もしかして:誤解
「ちーっす、おひさっす!」
生徒会長のいない放課後、星野先輩の仕切りで静かに仕事が進む生徒会室に、元気のよい大声が響いた。古株執行部員、3年E組の館林梓先輩だ。
「梓先輩、お久しぶりです」
「お久しぶりです!」
執行部員からも、次々と声がかかる。普通なら館林先輩、の筈なのだが、梓先輩は梓先輩がとてもフィットする感じがあって、後輩はみな知らぬ間に梓先輩と呼ぶようになる。執行部の姉貴分、それが梓先輩なのだ。
「梓、お久しぶり。強化合宿お疲れ様」
「おっす静香、おひさし! でもって、ありがと!」
梓先輩は、星野先輩と正反対のキャラだけど、2人はとても仲がいい。
なんでもその昔、星野先輩は梓先輩に誘われて執行部に入ったらしい。ちょっと想像しにくい経緯だけど、2人を見ていると、そういうこともあるかもなあ、とも思う。
梓先輩は、興味が湧いたら、何にでも即座に首を突っ込むタイプ。
星野先輩は、慎重に慎重に吟味するけれど、一度決めたら最後までなタイプ。
ちょっと考えすぎになる星野先輩の背を、梓先輩が押すというシーンは、これまでも何度か見てきた。
梓先輩はツカツカと生徒会室に入ってくると、当然のように星野先輩の隣にどっかりと座る。少し色が抜け気味のショートヘアが、白いセーラー服の上でふわりと揺れた。
現執行部では、「梓先輩が来たときは、星野先輩の隣が指定席」という暗黙の了解ができているのだけれど、それを梓先輩が知っているかどうかは謎だ。
というのも、梓先輩は滅多に生徒会室に顔を出さないのだ。
水泳のスポーツ特待で学園に入学した梓先輩は、中等部時代からこのかた、大会に出る度に賞状やトロフィーを学園に持ち帰っている。
東京都の強化選手に登録されていて、オリンピック強化選手に選ばれるのも時間の問題ではないか、という噂だ。
そのため、梓先輩の高校生活は、ほぼ水泳で埋まっている。
中等部の頃は生徒会室にもそれなりに顔を出していたそうだけど、高等部に進学してからは月に1度、姿を見せるのが精一杯。執行部から見れば、事実上の幽霊部員だ。
そして梓先輩は、特に仕事を手伝ってくれるわけでもない。
梓先輩は一応会計班ながら、本人曰く「あたしに数字を扱わせたら大変なことになるよ!」らしく、自分からその手の仕事にちょっかいを出すことは絶対にない。
たまたま企画班が会議をしていたとき、梓先輩に意見を聞いたことがあったが、そのときも梓先輩は「そんなのあたしに聞かれても、わかんないよ!」と一蹴していた。
実務の役に立つか立たないかで言えば、会長をマイナス評価とすると、梓先輩は限りなくゼロだ。
大きなイベント前で生徒会室が修羅場進行になっているときは、よく差し入れの飲み物を持ってきてくれるんだけど、これがまた微妙チョイスなのも加点しにくいところ。なぜ先輩は見るからにダメなペ○シを買ってくるんですか……ッ!
でも執行部員の多くは、梓先輩が生徒会室に来るのを心待ちにしている。
梓先輩が生徒会室にいると、何があるというわけではないのに、部屋が明るく感じられるのだ。
包容力を感じるというか、すごくポジティブなムードメーカーというか、いてくれるだけで「なんとかなるっしょ」という機運が高まる。
それから、もうひとつ。
梓先輩のご来臨には、大変に現実的なご利益がある。
梓先輩は、色恋ごとの相談に、とてつもなく強い。
それも、ただの耳年増ではない。
梓先輩は中等部時代、ときの生徒会長(今は大学在学中)と大恋愛をして、トレンディードラマが裸で逃げ出すくらいの紆余曲折と、刃物が飛び出す寸前の修羅場をいくつも乗り越え、今では将来を誓い合う仲に至っている。
……らしい。
なおご当人は「あっは、それは大ゲサすぎ、刃物を出しそうだったのはさすがに1回だけだよ!」「それにまだまだこの先わかんないよー、アイツはいつ浮気しても不思議じゃないし、あたしも、もっといい男がいたら鞍替えするかもだし!」と、いたって朗らか。
なんにせよ恋の悩みは梓先輩(さもなくば養護教諭の斉藤先生)に相談するのが一番というのが、男女問わず執行部における常識となっている。
■
そんな梓先輩の久々の来訪とあって、生徒会室はやにわ色めきだっている。
……色めきだつって言葉、こういう状況を指すんじゃないと思うんだけど、まあその、そんな感じ。
でも星野先輩と梓先輩のおしゃべりを遮ってまで、もしもし恋愛ダイアルを仕掛ける不埒者はいない。そんな度胸がある生徒がいるとしたら、御木本会長くらいだろう。
「静香はいま何やってんの?」「学園祭の資材搬入スケジュールの原案、かな」「また難しそうな」「それほどでも」「あたしに手伝えることはないなー」「ジュースでも買ってきて?」「ごめん、いまお金ないんだわ」「冗談よ」的なおしゃべりが10分ほど続いたところで、梓先輩はえいやと気合をいれて立ち上がった。
あれ、もうお帰りかしらと思ったけれど、先輩はズカズカと机を回りこんで、私の背後にベタづきに。
うおっ、なんですか、先輩ッ!
以前、ガリ○リ君ナポリタンの差し入れを思わず本能的にパスしたのを、まだ根にお持ちですかッ!
けれど梓先輩が耳元で囁く言葉は、完全に予想外だった。
「でさぁ、高梨さんちの遙ちゃーん。
梓お姉さんに、デートの相手をこっそり教えてごらん?」
は?
は、はい?
なんですそれ。それどこ情報? どこ情報よー?
ま、まさか生徒会長と行った伊豆ツアーの件?
あれは仕事ですし。全然、デートとかじゃないですし。
気が付くと、執行部員がみんな私達のほうを見ている。
梓先輩、地声が大きいから、みんなに聞こえてましたね、いまの……
これ以上、謎の誤解が広がっては、精神衛生上よろしくない。
こういうときは、果断な対応こそが必要ッ……!
というわけで、私は梓先輩に「ここではちょっと」と耳打ち。
梓先輩は満面の笑みを浮かべて「よし、じゃあ、外で話そう」と言い放つと、率先して廊下に出て行く。
私も慌てて、梓先輩を追う。背中に突き刺さる、執行部員の視線が痛い。
廊下に出たところで、私は先手を打って、梓先輩に質問する。こういうときは逆質問に限ります。
「その話、梓先輩はどこから聞いたんです?」
梓先輩はニコニコしながら、「静香に聞いた」と一言。
え? えええ?
混乱して黙り込んだ私を、なにやら痛いところを突かれて黙ったと勘違いしたのか、梓先輩はかさにかかって攻めに来る。
「先週の週末だっけ、帰り道で静香と話してたらさ、『遙ちゃん、急にメールで呼び出されたとか言って、慌ただしく帰っちゃったの』とか言い出してさ。
あたしゃピーンときたね! これは男だ! じゃなきゃ女だ!
さあ、梓姉さんにキリキリ白状なさい! 遙ちゃんのいい人は誰なのかなー!」
あー。
それは……すごい……誤解です……。
思わず、盛大なため息。こうなっては全部ゲロるしかない。
とりあえずざっくりと経緯を説明したら、梓先輩は大笑いし始めた。
「あっはは、そりゃ、お互いに誤解も誤解、大誤解だったねえ!
静香が待ってたのは、あたしだったんだ。
あの後、2人で街まで出ようって話でさ。その、待ち合わせ」
なるほど納得。
そしてなんだか、ちょっとだけ、安堵。
キラリ、と梓先輩の目が光った気がした。
「ん、とりあえず話はわかった。
残念だなあ、やっと遙ちゃんに恋のアドバイスができるぞーって、今日はその一念で来たのに」
私は全力でかぶりを振る。
「折角ですが、まだまだぼっち道を極める予定ですんで。
それより、その情熱、できれば永末さんに投じていただけませんか?
永末さん、絶対、彼氏がいるか、片思いか、どっちかです。
迷い多き中等部生に、ぜひとも先輩のご指導を!」
それを聞いて梓先輩はニヒヒと笑うと、「じゃあ最初の相談は永末ちゃんからだな!」と息巻きながら、生徒会室に戻っていった。
ふー。生贄は必要だったけど、なんとか一難去った。
と、思ったところで、生徒会室から梓先輩の大声。
「やー、ごめん、ごめん、遙ちゃんのは、あたしの誤解だった!
まったくの的外れの、勘違いだったから、みんな忘れて!」
……梓先輩。
それ、普通に考えれば、私が先輩に「そう言ってくれ」と頼んだようにしか聞こえないんですが……
本日最大の、ため息を、ひとつ。
私は天を仰ぎ、覚悟を決めて生徒会室に戻ることにする。
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