1-1 色彩の瞳、黒髪の少女
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一月七日。
お節やお持ちも食べ飽きて、そろそろソースをたっぷり使ったハンバーグ的な大味料理が食べたくなってきた今日この頃。
一週間ぶりの実家、と云っても両親が引越して一人地元に残った僕、南城北斗は、両親が居る岐阜から、ここ神奈川県にある三灯市三灯町へと今帰ってきた所だった。
正月ぐらいは家族団らんという事で、両親の下へと行って来たのだけれど、流石に受験がもう何日もない程迫ってきていた為、岐阜観光をするでもなくただただ、お節→勉強→布団、お節→勉強→布団というループ現象を引き起こす破目となった。
今日は冬休み最終日。帰宅途中に初詣をしていない事に気が付いた為、一旦自宅へ荷物を置いて近所にある神社へと一人寂しく、少しばかりシーズンを逃した初詣へとやって来ていた。
境内を見回すと流石に一月も七日経過して、更に夕陽が辺りをオレンジ色に染め上げているという事もあり、参拝客は自分一人だけ。
近所だからといって毎日来るような所ではない神社。小学生の頃は境内でお祭が開かれ、中央には矢倉が建てられ盆踊り会場として賑わっていた事を思い出す。けれど近年の不況の煽りを受けた町内会は、奥まった神社でやるよりも、人通りの多い商店街がある表通りで祭を行うようになっていた。
お陰で、この代わり映えしない神社は、年末年始ぐらいしか利用することはなく、最後に立ち寄ったのは去年の今頃なので、ちょうど一年ぶりに足を踏み入れる事になる。
燈籠の並ぶ小道に狛犬達、何かの石碑に本殿があり、その隣では巫女装束を着た女性がお守りや絵馬を売っていた。
神社の経営は年末年始が書入れ時だけど、そろそろ開店休業。七日も過ぎれば流石にお参りする人はそういないだろう。
祈願された絵馬を見ていくと、この時期特有の合格祈願の文字が多く並び、その脇に恋愛成就や安産祈願が追いやられていた。
子供の頃は神様が何なのか理解していなかったせいか、日本人らしく流されるまま両親と初詣に来ていたのだけれど、中学一年生の春から両親は岐阜に行ってしまったので、初詣も段々と、生来のめんどくさがりが祟って億劫になり始めていた。
今日来た理由は簡単な話、もうカレンダー一枚分しか猶予が残ってない高校受験の為の願掛けだ。元々渇望する程の願いもないし、神様だって信じちゃいない。やる事成す事全ては自分の実力と、持って生まれた才能のお陰だと思うし、今後ともその考えを変える気はない。
そう、変える気はないのだけれど……そんな僕でも、流石に運頼みをしたくなるぐらい偏差値の高い高校を選んでしまった為、こうして自発的に参拝しに来ていた。
そもそも、神様を信じないっていうのは僕に限った話じゃないだろう。ここにお参りに来た参拝客だって同じだ。
勿論信じ、敬い、崇め、信仰し、教義に則る人も居るだろうけど、今時の日本人というのは宗教に疎く、得体の知れないモノを信じない。信じられない。神様という名称に懐疑的で怪しいと思うし、犯罪の匂いを感じてしまう。
それでも年末には煩悩を消しに鐘を鳴らして、元旦には神社やお寺にお参りする。お守りや絵馬を買う。生まれた時には神道のお宮参りをするし、結婚式には神前式にする人もいる。死ぬ時は仏教で弔われ、けれど日本は無神論者が後を立たない不思議な宗教体系。
行事やその場のノリで崇拝したりしなかったり。信じてもない神様にお願い事を云いに参拝するのは、日本古来からの云い方で、面の皮が厚いと云う。
そんな面の皮の厚さも年々緩和、もしくは毒されて? 今年は真面目に合格祈願。軽い気持ちで絵馬を巫女さんから購入する。
ずらりと並べられているお守りやら破魔矢を、何の気なしに見ていく。
学生として一番に注目すべきなのは、やっぱり値段だろうか。ただの板切れが800円というのは納得が行かない。
ゲームのように自分の筋力とか素早さとのステータスが見れて、お守りや破魔矢を装備する事により、運の数値が少しでも上がるのなら、買うのもやぶさかじゃないのだけどね。なんてゲーム脳な思考を廻らしてみる。
【南城北斗の薄い財布から、800円支払われた。薄い財布は、薄い薄い財布に進化した】
なんてテロップを頭の中で出しながら、合格祈願を専用スペースで書く。
神様を信じない。よしんば神様が居たとしても、神様が何をしてくれるのか。居たからといって片っ端からお願い事を訊いてくれるのか。僕にどんな利益があるのか。証明と実証。利益と相互性。
居たからって僕の人生に影響を及ぼすとは思えない。突然目の前に神様が現れて、願い事を叶えてあげようなんて云われたら、まず真っ先に、僕は犯罪の匂いを嗅ぎ付ける。世が世なら神様は詐欺師扱い。こんな事神様大好きっ子に訊かれたら、固めのパンチを食らうだろうな。
――まぁ800円で合格できたと思えば安い安い。
「信じちゃいないけどね」
吊るした絵馬を指で弾くと、カンッと木製の乾いた音を鳴らした。
「さて、大して興味も無い事をつらつらと考えるのもこの辺にして、恒例のお願い事でもしますか」
バフっと手袋をした手を叩き、誰に云うでもなく思考を切り替える。
合格祈願以外の願い事。それは叶って欲しい願い。それは叶わない願い。努力でどうこうできる話ではなく、だからといって神様が叶えてくれる訳でもない。ただただ毎年呟くだけの願い事。
慣習的に鈴を鳴らし拍手を打つ。投げるコインは5円玉。
「この瞳から神秘がなくなりますように」
僕が見ている世界は、人よりちょっと色鮮やかで、ちょっとめんどくさい。神の秘密と書いて神秘。それ以外の言葉で表すのなら、それは医学用語で共感覚という。
共感覚。僕が願う神秘の正体であり、神経系の病名。
共感覚とは、一つの刺激に対して別種類の感覚で刺激を感じる事ができるもの、らしい。
分り易く一例を挙げると、ミラータッチ共感覚というのがある。それは、ある人物が鉄の塊に触れている場面を共感覚者がただ見ただけで、その鉄の感触を手に感じることができるという症例。つまり視覚から取り入れた刺激が、脳に保存されている鉄の堅さや冷たさを呼び起こし、触覚として感じ取る事ができるというもの。
共感覚にも色々な種類があるそうだけど、僕の場合は視覚、主に色覚異常に関する共感覚だそうで、人を見ると色が見えたりする。
共感覚の中でも特に多いのが色に関する共感覚。症状によっては、文字や数字、音や時間に色を見る共感覚があるそうで、僕と同じ様な症状の人も割りと多くいるそうだ。けれど、人の性格やその姿に色を見る事ができる人はいるそうなのだが、僕の見る色は少しだけそれ等とは違うらしい。
僕には、その人の考えが色になって見える。正確には相手の感情の動きを見ることが出来る。と、思ってる。
色が常に見えているというわけではなく、その対象者を見るとまず、その人物の元の色が頭の中に浮かび上がり、徐々にその人物の周りに色がにじみ出てくる。ここまでだったら幾つも症例が報告されているそうだけど、僕の場合は対象者が怒ったり喜んだりと、感情を動かす都度、元の色から変色していく。赤が元の色だったらピンクが楽しい時。茶色が悲しい時など等。
感情の色は基本的にその人物の周りを漂っているだけだが、極稀にその人が考えている形に変わることもある。この現象が現れる条件がイマイチ分らないけど、感情の強さ等が関係しているのかなと推察してみる。
これ等を霊的なオーラと同一視されるそうだけど、結局のところ良く分かってない症状らしい。ちなみに僕は分り易く感情色と勝手に呼んでいる。
この分野において医学的には殆ど解明されておらず、何故そう見えるのかは今だに不明。研究はされているそうだけど、それはどういったメカニズムで共感覚という知覚現象が起こるのかというもので、治療方法は二の次となっているらしい。病気とは云われてているけど、本来は病気に部類されないとかなんとか。難しい説明を受けたはずだけど、診断を受けた当時7歳。覚えていても理解してるとは思えない。
不明、未詳、未解明、不明確、ちんぷんかんぷん、ちちんぷいぷい。
何でどうしてが口癖の7歳児にとっては、世界はただ鮮やかなだけだった。
けれど時は経ち、渦巻く感情が煌びやかな色程綺麗なものではない事を、好奇心旺盛だった元少年は知ってしまった。
不安、不満、欲望、怒り、恐怖、後悔、嫉妬、軽蔑、絶望、憎悪、嫌悪、怨み、悲しみ。
人がただ普通に生活しているだけでも、負の感情といものは必ず付いてまわる。それは人に対して。それは物に対して。それは国に対して。それは世界に対して。それは自分に対して。
これが15年間、人の感情を見てきた僕が云える事だ。
見たくも無い感情を幼少の頃から見てきた僕は、人の顔色ならぬ、人の感情色を窺う癖が付いていた。
機嫌が良い時は強請って見たり、悲しい時には励まし、怒りに満ちてれば触らぬ神になんとやら。お陰で周りからの評価はよく気が付き、気が利く奴と褒め称えられる。
それが良い事だとは思わないけど、自分の能力を活用した処世術だと思えばそれもまた已む無しだと思う。
オレンジの空は徐々にブルーに変わり始め、巫女さんは事務所を閉める準備を始めていた。遠くでは学校のチャイムが重なって聞こえる。もうじき暗闇の世界がやってくる時間だ。
あまり考えに耽っていてもしょうがない。考えたってしょうがない。神様だってどうでもいい。煉り上げた思考を範囲指定して丸ごとゴミ箱にポイ。お賽銭箱にポイ。
さー帰ろうかと伸びをしてきびすを返す。と、
――っ!
真っ黒な何かがいた。真後ろに。ゆらゆらと。ほんの少し目線が下に向く。
真後ろに普通の人が立っていたとしても驚くと思う。ではこんな真っ黒黒太郎に出会ったらどんなリアクションを取るべきだろうか。答えはとても簡単。
「ぎょわーーーーーっ!」
悲鳴を上げて後ろに下がる。下がる時に一段段差があることに気付かない場合は、足を取られて尻餅付くのが模範解答でしょうか。
視界の端では、僕の悲鳴に巫女さんが何事かとこちらを見ているようだ。
そこに居たのは、靴に掛かる程長く真っ黒な前髪をたらした人間。前髪だけではない。髪の量が多いせいか、全方位満遍なく、一つの例外なく長い長い髪が垂れ下がっている。
一瞬、毛羽毛現という全身を長い毛で覆われた不幸を呼び寄せる妖怪を連想してしまったが、足元は黒く艶のあるエナメル靴は履いているし、黒い素足、ではなく黒タイツがそこにはあった。視線を徐々に上げていくと、サラサラと風にゆられる髪の隙間から、クリーム色のコートが見えてくる。
日常生活に支障を来すレベルの髪の長さ。普通の人間だとしても、あまりお近づきにはなりたくないタイプだ。
ぽけーっとそんな事を考えていたら、毛羽毛現(仮)は首を少し傾げる。傾げる仕草に連動して、スルスルサラサラと滑らかに絹糸のように髪は流れていく。隙間からギョロリと瞳が現れると、それは口まで利いてきた。
「手を」
――見ろ? 手相占いですか?
「手を」
今度は少し強めな声で。黒いカーテンからぬっと差し出された白い手を、尻餅ついた僕の目線へ持ってくる。
「あ、ありがとうっ!? ……ござい、ます」
客観的に見て僕は今、かなり失礼なのは分ってる。尻餅ついた事にも少し恥ずかしく思う。けれど、僕の感情の大半を占めるのは、目の前の毛羽毛現(仮)改め、髪の長い少女についてだった。
勿論その髪の長さや、ちょっと不機嫌な感じの声色だったり、髪の隙間から見えた顔が可愛かったりしたのは、まぁ許容の範囲内としよう。かなりギリギリではあるけど。だけどそこから先。人には見えない僕だけの世界に異質な物が混じっていた。
それは赤色が茶色く濁り、更に青色が湯気のように、狼煙のように、細々と天へと昇っている光景。
短い人生での初体験が二つ、唐突に現れたら、世間体など気にする余裕もなく醜態を晒す事ができる。
「キミは中々失礼だね」
その言葉に、口が半開きで、立ち上がったにも拘らず彼女の手を握ったままなのに気が付く。手袋越しでも彼女の素手が冷たく感じられた。
驚愕から平常心へと移行させようと試みるが、その前に現状の自分に対しての情けなさやら気恥ずかしさがこみ上げてきた。
「う、あ、ご、ごめんなさい」
直ぐに手を離し後ろに下がろうとするが、お賽銭箱の前に置かれた木製の柵にぶつかり体勢を崩しかける。
「そんなに慌てなくてもいい。それよりキミは……」
髪の隙間から注がれる目線は、真っ直ぐ僕の瞳へと続いていた。
別に可笑しな点はないはず。受験生なりの病への備えをしている程度で、ぱっと見では変なところはないと信じたい。
「これも何かの縁か……」
彼女はそう独り言を小さく呟く。
「えっと? 何所かで会った事ありましたっけ?」
ない。絶対ない。もし彼女と会った事があったとしたら、どこぞの宇宙人か、はたまたサイキックな人に記憶の改ざんとか、キャトルなミューティレーションを施されたかしてる事になる。
流石にこれ程の髪だ。何年も、もしかしたら十数年と伸ばし続けてるかもしれない。そんな髪の毛ぼーぼーかつ、キューティクルな人が居れば確実に覚えているだろう。
それともアレだろうか? 僕がまだ幼少の頃に引越ししていて、離れ離れになってしまった幼馴染だったり、唯一の友達だったりするんだろうか? そうなるとまず15年間住み続けてきたこの地から、引越さなければ物語は始まらないだろう。
「いいや。これからさ」
彼女の返答で、更に意味不明になりました。
これからという事は、ロボット対人間の世界戦争勃発中の未来から送り込まれてきた、人型ロボットか何かでしょうか? それとも未来の僕がタイムマシンを作ってしまった事で某国の機関から狙われていて、それらから僕を守る為に未来から来たエージェントが――不毛だ。
神社という日常生活から隔離された世界というのは、どうも厨二心をくすぐられるようで、本当にどうでも良いことをつらつら考えてしまう。まぁ中3なんですが。
彼女は少しの間考えるような素振りを見せたが、やがて飽きたのか、僕を押しのけてお参りの礼式に則り鈴を鳴らして手を合わせ始めた。僕はというと、押しのけられてそのまま少し離れたところへ移動し、彼女の動きを見ていた。
色々と分らない事だらけだ。彼女の言動から容姿まで、初対面だからという事もあるが、何もかもわからない。この何もかもの中には勿論感情色も含まれている。
僕が見る感情色というのは、普通一人に付き一色。感情の昂りによって変色こそするが、その原色から派生する色でしかならない。つまり、赤だったら焦げ茶、赤茶、オレンジ、橙、ピンク、肌色、白など、赤に関係する色の彩度や明度、つまり濃さが変わる。そこに青やら緑などが交わってくる事はない。
そもそも感情色については医学的にも分らない事だらけで、僕が勝手に考えた、云わば設定だ。この色が人の感情というのも、15年間生きてきた中で統計的に考えた結果でしかない。確実性に掛ける憶測。統計上は感情であると結果が出ているけれど、それを一々確認はしていないし、世間体から云って確認する事ができないでいる。
感情については統計でしかデータがないので「多分、凡そ、大体」という曖昧な表現が常に付いて回る。更に云えば、あまり見ないような感情の動きの場合、データ不足によりどんな感情か分らない事もある。なので、僕が分るのは喜怒哀楽やテンションの上がり下がり、嘘か真か。その程度だ。
そんな不確実で不明瞭な能力。その能力が人生初の、今まで見た事が無い現象見せてくれる。
赤と青。それも決して交わる事のない完全個別状態。
手を合わせ拝んでる少女の周りには、赤色がモヤの様に広がり、後頭部より少し上の辺りからゆらゆらと立ち上る青。視線を仰いでいくと、それはある程度まで立ち上ると霧消していた。人から離れすぎると消えていくのは他の人と同じ様だ。
どれをとっても興味をそそられる面白そうな対象ではある。けれど、だからと云って、彼是と聞ける程図太い神経は持ち合わせてない。そもそも感情色について誰にも云えない秘密だ。
相手の考えてる事や秘密にしている事を勝手に覗き見されてると考えれば、それがどんなに不愉快で、気味が悪くて、気持ち悪い事か良く分かる。
人生、云わないという事は大事だ。云わない事で人生円滑に生きられるし、誰にも気を使われないですむ。云わない事で納める事もある。云わないとは一種の仮面なのかもしれない。状況を判断し、静観し続ける事で勝手に流れていく。知らない分らないフリをすれば人が勝手に判断してくれる。雄弁は銀沈黙は金とは素晴らしい言葉だと思うけど、僕は銀を取らずに金だけ取る、楽で卑怯な生き方。立派とは程遠い生き方だけど、それを悪い事だと云える人間はそうはいない。純粋が必ずしも善ではないのを知っているから。何事にも灰色はつき物だ。
長いこと神様にお願い事を云っているのか、彼女はいまだその場を動かず、橙色の空はとっくに過ぎ去り、空は青色の暗闇から完全な夜闇へと移行していた。
流石にそろそろ帰ろうかと入り口に足を向けかけた頃、視線の先には彼女とは違う色が頭の中に浮かんだ。
別にまた新しい色が彼女から浮き出てきた分けではなく、彼女の先、本殿の端から深めに被った鍔付きキャップがひょっこり覗かせ、こちらに視線を投げていた。こちら、と云っても直線状に僕の方を向いているだけであって、視線の先には拝んでいる件の彼女が立っている。
ただそれだけだったら何の問題もないのだけれど、鍔付きキャップから浮き出る感情色はあまり良いものではなかった。
統計上考えうるに、緊張と決心、それと罪悪感の色。そして大勢の感情色の中でも極稀に現れる、考えが形になる現象が現れていた。その形は――。
「刃物?」
距離こそ関係はあるけど、相手の輪郭が分るのであれば、夜闇程度の暗さでも良く見える。
頭の中に浮かんだシアン色は、徐々に現実を侵食し霧のように湧き出る。信号機の緑のような色は、頭の中で浮かんだ明るい色とは違い、辺りの暗闇に溶け込みそうな程暗い彩度になって、刃物の形を成していた。包丁よりも刃が短く細い、果物ナイフのような形。
それを目にした瞬間全身に鳥肌が駆け巡り、一瞬だけ頭の中が真っ白になる。何をして良いのか、何をするべきか、全てがリセットされて考えがシンプルになる。
――危険人物発見、直チニ逃ゲロ。
シンプルイズベスト。考えるより行動。走れよ走れ馬よりも早く。その手を取って。
「――その手を取って?」
燈籠の並ぶ雑草林。街灯がチカチカと明りを灯し始めた小道を、縦に並ぶは男女の二人。
「考えて行動を起こす以外にも、癖や相手に伝えたいと云う思いが仕草となって現れる。つまり人の行動には全てに意味があるそうだよ。では、これにも何かしらの意味があるのかな?」
振り返ると、追い風に髪をなびかせる無表情の少女がいた。視線を少し下げると、先ほどと変わらず冷たいその手を握っている僕の手があった。
考えるより行動という言葉は、考えている時間があるならまず行動しろという意味であって、決して考えなしに動けという言葉ではない事を知った、今日この頃。
「なんでいるの!?」
――いや、僕が手を取って引っ張っている訳なんですけどね。
彼女は僕の言葉を無視して自分の後方に振り返り、現状把握に努めていた。
鍔付きキャップは僕の行動に驚いたのか、まだ境内内に取り残されているが、それでも足はこちらに向かって歩き出している。
身長体格から云って成人男性だろうか。白と黒のパーカーに下は黒のジャージ姿。帽子を深く被っていて顔はよく分からないが、老人という事はないだろう。
「あぁ、彼か」
「知り合い?」
「知らない」
――知ってる風な口ぶりの癖に知らないのですか。
「どっちへ?」
関わってしまったのは仕方がない。兎に角今は逃げなくてはならない。
三方向への分かれ道。真っ直ぐ行けば民家。下へ続く下り道は表通りへ。上へ続く坂道は住宅街へ。
民家は端から選択肢には入らないとして、表通りだったら人通りも多いし助けを呼ぶことができる。何より人がいる場所で襲ってきたりできないだろう。ただし――。
「上へ行こう」
実際刃物を見たわけじゃない。あの鍔付きキャップが襲ってくる確証もない。法廷に提出できる証拠もない。あるのは僕の異常な幻覚証言だけ。ないないだらけどころか、逆に頭を心配される様なこの状況で、人に助けを求めても困惑されるだけだ。言い逃れだってできる。それでもし、跡をつけられ家まで知られたら目も当てられない。だったら、表通りのネオンが多い道より、街灯の少ない細く入り組んだ住宅街の方が逃げ隠れして、事が過ぎるのを待つ方が確実だろう。今は鍔付きキャップも虚をつかれて歩みが遅いが、大人と子供では肉体的な差がある。今の内に差を広げて隠れなくては勝ち目がない。
「勝ち負けの問題じゃないって」
苦笑しながらの自問自答自己完結。
自分の能力が確実性に欠けるのは理解しているけど、鍔付きキャップから湧き出る感情色と形から連想する事柄は、平和的とは真逆のものだという事は分る。そしてその視線の先には彼女が居て、逃げ出す僕等を追いかけてくる。現状はしっかり連想通りだと告げてくる。
入り組んだ道を右へ左へ、登ったり下ったり、民家の庭先に失礼したり、出来る限りがむしゃらに、規則性なく走り回る。正確に言えば、ただ単にここがどの辺りか分らないだけなのだが。
「キミはあの男に何したのさ!」
「さっきも云ったろう、知らない人だよ」
「じゃあ何でっ……」
「何で?」
云えない云えない。今ですら厳しい視線をこちらに送って来ているというのに、云ったら確実に足を止めて変人を見る目に変わるだろう。けれど彼女を納得させない限り、何時までも逃げ回れない。
「えぇっと、あの人から刃物っぽいモノがチラッと見えて、それで何かすっごいキミの事見てたから、あーなんかヤバそうだなーとかなんとか」
「取って付け過ぎて、何云ってるか分らなくなってないか?」
――正解者に拍手。
「まぁいい。信じよう」
信じるとは信用信頼の上で築けるものです。彼女と出会って10分そこそこに、どんな信頼関係が築けたというんでしょうか。それともただの偉そうな阿呆なんでしょうかこの子。
「誰でもという訳じゃないさ。それにあの男に襲われる理由もあるからね」
「あるんじゃん! 襲われる理由あるんじゃん!!」
「彼のことは知らないさ」
――屁理屈だ。
「そんな事よりも、この先どうする気だい?」
「ボリビア辺りまで逃げ出したい気分」
「ウユニ塩原の天空の鏡は、生きている内に一度は見てみたいね」
軽口が云える間はまだ大丈夫だろう。
僕等は細い路地に身を隠していた。
辺りにあるのは築30年を軽く超えてそうな、昭和の香り漂う家々が並んでいる住宅街。この辺りは山を削って作られた場所で、表通りに近づけば近づく程新しい家があり、登れば登る程古い家が立ち並んでいる。街灯も同じ様に登れば登る程減っていて、近くの電柱には変質者注意の看板が立てられていた。
眼前に広がる街並みからして、現在位置は山の中腹辺り。その民家と民家のブロック塀の隙間に、身を屈めて顔を突き合わせていた。
この山は小道が多く入り組んでおり、一本横道に入るとずっと一本道で表通りに出たり、また違う道ではUの字型になっていて、同じ場所へと出てきてしまう事もある。地元ではあるが、表通り沿いに住んでいる僕としては、殆どこっちに来る用事がない為、年に一回通るか通らないか程度の道なんか殆ど覚えてはいなかった。
問に対しての答えを探す僕を見て、彼女は左手で髪を掻き揚げる。
「キミ、名前は?」
――本当に余裕がお有りのようで何よりです。
「南城……北斗」
あまり自分の名前が好きになれない。南の城に北斗の星。南なんだか北なんだかハッキリして欲しい。暖かいんだか寒いんだか分らない。
「私はアヤメ。文章の文に、目玉の目」
自身の切れ長の瞳を指差して自己紹介をする。だが、その続きは待っていても、一向に続く気配がなかった。
「……えっと、何文目さん? もしくは文目何さん?」
「文目でいい。敬称もいらないよ。北斗」
カッと顔が熱くなる感じ。ちょっと困る。色々困る。凄い気恥ずかしい。
女子に名前呼びされるのですら恥ずかしいというのに、名前呼びを強制されるとは。それも、ちゃん、くん、さんの敬称まで封じられ呼び捨てで呼ぶしかなくなった。呼びづらくてしょうがない。
そもそも名前というのは親睦の深め合いによって、自然と呼び方が変わってくるものであって、宣言するような事じゃない。遠い敬称から徐々に親しい呼び方となるのが普通だ。そう、これは間違ってる。間違ってると先生思うな!
「どうかしたのかい? 北斗」
きょとんとした仕草で、気軽に名前を呼んでくる。
「なんでもないです……あや……あ……文目」
恥ずかしすぎてぞわぞわする。坂道を一気に登ったせいもあり、全身が暑い。風邪を引いたら誰に訴訟を起こせば良いだろうか。
僕の恥ずかしさに気がついたのか、文目は片頬を吊り上げ意地悪そうな笑みを見せる。
この時文目の顔を初めてきちんと見る事が出来た。身長差はたいしてないはずなのに、鋭い目つきに意地悪そうな笑みが加わると、何となくだけど見下されてるような気分になる。整った顔立ちに彼女の独特な喋り方が相まって、イメージは横柄な女王様か、幼さが多少残っているので我侭な王女様だろうか? 髪を下ろしていると妖怪か呪われた魔女みたいだが。
その長い髪さえどうにかすれば、見栄えはクラスに一人居るか居ないかレベルの、リアルが充実している男子共に、チヤホヤされる側の人間だろうに。
「さっきの分かれ道で、民家に助けを求めても良かったんじゃないかい?」
ほんの少し首を傾げると、掻き揚げた髪が文目の動きに合わせてサラサラと落ちてくる。あっという間に髪の毛のカーテンが閉まってしまい、また面倒臭そうに髪を雑に掻き揚げる。
「この時間だと表通りのスーパーがタイムセールなんだよ。留守の可能性もあったし、居たとしても必ず助けてくれるとは限らないしね」
地元ならではの考え方。
「そもそも証拠不十分だし?」
――分っててツッコミを入れるのは意地悪という。
苦虫を噛みつつ、別の話題をと今後の身の振り方を考える。
「どうしよっか」
「イタリアのカステラーナ鍾乳洞も行って見たいね」
「そこは知らない場所」
「おや、ヨーロッパでも有数の洞窟だよ。雪花石膏と云う鉱物で出来た洞窟でね、光を当てるとその光を吸収して様々な色彩に輝きだすんだよ。それがまた綺麗で」
「流石に世界の名所巡り話してる程、悠長にしてる暇はありません」
ここで身を隠してるのにも限界がある。鍔付きキャップがどの程度熱心に追っかけてくるかにも因るけど、文目に対してナイフを出す気満々な感じでご執心みたいだったし、簡単には諦めてくれなさそうだ。
仕方ないと云った感じに文目は僕の方に向き直す。
「山を登った理由は?」
「身を隠しに」
口元に手をやり考える素振りをするが、直ぐに結論が出たようで、一歩路地から出る。
「なら……」
文目の視線は緩い坂道を超えて、急激に斜度を上げた坂道の、更に先にそびえ立つ建物へと注がれていた。
「もしかして、あそこに行くの?」
黒髪ロングの清楚系と云えば男子の憧れであり、一種の都市伝説でもある。そんな理想的な容姿でありながら、文目からは魅力的とは似ても似つかない、邪悪な笑顔しか返ってこなかった。
[意味]
神様大好きッ子 :信仰者
共感覚 :文章内での説明を全て鵜呑みにしないでください。
離れ離れ幼馴染 :はがない
ロボット対人間 :アーノルド・アロイス・シュワルツェネッガー
某機関 :シュタインズゲート
雄弁は銀沈黙は金 :思想家カーライルの「衣服哲学」という本に書かれている言葉。
雄弁は大事だが、沈黙すべき時を心得ている事はもっと大事
という意味です。
鍔付きキャップ :野球帽
ウユニ塩原 :南アメリカ大陸のボリビアにある、ウユニという町には空を映し出す広大な塩原がある。世界で最も平らな場所でもある。
カステラーナ鍾乳洞 :イタリアのプーリア州にある洞窟。凄い綺麗。
黒髪ロングの清楚系 :男のロマンであり都市伝説。




