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文目は人差し指を天井に向け、クルクル回しながら話す。
「彼が放火犯でないとする場合、何故彼はガソリンの匂いを漂わせているか。 私達を追ってこの廃墟に入って来るのであれば、道なりに進めば直ぐ目に付く東棟入り口から入るだろう。けれど私達と顔を合わせたのはこの南棟の渡り廊下だった。跡を付けるように来たとしても、もっと前で待ち伏せすることも出来たのにそれをしなかった、出来なかったその理由は」
回していた指を僕に向ける。回答を求められた僕が、真っ先に思い浮かべたのは一階で見た火事の光景。
「入り口には既に火が付いていて通れなかったとか?」
「それはない」
バッサリ切られた。
「元々の計画的な共犯者か、もしくは今日この日に出会った即席の共犯者か、どちらにしても、彼ではないもう一人の犯人が、指示を出した可能性が高いと思う」
「ん? 元々の共犯者じゃないの?」
文目が指示したのは二つの可能性だけだった。本来ならもう一つ、単独犯同士の可能性も考えられなくはないが、凡そ僕と文目の推理は合致しているのだろう。
犯人が二人いると仮定した上での推理。
単独犯達は、二人して偶然僕達を見つけたか、もしくは計画的に僕達を見つけたかした事になる。まずそこから苦しい話だ。同じ時間同じ場所とは限らないが、少なくとも同じ日に二人の単独犯が動き出し、同じ場所で仕掛けてくるというのは、中々考え難い話だ。
それだったら二人は一緒に行動していて偶然見つけたか、もしくは今日が計画実行日だった、という方がまだ納得できる。
同様に即席で共闘を組むというのも考え難い。これは同日同時刻という面もあるが、そもそも人を殺そうとしている事を偶然出会った見知らぬ相手に話すだろうか。よしんば目的が一緒だったとして、共闘するとは思えない。犯罪の中でも特に罪状が重い殺人の片棒を、信用も何もない相手に担がせるような危険を冒す奴がいたら、それはただの阿呆だ。阿呆と云うより何も考えてない馬鹿か。
「確かに現状証拠から見て、元々二人は共犯者だった可能性が一番高い。だが残りの二つも絶対にないとは限らない。 仮説を立てるだけならいくらでも考えられるが、確たる証拠がない以上は何事にも備えておくべきではないだろうか」
「備える?」
「そう、ただ一つだけ分っている事実に備える。 何故彼はガソリンの匂いを漂わせているか。よく考えてごらんよ」
そう云い終えると、文目はカーテンを繋ぎ合わせる作業に集中し始めた。
――匂いを漂わせていた理由?
それはつまりどこで匂いを付けたか。僕達が通った東棟入り口ではないとすると、それ以外の場所。鍔付きキャップが通る必要のあった場所は…………。
――ここの、南棟の入り口か。
鍔付きキャップは誘導されたか、南棟の入り口以外を塞がれたかして、選択肢を一つにさせられたと考えるのが自然だ。
この廃墟内の別の場所にガソリンを撒いていても、必ずその道を通るとは限らない。この場にも濃いガソリンの匂いはしないので自爆と云う可能性もないだろう。一番可能性が高いのが、つまり南棟の入り口だ。
もし二人が単独犯だとしたら、先に「鍔付きキャップ」ではない「何者か」が南棟入り口にガソリンを撒き、「鍔付きキャップ」がそれに気が付かずに通り過ぎた事になる。
もし二人が共犯だとしたら、やはり先に「何者か」が南棟入り口にガソリンを撒いた事になる。
理由は二つ。
匂いの点から考えて「鍔付きキャップ」がガソリンを撒いていないのは可能性として大きい。だとすると「何者か」と「鍔付きキャップ」が一緒にいながら、ガソリンを撒く手伝いをしなかった理由が分らない。
もう一つは、南棟入り口にガソリンを撒いたのを「鍔付きキャップ」が見たとして、何故ここにいるかと云う事だ。ガソリンを撒いた理由は勿論放火をする為だ。僕達を焼き殺す為の仕掛けだ。なのに何故、「鍔付きキャップ」はノコノコとここで待ち伏せていたのか。
この二つの理由により「鍔付きキャップ」はガソリンについて、どちらのパターンでも気が付いていなかった事になる。
――ガソリンが撒かれている事を知っていれば、そもそもここ来る必要がないのだから。
知っていたら火事の中に飛び込むような真似はしないだろう。そしてそれは、単独犯説が有力にする仮設でもある。
だが問題はまだある。それは、何故僕達がこの廃墟に身を隠している事を「鍔付きキャップ」が知っていたか、だ。
前提として「何者か」が先にガソリンを撒いていた所を考えると、時系列から考えて坂の下にいた人影はこの「何者か」の可能性が高い。では何時「鍔付きキャップ」が僕達を見つけたのか。
可能性は二つ。一つは偶然僕達の姿を外から発見したという単独犯説を押す可能性。もう一つは簡単な話、「何者か」が僕達を見つけ「鍔付きキャップ」に教えたという共犯者説を押す可能性。ガソリンを既に撒いていた所を考えると、「何者か」が先に僕達を見つけていたのは考えるまでもない。だとすと、共犯者説の方が若干可能性としては高いだろうか。
文目の云う元々この二人は共犯だったと云う説は、居場所を教えたと云う所から来るのだろう。もし二人が今日出会った信頼関係を築いてない間柄だったとしたら、そんな信用の置けない情報を鵜呑みにはしないだろう。
――そうなると元々計画的に仕組まれた共犯説が有力になるが……。
「そろそろ分ったかい?」
文目の言葉に思考を纏める。
二人は共犯で、僕達がこの廃墟に入り込むところを見ていたか、潜伏している事に「何者か」が気が付く。
ガソリンの入手経路はまだ分らないけど「何者か」が、僕達が通った東棟入り口と南棟入り口にガソリンを撒く。
「何者か」は偶然を装い「鍔付きキャップ」を呼び寄せる。ここで東等の入り口に火を放っていたとしたら、ガソリンの説明をしなくてはならないので、何かしらの説得があったんだろう。例えば、東等入り口からは「何者か」が、南棟入り口からは「鍔付きキャップ」が入り、挟み撃ちをしよう。何て説得なら頷ける。
「鍔付きキャップ」は「何者か」の指示により、南棟渡り廊下に待機。「何者か」が東等入り口に放火をし、僕達を追いたて今の状況となる。
後は文目の問。何故この場に彼がいるのか。この場に「鍔付きキャップ」がガソリンの匂いを付けていると云う事は、つまり「鍔付きキャップ」は――。
「僕達と一緒に焼き殺す予定、か」
全てのつじつまが合う。
僕の一言にどんな理解が生まれたか察した文目は、顔を上げる。
「全ては仮説の中の話。可能性の天秤は常に少しの差でしかなく、全てが逆である可能性もある。だが、ただ一つ分っている事は、彼が匂いを付けてこの場に居る事実。もう一人の何者かはどの場合でも私達共々殺す気、という事だけは真実だろう」
その言葉に答えるように、僕達が来た方とは真逆の方角から、先ほどと同じ地を揺らす爆発音。この状況に冷静で居られるのは備えているせいか、それとも人間慣れる生き物だからか。
「さて、真実が音を立て始めた分けだが」
「……さっさと逃げとけば、もしかしたら間に合ったんじゃない?」
云いながら立ち上がり、まだ開けられていない部屋の扉に近づく。
「その「もしも」の確率はかなり低いのは、自分で云っていて分るだろう?」
――YES。
「それに、窓が何所も彼処も割られ風が吹き荒むこの建物で、蒸発したガソリンが部屋一杯に溜まるのには、如何に気化するのが早いガソリンでもそれなりに時間が掛かる。そもそも爆発させるには密閉された空間が必要だからね。爆発の規模がどの程度か分らないが、おそらく可燃物はガソリンだけではないだろう」
文目の言葉を聞きながらドアを開ける。
今置かれている状況。僕達が歩んできた道のり。僕達が見てきた周囲の状況。全てのピースを使い切り現れた絵はまだ未完成で、このままここで突っ立っていても新しいピースは現れない。けれど、それは今どうしても必要なピースと云う分けでもない。今必要なのはここから逃げる事。逃げ出して家に帰ってお風呂入って布団にもぐってぐっすり眠る事。
では、ここから逃げ出す為に必要な物は何か。
開いた先はやっぱり東棟と同じ、病室のような造りの部屋。向かいの窓辺には破れかけのカーテンが数枚残されていた。
やる事は分っている。カーテンを外しながら外を見ると来た方角と、進もうとしていた方角、両方から黒い煙が立ち昇っていた。狂騒的なサイレンの音は止む事はなく、僕の位置からでは消火活動の有無を確認する事は出来ない。
日本の消防は優秀だ。既に到着して消火に勤しんでいるかもしれない。なんて、希望的観測を立てて救出を待つ程、今の僕は楽観的な気分にはなれない。
煙というのは厄介だ。ただ上へ上へと昇るだけならまだ良いが、有害微粒子達は風に煽られあっちへこっちへ。隙間があれば入り込み、瞬く間に迫り来る。人間がそれを吸えば呼吸困難を引き起こし、死に至る。火事での死亡事例の多くは煙によるものだ。火よりもまず煙。意識を失えば火に焼かれて、はいそれまでよ。だ。
そんな状況に人が遭遇したら、対処方法はただ一つ。ただ逃げるだけ。火元から。煙から。ただその場から離れるだけ。少人数での消火活動は逆に危険なだけで、火傷や呼吸困難になるのが関の山だ。
では僕達はどうすれば良いのか。僕達がここにいる事を消防隊員は知らず、ここで救助を待ってもその前に煙で死ぬだろう。そう、対処は一つなのだ。最初から分っている、唯一つの対処法。
廊下に戻ると文目は男を引っ叩いていた。
「な、なにしてるの」
「荷物を背負って逃げ出せる程楽な状況かい?」
云いながらも容赦なく引っ叩く。あれは逆に意識を混濁させているように見えるのは僕だけだろうか。一応鍔付きキャップが持っていたバタフライナイフを、靴で蹴り遠ざけておく。
「んっ……ん……」
文目の往復ビンタに意識を取り戻したのか、唸りを上げて鍔付きキャップは目を覚ます。
「ほら起きないと死ぬぞ」
――撲殺で、ですね。
「ッッっ!!」
気が付いた鍔付きキャップは、文目から逃れるように這って後退り、開いていた部屋へと逃げ込む。さっきまで僕達を殺そうとしていた人間とは思えない程弱々しい行動だった。
「北斗、こっちは大丈夫だから、それ縛っておいてくれるかい」
そう云うと、文目は鍔付きキャップが入っていった部屋へと続いて行ってしまった。
「こっちは大丈夫」なんて言葉では、勿論安心できる分けがなく、僕も一緒に部屋に続こうとしたが、部屋からひょっこり顔だけだした文目は髪を掻き揚げ、「入るなよ?」と念押しするかの様にこちらを睨んで部屋に戻っていった。
仕方がないので部屋には入らず、開けられたドア一枚分離れて、壁に背中をくっ付ける。口論が訊こえたら直ぐにでも駆けつけられるようにだ。決してどんな話が成されるのか興味がある訳ではない。断じて!
「……すのか」
訊き耳を立てる。小声で話しているのか、どんな内容なのかは分らないが、感情的な口論をしている風ではない事に、とりあえずの安堵をもらす。
「……には家族が……………………が死んだら、誰が……」
泣き声とも取れる鍔付きキャップの声。
「そもそも……」
ゆっくりと、諭すような文目の声。
「なるほど………………この呪いの事を」
――呪い?
文目の声で、文目が口にする、オカルト的な発言。
ノロイ。それは他人に災いや不幸を及ぼす願いの一つ。その力。相手を憎み、嫉妬し、嫌悪し、恥じ、軽蔑し、恐怖し、悦楽し、怨む。相手に憎悪を向け、欲望を満たす行為。
何かの比喩表現か、はたまた隠語か。ただ何となく、そう、なんとなくノロイと云う言葉に違和感を感じる。
「ここに…………ば、呪いを解く事ができる。後は生きるも死ぬも貴方次第だ」
徐々に近づいてきた声に慌てて体を傾けそっぽを向く。足音は僕のすぐ後ろで止まり、一拍置いて首筋に冷たい物が触れた。
「ひょぁぁッッッ!」
背筋に電流を流したように体をくねらせ、立ち上がると、文目は意地悪そうな笑みを浮かべて、顔の前で手をグーパーと広げていた。
「盗み聞きとは随分と凡俗な趣味をもっているんだね」
容赦ない言葉に身を縮める。
「人の煩悩百八つ~」
「人間煩悩が多いのは分るけど、108個も煩悩を上げろと云われても、直ぐには思い浮かばないんじゃないかな?」
「確かに。54個目の煩悩は何かって訊かれたら、とりあえず今はお風呂に入りたい。あとぐっすり眠りたいとかかな」
埃や砂が汗と混じって、茶色い液体が頬を伝うのが気持ち悪い。久しぶりの運動で既に足は悲鳴を上げているし、心臓が痛い。
「私も、そろそろ夕飯が食べたいよ」
夕食と云われて最初に思い浮べたのは、ここ数日全く同じメニューの御節だった。
「御節って何であんなにお腹一杯になるんだろうね。ご飯も食べずにお刺身とか黒豆とか、出汁巻き玉子にハムに、食べる量自体はそんなにないはずなのに、やたらお腹一杯になるよね」
「そうなのかい?」
「ん? 文目の口ぶりだと御節食べた事ないように聞えるんだけど」
僕の言葉にキョトンとした顔でこちらを見ている文目がいた。
「私の家では、お正月も変わりなく普段の食事だよ」
「マジですか。紅白かまぼこにイクラとか乗せてちょっとゴージャスーとかやらないの? ハムも三種類ぐらいで一種類だけやたら余ったり、数の子の争奪戦になったり、好き嫌いが多い人は、玉子とハムとかまぼこと伊達巻ばっかり食べちゃうから、冷蔵庫には大量の在庫を隠してたりするイベントをした事がないと」
「愉しそうな家庭だね」
「いやいや栗金団が逸早く無くなる一般的な家庭ですよ」
「昨晩の夕飯はブフ・ブルギニョン、牛肉を赤ワインで煮込んで柔らかくした料理だったよ」
ここ最近の食生活を思い出し、次に赤茶の肉を思い浮かべて喉を鳴らす。緊張続きだったせいか、今まで空腹には気が付かなかったが意識してみると僕もお腹が空いているようで、今更ながらお腹の音がなる。
「……」
「……」
照れ笑いを浮かべた僕を見て、文目も一緒に笑い出す。収まる頃には無駄な力と緊張感が抜けていた。
「さて、行こうか」
「おうともさ」
部屋の中に入ると、鍔付きキャップは眼を擦り赤く腫れた眼を窺うように投げかけてくる。
和らいだ気持ちが少し固まる。僕達を殺そうとしていた人間だ。気を許すわけにはいかない。だからと云って見殺しにするほど非常にもなれない。それが弱さなのか強さなのか、そもそも強弱で測れるものなのか、僕は知らないし知りたくもない。
「信用は、正直できない」
文目の説得のお陰か、鍔付きキャップの様子は疲弊しきったただのおっさんと云った感じだろうか。先ほどまでの鬼の形相の男はもうここには居なかった。
僕の言葉に鍔付きキャップは頭を下げる。
「さっきはすまなかった。どうかしてた。信用できないのも、信用してくれなんて云える立場じゃない事も分ってる。だから利用してくれ。私はまだ死ぬ分けにはいかないんだ。ここから無事に脱出できるのであれば、どんな償いでも必ずする。だから、どうか」
涙を流し懇願する男は、先ほどの鬼の形相とは違う、憑き物が落ちて本来の、困り顔が妙に似合う柔和な顔に戻ったようだった。
隣にいる文目に横目で視線を送ると、肩をすくめて見せるだけだった。
今日何度目かのため息。こんなにため息を付いていたら幸せ数値が激減だろう。今日は妥協ばかりの選択だ。僕の幸せを返してほしい。
繋ぎ合わせたカーテンを鍔付きキャップに放り投げる。量が量だったので受け取った鍔付きキャップはフラフラと倒れそうになるが踏みとどまる。
「利害関係。子供の力で結んだから、もしかしたら途中で解けるかもしれない。大人の力で堅く結んでください」
顔を上げた鍔付きキャップは、涙を薄汚れたカーテンで拭き、「ありがとう。ありがとう」と何度もお礼を述べた。
[意味]
たった一つ分っている事実 :結果Xがある以上、そこに到るまでのプロセス、過程があります。
Aという行動をするには、Bという行動をしてなくては可笑しく、Bの行動をすると、Cという行動をとる事ができない状況なので、Cは違う。ではDという行動だと、今度はEの行動をとる事ができないのでDも違う。
といった、つじつま合わせのパズル推理でしたね。
今回の推理で使われた間接証拠。
壱:北斗と文目の歩んだ道のり。これは彼等が進んだルートやそこで見て訊いて触った状況のことですね。例えば、廃墟の窓は通ってきた道のは全て割れていたり。例えば、何か軋むような音。例えば、暗くコンクリートが崩れていたり。進む道のりで感じられた物ですね。
弐:目の前にある証拠。これは鍔付きキャップですね。匂いから推測できる事は多かったと思います。出来れば服装や汚れについても触れたかったですが、めんどくさくなりました☆クオリティ低くてスミマセン。
参:今置かれている状況。これは火事や爆発についてですね。何所で何が起こっているかで、入り口の火事を予想できましたね。
これらの間接証拠、状況証拠を踏まえて推理した結果が、本分通りです。
可燃物 :ガソリンは確かによく燃えますが、空気の密閉されてない場所では爆発はしません。その為何かしらの可燃物か仕掛け、爆発物が他にもあったと推察できます。
ぱぱっと書いたので誤字脱字チェックしてません。何かありましたら報告お願いします。




