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第七話『偽りの万能薬と、少年の見る背中』

 宿にアリルと護衛のガルムを残し、俺とリンネアは夕食の買い出しのために宿場町トリヴィウムの通りを歩いていた。

 街の中央広場に出ると、黒山の人だかりができていた。

「さあさあ! 見てらっしゃい! これが伝説の万能薬『聖女の涙』だ!」

 中心で声を張り上げているのは、派手な衣装の薬師だ。

 彼は大げさな身振りで、群衆に呼びかける。

「誰か、怪我で苦しんでいる者はいないか! この秘薬の効果を、その目で確かめたい者は!」

「……俺だ! 俺を治してくれ!」

 すかさず手を挙げたのは、一人の男だった。左手には血のにじんだ包帯が巻かれている。

 他にも手を挙げる者はいたが、薬師は迷わずその男を指名し、壇上へ上げた。

「おお、これは酷い……」

 男が包帯を解くと、周囲から悲鳴が上がった。

 小指が根元から断ち切られ、かろうじて皮一枚でつながっている状態だ。鮮血が滴り落ちる。

「安心しろ。この『聖女の涙』があれば、たちどころに元どおりだ!」

 薬師が小瓶の液体を傷口に振りかけ、手早く新しい包帯を巻く。

 そして待つこと一時間。

「さあ、奇跡の時だ!」

 薬師が高らかに宣言し、包帯を解くと――あら不思議。

 切断されていたはずの小指は完全につながり、傷跡一つ残っていなかった。

「すげぇ! 本物だ!」

「俺にも売ってくれ!」

 村人たちが熱狂し、競って金を差し出す。


 その光景を、宿の二階の窓からアリルが見ていた。

 ズキズキと痛む背中の傷。

 たまたま潜り込んだ馬車の持ち主に助けられたとはいえ、アリルはまだ翔一たちを完全には信用していない。

 早く治さないと、厄介者として捨てられるかもしれない。いや、それどころか、あの「白い制服の連中」に売られるかもしれない。

 そんな疑心暗鬼と恐怖が、少年の心を蝕んでいた。

「あれなら……早く治せるかもしれない」

 アリルはゴクリと喉を鳴らした。

 あの薬があれば、すぐにでも背中の痛みが消えるかもしれない。そうすれば、もう誰の荷物にもならずに済む。

 そのとき、護衛のガルムが「小便に行ってくる」と言って部屋を出た。

 今しかない。

 アリルは窓にかけてあった古びたカーテンを引きはがすと、それをマント代わりに頭からすっぽりと被った。不自然に盛り上がった背中の翼を隠すには、これしかなかった。

 震える足で部屋を抜け出し、階段を駆け下りる。

 広場は熱気に包まれていた。人々は皆、薬師の声に夢中で、薄汚い布を被った小柄な少年に目を向ける者はいなかった。

 心臓が早鐘のように鳴っている。怖い。でも、やらなきゃ。

 アリルは人ごみをかき分け、最前列へと進んだ。

 目の前には、無造作に置かれた「聖女の涙」の小瓶の山。

 薬師は客の対応に追われ、背を向けている。今なら――。

 アリルは震える手を伸ばした。

 指先が冷たいガラスの小瓶に触れる。つかんだ。

 よし、あとは逃げるだけ――。

 ガシッ。

「――おい。何をしてる」

 鉄の万力のような力が、アリルの手首を締め上げた。

 心臓が止まりそうになった。

 恐る恐る顔を上げると、そこには鬼のような形相をした大男――薬師の用心棒が、アリルを見下ろしていた。

「あ……ぅ……」

「泥棒だ! このガキ、商品を盗みやがった!」

 用心棒の怒鳴り声に、周囲の喧騒が一瞬で静まり返り、次の瞬間、非難の嵐へと変わった。

 用心棒は容赦なくアリルの体を吊り上げ、隠れ蓑にしていたカーテンを乱暴に剥ぎ取った。

「ひっ……!」

 衆人環視の中、添え木を当てられ、包帯で幾重にも巻かれた翼があらわになる。

 隠していた「異形」をさらされた羞恥と恐怖で、アリルは悲鳴を上げることすらできなかった。

 騒ぎを聞きつけた俺たちが駆けつけたときには、アリルは地面に組み敷かれ、泥まみれになって震えていた。

「こいつは万能薬を盗もうとした! それにこの翼……呪われているに違いない!」

「化け物だ!」

 薬師が扇動し、群衆が悪意ある視線を向ける。アリルは真っ青になって震えている。

 俺は舌打ちをし、人垣を割って入った。

「……おいおい、寄ってたかってガキいじめか? いい大人が恥ずかしくねえのかよ」

「なんだ貴様は! こいつは泥棒だぞ!」

「泥棒? ああ、そうだな。だが、もっとタチの悪い泥棒が、ここにもいるようだが?」

 俺は薬師を指差した。

「こんなイカサマで怪我が治るなら、医者は廃業だ」

「なっ……難癖をつける気か! さっき指が治癒するのを見ただろう!」

 薬師が凄むが、俺は冷ややかに鼻を鳴らした。

 指が治ったのは事実だ。だが、あれが本当に薬の効果なのか?

 現代日本でも、インチキ健康食品の実演販売ではよくある手口だ。客の中にサクラを紛れ込ませ、劇的な効果を演出する。

 だが、この世界の「魔法」や「種族特性」が絡むと、タネはより複雑になる。


 (……リンネア。アレの正体、分かるか?)


 俺は視線だけでリンネアに問いかけた。

 彼女は小さく頷き、一歩前に進み出た。

「あなた、ずいぶんと青い顔をしていますね。……もしかして、『何か』を隠していませんか?」

「あ、あぁ? 何を言ってやがる!」

 リンネアは冷徹な眼差しで男を見据える。

 その視線に射抜かれ、男は明らかに怯えた表情を見せた。

「……っ!」

 その瞬間、周囲にツンとした異臭が漂い始めた。

 腐った泥のような、鼻を刺す強烈な刺激臭だ。

「うわっ、なんだこの匂い!」

「臭えぞ!」

 群衆が鼻をつまんで騒ぎ出す。

 リンネアは静かに微笑み、決定的な一言を放った。

「やっぱり。……その『警告臭』が何よりの証拠です。あなた、『レディヴィ族』ですね?」

「な……っ!?」

 男が動揺して後ずさる。図星か。

 俺は首を傾げた。レディヴィ族? 聞いたことのない名前だ。

「なんだそりゃ。珍しいのか?」

「ええ。山深い湿地に住む、非常に稀少なイモリの両生類系獣人です。彼らは身の危険を感じると、独特の『警告臭』を発する習性があります。そして……高い再生能力を持ち、指一本くらいなら短時間で生えてくると言われています」

 なるほど。トカゲの尻尾切りならぬ、イモリの再生能力ってやつか。

 俺はニヤリと笑った。タネが割れればこっちのものだ。


「へぇ……。つまり、薬の効果じゃなくて、そいつ自身の『体質』ってわけか」

「そ、そんなわけあるか! 言いがかりだ!」

「なら、その薬が本物だって証明してもらおうか」

 俺はさらに畳み掛ける。

「リンネア先生、鑑定を」

「はい」

 リンネアが進み出て、以前手に入れた『毒見のポイズン・ロッド』を小瓶に浸す。

 すると、透明なガラス棒の先端が、わずかに薄紫色に変色した。

「……反応が出ましたね。これは『痺れ草』のエキスです。この辺りの山ならどこにでも生えている、安物の鎮痛作用がある草ですね」

「透明な水に、気休め程度の痺れ草を混ぜただけ。……これが『聖女の涙』の正体だ」

 薬師は顔面蒼白になりながらも、必死に食い下がる。

「う、嘘だ! これは古代の秘薬なんだ! お前らの知識が及ばないだけだ!」

「ほう、まだ言い逃れするか。なら、別の奴で試してみようぜ」

 俺は周囲の群衆に呼びかけた。

「おい、怪我をしてる奴はいないか? 今ならこの先生が、タダで万能薬を塗ってくれるそうだぞ!」

 何人かの村人が名乗りを上げる。

 当然、偽薬では治せないため、薬師はたじろぎ、冷や汗を流して後ずさりした。

 その姿を見れば、誰の目にも真実は明らかだった。

「こ、この詐欺師!」

「金返せ!」

 怒り狂った群衆が薬師たちを取り囲む。

 俺はその隙にアリルを連れ出し、逃げ出そうとした薬師を用心棒もろとも、いつの間にか背後に忍び寄っていたガルムに確保させた。

 どうやらトイレから戻ってアリルの不在に気づき、慌てて追いかけてきたらしい。息も切らさず仕事をこなすあたり、さすがは元傭兵だ。


「……すごい」

 アリルが、ぽつりとつぶやいた。

 その目は、剣も魔法も使わず、「言葉」だけで悪党を追い詰めた俺の背中に釘付けになっていた。

「人間なのに、強いんだ……」


 宿に戻ったアリルは、俺の前に進み出ると、深々と頭を下げた。

「……助けてくれて、ありがとうございました」

 そして顔を上げ、決意に満ちた瞳で俺を見据えた。

「翔一さん、お願いがあります。……僕を、一緒に連れて行ってくれませんか?」

「あ? どこへだ?」

「どこへでも。……僕は、一人じゃ何もできない。でも、翔一さんのそばにいれば、何か変われる気がするんです。もっと強くなれる気がするんです!」

 真っすぐな視線。それは、かつて自分の無力さに打ちひしがれながらも、前を向こうとしたポポロの瞳と重なった。

 俺はため息をつき、頭をガシガシとかいた。

「奇遇だな。俺たちも北にある『風の鳴く洞窟』って場所を探してるんだ。お前が言ってた女神の洞窟と、たぶん同じ場所だ」

「えっ……?」

「それに、ガキを一人で荒野に放り出すほど、俺は腐っちゃいねえよ」

「じゃあ……!」

「ただし、条件がある」

 俺はアリルの鼻先に指を突きつけた。

「その翼を完璧に治すことだ。飛べねえ鳥は、ただの……」

 そこで俺は言葉に詰まった。

 あれ、なんだっけ。飛べない豚はただの豚だが、飛べない鳥は……ただの焼き鳥か?

「……まあいい。とにかく、飛べなきゃただの荷物だ」

 ビシッと言い放つ俺に、アリルは言いにくそうに頬をかいた。

「……あの、翔一さん。さっきも言いましたけど、僕、そもそも飛んだことないんです」

「……あ」

 そういや、解体屋のオヤジにもそう言っていたな。

 俺はガクリと膝をつき、天を仰いだ。

 飛べないどころか、飛び方を知らない鳥。

 こいつは、ただの荷物どころの騒ぎじゃねえぞ。


「……前途多難だな、おい」


 こうして俺たちは、アリルの翼が癒えるのを待つため、二週間ほどこの宿場町『トリヴィウム』に滞在することになった。

 それは、嵐の前の静けさのような、束の間の休息の日々の始まりだった。


第六章 第七話 完

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