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第八話『トリヴィウムの休日と、小さな弟子の奮闘記』

 アリルの翼の治療のため、俺たちは宿場町『トリヴィウム』に二週間ほど滞在することになった。

 この街は北と東へ続く街道の分岐点であり、常に多くの旅人や商人で行き交っている。

 活気があるのはいいことだが、その分トラブルも多い。

「……おい、そこの馬車! 通行料を払え!」

「あぁ? ここは公道だぞ! そんな決まりあるか!」

 宿の窓から通りを見下ろすと、またどこかの商人が地元のゴロツキと揉めている。

 俺はため息をつき、ベッドから起き上がった。

「やれやれ。……暇つぶしに行ってくるか」

「またですか? 翔一さんも好きですねぇ」

 リンネアがあきれたように言うが、ただ待っているだけじゃ退屈で死んでしまう。

 それに、路銀を稼ぐいい機会でもある。

「アリル、お前も来い。社会勉強だ」

「は、はい!」


 俺は翼の治療中のアリルを連れ出し、トラブルの現場へと向かった。

 現場では、いかつい男たちが商人の馬車を取り囲んでいた。

 俺は群衆をかき分け、わざとらしく大きな声を上げた。

「おやおや、困ったことになってますねぇ」

「あ? なんだテメェは」

「私は通りすがりの『調停屋』です。……見たところ、通行料の件で揉めているようですが?」


 そこからは、いつものパターンだ。

 ハッタリと法律知識を織り交ぜ、ゴロツキを煙に巻き、商人から「仲裁料」をせしめる。

 アリルはその様子を、キラキラした瞳で食い入るように見ていた。

「すごい……! あんな強そうな人たちを、言葉だけで追い返しちゃった!」

「いいかアリル。暴力なんてのは最後の手段だ。賢い奴は、相手の『一番欲しがっているもの』を見抜き、それをエサに交渉するんだ」

「一番、欲しがっているもの……」

 アリルは熱心に頷き、メモを取るマネをした。


 そんな日々が数日続いたある日。

 アリルが意を決したように、俺に言ってきた。

「あの、翔一さん。……僕、一人で街に行ってみたいんです」

「あ?」

「翔一さんの後ろについて回るんじゃなくて……その、自分で行きたい場所に行きたいっていうか……」

 アリルはもじもじしながらも、その瞳には強い意志が宿っていた。

 俺は少し考え、ニヤリと笑った。

「いいだろう。ただし、街からは絶対に出るなよ。それと、人通りの少ない場所にも行くな。危ないと思ったらすぐ逃げろ」

「はい! 行ってきます!」


 アリルは元気よく宿を飛び出して行った。

 背中には、翼を隠すためのフード付きのマントを羽織っている。

 それは、宿の部屋にあった厚手のカーテンを、ガルムが器用に仕立て直してくれたものだ。

「……相変わらず、無駄に器用ですね」

 かつてポポロの服を直したときのことを思い出したのか、リンネアが感心ともあきれともつかないため息をつく。

 ちなみに、この後宿の主人に「勝手にカーテンで服を作るんじゃねぇ! 宿代に上乗せだからな!」と怒られたのは言うまでもない。

「……行かせちゃっていいんですか? まだ怪我も治っていないのに」

「可愛い子には旅をさせろ、だ。……おいガルム、頼んだぞ」

「……おう」

 俺の合図と共に、ガルムが音もなく姿を消した。

 過保護だと言われようが、こんな危ない街に、丸腰のガキを一人で歩かせるほど、俺も馬鹿じゃない。


 それからというもの、アリルは毎日一人で街へ出かけるようになった。

 夕方に戻ってくる彼の手には、リンゴが一つだったり、綺麗な石ころだったり、ときには誰かから貰ったアメ玉が握られていた。

 その顔は、日を追うごとに明るく、自信に満ちたものになっていった。


 そして、一週間が経ったある日。

 俺とリンネアが夕食の買い出しに街を歩いていると、信じられない光景を目にした。

「あら、アリルちゃん! 今日は買い物?」

「うん! おばちゃん、このお肉安くして!」

「もう、商売上手なんだから! ……はい、オマケしとくよ!」

 肉屋のおばちゃんが、笑顔でアリルに大きなハムを持たせている。

 それだけではない。通りを歩けば、八百屋の親父や、酒場の看板娘、路地裏の子供たちまでもが、親しげにアリルに声をかけてくるのだ。

「おーいアリル! また遊ぼうぜ!」

「アリル、これ持っていきな!」


「……おいおい、どうなってんだ?」

 俺たちが呆然としていると、背後からガルムが現れた。

「……驚いたか」

「ああ。あいつ、いつの間にこんな有名人になったんだ?」

「こいつは毎日、街中で困っている人を手助けしていたんだ。重い荷物を運んでやったり、迷子を探してやったりな」

 ガルムによれば、最初はマントで警戒していたアリルだが、その持ち前の優しさとひたむきさで、自然と人々の心を掴んでいったらしい。

 途中、風でマントがめくれて翼が見えてしまったこともあったそうだが、そのころにはもう、誰もそんなことを気にする者はいなかったという。

「……翼があろうがなかろうが、アリルはアリルだ。街の連中は、そう認めたんだろうよ」

「……へぇ」

 俺は遠くで笑うアリルを見つめた。

 交渉術もハッタリも関係ない。あいつは、もっと根本的な「人たらし」の才能を持っていたらしい。

「お前……とんでもねえ『愛されキャラ』だったんだな」

 俺は苦笑しつつ、少しだけ誇らしい気持ちになった。


 そして、二週間後。

 解体屋のオヤジによる再診察の日がやってきた。

「……うん、骨は綺麗にくっついてるな。合格だ」

 オヤジが太鼓判を押すと、アリルはホッとしたように息を吐いた。

 だが、次の瞬間。少年は思いつめたような顔で、とんでもないことを言い出した。

「あの……おじさん。お願いがあります」

「あん?」

「この翼……切り落としてくれませんか?」

 場が凍りついた。

 オヤジが目を剥き、リンネアが息を呑む。

「……おい、本気で言ってんのか?」

 俺が低い声で问うと、アリルは震える拳を膝の上で握りしめた。

「本気です。……この翼のせいで、僕はみんなと違う。白い制服の人たちに狙われるのも、両親と離れ離れになったのも、全部こいつのせいだ」

「だから、切り落とせば……僕は普通の子供になれる。もう誰も、僕を変な目で見たりしない」

 切実な叫びだった。

 それは、彼がずっと抱えてきたコンプレックスであり、逃れられない呪いでもあった。


「……馬鹿野郎」

 最初に口を開いたのは、解体屋のオヤジだった。

 彼は血のついたエプロンで手を拭いながら、あきれたように鼻を鳴らした。

「俺はな、『壊れたもん』を直すのが仕事だ。……壊れてもねえもんを壊す趣味はねえよ」

「でも……!」

「それに、坊主。俺は最近、面白い噂を耳にしてな」

「噂……?」

「二週間ほど前にやってきた、翼の生えたガキの噂だ。最初はみんな、珍しがって奇異の目で見ていたらしいが……そいつは屈託のない笑顔で、困った人を見ると放っておけねえ性格らしい。人懐っこくて、街のガキどもともすぐ仲良くなっちまったとか」

 オヤジはニヤリと笑い、アリルを見下ろした。

「翼があろうがなかろうが、お前はお前だ。街の連中は、誰もそんなもん気にしちゃいねえ。……違うか?」

 アリルは言葉に詰まった。

 この二週間、彼に向けられた笑顔。優しさ。それは、翼を隠していたときも、見えてしまったときも、変わることはなかった。


「……アリルちゃん」

 リンネアが静かに進み出て、少年の前に膝をついた。

 そして、その背中の翼を――彼が忌み嫌う異形の証を、優しく指先でなでた。

「これは、あなたがご両親から受け継いだ、大切な命の証です。……それを『呪い』と呼ぶのは、あまりにも悲しいことではありませんか?」

「リンネア、さん……」

「それに、私には見えますよ。この翼が風をつかみ、大空を自由に舞う姿が。……それはきっと、どんな宝石よりも美しいはずです」

 アリルのほうから、涙が一筋こぼれ落ちた。

 俺はガシガシと頭をかき、ため息をついた。

「ま、そういうこった。……それにだ」

 俺はニヤリと笑い、悪戯っぽく言った。

「飛べない鳥はただの荷物だが……飛べる鳥なら、『最高の相棒』になれるかもしれねえぞ?」

「……え?」

「俺たちこれから、とんでもねえ悪路を行くんだ。上空からの偵察ができりゃ、これほど心強いことはねえ。……どうだ? 俺たちを助けてくれねえか?」

 アリルは大きく目を見開いた。

 荷物ではなく、相棒。守られるだけの存在ではなく、助けることができる存在。

 それは、彼が一番欲しかった言葉だったのかもしれない。

「……僕、飛べますか?」

「やってみなきゃ分からねえだろ。……ま、とことん付き合ってやるよ」

 アリルは袖で涙を拭うと、力強く頷いた。

「……はいッ!」


 俺たちは街外れの森にある、見晴らしのいい丘へと向かった。

 アリルは崖の上に立ち、深呼吸をする。

 その背中には、もう迷いはなかった。

「……よし」

 助走をつけ、思い切り地面を蹴る。

 風をつかむように、大きく翼を広げ――。

 ドサッ。

「……痛っ」

 無様に地面に転がった。


 そう簡単にはいかないか。そもそも、こいつは生まれてこのかた、翼を「隠すべきもの」としてしか扱ってこなかった。

 羽ばたくどころか、意識して動かしたことすらないはずだ。

 そんな状態でいきなり飛ぼうなんて、歩いたことのない赤ん坊に走れと言うようなもんだ。

 どう動かせばいいのか、筋肉の使い方も、風のつかみ方もまるで分かっていないようだ。

「くそっ……もう一回!」

 アリルは泥だらけになりながら、何度も何度も挑戦した。

 鳥が羽ばたくイメージで懸命に翼を動かすが、飛ぶどころか、まともな風さえ起こせない。

「……こればっかりは、俺にも教えられねえな」

 俺は腕を組み、ため息をついた。

 ハッタリや交渉術ならいくらでも伝授できるが、空の飛び方は専門外だ。

「どうしたもんかね……」


 日が暮れかけ、空が茜色に染まり始めたころ。

 ボロボロになったアリルが、膝をついて肩で息をしていた。

「……やっぱり、無理なのかな」

 アリルは鳥に例えるなら、まだ巣の中で親に餌をねだる幼鳥ヒナだ。

 翼は治っても、すぐに大空を舞えるようになるわけじゃない。

 それでも、いつか飛べる日が来ると信じて、今はただ、不格好に羽ばたくしかない。


 空を飛ぶことは叶わなかったが、心は確実に強くなった。

 二週間の滞在を終え、いよいよ北の森、霧に閉ざされた『風の鳴く洞窟』へ向けて出発するときだ。

 目指すはエルディア。そして、その近郊にあるとされる『風の鳴く洞窟』。

 そこには、俺たちが求める「真実」と、アリルを救う「女神」が待っているはずだ。


第六章 第八話 完

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