第十二話『聖域の崩壊、あるいは法による防衛線』
ガルムの警告から、数分もしないうちだった。
洞窟の奥から、複数の足音が響いてきた。
「……来たか」
ガルムが俺たちを背にかばい、大剣の柄に手をかける。
タキタが表情を硬くし、子供たちを里の奥にある集会場へ誘導するよう、大人たちに指示を出した。
「アリル、あなたも行きなさい」
「でも……!」
「行っておいで。あなたには、皆を守る役目がある」
タキタの静かな、しかし有無を言わせぬ言葉に、アリルは一度だけ俺たちを見て、それから小さく頷いた。
彼は包帯に巻かれた小さな翼をかばうように背を丸め、地面を駆けて子供たちの列に加わった。
入れ替わるように、洞窟の出口から男たちが姿を現した。
「……なるほど。これは壮観ですね」
先頭に立った男が、里を見渡して薄く笑った。
灰色の法衣の上から、実用的な革鎧を身につけている。『正典管理局』の紋章が胸元に光っていた。
その背後には、統一された装備の男たちが十数人、武器を構えて続いている。正規兵ではない。装備の使い込まれ方や、独特の殺気からして、手練れの傭兵だ。
(……マジかよ)
俺は舌打ちを堪えた。
タキタが言っていた。あの竪穴の幻影は、過去数百年、誰も見破れなかった鉄壁の防衛線だと。それを突破して、ここまで入り込んでくるとは。
完全に虚を突かれた。
だが、それ以上に理解が追いつかない。
なぜ、管理局がここにいる? 大図書館都市で俺たちは奴らのメンツを潰したが、それは正規の手続きの上でのことだ。違法行為はしていない。追われる理由などないはずだ。
「まさか、ネズミを追っていたら、古の異端者の巣に行き着くとは」
執行官と呼ばれた男は、俺たちを一瞥し、すぐに興味を失ったように視線をタキタへ移した。
そして、驚愕と、底冷えするような歓喜を瞳に宿した。
「……なるほど。きさまが、四百年前の『狂人』か」
男はタキタを凝視している。流れるような黄金の髪に、深いエメラルドの瞳。
管理局の記録にある、かつて代弁士の腐敗を告発し、精神異常として資格を剥奪されたエルフの特徴と一致したのだろう。
そして、この状況証拠がすべてを物語っている。
「資格剥奪後に行方をくらませたと思えば……こんな場所で、異端者たちの楽園を築いていたとは」
「……見おぼえのある顔がいくつもありますね。十年前に『流行り病で死んだ』はずの男。三年前に行方不明になった女……」
男は芝居がかった仕草で天を仰いだ。
「『黄金の女神が、死に際の魂を天国へ導いた』という数々の報告。……あれはすべて、狂言でしたか」
男の声が低くなる。
「天国への導きなどない。ただ、我々の目を欺き、不浄なる者たちをここで匿っていただけ。……そうですね? 元代弁士、タキタ・ルミナス」
タキタは一歩前へ出た。
その背筋は伸び、千年以上を生きたエルフとしての威厳が漂っていた。
「ようこそ、正典管理局の皆様。ここにはあなたがたが探している『罪人』はいません。ただ、平穏を望む家族がいるだけです」
「平穏?」
執行官は鼻で笑った。
「異端を庇護する者は、その者もまた異端なり。……きさまが『黄金の女神』の正体だったとは。大図書館都市の市長と結託し、我々を潰そうと画策する不届き者――タナカ・ショウイチの後を追った甲斐がありました。思わぬ収穫ですよ」
男の視線が、再び俺たちに戻る。
「さて。この不法居住区は直ちに破棄します。異端者は一人残らず始末しなさい。……そこの人間たちもです」
傭兵たちが武器を構え直す。
一触即発の空気が満ちた。
俺は、ゆっくりと前に出た。
「……お待ちかねの監査官だ」
執行官が眉をひそめる。
「なんだ、きさまは」
「俺は田中翔一。市長から特別監査官の権限を委任された、法律家だ」
俺は胸を張り、ハッタリをかました。
そして、横に立つリンネアに小声でささやく。
「……おい、リンネア。この場所の自然環境を守れるような法律はないか?」
「えっ? ……あ、あります。『自然共生法』です。希少な固有種が生息する土地を、無断開発から守るための……」
「よし、それだ。それでいこう」
「で、ですが……ここは未登録です。嘘はいけません」
リンネアが困惑した顔をする。
俺は彼女の目を見て、短く言った。
「ついていい嘘もある。子供たちを守るためだ」
リンネアが息を呑む。
彼女は一度だけ目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
次に開いた瞳には、いつもの法曹としての光が宿っていた。
「……盟約弁護士、リンネア・カエレスティスとして勧告します! 執行官殿!」
リンネアの声が、里に響き渡る。
その凛とした響きに、傭兵たちの足が止まった。
「この地は『自然共生法』に基づき、固有生態系の保護区域として、現在、貴族院へ申請中です!」
「……は?」
執行官があっけにとられた顔をする。リンネアは止まらない。震える声で、しかし堂々と宣言を続ける。
「さらに! 希少薬草の栽培・加工地域として、商人ギルドへの登録手続きも進行しています! あなたたちの武力介入は、貴族院と商人ギルド、双方への重大な権利侵害になりかねませんよ!」
完璧だ。
俺はすかさず畳み掛けた。
「聞こえたか? 手続き中の案件に土足で踏み込めば、どうなるか分かってるな? 貴族院の面目を潰し、商人ギルドの利益を損ねる。……正典管理局といえど、ただでは済まないぞ」
執行官の顔が引きつった。
だが、すぐに冷笑を取り戻す。
「……人間風情が。口から出まかせを」
「出まかせかどうか、試してみるか?」
俺は一歩も引かずに睨み返した。
そして、視線を執行官から外し、後ろに控える傭兵たちへと向けた。
「おい、お前ら」
傭兵たちが怪訝な顔をする。
「この仕事、報酬に見合ってるか?」
「……あ?」
「相手は子供と年寄りだ。楽な仕事だと思ったか? だがな、ここは正典管理局にとって『存在してはならない場所』だ。そして俺たちは、市長直属の特別監査官だ」
俺は声を張り上げた。
「こんな特大の『汚れ仕事』、終わった後にどうなると思う? ……口封じで消されるリスクは考えないのか?」
傭兵たちの間に、ざわめきが走る。
俺はさらに揺さぶりをかけた。
「俺なら、こんなリスクの高い案件には倍額を要求するがな。……それとも、死人に口なしで、報酬すら払われないかもな」
「おい、どういうことだ……」
「確かに、正規兵じゃなく俺たちを使ったってのは……」
傭兵たちの足並みが乱れた。
執行官が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「騙されるな! ただの時間稼ぎだ! 問答無用! 全員殺せ! 報酬は約束どおり払う!」
その必死さが、逆に傭兵たちの疑念をあおる。
だが、金への執着と、職業的な殺意が勝った数人が、武器を振り上げて突っ込んできた。
「チッ……!」
ガルムが大剣を一閃させる。
重い金属音が響き、先頭の傭兵が吹き飛ばされた。
リンネアも短剣を抜き、流れるような動きで二人目の攻撃をいなす。魔法は使えないが、その剣技は確かだ。
乱戦になった。
だが、数で押されればジリ貧だ。
そのとき。
乱戦の中、タキタが動いた。
両手を掲げ、何かを叫んだ。
瞬間、周囲の大気が渦を巻き、目に見えるほどの『風の壁』が俺たちを包み込もうとした。子供たちと、俺たちを守るための盾のようだ。
「……面倒な」
だが、執行官はそれを見越していたかのように、懐から黒い水晶を取り出し、タキタに向けた。
空気が凍りついた。
「……『魔封じの闇水晶』っ! それは、国際条約で使用が禁止され……っ!」
「黙れ!」
執行官が怒号と共に水晶をかざし、リンネアの言葉を遮った。
「異端者に何を使おうが関係ない! 我々こそが正義だ!」
「タキタさん!」
俺が叫ぶより早く、水晶から黒い波動が放たれた。
展開しかけた風の壁が、ガラスのように砕け散る。タキタが苦悶の声を上げてその場に崩れ落ちた。
「ぐ、う……っ!」
「ハハッ! 流石は千年を生きた魔女だ。この『闇水晶』の波動を受けて、気絶もせずに耐えるとはな」
執行官があざわらいながら、無防備になったタキタのすぐそばまで近づいた。
子供たちが悲鳴を上げた。
傭兵たちがニヤニヤしながら包囲を狭める。
力による完全な制圧。暴力という理不尽が、この場を支配していた。
(……クソが)
ガルムもリンネアも、数に押されて身動きが取れない。
万事休すか。
いや。
俺は見た。
執行官が持つその『黒い水晶』を。
そして、リンネアが叫びかけた警告と、それを遮った執行官の焦りを含んだ怒声を思い出した。
――『国際条約で使用が禁止され……』
――『黙れ! 異端者に何を使おうが……』
(……なるほどな)
俺は脳内の引き出しをひっくり返し、一つの「可能性」をつかみ取った。
それは、暴力で制圧されたこの盤面を、一発でひっくり返すジョーカーだ。
俺はゆっくりと、両手を上げて前に進み出た。
「……待て」
執行官が鬱陶しそうに俺を見る。
「なんだ、きさま。命乞いなら……」
「違う。……『警告』だ、執行官殿」
俺は震える足を叱咤し、ハッタリの笑みを張り付けた。
「あんた、とんでもない『禁制品』を持ち出したな? そいつは正典管理局の認可装備じゃない。……『軍用指定』の、それも条約で使用が制限されているクラスの代物だろ?」
執行官の眉がピクリと動いた。
図星だ。
俺は勝負に出た。この場の支配権を、「暴力」から「法」へと引きずり込むために。
第六章 第十二話 完




