ユスティナ:旅の仲間(2)
神聖暦1970年 4月
(メモ:因果関係をはっきりさせながら「ユスティナ」の記憶をたどるというのは、意外と難しい。「高梨遙」の思い出話をするようには、うまく行かない。
なにか理由があるのかもしれないが、その理由の解明は後回しとする。いまはまず、前回の記憶に出てきた旅の仲間たちの様子が、どうも深刻そうだったのが気になる。
そこで、ユスティナの旅がどんなものだったのか、様子を思い出そうとしたら、「焚き火」からだいたい2年前の記憶が思い浮かんだ。
以下、これを記述していく)
私達――アイリスと私――は、うっそうとした茂みの中で座り込んでいた。
すぐそこは断崖絶壁。落ちたら、間違いなく、死ぬ。
その断崖のはるか下のほうに、小さな城が見える。
世に名高い、ヴェスダ城だ。
ヴェスダ城は、この世界における、ひとつのキーポイントだ。
かつてから、この世界は魔族による組織的な攻撃を受けている。恒例の内部分裂が収まらない人類は敗退に敗退を重ね、ついに既知世界の2割程度を失った。
人類はこのまま魔族に滅ぼされるかと思われたとき、英雄アーレントが立ち上がった。
いずこからか現れた彼は、魔物によって滅ぼされた国の兵士ばかりで傭兵団を結成。ちょっとした国家財政に匹敵する個人資産を背景に、魔族軍と専門的に戦うことを宣言したのだ。
意外にも、この発想はそれまでになかったものだ。
そもそも傭兵というのは、「いざ実戦となったら戦わない」のが大前提で、あくまで書類上の「軍勢」を作るための集団だった。その名とは裏腹に、戦う集団ではなかったのだ。
アーレントが結成した傭兵団「人類の盾」は、戦うための集団だった。
この段階で、大きなパラダイムシフトが成されている。
そしてその奇抜きわまりない発想を支えたのが、国を失って流民となっていた元プロ兵士を団員とする、というプランだった。彼らには、戦う理由があったのだ。
「人類の盾」の活躍は、魔族と人類の戦いの様相を、大きく変えた。
そもそも人類がまともに戦えてこなかったのは、魔族との戦いが、異種族との間で起きた防衛戦争だから、という部分が大きい。
例えば、魔族たちの攻撃を受けたある王国が、祖国防衛のため、軍を結成するとしよう。プロセスは以下のようになる。
まず国王が、配下の貴族に大動員の号令を発する。
この命令を受けた貴族は、自分が庇護している騎士(つまり小領主)に命じ、兵士を集めさせる。
騎士は自領の農民からゴロツキまで、指定された人数をかき集めて自分の手勢とし、貴族のもとに馳せ参じる(昔ながらの傭兵が参加する余地が、ここに生まれる)。
騎士たちを束ねる貴族が、こうしてできた軍勢を率いて、国王のもとに馳せ参じる。
さて、こうやって結成された寄せ集めの軍が、奇跡的に魔族軍を撃退したとしよう。
仮に魔族を生け捕りにしても、言葉が通じない。つまり、身代金が取れない。
魔族が使っている武器や防具は、人間にはサイズが違いすぎたり、手の本数が違っていたりで、とても流用できない。どんなに良くても、屑鉄程度の価値しかない。
防衛戦争なので、勝っても新しく得る領土はない。
つまりこれは、1ゴールドにもならない戦争なのだ。
当然、国王は貴族に充分な報奨金を支払えない。
貴族は騎士に報奨金を支払えない。
騎士は集めた兵士に給料を払わない。
ゆえに、奇跡の1勝があったとしても、次はない。
「人類の盾」が変えたのは、この仕組みだった。
アーレントは、自分のスポンサーとして、魔族と戦う最前線から遥かに離れた、経済的に裕福な王国の貴族や大商人たちに働きかけた。
彼らは資産家であり、また現状の危険性も把握していたが、自分たちでは何もできずにいた――彼らの一人一人の個人資産で、どうにかなる話ではなかったからだ。
また仮に前線となる王国に「個人的な援助」をしたとしても、これはどうしたって外交上の問題(つまり「貸し借り」)になる。
援助を受ける側としては、たとえ戦争に勝っても、大国の首輪付きになるのでは、たまったものではない。
これは大国内部においても同じことだ。
人類の未来を憂うる大貴族Aが、地方の王国に資金援助をしたとなれば、「奥様聞きました? 貴族A様は○○家に貸しを作ろうとしておりますわよ?」という噂が宮廷を飛び交い、そこから先は定番の展開が待っている。最悪、貴族Aの政治生命に関わる。
そこのところ、「人類の盾」は基本的に根無し草であり、外交的な利害関係は存在しない。
また、あくまで「敵は怪物」をモットーに結成された組織であって、その剣が人類に向くことは、現状ではあり得ない。
安心・安全・効果的な、「無償の援助」の投下先なのだ。
アーレントが「人類の盾」を率い、いくつもの戦いに勝利を呼び込んだことで、世界は変わった。
魔族から世界が守られることで具体的に得をする人びと(代表例は、いくつものキャラバンを率いるクラスの大商人たち)と、組織的に魔族を殺す能力を持った集団が、金銭で結ばれるようになったのだ。
かくして「人類の盾」以外にも、いわゆる「対魔傭兵団」がいくつも生まれていった。
人類の側にも、魔物と戦える軍勢が成立したのだ。
これが、だいたい300年前。
以後、人類と魔族は一進一退の攻防を続けた。
そして200年前のソベルシの戦いで決定的な勝利を得た人類は、魔族を「北壁」と呼ばれる山岳部の向こうに追い込んだ。
この北壁の南(人類の支配領域)と北(魔族の支配領域)をつなぐ、たった一本の街道上に作られたのが、人類を守る砦、「ヴェスダ城」――いま私たちの眼下にある、強力な要塞である。
■
崖下を覗きこんだせいか、体に巻きつけた毛布が少し乱れた。毛布の隙間から、寒風が肌を刺す。私はそのあまりの寒さに辟易しつつ、毛布を巻き直した。
「心配か?」
もぞもぞと動く私に、アイリスが声をかけてくる。
「いえ、そんなことは。
――すみません、悩んでいないと言えば、嘘ですね」
アイリスは口下手だが、嘘を見抜くのは上手い。
アイリス相手に小さな嘘を重ねるのは、大きな墓穴への片道切符だ。
「安心しろ。あたしがお前を守る」
アイリスは真面目な顔で、思わずこちらが赤面しそうなことを言う。
「――その点については、不安はありません」
実際、アイリスに守ってもらってダメなら、誰に守ってもらっても無駄だ。
「ロザリンデのことなら、心配は無用だ」
なおもアイリス。自分が守るべき相手の不安を取り除くのも、彼女の役割のひとつだ。
「ロージィの心配はしていません。
あの場を、彼女が掌握できないはずがないですから」
ロザリンデは、ここから南に500kmくらい離れたところで開催されている、とある大貴族様の嫡男の、誕生パーティに出席している。正確には、して「いた」。1ヶ月ほど前の話だ。
無論、ただのバースデイパーティではなく、パーティを口実にした外交会議だ。その会議でロザリンデが彼女の仕事を成し遂げていれば、まもなくその成果が見えてくる。
「イリスのことも、心配はいらん。
〈勇者〉は、あれはあれで、なかなかのものだ」
イリスと〈勇者〉も、ロザリンデと同じパーティに出席した。すべてが上手くいっていれば、もうすぐその姿が見えるだろう。
そこまで考えて、私はちょっと驚いた。アイリスが、そんなにも〈勇者〉の能力を買っているだなんて。
その驚きを見透かされたのか、アイリスは軽く苦笑する。
「もっとも実際には、イリスが〈勇者〉を守ってやることになるだろうが。
だから、我らの愛する無能な旦那様のことも、心配する必要はない」
なるほど。
……なるほど?
明らかにロジックがおかしいが、そういう問題でもないので、指摘しないことにする。
それに、私が悩んでいるのは、そこではない。
そのことは、アイリスにも伝わったようだ。
彼女は「まだあるのか?」という顔で、私を見る。
それにつられるように、私はつい、あまり言いたくなかった弱音を、口にしてしまう。
「――この計画を実行すれば、たくさんの人が死にます。
今回の件に限っても、最低で1000人程度が死にます。
苦痛が少ないとも言えなければ、名誉ある死とも言いかねる、実に無残な死です。
死者には、非戦闘員も含まれます。
炊事や洗濯のために雇われた女性たちもいれば、彼女たちの子供もいるかもしれない」
アイリスは、真剣そのものの表情で、私を見つめる。
「私は、いいんです。
今更、自分が立っている足下に並んだ焼死体の数に、怯えるような神経はしてません。
でも、いま。いま、これをやれば。
この1000人の死は、私だけではなく、あなたも、ロージィも、イリスも、もちろん〈勇者〉も、背負うことになる。
そのことが、怖いのです」
言いながら、結局自分は酷い嘘をついているな、と思った。
実際には、それが怖いのではない。
だってその論旨で言うなら、私は数万人の死を、敬愛するエヴェリナ女王と分かち合ってきたのだから。
私が怯えているのは、この殺戮をノラド王国魔術親衛隊副隊長として行うのではなく、ユスティナ個人として行う――そのことに対する恐怖だ。
アイリスは、しばらく考え込んだ様子だった。
それから唐突に、彼女が身に纏わせていた毛布の両端をとって大きく開くと、私に抱きついてきた。
とっさのことに、思わず私はバランスを崩し、地面に倒れてしまう。アイリスは、そんな私を、ぎゅっと抱きしめてた。
激しく、動揺した。そして反射的に抱擁を解こうとしたが、とてもではないがアイリスの馬鹿力には及ばない。
そのうち、彼女の体温が伝わってきた。
どくん、どくんと脈打つ彼女の心音が、数枚の布を隔てて聞こえてくる。
暖かい。
暖かいというのは、こんなにも、ほっとするものだったのか。
私は、そんな当たり前のことを、思い出していた。
「安心しろ。お前は、あたしが、必ず守る」
私を強く抱きしめたアイリスは、私の耳に、そう囁いた。
今度こそ、はっきりと赤面してしまう。
赤面してしまったが、それでもぎこちなく、アイリスを抱きしめ返す。
ただ抱きしめられているより、ずっと、ずっと、暖かくなった。
そうやって、私達はしばらく、世界の果ての崖の上で、互いの体温を感じていた。
10分もそうしていただろうか。突然、アイリスが抱擁を解いた。
ボーナスタイムは終わりか……と思ったが、アイリスの表情を見て、浮ついた気分を打ち消す。彼女は戦闘モードに入っていた。
そして、ぼそりと呟く。
「来たぞ」
私達は毛布の乱れを直し、並んで伏せて、茂みに身を隠した。
5分ほどして、私の目にもアイリスが見たものが見えてきた。
総勢で5000にならんとする、大軍勢だ。磨き上げられた盾と鎧が、春先の日差しを反射して、キラキラと輝いている。
下の方から、風に乗って慌ただしい物音と大声が聞こえてきた。要塞の兵士も、軍勢の接近に気がついたのだ。
「――イリスを確認した。〈勇者〉もいる。特に問題が起こった様子はない。
ならば、打ち合わせ通りだ。合図にあわせて、ぶちかませ」
この瞬間まで、私は内心で、この計画が不慮の事故で中断されることを、心のどこかで望んでいた。
イリスと〈勇者〉が来ないとか。そもそもロージィが会議の誘導に失敗するとか。この最悪のタイミングで魔族が要塞に攻撃を仕掛け始めて、いろんなことが有耶無耶になるとか。
だがそんな小説のようなイベントが、起こる気配はない。
オールグリーン。なにもかもが、計画通りに進んでいる。
ならば、覚悟を決めよう。
今こそ本当に、ノラド王国魔法親衛隊の肩書を、捨てよう。
そして、一介の魔術師、「世界の破壊者」ユスティナになろう。
(……我らは知る、世界は再び元の姿に戻らぬことを。
我は死なり。
世界の破壊者なり)
私は心の中で、呪文の詠唱を開始した。




