第十五話『聖地エルディアと、沈黙のゲート』
機嫌を直したコクヨウの走りは、凄まじいの一言に尽きた。
荒野の悪路をものともせず、力強い蹄の音を響かせながら、馬車は北を目指して猛スピードで駆け抜けていた。
車体がきしむほどの激しい揺れの中で、俺はタキタの遺骨となった翠玉の結晶を懐で転がしながら、重いため息をついた。
「……アリル、本当に分かってるのか?」
俺が問いかけると、馬車の向かいの席に座る少年が、包帯に巻かれた小さな翼を揺らしながら顔を上げた。
「……タキタさんが言っていた、僕を『巫女』にしろって話のこと?」
「そうだ。俺はな、元悪徳弁護士だ。……だが、それでも『呪いの契約書』に子供をサインさせる趣味はねえんだよ」
俺は厳しい声で告げた。
リンネアもまた、心配そうに眉を寄せている。
「翔一の言うとおりです。巫女は歴史上、女性の先祖返りしか記録がありません。男性であるアリル君に適性があるのかさえ不明ですし……何より、あの過酷な魔素の奔流に耐えられるか分かりません。命に関わります」
これまでの旅で、俺たちは巫女という存在がどういう末路をたどってきたかを見てきた。
タキタの相棒は脳を焼き切られ、里の子供たちは短命の呪に苦しんでいた。強大すぎるシステムからのデータ通信が、彼らの命を燃料のように削り取っていくのだ。
「お前を巫女にするってことは、その呪いの席に座らせるってことだ。俺は絶対に許せねえ」
俺が拒絶の意志を明確にすると、アリルは小さな両拳をギュッと握りしめた。
「でも、タキタさんは僕に託してくれた! 僕は……もう誰も隠れなくていい世界を作りたい。僕が翔一さんの巫女になって、みんなを守るんだ!」
その瞳に宿る決意は、タキタが死の間際に見せた執念と同じ色をしていた。
頑固な目をしている。この顔になった子供は、大人がいくら正論を振りかざしても決して引かない。
(……やれやれ)
俺は頭をかきむしり、もう一度深く息を吐いた。
「わかった。お前の負けず嫌いには根負けした」
「翔一!?」
リンネアが驚いた声を上げるが、俺は手で制した。
「ただし、『条件』がある。ガチガチの特約付きだ」
俺はアリルの目を真っすぐに見据えた。
「巫女としての能力がないなら、それはそれでいい。……だが、もしお前に適性があって、竜人族と繋がったとき、少しでも体調に異変があったら、即座に契約を破棄して引き下がる。命だけは絶対に懸けさせない。それが条件だ。……飲めるな?」
アリルは一瞬だけ目をまたたかせ、それから力強くうなずいた。
「うん! 約束する!」
「よし、契約成立だ。……リンネア、ガルム、少しでもこいつの様子がおかしかったら、俺を殴ってでも止めてくれ」
「……分かりました。監視の目、厳しくいきますからね」
リンネアがふうっと息を吐き、ガルムも黙って親指を立てた。
こうして、俺たちの奇妙な契約は結ばれた。
エルディア山脈のふもとに入ってから、異変は静かに、しかし劇的に始まった。
馬車の激しい揺れが、ピタリと止んだのだ。
「……なんだ?」
俺は御者台にいるガルムに声をかけた。
「道が……変わったんだ。おい、翔一、ちょっと降りて見てみろ」
ガルムの声には、普段の豪放さとは違う、底知れぬ困惑が混じっていた。
ガルムがコクヨウに歩みを止めさせ、俺は馬車から地面へと降り立った。
足の裏から伝わる感触が、今まで歩いてきた土や石の道とは全く違った。
凹凸すらなく、石ころ一つ転がっていない、完全に平らな道が、山脈の奥へと一本の線のように伸びていた。
「魔法で平らにしたのでしょうか……? こんな道、見たことがありません」
リンネアが信じられないという顔で地面を見つめる。
馬車から飛び降りたアリルも、面白がってその上をぺたぺたと歩き回っていた。
「わあ、すごい! 靴の裏が全然痛くないよ! まるで、凍った湖の上を歩いてるみたいにつるつるだ!」
無邪気にはしゃぐ子供の横で、俺は無言のまましゃがみ込み、その道を直接手で触れて確認した。
(……なんだ、これは)
俺の背筋に、冷たい汗が流れた。
「……アスファルトのような色をしているが、全く知らない未知の素材でできている」
俺は信じられないものを見るような目でつぶやき、戦慄した。
硬質でありながら、長年の風雨による劣化を全く感じさせない。この世界に転移して以来、未舗装の悪路ばかりを旅してきた俺にとって、この『異常なほどの利便性』は、むしろ強烈な違和感となって警鐘を鳴らしていた。
さらに進むと、山の中腹に精巧にくり抜かれた巨大な穴が現れた。
馬車を引くガルムが、御者台から顔を出して感嘆の声を上げる。
「……こいつぁ凄え。山をくり抜いてあるが、こんなに綺麗なまん丸の洞窟は初めて見たぜ」
「ドワーフの石工だって、こんなに正確な円形には掘れませんよ。これも神の御業なのでしょうか……」
リンネアもまた、畏怖するように息を吐きながら天井を見上げた。
アリルは「わあ、声が響くよ!」と手を叩いて喜んでいる。
三人は、それを『ずいぶんと滑らかで美しい洞窟だ』と認識しているようだった。
だが、俺だけはその入り口の完璧な丸いアーチ状の滑らかさと、コンクリートのように固められた壁面を見て、背筋を凍らせていた。
(違う、こんな自然地形があるわけない。これは……『トンネル』だ)
内部に入ると、壁面から等間隔で『冷たい青白い光』が放たれている。
リンネアたちは「魔素石も使わず永遠に光り続ける魔法の光。やはり竜人族の力は絶大ですね」と畏怖している。
だが、俺にはそれが『高度に洗練された照明器具(LEDのようなもの)』にしか見えなかった。
トンネルを抜けた先。
山脈の最奥に広がるすり鉢状の巨大な盆地に、それはそびえ立っていた。
天を突く『黒銀の巨塔』。
リンネアたちには、それが伝説に語られる『神の座』に見えただろう。
だが、俺にはそれが「超巨大なサーバータワー、あるいは冷却施設」の類に見えた。
「……っ!」
そのとき、リンネアが顔を青ざめさせ、杖代わりの短剣を握りしめた。
「どうした、リンネア?」
「……魔素の繋がりが、完全に断たれました」
結界か、と俺は警戒した。だが、リンネアの感覚は違った。
「いいえ……魔素自体は濃密に存在しています。でも、全く動かせない。まるで……『圧倒的に巨大な意志』が、この空間のすべての魔力を独占しているような……」
「う、ああぁっ……!」
同時に、馬車の中でアリルが頭を抱えてうずくまった。
「アリル!?」
「声が……声がいっぱい……頭に入ってくる……っ!」
(……アクセスが始まったのか!?)
男性初の巫女適性。サーバーからの膨大なパケット通信に、彼の脳が同調してしまった状態だ。
俺は約束どおり、即座に彼を引き剥がして後退しようとした。
だが、アリルは必死に頭を抱えながら、俺の服の袖を強く握りしめてこらえた。
「だ、だいじょうぶ……僕、やれる……!」
「馬鹿野郎、無理すんな!」
俺はアリルを抱きとめ、元弁護士としてのハッタリを彼の耳元で飛ばした。
「パニックになるな! 相手が何語で喋っていようが関係ない! 『一方的に送りつけられた契約書』は、サイン(理解)せず破り捨てろ! 頭のなかで全部拒絶しろ!」
「きょ、ぜつ……破り捨てる……!」
アリルが歯を食いしばり、必死に意識を保とうとする。
そのまま通路の奥へ進むと、巨大な『門』が現れ、道を完全に塞いでいた。
「道は塞がれていますが、門番がいないようです……」
リンネアがいぶかしむ中、俺は言葉を失い、完全に足がすくんだ。
ただ、ゲートの周囲だけがトンネル内の他の場所よりも少しだけ明るく照らされている。
威圧感や殺気といったものはみじんも感じられない。しかし、俺の目を引いたのは、未知の金属で作られた屈強な防爆ゲートそのものよりも、その「周囲」の異常さだった。
(……何もない?)
これほどの施設を守るゲートなら、当然あるはずの「防犯カメラ」や「人感センサー」の類が、いくら探しても見当たらないのだ。威嚇のための銃座すら見えない。
完全にのっぺりとした、ただの巨大な壁と扉。
だが、それが逆に俺の背筋を凍らせた。
(どこから見られているのかすら分からない……いや、壁そのものがセンサーなのか……?)
超小型化された無機質なレンズ群が、俺たちの細かな筋肉の動き、体温、瞳孔の開き具合まで、壁の至る所から精緻にスキャンしている……そんな妄想すら現実味を帯びてくる。
俺が知る地球のセキュリティシステムより、遥かに先を行っている。なぜ……なぜそんな技術が、魔法と剣の『現実』にあるんだ?
リンネアやガルムは、ただの「大きな金属の扉」に行き止まりを感じて立ち尽くしている。
だが、俺は目に見えない『オーバーテクノロジー』の前に、どうすればいいのか分からず、ただなす術もなくゲートの前に立ち尽くすことしかできなかった。
呆然とする俺たちの耳に、いきなりどこからか声が響いた。
『ここから先は竜人族の聖域です。許可のない方の立ち入りはできません。許可証をお持ちの方は門の前までお進みください』
誰もいないのに声が聞こえたことに、リンネアたちが息を呑む。
俺は「どこかのスピーカーから聞こえてくるのだろう」と考えたが、合成音声ではなく、本当に生身の人間が喋っているようにしか聞こえない肉声感に違和感を覚えた。
そのとき。
背後から強烈なライトが俺たちを照らし出した。
振り返ると、数機の『未知の飛行物体』がこちらにライトを向け、さらに銃口のようなものを構えていた。
ガルムやリンネア、アリルは再び目をまん丸にして驚愕の表情を浮かべる。
だが、俺は驚くよりも、その飛行物体の『構造』をよく見て戦慄した。
(……プロペラが、ない)
音も出さず、空気を下に向けて噴き出しているわけでもなく、全くの無音で中空に浮遊している。トンネルに入ったときから、音もなく背後をつけてきていたのだ。俺が知る地球のドローン技術すら遥かに凌駕する、理解を絶する技術力。
「……得体が知れねえな」
ガルムが低い声でうなり、大剣を抜き放って構えようとした。
瞬間、複数のドローンの銃口が一斉にガルムへ向き、放たれた赤いレーザー光線が彼の頭部へ集中する。
「やめろガルム! 剣をすぐにしまえ!」
俺の切迫した怒声に、ガルムは動きを止め、ゆっくりと剣を下ろしてさやにしまった。
同時に、レーザー光線の照射もふっと消える。
(許可証……そんなもんあるわけねえ。だが、ここで引き下がるわけにはいかない)
俺はゲートのカメラがある方向へ向かって、一歩前に出た。
「俺は田中翔一。代弁士の審判を受けに来た。ここを通してほしい」
少しの間があった後、声が返す。
『代弁士希望の方ですね。推薦状を門に向かってかざしてください』
(す、推薦状……!?)
俺は冷や汗をかきながらリンネアを見た。リンネアも困り顔だったが、不意にハッとして懐を探った。
「翔一、これです! タキタ様からの紹介状です。エルディアで困ったら見せなさいと託されていました」
リンネアが差し出した手紙を受け取り、中身を確認する。
『この書状を持つものは何人であろうともエルディアへの入城を許可されたし。――第四十六代代弁士タキタ・ルミナス』
(……タキタさん、あんたマジで神様かよ)
俺は心の中で感謝しつつ、その手紙をゲートのレンズに向けて大きく広げてかざした。
ジーッ……と微かなピントを合わせる音が静かな空間に響く。
またしばらくの間が開いた後、再び音声が響いた。
『……タキタ様のご紹介でしたか。大変失礼いたしました。どうぞお進みください』
ゴゴゴゴ……と地鳴りのような重々しい音を立てながら、巨大な金属ゲートが左右へと開いていく。
ゲートの奥には、さらに数機のドローンが飛んでいるのが見えた。
俺たちは無音のドローンたちに前後を挟まれる形で、エスコートされるように、未知の領域のさらに奥深くへと歩みを進めた。
第六章 第十五話 完
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
これにて第6章『荒野の墓標と、千年の守り人』完結となります。
タキタが千年守り続けた想いを継ぎ、アリルという新たな相棒(巫女)と共に、翔一たちはついに最終目的地「聖地エルディア」へと辿り着きました。
……しかし、そこで待っていたのは、神の奇跡ではなく「ドローン」や「防爆ゲート」といった、異世界にあるまじき光景でした。
ここから物語は、最大の転換点を迎えます。
「竜人族」とは一体何者なのか?
なぜこの世界に「魔法」や「魔素」が存在するのか?
そして、翔一はどんな法律とハッタリで「神」を論破するのか。
明日からはいよいよ第7章『神との契約更新、あるいは泥にまみれた代弁士』が開幕します!
それでは、次章でお会いしましょう!




