は、もう一度、同じことをやった。

 ただし今度は、一切『治療』をせず、集まった病人には暖かい寝床と、しっかりした食事、規則正しい生活を、徹底的に保証しただけ。

 それで、500人のうち、だいたい350人が回復したんだ」


 つまり、それは……


「これホント、あんまりシビアに追い込み過ぎると、異端審問なネタだからね。

 時代がそれぞれ100年以上違うから、単純に比較できるとも思わないし。

 なにより、瀉血で治った人がいるのも、ホントのことなんだ」


 朦朧としながら、子守唄を聞くように、イリスの声を聞く。


「ただボクは、瀉血はしないって決めてる。

 ユスティナが、どうしてもっていうなら、やってあげるけど。

 でもそれ、ユスティナが元気になってからのほうがいいな」


 話の内容は、剣呑そのもの。世界の常識を揺るがしかねない、驚愕のデータだ。

 でも、椅子に座ってそれを語るイリスの姿は、世界を驚嘆させる万能の天才ではなく、ただのお節介で、世話好きな、女子力の高い少女にしか見えなくて。


 私はその安堵感に身を委ねて、目を閉じた。


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