第3章 運命がずれている気がする
その頃には、もう誰の目にも明らかだった。
――シンティアが、次期王太子の婚約者として「ほぼ内定」しているということが。
正式な発表は、まだない。けれど、社交界デビュー以降の扱いが、あまりにも露骨だった。
「こちらへ、シンティア様」
夜会のたびに案内される席は、クラウド王太子に最も近い場所。
会話を振られる順番も自然と早く、立ち位置も、視線も、すでに“そういう扱い”になっている。
「最近、本当によくお声がかかりますわね」
「ええ……皆さま、察していらっしゃるのよ」
令嬢たちの囁きと視線が、じわりと刺さる。
(――違う。シンティアは、そこに立つ役じゃない)
逃げ場は、確実に減っていた。
それに比例するように、悪意も濃くなっていく。
最初は、本当に小さな違和感だった。
中庭を歩いているとき、不意に足が止まる。
「……?」
理由は分からない。
ただ、進みたくない。
次の瞬間――。
「きゃっ!?」
頭上から植木鉢が落ち、石畳で派手な音を立てて砕けた。
「シンティア様!?」
「大丈夫ですか!?」
シンティアは半歩だけ後ろに下がり、割れた陶片を見下ろす。
「……はい。怪我はありません」
声は落ち着いていたが、背中には冷たい汗が流れていた。
――危なかった。
偶然で片づけるには、あまりにも感覚が生々しい。
似たようなことは、その後も何度も起きた。
お茶会で差し出された菓子に、手を伸ばしかけて止まる。
「シンティア様?」
「……ごめんなさい。急に食欲がなくて」
直後、別の令嬢が口にした瞬間、顔色を変えた。
「気分が……悪……」
毒――とまではいかない。
だが、明らかに細工されていた。
「偶然が続きますわね……」
誰かがそう呟いた。
馬車に乗ろうとしたときも、同じだった。
「待って」
自分でも驚くほど強い声が出た。
「どうなさいました?」
「……いえ。少し、嫌な予感が……勘違いかもしれません。」
直後、御者が青ざめる。
「申し訳ありません! 馬の様子がおかしい……!」
どれも致命的ではない。
だが、偶然で済ませるには、多すぎた。
そしてシンティアは、すべてを事前に察知していた。
理由は分からない。
ただ、嫌な予感がして、避けただけ。
(……これが一度や二度なら、運がいいで済むのに)
ここまで続くと、話は別だ。
シンティアが最初に疑ったのは、やはり悪徳令嬢・クラウディアだった。
王太子の婚約者として「ほぼ確定」しているシンティアにとって、彼女は最も分かりやすい障害だ。
「……でも、本当に?」
夜会の片隅で、シンティアはクラウディアを観察した。
確かに、態度は以前より刺々しい。
だが、その視線には一貫性がない。
人前では強気。
けれど、誰もいない場所では落ち着きがなく、焦りが滲んでいる。
何かに警戒し、怯えている様子さえ感じられた。
いつもなら、勘違いムーブを繰り返すシンティアを見つけるたび、
扇子で口元を隠し、ぴしゃりと怒るはずなのに。
「シンティア……あなた、いい気になっているの?」
そう言い捨てる声は、今日はどこか震えていた。
(――この人の目、違う)
命を狙う人間の目ではない。
何より、最近の嫌がらせはやり方が雑すぎる。
シンティアは、静かに息を吐いた。
この世界は、乙女ゲームに似ている。
けれど、こんな露骨な排除イベントは、記憶にない。
(……私が死ぬ予定だったからといって、今さら死ぬなんて、絶対に嫌)
胸の奥が、ひやりと冷えた。
もしかして。
シンティアは、間違った相手を警戒しているのではないか。
そう思った矢先だった。
クラウディアが、数人の男たちに囲まれているのが見えた。
彼女の父と関係のある人物――だが、その視線は、あまりにも粘ついている。
「……あれは」
嫌な予感が、はっきりと形を持つ。
(違う。危ないのは、私じゃない)
この違和感。
この胸騒ぎ。
――まずいのは、クラウディアの方だ。
シンティアは、知らず拳を握りしめた。
運命が、ずれている。
物語が、シンティアの知っている形から、確実に外れている。
そしてその歪みの中心にいるのは、
どうやらシンティアだけではないらしい。
その時のシンティアはまだ、
この違和感がやがて自分自身の運命を大きく揺るがすことになるとは、
はっきりとは理解していなかった。




