ユスティナ:旅の仲間(1)
神聖暦1972年6月
パチン、パチン。
薪がはぜる音が、やけに大きく聞こえる。
みんな、黙って、焚き火を囲んでいた。
そっと、隣に座っている〈勇者〉を盗み見る。
(メモ:やはりどうしても「英雄」の名前が思い出せないので、先人に敬意を表し以下〈勇者〉と記述する)
いつも陽気で、決して下を見ない彼も、今日ばかりは沈痛な面持ちで焚き火を睨みつけている。
思わずため息が出そうになるが、慌てて我慢する。
「ため息をつくと、幸せが逃げる」というのは、〈勇者〉の口癖だ。
こんな状況だけど、だからこそ、ほんのわずかな幸運も逃さない努力をすべきだろう。
それから、旅の仲間たちの様子を、順番に観察する。
〈勇者〉の、さらに左隣に座っているのは、イリス。〈勇者〉の第一夫人だ。
外見だけで言えば、中肉中背、際立った美女でもなければ醜女でもなく、身体的に際立った特徴もない人物だ。街を歩けば、通り過ぎた男どもの10人に3人が「可愛い」と言い、残り7人の印象には残っていない、そんな、とてもとても、普通の女の子。
そんな彼女の中身を一言で表せば、「万能の天才」だ。
どんなことでも、彼女に任せれば、そこらの専門家程度では到底及ばない成果を出す。魔術でも、武術でも、学問でも、調理でも、神学でも、その際立った才は、分野を問わない。
具体的に数字を出せば、彼女は、魔術50法すべて、武術12流派すべて、学派6派すべてにおいて才能を認められ、かつ職人ギルド48家、3教会、16王家のすべてにその才を請われている。
これを天才と呼ばずして、誰を天才と呼べばいいのか。
もちろん、イリスにも弱点はある。
彼女は万能の天才だが、例えば私のようにすべてを投げ打って一芸に打ち込んだ人物と、その得意分野で競り合うと、わりと簡単に押し負ける。
本人曰く「新しいもの好きだから何にでも手をだしたけど、みんな途中で飽きちゃって、何も手につかなかった」そうだ。まったく、ため息のひとつもつきたくなる。
なお現実問題として言えば、これは彼女の弱点とは言えない。例えば、もし私と彼女がサシで戦えば、私は絶対に負ける。
なぜなら、彼女は魔術で身体強化することで、私が彼女の姿を知覚できる遙か遠くから私の姿を知覚し、稲妻なり地割れなりで私をアウトレンジできるから。
イリスに肩を寄せるようにして座っているのは、アイリス。〈勇者〉の第三夫人にあたる。
外見は平々凡々としたイリスに比べると、アイリスはとても個性的だ。あちこちに傷跡が目立つ、鍛えあげられた体。見せかけの筋肉ではなく、猫化の野獣を思わせる「戦うための身体」だ。背は〈勇者〉より高い。本人的には不名誉かもしれないが、〈勇者〉より体重もあるかもしれない。
彼女は、その外見通りの人物だ。
魔法という極めて実用的な遠距離攻撃が存在する以上、近接戦はどうしても軽んじられる傾向にある。武術を極めんとする人びとにとっては忌々しい話だが、彼女のような「戦士」に期待される一般的な役回りは、魔法使いが魔術を完成させるまで、魔法使いの肉の盾になることだ。
アイリスは、その現実を真正面から受け入れ、極めた。彼女は、「魔法使いにとっての理想の肉の盾」になることに、鍛錬のすべてを費やしたのだ。
これはけして、合理的判断の結果、というだけではない。
アイリスは、イリスの実姉だ。
彼女は「魔法使いを守る」のではなく、「妹を守る」技を極めたのだ。
とはいえ――そこに、どれだけの葛藤があったか。
幼い頃から天才の名を欲しいがままにしてきた妹の、「姉」として生きる人生。
どんな努力をしても、「アイリス」ではなく、「神童イリスの姉」としか認められない日々。
想像するだに、身震いを禁じ得ない。
ちなみに、私はアイリスにもまず勝てない。アイリスは魔術師を守ることに特化した戦士だが、剣と盾を構えて突っ立っている木偶の坊ではない。
彼女は「攻撃的防御」として、弓も鍛えている。彼女と1対1で向かい合えば、最高速の高速詠唱を用いたとしても、魔術を完成させる前に串刺しだ。
そのうえアイリスは、殺気の察知はもちろん、視認能力も高い。原則的にインドア派の私が先制できる可能性は、皆無だ。勝ち目はない。
■
少し離れて、書物に目を落としているのがロザリンデ。〈勇者〉の第ニ夫人だ。
外見は――説明するのも面倒だ。「美女」の一言に尽きる。歴史に名を刻む腕前を持つ宮廷絵師が、伝説に残るクラスの美姫を、美化度1000%で描いた作品が現実世界に抜け出してきたら、きっと彼女になる。
事実、彼女は位階としては「お姫様」でもある。
偉大なるクルシュマン伯爵家の、ご当主様なのだ。
が、包み隠さずに言うと、既に滅んだ国の、失われた貴族の家系の、最後の継承者という立場。経済的な話をすれば、ちょっと羽振りのいい商人に劣るレベル。
伝統あるクルシュマン家の館は、今ではその街の豪商に貸し出されていて、彼女の一族は家賃収入でほそぼそと暮らしてきたらしい。
そのせいか、彼女は貴族の血筋とは思えないほど気さくだ。有り体に言えば、「普通の人」と言ってもいい。
一方で、やはり貴族の血脈は侮れないのも事実。その類まれな美貌と相まって、交渉の場においてはロザリンデ無双になる。
そして彼女自身、交渉の席では私達が思わず引いてしまうくらい、現実主義者だ。地位に引け目を感じる相手に対してはクルシュマン伯爵家の名をちらつかせることを躊躇わないし、自身の外見に見とれているとあればそこを迷わず利用する。
世界各国の歴史や政治情勢、社会風土に慣習、法律知識にも通暁しており、「筋の通しあい」で勝負してもロザリンデに負けはない。
そして悲しいお知らせだが、私はロザリンデにも苦戦する。
というのも、クルシュマン伯爵家のご当主は、遺伝的に「魔法の影響を受けない」という特性を有しているからだ。しかもこれ、選択的透過性なので、治癒魔法はしっかりと受け入れる。逆に「影響を弾く」となれば、最大で周囲7mくらいまで無効化エリアに納められる。
つまり、私が持つ最強の攻撃魔法をロザリンデに打ち込んでも、彼女を中心とした半径7mの空間には、何も起きない。
ロザリンデ自身に攻撃能力がないから私が負けるということはないし、剣術では私のほうが上なので剣で殴れば勝てるが、「魔術師が剣で女伯爵様を殴り倒した、魔術師の勝ちだ!」というのは、いかがなものか。
それから、もう一度〈勇者〉に視線を戻す。
この超天才集団パーティにあって、私が劣等感に押しつぶされて死なないでいられる最大にして唯一の理由が、〈勇者〉の存在だ。
要約すると、彼は、何もできない。
魔法は、からっきし使えない。完全に論外。魔術を学んだにも関わらず、私以下の腕前という人物は、初めて見た。
武術は、両手剣をそこそこ使うが、あくまで「そこそこ」の範囲。パーティ内格付けで言うとロザリンデより強いが、そんなものは何の自慢にもならない。
交渉能力は、一番口下手なアイリスに言い負かされるレベル。ほぼ論外。
本人自身の美術的価値についても、優秀とは言いかねる。整ってはいるが、抜きん出てはいない。庭の置物にするなら、職人が作った立像のほうがいい。
何か秘められた特殊能力があるか、という点においても、おそらくは、ノー。少なくとも目の前の危機をなんとかできるような、即効性のある力は持っていない。
もっともこればかりは、「ない」とも「ある」とも断言できないが。
そんなポンコツ〈勇者〉が、なぜ、イリス・アイリス・ロザリンデという、世界が羨望する異能を従えて――あまつさえ配偶者にして――いるのか。
これを説明するのは、とても難しい。
私自身、なぜ〈勇者〉に惹かれ、一度は永遠の忠誠を誓ったエヴェリナ王女の下を辞し、彼と旅をすることを選び、そして彼と結ばれることを望んだのか。そこを聞かれると、結構困る。
あえて言えば――
少なくとも私は、彼が語る「未来」に、魅了された。
その「未来」を見てみたくて、彼の手をとった。
「俺は何もできない。本当に、何もできない。
でもユスティナ、君が俺達に力を貸してくれれば、世界は変えられる。
このクソッタレな世界を、この世界の未来を、良くできる。
そのためには、君にも来てもらわなきゃダメなんだ、ユスティナ」
初めてそう言われたとき、失笑してしまったけれど。
あのとき、私の心は決まっていたのだと思う。




