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入学式終了。移動後、1年10組。
教室にいる生徒――と云うより、1年生のほぼ全員が四月を迎える前に男子寮や女子寮に入寮しており、そのお陰でどの生徒も既にグループを作り終えて、固まってお喋りに華を咲かしていた。
――席に座らず。
そう、現在我が1年10組で席に座っている生徒は男子二人女子二人の、たった四人だけだった。
一人は僕。入寮したのが遅かったせいもあるが、そもそも友達作りを積極的にするタイプではない。正確に云えば友達は欲しいし積極的に交友関係を深めていきたい。だができない。友達を作れない。問題は勿論病気にある。
他人の感情が見えるというのは中々厄介だ。長年相手の感情色を窺って生活してきてしまった僕は、その場の雰囲気や仕草言動、そして感情色によって相手が何を求めてるかを無意識に察してしまう。相手の都合の良いように、相手にとって良い奴であるように振舞ってしまう。
それって何て八方美人? なんて。処世術と云えばそこまで。実際これで上手くやってこれたし、それで困る事なんて稀だ。
人は誰しも自分に興味を持ってもらいたいと願望がある。それは学業だったり身体能力だったり。自分にスポットライトを当てようと努力する人は大勢いる。それに命を掛ける人だっている。犯罪を犯す人だっている。
努力は自分の為、自分が掲げた目標の為。けれど、初めは必ずしもそうではない。人に褒められたい。人に称えられたい。賛美に声に酔って祝杯を掲げたい。そんな思いから始まる願望もあるだろう。
……。
僕は別にそんな願望はない。そもそも他人に興味を持ってもらいたいと云うのは無意識だ。両親にテストの点数を云うのも、体育で一等賞を取ったのも、自覚してない小さな願望に過ぎない。意識して興味を持たれたいと思うのは、芸能の人達ぐらいだろう。だから。
だから、自分は無意識ではなく意識的に人に好かれようとして、そんな自分が嫌で、嫌いで、好きになれなくて、僕はこうして友達と呼べる関係を築かない。築けない。
まだまだ短い生涯だが、その間で友達と呼べる人間は片手で数えて半分以上余るぐらいだ。泣きたくなるね、まったく。
そんな「僕ハ友達ガ少ナイ」略してハガナイ状態の僕の、もしかしたら友達関係になるかもしれない一人、倉田正春もまた座ってる一人だった。
正確には座って寝てる。
倉田は教室に戻るなり机に突っ伏してそのまま眠りこけていた。
彼もまた友達作りを積極的にしないタイプらしい。僕より先に入寮していた倉田だが、僕が入寮してから殆ど自室から出ていなかった。勿論その間にやっているのはゲームだ。
朝起きてゲーム。朝ごはん食べながらゲーム。昼までゲーム。昼食べながらゲーム。夕食までゲーム。夕食食べながらゲーム。お風呂に入りながらゲーム。寝るまでゲーム。電話やメールをしながらゲーム。必要な物を買いに行く時もゲーム。トイレだろうがゲーム。まさかの本を読みながらゲーム。寝てる間もゲーム。文字通り一日中ゲーム。片時も放さずゲームをし続ける。本や寝てる間のゲームは、放置していても勝手に自動でやってくれるモードがあるとかで、もうそれってゲームじゃないんじゃないかと思う。
ゲームに対しての異常なまでの執着心を、一種の強迫観念の様に見えるのは決して考えすぎとは思えない程。
ただ、倉田はコミュニケーション能力が低い訳ではない。話掛ければ答えるし、それなりに愉しく話はできる。話題も豊富でどちらかと云うとお喋りな方だ。共に暮して愉しいとも思える。多少外見にコンプレックスを持っている様だが、身長がある分お腹が出ていてもコレは酷いと非難される程ではない。ゲームばかりで不摂生な生活をしているせいでお腹が出ているのも、自分で分っている様だ。分っているなら運動しろと注意したが、今は兎に角ゲームと一蹴された。
そんなダメな男子二人だが、座っている女子二人も一風変わっている。
一人は僕の左隣の女子生徒。
彼女もまた、倉田と同じ様に机に突っ伏している。寝ているのか、友達作りに失敗したのか――まぁ、今朝からずっとマスクを着用していたので、もしかしたら体調が悪いのかもしれない。
突っ伏している彼女は、肩に掛かる髪の毛が流れ落ちて小麦色のうなじを見せていた。マスクの間からも同じ小麦色の肌が見えており、この時期この肌の色と云う事はもしかしたらギャル的な人か、それとも練習熱心な体育家系の人なのかなと推察してみる。
さて、どこが一風変わっているかと云うと、その容姿だろうか。肌の色ではない。身長の高さと身に付けている物が人目を引く。
僕の身長は平均より若干低いのだが、彼女と並ぶと頭一つどころか二つぐらい違う、中々見ないぐらいの高身長な女子だ。それに合わせてマスクには黒いマジックでバッテンが書かれていた。鳳の制服はブレザーだが、黒のセーラー服とか着せてヨーヨーを持たせるとカッコイイかもしれない。
そのスケで番長が似合いそうな彼女の斜め右横、つまり僕の後ろの席の人間が一番風変わりだろう。
壁沿いで立ち話をする生徒達の、ここ一番の注目の的。髪の毛オバケ、妖怪毛羽毛現、真っ黒い人、貞子などなど、まだクラス内で自己紹介もしてないのにあだ名が多数付けられている彼女、野間文目。
立ち話している生徒は彼女を恐れ、壁伝いに並ぶようにこちらを窺っていて誰一人として近づいてこようとしなかった。それは勿論、文目の前に座る僕にも近づく者が居ないと同義で、奇しくも友達作りをしないで済む環境に置かれた訳だが。
「……かさ……で、キモくな…………」
どんなに偏差値が高がろうが、どんなに格式を重んじようが、どこにでも心無い陰口を云う者はいる。そんな小さな陰口が僕の気分を悪くさせる。文目との関係は友達と云う程ではない。だが共に戦った戦友の様な関係だ。命を掛けて戦った友のようなものだ。
文目は世間体を気にしない。それは容姿を見れば明らかで、どんな陰口を叩かれようと、もしかしたら面と向かって云われようと気にも留めないかもしれない。だが、戦友である僕は気にするし、知りもしないで! と声を荒げたくもなる。それは友達作りが出来ない、けれど作りたい。そんな願望を持った僕だから。もしかしたらそれは友達の証なのかもしれないとも思う。
だから知らしめてやろう。見た目こそ悪いが、中身は思っている程悪くはないんだと。口を開けば多少上から目線だけど、決して悪い奴ではないんだと。
椅子ごと向きを変えて文目と対面する。そこには黒いカーテンが下りた文目が鎮座していて、一目見ただけで鳥肌がぞわぞわと下から上へと抜けていく。
――た、確かに、これは怖い。
初対面の相手と友達になる為にはルールがある。
一つ目は見た目だ。別に格好良いから良い、不細工だから悪いなんて事はない。ただ最低限の見た目は必要だ。無造作ヘアーを寝癖と同一に考えたり、顔が粉噴いてても男子はスキンケアなんかしないとか云って肌に何も塗らなかったり、別に汗かいてないからお風呂は二日に一度とか、口臭が気にならないから歯磨きをしないとか、そんな人間と友達になりたいと思うだろうか? ありえない。人と対面する以上、最低限の身嗜みは整えなくてはならない。それが友達作りのルールその一だ。
そういう意味では文目はバッテンマークが一つ付くだろう。何せこの髪の長さだ。友達作り云々どころではない。近寄り難い。近寄ったら食べられそうだ。呪われそうだ。不吉な何かに取り憑かれそうだ。陰口叩かれたって仕様がない。
ルールそのニは会話だが、寄り付かれもしないのでは会話もできない。その一をクリアしなければ、結果今の文目の様な状況になるので身嗜みって大事なんだなーとぼんやり納得する。
「何をじろじろ見ているんだい。ナンパがしたいなら他を当たってくれるかな」
――リアルが充実しいても、こんな状況でナンパが出来る人は中々いないだろうに。
「相変わらず怖いなって思って」
「相変わらず北斗は失礼だね」
――マナーと云う意味では文目も十分失礼に当たると思うよ。
「先生とかに髪の毛について何か云われなかったの?」
――云われなかったとしたら職務怠慢だろうけど。
「云われたさ、まったく。頭髪の長さなんて人の勝手だろうに」
肩を上げてやれやれといった仕草をすると、サラサラと文目の髪が揺れて瞳が見え隠れ。
「それゃ、まぁ……ねぇ……。とりあえず、こー前髪をさ」
云いながら文目の前髪に手を掛けると、行動に対しての反響は目の前ではなく周りからあった。ざわつく。ざわ……ざわ。僕が文目に話掛けた時から万目は僕へと注がれ、奇異と探りの瞳は連鎖していたった。そして僕のこの行動。黒板側に陣取っていた女子グループからは悲鳴まで訊こえてくる。何、僕食われそうに見えますか?
相変わらずのサラサラな髪にスッと指は埋まり、そのまま観音開きに前髪カーテンを開ける。そこには見覚えのある白い顔。柳眉は逆立っていて、瞳は睨むと云うより不機嫌満載の見据えるようなジト目、口はへの字口。それでも可愛らしさを感じるのは、持って産まれた造形のお陰か、はたまた僕の好みの問題か。
文目は僕の手を払って自分の手で髪を掻き揚げる。
「北斗は中々勇気があるな。同性や理容の関係で髪を触れる行為は許されるが、異性の――それもたいして親しくもない間柄で髪に触れる行為が、どれだけはばかられる行為か知らないのかい? 場合によっては叩かれても仕方が無いと思うよ」
「うぐ……」
意地悪そうに笑みを浮かべる文目は、少し首を傾けただけで髪の毛がスルスルと元の位置へと戻っていく。それを鬱陶しそうにまた掻き揚げる。
確かに、親しくもない相手に髪を触られたら気分が悪い。払い除けて蹴りの一撃も入れたくなる。多分男子と女子とでは意味合いが違うと思うけど。
そんな応酬をしていると、直ぐ隣で突っ伏していた女子生徒からくぐもった声で、でも声量のせいで僕や文目にまで訊こえる大きさで一言、
「可愛い……」
ぼそりと云う。
その声に反応したのは僕達だけではなく、先ほど悲鳴を上げていた黒板側にいる女子グループもだった。
「ホントだ。可愛い」
その声はざわつく教室でも良く通った。
「え、可愛いの?」
「お、マジで可愛いじゃん」
「どれどれ、みしてみして」
窓際や教室の後ろ側に陣取っていた生徒達は、黒板側に回ろうと押し寄せ、僕の後ろが騒がしくなっていく。
「うわ、ホントに可愛いし」
「つか、美人系じゃね?」
「うわー肌白い」
「ちょ、押すなよ」
「男子邪魔っ」
「つか、もっと近づけよ」
「アンタが行きなさいよ」
「えー、それはちょっと……」
「じぁ私いっちばーん」
そんな一言で女子たちがなだれ込んでくる。取り囲まれた文目は顔を引きつらせていて、ちょっと新鮮。なんて考えていたら僕まで囲まれた。
「うわ、超髪の毛サラサラ」
一人の女子が文目の髪を手に取りそう云う。
「私なんて小学校からこの髪の長さなんだよねー癖ッ毛って伸ばすと大変でさ」
そう云う女子は、ショートヘアーを触りながらはにかむ。
「いやいや、これは流石に長すぎるでしょ」
「あ、後ろでしばる? ゴムあるよ」
「いい? いいよね? いいって事で! やっちゃうよー!!」
「とりあえず前髪だけなんとかなれば良くない?」
「シュシュ余ってるの貸すよ」
「ワックスあるどー」
「ヘアピンパース」
「うわ、肌白っ。何使えばこんな白くなるのさ」
「日に当たらない的な? not光合成!!」
――髪を触れるとなんだって?
髪の毛オバケから格上げされた美少女文目ちゃんの周りに続々と女子が集まっていき、皆して文目の髪の毛をもてあそぶ。囲まれた時点で多勢に無勢、文目は抵抗する素振りも見せずに白旗を上げ、取り囲む女子達の好きにさせる事にしたらしい。
「その……花柄のヘアピンだけは勘弁してほしい」
――なんと弱々しい発言! ちょっと面白い!
そんな輪の中心から脱出して、ニヤニヤしながら見てる自分。男子もどんな顔しているのかと女子達の輪から覗いてみたり、女子は女子で楽しく髪いじりをして文目の周りは人でごった返す。
まぁ無理も無い。髪の毛妖怪がクラスに一人いたらちょっとは中を覗いてみたくなるものだ。そうそうそんな人物に出会えるかは知らないが。
「キミ、優しいね」
くぐもった声。声の主は突っ伏していた女子生徒。上体を起こしてこちらを見ていた。
マスクのせいで多少声はくぐもっているが、直ぐ横で騒がしくしているにも関わらず、彼女の声は良く通り僕の耳にまで届く。声の大きさか、声質か、不思議と彼女の声と雑音とが分けられて訊こえる。
「優しい……かな?」
ちょっと照れくさい。確かに動機は文目の名誉を守る行為だ。他人に何かをしてあげたいという行動原理だ。それを指摘されると誰だって気恥ずかしくもなる。
「あのままだったら確実にハブられた……んーん、多分虐めの対象になったと思う。人は異端を嫌うから」
「異端……ね。小学生じゃあるまいし、高等教育機関でちょっと容姿が人と違うからって虐めはないでしょ」
「ちょっと?」
「……」
――全然ちょっとじゃありませんね、ハイ。
苦笑を浮かべると、小麦色の女子も一緒に微笑する。彼女の耳にはピアスが開けられており、小さな青い石がキラリと輝く。容姿だけなら彼女もまた、少なくともこの学園内では異端に入るだろう。
「まぁなんにしても、アレでクラスの雰囲気が良くなったのなら…………あー、僕の犠牲も無駄にはならないで済むよ」
「犠牲?」
僕の目線の先には髪留めで左右に分けられ、一部三つ編みが施されている髪の毛妖怪こと文目が、物凄く顔色悪くしてこちらを睨んでいた。もうあれだね、ビシビシと突き刺さる感じ。殺気とか具現化できそうなぐらい眼力が凄いです。具現化と云えば感情色だがこちらは随分と濃い赤、ワインレッドの様な色になっていて更にホラー感を演出してくれている。それがなんとも、ビデオテープを媒体に呪いを振りまく日本で一番有名な幽霊を連想させる。――っは、デジャヴュ?
文目を助けにも行かず、ただ見ている事しか出来ないんだよと一応心の中で念じておいたので……とりあえず後で文句の一つも訊いてあげよう。
数分前とはうって変わって騒がしさのベクトルが変わり雰囲気も良くなった教室で、唯一我冠せずを突き通した倉田は担任教師が来た後も眠り続け、各自の自己紹介をしている際に叩き起され笑いを取った。
髪の毛妖怪改め野間文目は、派手な髪留め達によって彩られた頭を重重しく揺らしながら自己紹介をし、周りからは「よろしくー」などとレスポンスを受けており、たった数分で人気者となっていてお父さんホッと一息ですよ。
ちなみに僕の自己紹介の時には先に自己紹介を終えた小麦色のスケ番少女、椎名縁が「よっ犠牲者」と、棒読みで謎の合いの手を入れてきて、周りのクラスメイトはさぞクエスチョンマークを出しただろう。僕も一瞬出した。
⇔
ホームルームを終え解散となると、文目は髪に付けられた装飾品達を全て持ち主に返して回る。徐々に髪の毛妖怪へと戻っていく様は、不思議な光景だった。
僕はと言うと、午前授業だったのでお昼をどうするか考えていた。学食売店は二.三年生の部活組がいる為開いてるのは確認済み。今日の内に品定めをするのもよし、街まで下りて通い慣れた喫茶店に行くもよしと悩みどころだった。
がやがやと未だ騒がしい教室。皆暇を持て余していてどこか遊びに行くかと相談している。倉田の席を見ると既におらず、自室に篭りに帰ったんだろう。お前さんはクマか。
さてどうすかと唸っていると、
「野間文目と南城北斗はまだいますか?」
ぴしゃりと周りを黙らせる様な声。その声の近くにいた生徒は自然と背筋を伸ばしてしまう様な、そんな声。そんな声の主は教室の引き戸に手を沿え、背伸びをして10組内を見渡す。
声の主は女子生徒。けれど、残っていた生徒が一斉に黙り込み注目した理由は、声を上げた女子生徒のリボンの色のせいだろう。
鳳では学年を色で分けている。1年が緑、2年が赤、3年が青。男子はネクタイ、女子はリボンの色が変わり、特別学科生は制服自体が若干違うのだがその情報は今は置いておこう。
そんな赤いリボンをつけた二年生女子に呼ばれる覚えがない。文目だったら髪の長さやら入学式での挨拶があったので、その辺の理由で呼ばれることもあるかもしれないが、僕にはそんな特殊な事情はない。
ちらりと文目を見ると、手を上げ存在を知らしめていた。もしかしたら先生が呼んでいたりするかもしれないので、僕も恐る恐る手を上げると、その手に気が付いた二年生は一言、
「来なさい」
ぶっきら棒に云うだけ云って、さっさと歩いていってしまった。
なんと云うか、こう、凄く不安で不穏な気配がする。
そんな僕の不安を他所に、文目はまた火事の夜に見せた愉しげな色を浮かび上がらせ教室を出て行った。後を追う僕だが教室を出る際、誰が呟いたか「ご愁傷様」と、そんな言葉を掛けられた。
な、なんと云うか、こう、凄く凄く、不安で不穏で不吉な気配がした。
⇔
前を歩く上級生の女子生徒。後ろから見ていて分る事は、とても薄い事ぐらいだ。
よく、太ってもいないのに痩せよう痩せようと無理なダイエットをしたがる女子がいるが、云わば彼女はその成れの果て。手足や首など、露出している部分が兎に角細い。骨と皮だけ。あまりに細すぎて、ちょっと力を入れたら簡単に折れてしまいそうな、そんな不安が過ぎる程の細さ。
肌の白さもまた度が過ぎている。文目も大概白い方だが、彼女の方が更に白い。白いというか青白い。点滴とか打たれていても可笑しくない様な白さ。美白ではなく病的。幽霊がいたらこんな色をしていそうだ。
たまにチラリとこちらを見ては何かを呟く彼女。その横顔もまた骨ばっていて、そのせいかギョロリと大きな瞳が際立って見える。瞳の下には濃い隈が残っていて、全てを総合して彼女を表すのであればこんな言葉がぴったりではないだろうか。
『ザ・不健康』これぞ不健康だと云わんばかりの不健康具合。
そんな病的な容姿の二年生は、やはり立ち止まってはブツブツ独り言を呟く。7.8メートル程離れて歩いているせいで何をツイートしてるの分らないが、きっと訊いてはいけない何かだと思う。だってチラチラこちらを見る目が血走ってるんですもの。文目と並べたら妖怪が二匹いるようにしか見えないですよコレ。いつから鳳は妖怪育成学校になりましたか?
「今何か失礼な事考えなかったかい?」
「おーう……文目ってテレパシーとか使えるタイプの人なの?」
「顔がそう云っている」
人差し指でグリグリと僕のほっぺたを突いてくる。そんなに突くと穴が開いてそこにピアス的な大きな輪っかを通す人の仲間入りするから止めてほしい。
「そ、そんな事より、この旅は何所行きなの? そしてあの人はいつまでデスツイートしてるの?」
僕達は3年棟へ続く4階の渡り廊下で立ち止まっていた。1年の4階に踏み入れてから誰一人としてすれ違わず、教室はどこも黒いカーテンが下りていて中の様子が伺えないが、人の気配が全くなかった。訊こえる音は遠くで騒がしくしている生徒の声だけ。
誰も居ない静かな場所。そんな場所で立ち止まる理由は前を歩く人がこっちを見ながらブツブツ云っていて先へ進まないからだ。
「北斗……キミ怨まれてるんじゃないかい?」
確かに恨めしそうにこちらを睨んでらっしゃいます。実際さっきっから前を歩く彼女から嫉妬の色が吹き出ていた。僕は身に覚えがない。二者択一で一者が違うのだから、答えはもう一者にあるのが妥当な考えだろう。
「文目こそ、また何かしたんじゃないの?」
「心外だな。私は何時も何もしていない」
「嘘吐きは怪盗二十六面相の始まり」
「それは愉しそうだ」
肩をヒョイと上げて全然残念そうじゃない仕草を見せる。
「忘れてたりしない? ほら、振り返る時に相手の顔面目掛けて髪の毛でテールアタックとかしてない?」
「よくするから覚えていない」
「うわダメだこの人、怨まれる理由が多すぎて分らないタイプだ」
「それこそ北斗だって、図書館にある推理小説の見開きに犯人の名前書いたり、新作の映画の落ちを見てない相手に話したり、ふらついたフリして非常ベルのスイッチ押したりして人に迷惑掛けた事ぐらいあるだろう?」
「しないから! どこの性悪だよ」
「性悪……性悪?」
なにやら首を傾げながら反芻する文目だった。なに、もしかして全部実体験のエピソードだったのか?
兎に角、何時までも突っ立ったままもよろしくない。そう思った僕は悩む文目を置いて病的な二年生に近づく。
「あ、あの~」
距離にして3メートル。
「……何故私じゃないの。私こそが小鳥様を愛し慈しみ慈愛し慕い尽くし、この身が朽ち果てるまで全身全霊で、そしてこの身が朽ち果てた後でもそれは永遠に延々に守り続け、小鳥様の敵となる全てを薙ぎ蹂躙し制圧し粉砕し撃滅し、時に殺し時に生かし時に死以上の苦痛を与え、煩わしい物、者、モノ、全てを排除し道を切り開く。私こそが、そして私だけが、小鳥様の隣を歩くべきなのに、それなのに、それなのにそれなのにそれなのにソレなのにソレナノニッッッ!!!!」
訊くこえてくる呟きは、僕が近づいたせいか徐々にテンションが上がっていき、最後の方になると彼女は拳を作って壁を殴りだした。
――こ、怖い。容姿以上にこの人云ってる事怖い……。
あまりの怖さに近づいた分だけ後退る。
「あの人怖いわ~、何か小鳥が云々って云うとります」
「鶏肉?」
「小鳥を鶏肉と呼んで良いのは原始的な生活をしてる人に限ります」
「スズメなんかは骨が多すぎて美味しくないそうだよ」
「訊きたくなかった……そんな情報訊きたくなかっ――」
唐突にガラスの割れる音。大きな音に握りこぶしを作って全身の筋肉を強張らせ、次ぎの事態に備える。火事の日からどうにも大きな音に敏感になったのは良い事なのか悪い事なのか。
音は病的な二年生の手元から。壁を殴っていた拳が窓を突き破っていた。滴る血を気にするでもなく、瞳は常にこちらを向いていた。
「ねぇ、どうして? ねぇ、どうしたら良いの? ねぇねぇ、お願いだから教えてよ。私は小鳥様しかいないの。小鳥様が唯一なの。小鳥様と一緒に居られるのならなんでもするから。ねぇ、どうしたら彼方達になれるの? ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」
――おーう。
これはまた凄い狂気だ。見てるだけで鳥肌が立つ。
血の滴る拳を気にするでもなく、彼女はゆっくりこちらに縋るように近づいてくる。
「ねぇねぇねぇねぇねぇ教えてよ。どうしたら良いの? どうすれば小鳥様と一緒に居られるの? ねぇねぇねぇ」
誰も居ない場所では助けも呼べない。
血がポタポタと廊下を汚し、日常が非日常に染まっていく感じがした。
「あ、文目」
選択肢は逃げる一択。そう思って後退りながら文目を呼ぶが、文目は何を思ったのか一歩前へ出た。
「コレを野放しとはね……まったく」
そう独り言を呟き、深く息を吸い込む。
「どうせ訊いてるんだろう! キミの秩序はコレを野放しにする様なものなのかい?」
大声。誰に云っているのか、天井に向かって大声でそう云う。その声に対してレスポンスは早かった。カチっと天井に設置されている校内放送用のスピーカーから音が鳴り、何か擦れる音と共に女子生徒の声が振ってきた。
「もう少し見ていたかったけど、まぁいいわ。 千鳥、謹慎処分を解くからその子達を私の下へ連れていらっしゃい」
それだけ云うとまたカチっと音がなり、スピーカーのスイッチは切れたようだ。
千鳥と呼ばれた女子生徒は俯き震えていた。
――泣いてる?
違った。笑ってた。
「あぁ小鳥様。小鳥様の大慈大悲に心よりの万謝を申し上げます。今直ぐ……あぁ今直ぐ会いに行きますから。小鳥様ぁぁぁぁぁ」
さっきまでの鬱々とした顔色の悪い女子生徒は、天より降り注ぐ声を訊いた途端に生気溢れ、僕等を置いて血を垂らしながら走り出してしまった。
……。
「今の、何?」
「行けば分るさ」
含み笑いを浮かべながら、愉しそうに文目は歩み出した。行き先は血の印によって、それはヘンゼルとグレーテルの様に、魔女の待つお菓子の家へと誘われるかの様に、道が示されていた。
[意味]
はがない :そのままで。
放置していても勝手に自動でやってくれるモード :作業ゲーとも云われるタイプ。植物や動物などの育成ゲームは、育成している対象が勝手に動いてくれるので放っておいても勝手にやってくれたりする。
スケで番長 :スケ番刑事
デスツイート :街中でブツブツ云ってる人に、え?なに?と、訊いてはいけない。
テイルアタック :ポニーテールの人がよくやるアレ。




