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4月8日。
隣に座る男子生徒は、席に着くなり既に大きな欠伸をして、体をだらりと前のめりに倒す。
「昨日あれだけ云ったのに、ゲームやってるからだよ」
僕の言葉に男子生徒、倉田正春は何の事だと、寝ぼけて理解力が落ちているせいか、言葉の意味が分かっていない様な顔でこちらに振り向く。
「欠伸、もう5回もしてる。結局何時までゲームしてたのさ」
「いやいやーあれだね、あのゲームやべーって。めっちゃ面白いから。SRPGでありながらギャルゲーの要素もあり、対象はロリから熟女まででちゃんと個別ENDまで有るんだぜ! これがまた俺達のツボを抑えてるんだわ。システムも1.2のを引き継ぎつつ新システムを」
「それで?」
「寝てません。すみません。寝たいです。すみません」
深くため息を付く。
――確かに受験戦争が終わり、多少タガが外れても仕方がないとは云え、寝ずに入学式に参加するとは……。
鳳学園の入学式。
無理かもしれないと弱気にもなった受験戦争だが、案外スラスラと問題を解くことが出来たのは神頼みのお陰か、それとも共感覚のお陰か。……まぁどちらでもなく実力のお陰で僕はこうして入学式の席に着くことができた。
倉田とは入学式を迎える一週間前から、同じ部屋に住むルームメイトという関係だ。
僕は実家から学園に通う事も出来るのだが、朝から20分近く山登りを強制させられるのは、流石に低血圧の人間には厳しいものがある。それと、現在両親がいない今の我が家では、僕一人が住むには広すぎるからという理由もあるからだ。
一応全寮制という分けではないが、多くの生徒は舗装されている道があるとは云え、朝見るだけでも憂鬱になる山道を嫌って寮に入るそうだ。
そんな寮で同じ部屋になったのがこの倉田正春という同級生。彼は所謂ゲームオタクという種類の人間だ。
僕は基本、人に迷惑を掛けなければどんな趣味だろうと容認するが、彼は同室の人間が居ようが居まいが延々ゲームをし続ける。朝だろうが夜だろうが時間がある間はとにかくゲーム。新しいゲームは勿論、古いゲームでも最高のプレイを求めて努力する。それが彼のゲーマー魂、らしい。
自身でも人に迷惑を掛けている事は分っているらしいが、ゲームを始めるとつい集中してしまうらしく、今回も同室で寝ている僕をよそに、徹夜でゲームをしていたそうだ。
ヘッドホンをしているのでゲーム自体の音は訊こえないから良いが、コントローラーを激しくガチャガチャやられては、安眠妨害もいいところだ。それでも憎めないのは、こうして迷惑をかける都度謝ってくる姿勢だろうか。
「式中に寝ても起こさないからね」
まぁ、憎めないだけであって改善してほしい部分なので、今後はビシバシ厳しい対応をとっていきますが。
「大丈夫ダイジョブー! 寝ないように、ほら、これ持って来たから」
そう云って取り出したのは、両手で操作する次世代ポータブルゲーム機だった。
どうだ参ったか。なんて云いそうな位満面の笑みだったので、つられて僕も笑顔を見せる。
「うん、叩き割ってあげようか?」
「ひ、ひどい……。こ、これはまぁ冗談として……っと、これがあるから大丈夫」
ポケットから出したのは、僕達の世代ではもう誰もやった事がない、確か80年代に流行った手の平サイズのミニゲーム機だった。
「全然わかってないじゃない!!」
「いやいや、これレトロゲーの中でもかなり面白いから。ケンシロウもやってみっッッッ」
遮るように鉄拳制裁。
――誰がケンシロウだ。
忌まわしき過去のあだ名を何所で訊きつけて来たのか。後で真剣に問いたださなくてはならない。
「永遠に眠れ」
などと遊んでいたら、全員集まったようなので音楽が流れ始める。
パイプ椅子をカタカタ鳴らして後ろを振り向くと、そこには入学おめでとうという文字と、花のアーチが飾られた赤絨毯が敷かれている。
ここはかなり広い体育館。僕の出身中学にある体育館とは比べ物にならないぐらい広い。それもそのはず、今年の一年生だけでも既に312人もの生徒がいるのだ。全学年が収容できるこの体育館は、総勢1000人弱が座れるだけの広さがある。
少子化問題が取り質される昨今、この学園だけ異空間に取り残されているのか、超が付くマンモス校っぷり。高校大学一貫の学園なので、今いる生徒の大半が、道路を挟んだ隣にある大学部にも移ると考えると、大学高校の敷地内はちょっとした街の人口ぐらいの生徒が居る事になる。
視線を戻して壇上の更に上を見ると「第157期入学式」という、これまた末恐ろしい文字が掲げられていた。
157期というと、徳川幕府は1868年までなので、江戸時代後期に創設された事になる。途方もない時代から有り続けるこの鳳学園。礼儀作法や身だしなみ、果ては交友関係、所謂不良と付き合ってはいけません等、何とも馬鹿っぽい内容の事まで、生徒手帳の生徒の心得に書かれてある。
これが157年もの歴史の集大成だと考えるとちょっと面白い。
式自体はなんの変哲もなく、至って普通の式は滞ることなく進む。隣に座っていたゲーオタはいつの間にか眠っており、宣言通り起こさず放っておくことにした。
僕はと云うと、長いご高説を右から左に素通りさせ、暇つぶしに体育館の横幅の計算をしていた。全12組。縦にも横にも広い体育館の為、クラス毎に横に並ぶ事が出来ている。
一人の人間の横幅を凡その数字で仮定し、次に一クラス何人の列で座っているか、更に12クラス分と単純な掛け算をしていき驚愕の数字を算出した時、周囲の大きなざわめきに顔を上げた。
何をそんなに騒がしくしてるのかと壇上を見ると、とても見覚えのある黒い物体がマイクの前でお辞儀をしていた。
「やっぱりあれは文目だったんだ……」
驚きはなかった。
あれと云うのは、校舎前で配られていたクラス表の事だ。各クラス、名前、出席番号が書かれている紙には、10組の欄に自分の名前を見つけ、更にその一つ下に見覚えのある名前があったのだ。
「野間文目」と書かれた名前が一月に出会ったあの文目なのか、それとも別人なのか判断が付かず、教室も出席番号順の席だったが、一つ後ろの席は空席のまま誰も座る事はなく、結局式が始まる今の今まで「野間文目」があの文目だとは分らなかったのだ。
ざわつきの原因はやっぱりあの髪の量と長さだろう。異常とも云える髪の長さ。だが、一月のあの夜の時より若干髪の長さが違う。あの夜の時は、髪が靴に触れるほどの長さだったのが、今は膝に掛かる程度の長さになっていた。
――縮んだか。
などと心の中で誰にも訊こえないボケを呟く。
流石に入学式なので身だしなみを整えてきたのだろうか。まぁ、もしそうだとしてもあまり意味はない。
話を訊いていなかったので、何故壇上に上がっているのか分らないが、多分主席合格者か何かだろう。頭の回転の速さはずば抜けている。だがそれにしてもだ。教師達はあの髪について何も云わなかったのだろうか。寧ろ注意しなくてはダメだろう。注意されてあのままだとしたら、かなりの度胸だが、それぐらいの度胸は文目だったらあるかもしれない。何せ刃物を持った男に真正面からぶつかって行った女子だ。
あの青色の文目を思い出す。あの氷のように冷たい瞳に、異様な雰囲気を思い出し、一瞬身震いする。
文目はただ静まるのを待つが、周囲のざわめきは中々収まらない。寧ろざわめきが大きくなっている気さえする。
確かにあの奇抜な容姿には驚きを隠せないだろうが、喋らず待っているのだから静かにするのが礼儀というものだろう。
――あぁ、喋らないから一層怖いのか。
喋らなければ、日本で一番有名な幽霊と瓜二つだ。それは仕方がない。髪の量が多く、髪質は絹のようにサラサラとして、掻き揚げても時間が経てば勝手に元に戻ってしまう。
髪を掻き揚げるのが心底めんどくさそうな文目の顔を思い出し、少し微笑ましくも思う。
――だったら切れば良いのに。なんて、流石に云えないか。
女の子の髪は命の次に大事らしい。幼馴染の女の子がコスプレしながらそう云っていたのを思い出す。
静まらない新入生。普通だったら教師達が静かにするよう注意するものだが、そんな教師は体育館の端で僕達を見ているだけだった。
そのただ見ているだけの行為に違和感を感じ、僕は椅子に深く座り背筋を伸ばす。
違和感。その正体が何か分らないが、一種の感のようなものが働いた。その時、マイクをちょんっと触るような音がスピーカーを通して訊こえた。
『えー』
女性の声だ。少し幼さの残る柔らかいトーンの声に、一瞬壇上の文目の声かと注目するが、文目はお辞儀をした場所から一切動いていなかった。
『一年ニ組、飯田、佐々木。五組、五十嵐、高橋。11組、阿野田、池田、田島、三上』
読み上げているのかすらすらと組みと名前が呼ばれていき、一年生達は徐々に静かになっていく。
『黙れ』
粛然の場で吐かれる命令調に皆吃驚したのか、途端に喋っていた生徒達は一様に口をつぐんだ。
『それと……』
知りすぼんでいく声に緊張が走る。それは嵐の前の静けさのように、次に何が云われるのか期待するかのように。
『10組倉田、椎名』
途端に僕が緊張する。すぐ隣にいるゲーオタは今だ眠りに付いたままだった。
『起きろっ!』
スピーカーの音が割れるか割れないかのギリギリの大音量に、隣で夢の世界に旅立っていた倉田は飛び起き立ち上がり、きょろきょろと辺りを見回す。周囲の生徒達は立ち上がった倉田に注目してささやかな笑いが起こる。それと同時にもう一つ、椅子から転げ落ちるような音が近くから聞え、寝ぼけてるのか「お、おきてまふぇん」という、女子生徒の声が聞こえた。
近くにいた生徒は呆れ顔で失笑し、その声は徐々に静まり先ほどのざわめきが嘘のように静かになった。
隣の馬鹿は何が起きたか分かっていないようで、突っ立ったままぼけーっとしていたので、袖を引っ張り座らせる。
「次寝たら引っ叩かれると思うよ」
控えめな表現だが、声の主だったらやりかねない気がした。
それにしても、今のはなんだったんだろうか。クラスや名前は名簿があるだろうから名前を知っていても可笑しくないが、問題はどうやって騒いでいる生徒を見つけたか、だ。
例えば僕達の位置。僕達は10組で、左には9組、右には11組と、左右には大勢の生徒がパイプ椅子に座っている。座る順番も正確な数値を云い合ってはいないが一応背の順に座っており、僕達は丁度真ん中辺りに座っていた。
生徒達に埋もれている僕達を……居眠りしている倉田をどうやって見つけ出したのか。そして名前を云い当てたと云う事は、名前と顔が一致している事にもなる。
そんな事が出来る人間がいるだろうか。入学したばかりの僕達は、集合写真の類もまだ撮ってはいないし、ましてや入学に顔写真なんて送ることもしてない。
ふと、一月のあの日の文目との会話を思い出す。
『ストーカーが集めた資料を見ただけさ』
――す、ストーカー……。
あの日以降周囲の目を気にするようになってしまったのは、間違いなくストーカーの存在に怯えていたせいだろう。顔写真については、不正に手に入れたというのが一番妥当な気がする。それ以外の可能性が一向に思いつかないせいもあるが。
そんな考え事をしていたら、文目のそつのない挨拶が終わり拍手が起こる。隣でぼけーっとしていた倉田も目を覚まし、僕の方を向いてぼそぼそと拍手にかき消されない程度で耳打ちしてきた。
「さっきのって、もしかして女王様か?」
「何? まだ寝ぼけてるの?」
「違うって。鳳の女王様。確か……」
と、云いかけ黙る。さっきの光景を思い出したのだろう。小さく「また後で」と云い残し、倉田は背筋を伸ばして前を向く。
――出来るなら最初からしなさいな。
呆れつつ、自分も習って前を向く。
――女王様?
女王様と訊いて思い浮かぶのは、ファンタジーのお姫様かSMの鞭持ってる人か。普通の人だったらファンタジーやら歴史的な女王を思い浮べるかもしれないが、あの厳しい声を訊くとサディスティック&マゾヒスティックな、赤いロウソク垂らしてる方の女王様を思い浮べてしまった。
「鳳の」女王様となると、やはりあれだろうか、番長とか裏の支配者とかそう云う感じなのだろうか。いや、女王様と呼ばれるぐらいだからもしかしたら裏なんか関係なく、生徒の長、生徒会長とかかもしれない。
などと思っていたが、生徒会長は現在壇上で祝辞を述べてくれていた。先程の厳しい女性の声とは違う、柔らかく優しい声。遠目でも分るスタイルの良さと顔の造形に、近くの男子達はポワポワとはにかんだ様な視線を送っていた。あの人が女王様だったら確かに付いて行きたくもなるが、声色が全然違う。
「会長美人じゃね? 芸能学科の人かな~彼氏いるかな~」
さっきの真面目な姿勢は1分ともたず、倉田は背筋を曲げてニヤニヤと笑っている。こういう分り易く裏表がない、考えている事と行動が100%一致している駆け引きのないタイプは、嫌いじゃない。思ってることを素直、というか馬鹿正直に出してくれる方が気を楽にもてる。
だからと云って好きかと訊かれればそういう訳でもない。
「有象無象って今度から呼んであげようか? こんにちわ有象無象。さようなら有象無象。有象無象ゲームしよ。有象無象は今日のお昼ご飯何食べる?」
一つ一つ声色を変える。
「ごめんなさいすみませんってか、有象無象って複数の人間を表す言葉じゃなかったっけ?」
「やぁゲス野郎こんにちわ」
「すみませんでした」
[意味]
SRPG :シュミレーション・ロール・プレイング・ゲームの略。駒を動かして冒険するタイプのゲーム。元となるゲームは将棋やチェス。
倉田が語っているゲームは一応、モデルとなる作品がありますが、特に触れません。
次世代ポータブルゲーム機 :画面が二つない方。
手の平サイズのゲーム機 :ゲームウォッチ。
ケンシロウ :世紀末覇王。
日本で一番有名な幽霊 :貞子。




