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もしかして:ニブチン

「次は横浜~ 横浜~」


 休日の東海道本線は意外と乗車率も低く、私達はボックスシートに並んで席を確保できた。

 車窓から見える横浜の空はとても青くて、ここで途中下車してみなとみらい近辺で遊んだら、さぞかし楽しかろう。

 赤レンガ倉庫を散策して、クイーンズスクエアでご飯。

 そのままランドマークタワーに登るもよし、遊園地で遊ぶもよし。

 日が暮れたら大観覧車で横浜の夜景を楽しむ。

 相応にお金はかかるけれど、理想のデートコース。


 これで隣が生徒会長じゃなきゃ、ほんとに最高なんだけどなー。


 折角の休日、この男と2人で電車に乗っているのは、生徒会執行部の仕事ゆえだ。


 宮森学園高等部の修学旅行では、伊豆は熱海の温泉旅館に一泊する。なんとも渋い趣向だが、「滅多にできない経験」かつ「日本の伝統文化を体験する」ということで、生徒にも父兄にも好評だ。

 普通なら修学旅行生など絶対に受け入れない旅館を、宮森学長のコネで貸りきっているというのも大きい。

 もっともそのぶん、通すべき筋は多くなる。

 今日はその第1回、「本年度のご挨拶」という次第だ。


 本当は、今日のこの佳き日、伊豆への小旅行は、星野先輩とのふたり旅になる予定だった。

 星野先輩はこの3年、ずっとこの「ご挨拶」に帯同ないし主役として参加していて、去年に続いて今年もその「おつき」に私が指名されたのだ。

 天にも昇る心地とはこのことですよ。

 去年はガッチガチに緊張してて、気がついたら帰りの電車でしたって有り様だったけど、今年は旅を楽しむ余裕があるぞー、電車の中でお弁当かなー、それとも伊豆で遅めのお昼かなー。なんてことを。ですね。


 ところがどっこい、直前に学園祭の予算まわりで問題が発生。

 予算のこととなると星野先輩抜きにはどうにもならず、ここで急遽、伊豆行きの代打に立ったのが御木本会長。

 ううっ、確かに「修学旅行生の名代」として行くなら、生徒会長って肩書はベストですけど!

 でも、いいんですか!? コイツですよ!? 御木本ですよ!?

 今年の修学旅行、宿泊先が伊豆で野宿とかになりかねませんよ!?


 内心での激しい抗議も届かず、私はうららかな土曜の空の下、会長と2人で伊豆に向かう電車に乗っている。

 隣では、早めの昼食のつもりか、御木本会長が5つ入りのミニアンパンをむしゃむしゃ。

 いや違うな。この男のことだ、「品川に11時集合」だったんだから、10時半くらいに起きたに違いない。これはたぶん、「早めの昼食」ではなく、「遅めの朝食」。


 そんなことを思いながら、手元の本に視線を戻す。

 と、私の視線を感じたのか、あんぱんを飲み込んだ会長が、手元から1つ、私にアンパンを差し出してきた。

「高梨も食う? 甘いもの、好きだよね?」

 確かに私は平均的な女子として甘いものは好きだし、その5つ入りアンパンもときどき購入する。だがッ……そのアンパンには重大な弱点があるッ……私には、お腹に貯まりすぎるのだッ――!

 そもそも、向こうでご挨拶を済ませたら、ちょっとしたお茶菓子が出てくる。場合によっては「よかったらお昼でもいかがですか」ということもあるらしい(星野先輩談)。

 前者ならともかく、後者だった場合、ここで何か食べてしまうと、お残しをせざるを得ない危険性がある。


 などと説明するのは面倒なので、私は短く「私は、ちゃんと朝、食べてきましたので」と、やんわりとお断りのご返事。

 会長がクスリと笑って「なんでこれ、おれの朝飯だってわかるの?」と言うので、「朝11時に待ち合わせの予定がある休日に、会長が10時以前に起きているとは思えません」と返したら、大笑いされてしまった。


 御木本会長、電車の中でその大笑い、迷惑な上に目立つんでやめてください。


 私は心の中でそう抗議しつつ、ひとつため息をついて、星野先輩から借りた本のページをめくる。

 弱ったなあ。この男をつれて、老舗の旅館の女将さんにご挨拶か……まったくもう、胃が痛くなりそうだ。何事もなけりゃいいんだけど。



          ■



 その、5時間後。


 結論から言うと、ご挨拶は驚くほど順調に、かつ和気あいあいとしたムードの中で終わった。旅館の女将さんが「お昼はお済ませですか?」と聞いてきたので、会長が迷わず「まだです」と答えたら、急遽お食事の席が用意されたくらい。デザートにカラフルな羊羹がついた、豪華なコースだ。


 なんというか、会長は、年上と話すのが、とても上手い。

 普段からは想像もできなかったけれど、敬語は完璧だし、礼儀作法も嫌味にならないレベルで行き届いている。話題の転がし方も巧みで、失礼と冗談のスレスレのラインを見極めたお世辞を、何気なく口にしてみせる。

 おまけに、お食事の席に移る直前、「彼女はちょっと食が細いので、量を少な目で頂けますか?」なんてサポートまでされてしまった。その直後に「減らしたぶんは、僕のところに盛って頂けると嬉しいです」と、これまた気配りの効いた一言。

 おかげで私は借りてきた猫みたいに、会長の隣でニコニコしながら頭を下げることしかできませんでしたよ。恥ずかしい。


 ……あれ、でも御木本会長、なんで私があんまり食べないの知ってるんだろ? 星野先輩から聞いたのかな?

 ああ、うん、それだな。

 星野先輩なら、会長に前もって「食事を振る舞われる可能性とその対策」を伝えてくれていても、不思議じゃあないし。


 ともあれ、上首尾は上首尾。形式的なご挨拶とはいえ、「会長さんたちがこんなにしっかりしてるんだから、今年も大丈夫そうね」と言ってもらえたのは、今後いろいろと連絡をするにあたっても、なにかとプラスになる。

 世の中、こういう小さな信用ひとつで、ぐっとものごとがスムーズに進むんですよ。よくやったぞ、会長!


 そんなことを考えつつ、私はページを先に進めた。

 車窓からは、ほんのりと日が傾きはじめた横浜の街が見える。

 運良く、帰りも席が空いていた。座って帰れるのは、何よりもありがたい。


 と、隣に座った会長が自分のスマホから視線を上げて、私に声をかけてきた。

「高梨、今日は悪かったな。

 俺も、本当は早く切り上げて帰ろうと思ってたんだけどね」

 私はちょっと驚いて、それからあわてて首を横に振る。

「――いえ、私も特に今日、何かこの後に用事があるわけじゃないんで……。

 それよりお食事のとき、量のこと言ってもらったの、ほんと助かりました」


 ああ、あれね、と会長は頷く。

「高梨があんまり食べないのは知ってたからな。星野からも注意されてたし。

 だからなるべく食事はパスしたかったんだけど。

 先方から誘われたら、断るわけにもいかんしなあ」

 おや、私の少食の件、知ってたのか。

「断るなんて無理ですよねえ、あの状況。

 でも、すごく美味しかったです。これぞ役得! って感じでした」

 だったら良かった、と呟くように会長。それからもう一度、スマホに視線を戻す。

 私も本に戻ろうとして、でもちょっと、気になった。


「――会長、意外と気が利くんですね。今日は正直、びっくりしました」

 思い切り失礼な感想をぶつけてみる。でも、これくらい言ってもバチは当たるまい。というか、普段から今日くらい気を利かせてくれれば、執行部員の仕事はもっと楽になるのに。

 御木本会長は思い切り苦笑すると、すまん、と軽く頭を下げる。

「まあ、あれだ――執行部の連中って、みんな優秀じゃん?

 だから生徒会室に行くと、つい気を抜いちまうんだよなあ」

 また見え透いたお世辞を、と思いつつも、悪い気はしない。

 ……あ、ダメだ。ここで引き下がっちゃいけない。


「だからって、先週の会議資料みたいなことされると、困るんですけど」

 会長がミエを張って「自分がまとめる」と言って引き取った会議記録を、結局、私が超特急でまとめる羽目になった件を、つついてみる。

「ああ……あれなあ。

 いや、あれな、俺が仕事を巻きとったほうが良かったのは、良かったんだよ。

 じゃなきゃ永末だって、そう簡単に俺に仕事を預けたりしないさ」

 おっと、あの件にも、何か裏があったのか。

「あの日なあ、永末、体調悪くてさ。手の怪我も、たぶんそれが原因。

 もっとも、巻き取った仕事を俺が仕上げられなかったのは、完全に俺の責任だから、言い訳しようもないんだけどな」

 なんと、そんなことが。これはちょっと、会長の評価を上げたほうが良さそう。


「そんな話だったんですね。

 でも、私がリカバーできなかったら、どうするつもりだったんです?」

 うーん、と会長は頭をかきながら、いたずら小僧の顔で私を見る。

 その意外な表情に、ちょっとだけ、ドキっとした。


「高梨なら、なんとかしてくれると思ってさ」


 ……ああ、もう。言い合いで会長をヘコませようと思った私が馬鹿だった。

 私は小さくため息をつくと、読書に戻る。

 会長も、何事もなかったかのように、スマホに戻る。


 ん? あれ、ちょっとおかしいぞ?

 私は最後に少しだけ引っかかった疑問を、何気なく口にする。

「――会長、永末さんの体調が悪かったなら、なんでその場で帰らせなかったんです?

 風邪とかだったら、それこそ早く帰らせなくちゃいけないじゃないですか」


 会長は、一瞬、絶句したようだった。

 しばらく沈黙が続いたのち、ボソリと、一言。

「俺に言わせんな」


 そこまで聞いて、ようやく事情に思い至った。

 女の子の、体調不良。ああ。ああ!

 永末さん、生理だったか! そりゃあ、会長からでは、指摘できんわ!

 やだ私、ニブチンすぎ!?


 なんにせよ謎はすべて解けた。

 ――と思ったのだけれど、ここでなおも疑問にぶちあたる。

 なんで会長は、永末さんが生理だってことに気がついたんだろう?


 ここを考え始めると深みにハマりそうなので、私は本に集中することにした。


 そうして、私達を乗せた東海道本線は、夕暮れ色に染まろうとしている神奈川を駆け抜けていく。


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