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第十四話『千年の遺言と、継承される灯火』

 里の奥、薬草園の隅にある小さな小屋。

 その粗末なベッドに、タキタは横たわっていた。

 昨日までの、神々しいまでの美貌は見る影もなかった。

 豊かだった黄金の髪は雪のように白く色抜けし、肌は透き通るように青白い。

 そして、ベッドから投げ出された指先からは、ピキッ……ピキッ……とかすかな音を立てて、皮膚が硬質な「ガラス」へと変質し始めていた。


「……結晶化クリスタライズ

 診察を終えたリンネアが、悲痛な声で告げた。

「エルフの寿命の終わりです。体内の魔素循環が停止し、肉体が純粋な魔素結晶へと還元される現象です。……もう、魔法でも薬草でも、どうにもなりません」

 静まり返る小屋の中、アリルが小さな嗚咽を漏らす。ガルムは沈痛な面持ちで、帽子を取って胸に当てていた。

 タキタはゆっくりと目を開けた。

 その瞳だけは、変わらず深いエメラルド色をたたえていた。


「……泣くことはありません」

 老婆のようにかすれた声だったが、そこには穏やかな響きがあった。

「私は、ただ自分の役目を終えるだけですから」

 タキタは翔一たちに視線を向け、弱々しく手招きをした。

「……持ってきてくれましたか」

「ああ」

 俺は懐から、里の地下書庫で見つけた羊皮紙の束と、石板の欠片を取り出した。

 それは、彼女が千年かけて集めた「代弁士の腐敗の証拠」と、救えなかった巫女たちの最期の言葉が刻まれた記録だ。


「これが、私の戦いのすべてです」

 タキタは満足そうに微笑んだ。そして、震える手でアリルを呼んだ。

「アリル」

「……はい」

 アリルがベッドのそばにひざまずく。タキタはその頬に、硬くなり始めた手を添えた。

「泣くのをやめなさい。あなたがここに残って、私の代わりにみんなを守ろうとしているのは分かっています。……でも、それはあなたの役目ではありません」

「で、でも……!」

「あなたは鳥人族カエレス……空を舞う者です。こんな狭い庭で終わってはいけない」

 タキタは優しく、しかし力強く諭した。

「翔一の『巫女』として、外の世界へ行きなさい。そして、誰も犠牲にならない、新しい風になりなさい」

 アリルは唇を噛み締め、ボロボロと涙を流しながら、それでも大きくうなずいた。


 次に、タキタは枕元にあった古びた本を指差した。

「リンネア」

「はい」

「これを受け取りなさい。『古代魔法の書』です。私の一族に伝わる、失われた魔法の知識が記されています」

 リンネアが震える手で、分厚い革表紙の本を受け取る。

「法を重んじ、理性を保てるあなたなら、この力に溺れることはないでしょう。……翔一を、支えてあげてください。私が成し遂げられなかった、『正しい代弁士の道』を」

「……謹んで、お受けします」

 リンネアは本を抱きしめ、深々と頭を下げた。


 最後に、タキタの視線が俺に向けられた。

「翔一」

「……ああ」

 俺はベッドの傍らに立った。

 タキタは俺の目を真っすぐに見つめた。その瞳の奥には、千年分の孤独と、執念と、そして希望が宿っていた。

「あんたが四百年隠して守ってきたこの里と子供たちは、俺が『法と契約』で堂々と守ってやる。……約束する」

 俺が誓うと、タキタはふふっと笑った。

「……悪徳弁護士の言葉とは思えませんね」

「……誰から聞いたんだか。ま、確かにそう呼ばれていたときもあったがな」

 俺は苦笑して肩をすくめた。

 だが、その軽口も、今は湿っぽさを紛らわすための強がりでしかなかった。


 そして、彼女は枕の下から、あの『銀の葉』の包みを取り出し、俺の手に握らせた。

「これを。『銀の葉』……魔素暴走を抑える薬です。外の世界には、まだ苦しんでいる先祖返りの子供たちがいるはずです。……見つけたら、助けてあげてください」

「……ああ。早速、一人心当たりがある」

 俺は銀の葉を強く握りしめ、ポポロの顔を思い浮かべた。

「使わせてもらうぜ。……あいつの命を救うために」

 タキタは安堵したように、ふわりと微笑んだ。

「……そうですか。よかった」


 そして、タキタの表情が、一瞬だけ鋭くなった。

「翔一。竜人はシステムを作っただけで、あとは我々を見捨てました。……あいつらの襟首をつかんで、責任をとらせなさい」

「……任せとけ」

 俺はタキタの手を強く握り返した。冷たく、硬い感触だった。

「地獄の底からだろうが、天国の高みからだろうが、引きずり下ろしてやるよ」

 その言葉を聞いて、タキタは安心したように息を吐いた。


 ピキピキピキ……。

 結晶化の音が大きくなった。彼女の足元から始まったガラス化現象が、すでに胸元まで達していた。

 タキタの視線が、俺たちを通り越し、虚空の一点に向けられた。

「ああ……やっと」

 彼女は目を細めた。そこには、俺たちには見えない誰かの姿が映っているようだった。

「あの子が……迎えに来てくれました」

 かつての相棒。四百年前、あの洞窟で救えなかった巫女の姿だろうか。

 タキタは空へ向かって、ゆっくりと手を伸ばした。

「……助けてあげられなくて、ごめんなさい」

 それは、四百年前に置いてきてしまった相棒への、最後の謝罪だった。

 だが、その声はもう震えてはいなかった。

「これからは……ずっと一緒にいましょう」


 パァァァン……!

 伸ばされた指先が砕け散った。

 それを合図に、タキタの肉体は無数の光の粒子となって崩れ去った。

 ダイヤモンドダストのようにキラキラと輝く光が、小屋の中を舞い、天井を抜け、天へと昇っていく。

「……綺麗だ」

 誰かがつぶやいた。


 光が完全に消え去った後。

 ベッドの上には、一粒の石だけが残されていた。

 深く透き通った、翠玉エメラルド色の結晶。

 それは単なる遺骨ではない。千年の時を生きたエルフの魔力と記憶、そして魂が凝縮された、特別な力が宿る石だった。

 俺は静かにその石を拾い上げた。

 まだかすかに温かい。


「……行くぞ」

 俺は結晶を懐にしまい、立ち上がった。

 悲しみに暮れる時間は終わりだ。託されたものは重い。だが、背負って行くしかない。

 小屋の外に出ると、里の住人たちが集まっていた。

 彼らはもう、怯えた目をしていない。タキタが命を懸けて守ったこの場所を、今度は自分たちで守っていくという決意の顔をしていた。

 俺たちは無言でうなずき合い、里を後にすることにした。


 里を出る前、俺たちは里の今後について大人たちと話し合った。

 この隠れ里を、ただ隠れるだけの場所ではなく、自立した『生産拠点』に変える計画だ。

 執行官にハッタリで言った「希少薬草の栽培・加工地域」としての商人ギルドへの登録。これは嘘から出たまことにする価値がある。

 タキタが研究した薬草は、間違いなく高く売れる。その流通を一手に引き受けるのは、大図書館都市で月光紙の商売を取り仕切るポポロだ。

「……あいつなら、うまくやるさ」

 俺は懐から羊皮紙を取り出し、市長とポポロ宛の手紙を書いた。里の保護要請と、新たな商材についての提案だ。これを里の若者に託し、大図書館都市へ走らせることにした。

 ポポロのことだ。この話を聞けば、目を輝かせて商談に飛んでくるに違いない。


 俺たちは里の者たちに見送られながら、再び洞窟へと足を踏み入れた。

 洞窟の出口近くで振り返ると、そこには深い竪穴のように見える偽装があった。主であるタキタを失った今もなお、誠実にこの隠れ里を守り続けている。彼女の遺した強い想いが、まだここに息づいている証だ。


 暗い横穴を抜け、地上へと這い出る。

 迷いの森の深い木立を抜けると、ようやく視界が開け、見おぼえのある街道沿いの風景が広がった。

 俺たちが最初に野営した、泉のほとりだ。


「……おう、コクヨウ! 待たせたな!」

 そこには、俺たちを待ちわびたコクヨウがいた。

 俺は手を上げ、駆け寄ろうとした。

 ブルルッ!

 だが、コクヨウは俺の顔を見るなり、盛大な鼻息を吹きかけ、プイッと顔を背けてしまった。

 そして、わざわざ俺たちにお尻を向けて立ち尽くす。

「……あ?」

 俺が回り込もうとすると、コクヨウはさらに体を捻って、頑としてお尻を向け続ける。

 尻尾がバシバシと俺の顔を叩く。

「お、おい……どうしたんだよ」

 ガルムが近寄るが、コクヨウは無視。

 リンネアが優しく声をかけても、アリルがおずおずと近づいても、フンッと鼻を鳴らすだけだ。


「……おい。これはもしかして、置いていかれたのを怒っているのか?」

 俺が皆に問いかけると、リンネアが困ったように眉を下げた。

「怒っているというよりは……すねているみたいですね。寂しかったのでしょう」

「ああ、間違いない」

 ガルムが腕を組んでうなずく。

黒雲種ブラッククラウドは賢い。自分だけ置いてけぼりを食らって、仲間外れにされたと思ったんだろうよ。……こうなったら、機嫌が直るまでテコでも動かんぞ」

「マジかよ……」

 俺は頭を抱えた。

 まさか、最強の魔導兵器や執行官を退けた後に、ガロンのご機嫌取りという最大の試練が待っていようとは。


「どうにか機嫌を直さないと、今日もここで一泊になっちまうぞ……」

 ガルムの言葉に、俺は覚悟を決めた。

「仕方ない。……総員、配置につけ! これより『コクヨウ様ご機嫌取り作戦』を開始する!」

「えっ? なにするの?」

「決まってるだろ。みんなでブラッシングだ! 痒いところもマッサージして、徹底的に接待するんだよ!」

 俺は袖をまくり上げ、ブラシを構えた。

「早く機嫌を直してもらわないとどうにもならん。泣く子と地頭じとうには勝てんしな」

「じとうってなあに?」

 アリルが首を傾げる。

「ああ、それはな。昔、鎌倉時代に荘園の……いや、なんでもない。大人の事情ってやつだ」

 俺は適当にごまかし、アリルにもブラシを持たせた。

「とにかく、手伝え! ここが正念場だぞ!」

「は、はいっ!」


 こうして、俺たち四人は総出でコクヨウを取り囲み、ブラッシングを開始した。

 背中をさすり、たてがみをすき、首筋をマッサージする。

「ここか? ここがいいのか?」

 俺が必死に機嫌を取るが、コクヨウはチラリとこちらを見るだけで、すぐに「フンッ」と鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 その目は明らかに、「まだ許してないからな」と語っていた。

「……手強い」


 結局、その日はコクヨウの機嫌が直ることはなかった。

 俺たちは仕方なく、泉のほとりでもう一泊することになった。


 夜。

 焚き火のそばで、俺たちは毛布にくるまった。

 少し離れた場所で、コクヨウが草を食んでいる。その背中はまだ少し怒っているようだが、時折こちらを気にするように耳をピコピコと動かしているのが見えた。


 (……ま、いいか)


 急ぐ旅でもない。

 それに、こんな静かな夜も悪くない。

 俺は懐の翠玉石と銀の葉の感触を確かめ、北の空を見上げた。

 満天の星空の下、荒野の彼方に、巨大な影が見えている。

 聖地エルディア。

 竜人が住まうとされる、この世界の中心。

 明日はあのご機嫌斜めな相棒も、きっと走ってくれるだろう。

 そうしたら、いよいよ乗り込みだ。

「待ってろよ、神様気取りの古狸ども。……特大の『法の裁き』をくれてやる」

 俺はニヤリと笑い、目を閉じた。

 旅の目的地は、もう目の前だ。


第六章 第十四話 完

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