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第九話『招かれざる客』

 部屋に入った瞬間、翔一は眉をひそめた。

 そこに広がっていたのは、埃っぽく、インクの匂いが染みついた小さな一室だった。

 部屋の半分は、床から天井まで、おびただしい数の分厚い本で埋め尽くされている。

 崩れかけた羊皮紙の山。飲みかけの紅茶のカップ。そして、壁には依頼人からの感謝状らしきものが、無造作に貼られている。

 翔一は、その光景を見て、あきれたように息を吐いた。

 さっきの門番への態度から、てっきり貴族の別邸か、高級サロンのような場所を想像していたのだが。

「なんだ、この本の山は。まるで、昔の貧乏弁護士の事務所みたいだな」


 その言葉に、リンネアが、燃えるような瞳で彼を振り返った。

「……悪かったわね! 貧乏弁護士で!」

「……は? 」

 翔一は瞬きをした。

「弁護士……? お前が?」


 予想外の答えに、翔一は完全に虚を突かれた。

 三百歳の長命種で、門番を平伏させる権威を持ちながら、その正体は、古アパートに住む貧乏弁護士?

「そうですよ!」

 リンネアは、彼が自分の職業を馬鹿にしたのだと勘違いし、怒りに燃えて言い返す。

「笑いたければ笑いなさい!

 あなたのような、口先だけで人を丸め込む、詐欺師まがいの商売人さんには、法の下で戦うことの崇高さなど、分かりはしないでしょうけどね!」


 詐欺師。

 その、あまりに的確で、および痛いところを突く言葉に、翔一の頬がピクリと引きつった。

 だが、次の瞬間、彼は腹の底から込み上げる笑いを抑えきれなくなった。

「……くくっ。はははっ!」

「な、何がおかしいのですか!」

「詐欺師か。なるほどな。……ああ、そうか。お前、まだ気づいていなかったのか」


 翔一は、笑いを収め、冷たい、しかしどこか楽しげな目で彼女を見つめた。

「いいか、よく聞け、三百歳のお嬢さん。俺は、詐欺師じゃない。お前と、同業者だ」

「……え? 」

 リンネアが目を丸くする。

「――いや、訂正しよう。

 俺は、お前のような『理想』で飯を食う、甘っちょろい弁護士じゃない。

 金と『結果』で飯を食う、本物の専門家プロフェッショナルだ」


 部屋に、気まずい沈黙が落ちた。

 リンネアは、信じられないものを見る目で翔一を凝視している。

 この、品性のかけらもない男が、自分と同じ、法の番人だというのか。


 その沈黙を破ったのは、無遠慮なノックの音だった。

 コン、コン。

 乾いた音が、緊張を運んでくる。

 リンネアが警戒しながらドアを開けると、そこに立っていたのは、街の衛兵ではなかった。

 翔一の目には、それが、これまで見たどんな衛兵よりも上等な生地で作られた、豪奢な制服を着た男に見えた。

 冷たい目をした男。その胸には、天秤をかたどった精緻な銀の刺繍が施されている。


 (……裁判所の関係者か? )


 男は、部屋の惨状を鼻で笑うように一瞥すると、リンネアに一通の羊皮紙を突きつけた。

「リンネア弁護士だな。リムガーレ異種族間裁判所からの、『公判期日召喚状』だ」

 男の口調は、有無を言わせぬ事務的なものだった。

「グレンジャー辺境伯領・法務局より、貴殿、および、そこにいる氏名不詳の男一名に対する起訴状が提出され、裁判所はこれを受理した。

 罪状は、『公務執行妨害』および『逃亡幇助』」

 男は、氷のような目で二人を見据えた。

「裁判は、三日後だ。被告人として、必ず出頭せよ。欠席裁判は認めん」


 男が去った後、その言葉と、彼の胸にあった「天秤の刺繍」が、翔一の頭の中で一つの線で結ばれた。


 (……なるほどな。あの紋章は、領主の私兵じゃない。司法機関である『裁判所』の執行官か)


 翔一は、そのあまりの手際の良さに、および自分たちが「逮捕」も「連行」もされなかったという事実に、瞬時にこの状況の「異常さ」を理解した。


 (……なるほどな。リンネア、お前が、あの『星付き』だからか)


 相手は、下手に俺たちを拘束して、この『歩く外交問題』に、これ以上下手を打つことを恐れたのだ。

 だから、あえて逮捕という強硬手段を取らず、「正規の司法手続き(裁判)」という土俵に引きずり込んだ。


 (三日後か。準備の時間もほとんど与えないということか。……えげつないことをしてくれる)


 リンネアは、召喚状を握りしめたまま、真っ青な顔で震えていた。

 翔一は、そんな彼女の背中に、何も言わず、ただ静かに歩み寄った。

 そして、彼女の真横に立つと、その視線の先にある羊皮紙を覗き込んだ。

「……リンネア」

 彼は、屈辱を噛み殺しながら、しかし今や、その声には確かな「覚悟」が宿っていた。

「……悪いが、『読め』」


 リンネアは、はっとしたように顔を上げた。

 彼女は、彼の、これまでとは全く質の違う、挑戦的な光を宿した瞳を見て、自らの覚悟も決まったようだった。

 彼女は一度深く頷くと、羊皮紙に書かれた冷たい文字を、震える声で読み上げ始めた。

「――被告人召喚状。宛名、リンネア弁護士。および、氏名不詳の男一名。

 右の者に対し、辺境伯領・検察官より公訴の提起があった。

 訴因は、グレンジャー辺境伯様の正当なる公務を妨害し、被疑者である獣人の逃亡を幇助したことによる、領主法第二十八条違反、および同法第三十五条違反の罪である。

 よって、本裁判所はこれを受理し、三日後の正午、第一法廷への出頭を命ずる……」


「……待て」

 リンネアの言葉を、翔一が遮った。「ポポロの名前は、ないのか?」

「え……? いえ。どこにも。ただ、『被疑者である獣人』としか……」

「そうか」

 翔一の口元に、全てを理解した、冷たい笑みが浮かんだ。

「……すり替わったな」

「え?」

「だから、『争点』が、すり替わったと言っているんだ」


 翔一は、まるで初心者のためにゲームのルールを解説するかのように、ゆっくりと言葉を続けた。

「奴らの最初の目的は、『密猟者であるポポロの身柄確保』だ。だが、この召喚状はどうだ? ポポロが犯したとされる『密猟』の罪については、もはやどうでもいい。

 ただ、俺たちが、その『公務を妨害した』ということだけを問題にしている」

 彼は、リンネアの驚きに見開かれた瞳を、真っ直ぐに見つめた。

「つまり、これはもはや、ポポロの罪を裁くための裁判じゃない。

 これは、俺たちの『法の解釈』によって泥を塗られた、あのクソ辺境伯の、プライドを賭けた『報復』だ。

 俺たち二人を、見せしめとして、法の壇上で完膚なきまでに叩き潰すためのな」


 ――リンネアは戦慄した。

 彼の言う通りだ。私は、ただ訴えられたという恐怖に震えているだけだった。

 しかし、この男は、たった数行の文章の中から、相手の真の「目的」と、この裁判の「本質」を、一瞬で、完璧に見抜いてしまった。

 絶望的な状況。しかし、彼女の心の中に、初めて小さな、しかし確かな「希望の光」が灯った。


 (……この人となら、あるいは)


「敵が、俺たちの土俵に、わざわざ上がってきてくれたんだ。……歓迎してやろうじゃないか」

 彼の口元に、悪魔のような、しかしどこか楽しげな笑みが浮かんだ。

「お前が、俺の『目』になる。そして、俺が、お前の『牙』になる」


 絶望的な状況。

 しかし、それは彼らが初めて、自らの「依頼人」となり、自らの「弁護人」となる、最初の「戦い」の幕開けだった。


(第一章 第九話 完)

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