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月下混沌の許

作者: 森杜林

「ほらよ。獲物を持ってきてやった」

 目の前にうず高く積まれた瓦礫の山に向かって妙齢の女性が、吐き捨てるようにして呼び掛ける。

 腰まであるブロンドの長髪。

 見た者をはっとさせるには十分な気品をたたえた美貌。

 抜群のスタイルを包む黒のセーターに黒のスカート。

 色調は暗いが、ふんわりした見た目の春らしいファッションで決めている。

 しかしこの女性は『絶魔』。

 世界に生きる人間の感情のひとつ、絶望を喰って生きる人ならざる者である。


 辺りは、外で活動する者など誰もいない深夜。

 夜なお暖かい春の陽気。

 遠くで鳴り響く風の音。

 雲一つない満天の星空。

 浮かぶのは巨大な満月。

「うむ。フェアよ、ご苦労であった」

 銀の光を背景にそびえるゴミ山の頂から偉そうな声が発せられる。尊大な物言いとは裏腹に、それは鼻にかかったような舌足らずな変声期前の女の子のものだ。声の主が無秩序なガラクタの麓に立つ女性をフェアと呼び、それとともに、月光を受けて高みの天辺の輪郭が蠢き、漆黒の影が映え揺らめく。

 影は黒衣だった。縫い目の見当たらない、全身をすっぽりと包む闇の色をした衣。

「相変わらず見た目と言動が一致してないなお前」

 フェアが見上げながら呆れたようにつぶやく。

「人は見かけによらぬもの、とはよく言うであろう?」

 真っ黒いフードを取り払って黒衣の者がフェアを見下ろす。その素顔は声音通り幼く、齢が十にも満たないような外見の少女だった。

 血のように紅い短髪。無間の虚空を思わせる深淵さを湛えた二つの瞳。月夜に映える白磁のような白い肌。そして恐ろしいほどに美しく整った顔だった。

 しかしそこには、外見相応の幼さやあどけなさといった、世間一般における少女の要素は微塵もなく、代わりに大人の女が誘惑しているような妖しさがこぼれていた。一言で表すなら、とてつもないアンバランス。

「お前の場合よらなさ過ぎなんだよ、トーゼン」

 トーゼンというおおよそ女らしくないーーというよりむしろ人らしくない名で呼ばれた彼女は、人工の高みに片膝を立てて腰を下ろしていた。足元遥か遠くに位置するフェアを正面に捉えて、びっくりするくらい艶やかな笑みで見下ろしている。

「もっとも――」

 だが、年不相応な感のある容貌以上に特徴的な『それ』がトーゼンには備わっていた。

 彼女が肩に掛けている長大な棒――無情の冷たさを放つ、所々歪みながらもまっすぐに伸びた金属の棒。

 棒の先端から横向きに伸びているのは、刃――三日月を半分に割ったような形状をした、トーゼンの身長の倍以上の長さを持つ、鋭利すぎる刃。


「もっとも我は人ではなく死神なのだがな」

 そう、鎌。死神の大鎌。

 禍々しい大鎌を携えた死神幼女トーゼンは、月光に照らされた端整な顔を妖艶に歪ませていた。

 死神は鎌で魂を刈り、魂を糧として生きる。

 刈られた者にもれなく死をもたらす脅威そのものだというのに、その姿は呆れ返るほどに幻想的だった。

「して、今日の魂はいくつか?」

 トーゼンが表情を変えずに訊く。

「末期症状の重病人のものが一つ。それだけだ」

 フェアが言葉を返した途端、

 ぞわり。

 複数の気配がフェアを取り巻く。

 何の前触れもなく骸が現れていた。

 ぎらつく黒龍の大翼を背から生やした人間の全身骨格が三体。眼のない眼窩がフェアを三方から捕捉し、各々の骨の手に握られた剣、槍、棍棒が彼女に一斉に斬りかかり、突きかかり、殴りかかる。

 三つの衝撃音。そして立ち上る土煙。

 しかし、

「どうした?」

 土煙の晴れたあとにフェアの姿はなく、そこには同士討ちで砕け散った骸だけが転がっていた。

 いつの間に移動したのか、フェアはなぜか山の頂上、トーゼンの目前に立っていた。

「もらえる魂がひ弱だから憤っているのか? それとも、魂がたった一つだから怒っているのか?」

 挑発的な言葉を投げかけながら、フェアは右手を手刀の形にしてトーゼンに突き付ける。原理は不明だが、その手はおびただしい量の暗黒を纏っていた。煙突からたなびく黒煙なんかよりもずっと黒く禍々しい、ただの闇。しかし誰の目にも確実に、本能的に分かるのは、その闇が生命を断つものだということ。

「愚か者め。両方だ」

 フェアの脅しにトーゼンは一切動じない。

「言い訳くらいなら聞いてやってもよい。我の『傑作』三体を粉砕するほどの理由ならば許してやらないこともないが、そうでないならば我は主を刈る」

 トーゼンは、顔に微笑みを張り付けながらも内心では腹を立てているようだ。大鎌をつかむ手に力がこもる様が見て取れる。

「強い絶望に惹かれた。十以上の人間に伝染しうるほどの強力な絶望に。美味そうなそれを本性丸出しで喰ってたらお前との約束の時間が来た。ただそれだけだ。理由はそれ以上でもそれ以下でもない」

 手から暗黒を振り撒きながら悪びれることなくフェアは返す。

「己の食事にかまけて我の依頼を放棄したということか。他に遺言はないかの?」

 言葉尻からも分かる通りトーゼンの虫の居所は依然悪いまま。

「依頼とは人聞きが悪いぞトーゼン。正しくは要求、もしくは請求だろう。私達に頼み頼まれる上下関係はない。あるのは利害の一致のみ。自分の利益を最優先して何が悪い」

「愚か者め。主に年上を敬う心はないのか?」

「そんな心はこの世界の人間にしかない。私達みたいな異界の人外にそんなものはない」

「口達者な若輩者め」

「褒めてくれてありがとなトーゼン」

 フェアは対峙する死神のことなどどこ吹く風といった感じだ。

「さっきのお前の言葉の二つ目の間違いをだめ押ししてやろう。放棄などしていない。たった一つの魂をきちんと持ってきてやっただろうが」

 ざあっ、と瓦礫の山に夜風が吹いた。

 海から遠く離れたこの場所に舞い込んできたのは、どういうわけか磯の香りだった。血糊や腐肉とはまた別の、潮独特の生臭さが鼻腔を突く。

「……最終通告だ」

 ゆらり。

 静寂を破ってつぶやくように言ったトーゼンは数日ぶりに立ち上がった。

 背の低いトーゼンはフェアよりやや高い位置に立っていて、二人の目の高さはほぼ同じ。

「そのたった一つの魂が如何なる人間のものか詳しく述べよ」

 ブゥ、ン。

 重いものが大きく動いてうなる音がしたと思ったら、トーゼンは大鎌を水平に振りかぶり後方で構えていた。

 象並みの重量を持つ刃物を片手で軽々と扱う様は、見た目だけは幼女のトーゼンがやはり人ならざる死神なのだと再認識させるに足るものだった。

「返答如何では主を刈る。先程の宣言通りな」

 ギラリ。

 黒曜石のように深く澄んでいた双眸は、今や髪と同じ血赤色に変化しており、眼光は正面のフェアを鋭く射抜いている。

 人間ならば睨まれただけでたちどころに逝く、まさに邪眼。

「おお、こわ」

「代わりはいくらでもおるからの。主を屠り葬ることに造作はない」

 最新兵器を装備した大国の一個師団を、一瞬で跡形もなく消し去ったとも言われている、トーゼンの見せた「ほんのわずかな」本気。

「説明してやるから、まあそうカッカするな」

 しかしフェアはというとまったく怯んでいない。

「これはアスタロト病院の患者クルス・ケルスの魂だ」

 言ってフェアは左手を前へ突き出し掌を空へ向ける。

 暗黒を纏っていないフェアの左の掌に現れた青白いもの。見た目はただの光の玉。

 ぼうっと所在なげに弱い光を振りまくそれは、絶魔フェアが死神トーゼンのために採ってきたクルスという人物の魂だ。

「クルス、だと?」

 シュン。何かの途絶える音。

 トーゼンの瞳が紅く輝くことを止めた。

「誠か?」

 トーゼンは振りかぶっていた大鎌を担ぎ直し数分前のようにその場に座り直す。

「そんなこと言うなら自分で確認してみろよ」

 フェアも手の暗黒を霧消させてトーゼンの武装解除に応じる。

 そして彼女に向かって件の魂を放る。

 もっと丁寧に扱わんか、と愚痴を漏らしながらトーゼンは受け取った魂を吟味するように掌の上でたゆたわせる。

 発光体はみるみるうちに手の内へと沈み込んでいった。

 魂について専門外のフェアには何をやっているのかよく分からないが、絶望を含む諸々の感情が抜けた脱け殻みたいな魂にわずかに残る記憶とかそういったものを読み取っているらしい。

「どうやら今の発言は主の得意な戯言の類ではないようだな」

「だから言っただろクルスのだって。それ欲しかったんだろ?」

「うむ。()()した量には程遠いが、魂の質に関しては及第点だろう」

 フェアの指摘を受けて「要求」を強調しつつトーゼンは悪くない評価を下す。

「素直に褒めてくれてもいいのに」

「愚か者め。斯様な事は賞賛に値せぬ。故に約束の『活力』も今回は与える訳にはいかぬ」

「はいはい、分かってますよ。今度はしっかりどっさり魂を持ってきますって」

 フェアは手をひらひらと振ってさも面倒臭そうに軽くあしらう。

「……それにしても、一人でずっとこんなところにいて寂しくないのか?」

 後頭部で両手を組み、トーゼンの肩越しに向こうの風景を見やりながらフェアは訊いた。

「まったく寂しくはないの」

 答えてトーゼンも座ったまま後ろを振り返る。

「むしろ『これ』に興味津津過ぎて身体が戦慄しとる」

 武者震いが止まらん、と言う死神と、『これ』のどこが面白いんだか、と呆れる絶魔の視線の先には、


 窪みがあった。

 世間一般にはクレーターとでも言うのだろうか。上空から途方もないほど巨大な球体が一個大地にぶつかった跡のように見える。二人の立つ瓦礫の山は実はこのクレーターの縁で、周囲何十キロに渡ってぐるりと瓦礫の稜線が大穴を取り囲んでいる。

 その中央は混沌だった。放つのは光でもなく、かといって闇でもない。この世の法則事象形質、世界の何もかもがない交ぜになった、捉えようのない『何か』。

 今宵の満月の光を照り返すこともなく、不気味な、非常に不気味で何にも喩えようのない『何か』が音もなく不気味に蠢いている。火山の火口だってこれほどまでに活発にはならないだろう。

 その『何か』はどう見たってこの世のものとは思えない。むしろ夢でも目の当たりにしたくないとさえ思えてくる、まさに悪夢の権化。

「我と同じイーオーならば、この光景を見て主も興奮するであろう?」

「イーオー……“邪悪なる観察者”か。なら『これ』に手出しすんなよ。するなら観察だけにしとけよ、それこそ視姦するみたいにな。舐めるように対象を眺める死神とかキモッ」

「愚か者め。質問に答えんかい」

「ここに絶望があるなら、ヨダレを垂らしながら身も世もなくしゃぶりつくだろうな」

「人のふり見てなんとやらだの」

「ま、人じゃないけどな、私もお前も」

 二人の見守る中、混沌が膨れ、弾け、散り、渦巻いていた。

 銀の月だけが天上で場違いに輝いていた。

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