第三話『枯れ野の村と、黄金色の目撃談』
宿場町リフギウムを出てから、さらに三日が経過していた。
北へ向かうほどに景色は荒涼とし、草木の緑よりも、赤茶けた土と岩肌が目立つようになる。
そんな中、御者台のガルムが不意に手綱を引いた。
「……おい」
「どうした、ガルム。何かあったのか?」
「左前輪がおかしい。まっすぐ走らせようとしても、わずかに左に取られる。異音もする」
ガルムの耳は確かだ。俺たちは馬車を止め、点検を行うことにした。
「……ツイてないな」
俺は苛立ち紛れに、馬車の車輪を蹴り上げようとした。
だが、そのつま先が硬い木枠に当たる寸前、
「……おい、よせ」
ガルムが低い声で俺を制した。
「ここまで俺たちを運んでくれた相棒だ。八つ当たりするな」
「そうですよ、翔一。物にも魂が宿るのですから。感謝こそすれ、蹴飛ばすなど言語道断です」
リンネアまでもが腕を組んで説教を始める。
俺はバツが悪そうに足をおろした。
「……悪かったよ。で、どうなんだ?」
「車軸の受け皿がイカれてる。長旅の負荷だ。交換部品はないから、この近くの村か町で調達するか、何か代用品を見繕うしかない」
ガルムは油まみれの手で車輪をなでながら、冷静に診断を下した。
「一番近い街はどこだ?」
「……地図には、この辺りに村や町はありませんね」
リンネアが羊皮紙の地図を広げて首を傾げた。
「次の宿場町までは、あと一日かかる距離です。……ガルム、この状態で走り続けても大丈夫ですか?」
「……難しい。受け皿がいつまでもつか怪しい」
「参ったな。かと言って、野宿で修理できるような道具も部品もねえんだろう?」
俺が頭を抱えていると、街道の向こうから、ガラガラと乾いた音が近づいてきた。
見れば、痩せたバーロ(ロバに似た家畜)に小さな荷車を引かせた、一人の獣人が歩いてくるところだった。
荷台には薪やわずかな食料、そしてこの荒野には不釣り合いな、色鮮やかな切り花が積まれている。
長旅の装備ではない。獣人の男の身なりも、まるで近所の市場へ、ちょっとした使いに行ってきたかのような軽装だ。
「……おい」
ガルムが道を塞ぐように立ちはだかった。
獣人は驚いて足を止めたが、俺やエルフのリンネアの姿を見ると、どうやら盗賊の類ではなさそうだと判断したのか、警戒を少し解いたようだった。
「……何か用かね?」
「どこから来た?」
「隣町の市場の帰りだが」
「これからどこへ帰るんだ?」
「すぐそこの、『カレナ』の村だが……」
男が指差した先には、岩陰に隠れるように続く脇道があった。
「カレナ? 地図には載っていませんが……」
リンネアが尋ねると、男は自嘲気味に笑った。
「そりゃそうさ。地図に載るような立派な村じゃねえよ。この辺りには、そういう『忘れられた村』がいくつかあるんだ」
「なるほどな。……ついでだ、もう一つ聞きたい。その村で、この馬車を直せる職人はいるか?」
「直せるかどうかはわからんが……この荷車を作った爺さんならいるぞ」
十分だ。
俺たちは男に礼として銀貨を渡し、彼の案内でその『地図にない村』を目指すことにした。
「『カレナ』……この地方の古語で『枯れ野』や『持たざる地』を意味する名ですね」
リンネアが教えてくれたその名のとおり、枯れ草色の風景に同化するように、粗末な土壁の家々が寄り添うように建っている。
やせた土地らしく、畑の作物はどれも小ぶりだ。行き交う村人たちは、人間族と獣人族が半々といったところか。どちらも粗末な服を着て、痩せ細っている。
俺たちの立派な馬車と、武装したガルムを見る目は、畏怖と羨望が入り混じっていた。
ただ、一つだけ気になったのは、人間と獣人が互いに避け合うことなく、まるで家族のように寄り添って歩いている姿だった。都市部ではあまり見かけない光景だ。
案内された家で、ガルムは「職人の爺さん」と言葉を交わすと、すぐに修理の段取りを始めた。
「……思ったより重症だ。爺さんと手分けしてやるが、修理には半日かかる。今日はこの村に泊めてもらうしかなさそうだ」
ガルムが工具箱を取り出しながら言った。
職人の爺さんは、修理を快く引き受けてくれただけでなく、「泊まるところなら、村長の許可がいる。ちょうど今、墓参りに行ってるはずだ」と教えてくれた。
俺とリンネアは村長の許可をもらうため、村の中を歩いた。
見るべきものなど何もない貧しい村だ。だが、村外れの小高い丘の上に、一つだけ異質なものが建っていた。
「……あれは?」
リンネアが指差した先には、周囲の粗末な家々とは不釣り合いなほど立派な、白く輝く石で作られたモニュメントがあった。
この辺りの赤茶けた土とは明らかに違う、高価な石材だ。
「慰霊碑……いえ、お墓のようですね」
近づいてみると、その前には荒野には珍しい色鮮やかな野花が手向けられていた。
「ずいぶんと金のかかった墓だな。村長の墓か?」
「いえ、刻まれている名は……女性のもののようです。没年も、まだ新しい」
リンネアが墓石の文字を読み上げた。
そのとき、背後からしゃがれた声が掛かった。
「……こんな何もない村に、旅人とは珍しい」
振り返ると、杖をついた老人が立っていた。服は継ぎ接ぎだらけだが、その目は穏やかで、どこか知性を感じさせる。
「俺はタナカ。こっちは連れのリンネアだ。馬車が壊れちまってな、修理の間、一晩泊めてもらえないかと思って村長を探していたんだ」
「ほほう。それは災難じゃったな。……ワシが村長じゃよ」
老人は微笑んだ。
「空き家ならある。好きに使ってくだされ。ただ、この村には宿も食堂もない。粗末なものしか出せんが、夕餉はワシの家でどうかな? 珍しい客人に、若い衆も喜ぶじゃろう」
願ってもない申し出だ。
俺たちは村長の好意に甘えることにした。
***
夕食の席には、俺とリンネアの二人だけが座っていた。
ガルムも誘ったのだが、「修理屋の爺さんと飯の約束をしちまった」と言って、別行動になったのだ。頑固な職人同士、案外気が合ったのかもしれない。
出されたのは薄い麦粥と少しの干し肉だったが、温かい食事はありがたかった。
質素だが温かい食事を囲み、村長は村の暮らしぶりを語ってくれた。貧しいながらも、種族の垣根なく助け合って生きている様子が言葉の端々から伝わってくる。
「ここは捨てられた者たちの楽園じゃよ。貧しいが、争いもない」
村長が穏やかに笑い、話が一区切りついたところで、俺は気になっていたことを切り出した。
「村長。昼間見たあの墓だが……あれは誰の墓なんだ?」
村長の顔が、ふっと寂しげに曇った。
「……あれは、ワシの孫娘の墓じゃよ」
老人は遠くを見るような目をした。
「あの子は『先祖返り』じゃった。生まれつき体が弱くてな……。両親も流行り病で早々に逝ってしもうたから、ワシが男手一つで育てたんじゃが……数か月前、突然の発作で亡くなったんじゃ」
「先祖返り……ということは、村長は獣人族なのか?」
翔一が尋ねると、老人は自嘲気味に笑い、豊かな白髪をかき上げた。そこには、人間よりも少し高い位置にある、尖った耳が隠されていた。
「ああ。こう見えても猫族の血を引いておる。混血が進んだせいで、見た目は人間と変わらんがな。……ひいじいちゃんの代に、街での暮らしに行き詰まってな。同じような境遇の者たちと身を寄せ合い、この何もない土地に逃げ込んできたんじゃ」
「そうか……。だが、失礼だがこの村で、これだけの墓を建てるのは大変だっただろう?」
俺の問いに、老人は深く頷いた。そして、どこか夢見るような目で天井を見上げた。
「女神様のおかげじゃよ」
「女神様?」
「ああ。あの子が死ぬ間際……枕元に現れたんじゃ。黄金の髪をした、美しいエルフの女神様がな」
俺とリンネアは顔を見合わせた。
金髪のエルフ。宿場町で聞いた噂と一致する。
「女神様は『天国への旅立ちには儀式が必要です』と言ってな、ワシら家族に甘い香りのする聖水を飲ませてくれた。……それを飲むと、体がふわふわと軽くなって、目の前が美しい光に包まれたんじゃ」
「……ほう」
「気づいたときには、あの子の姿は消えておった。そして枕元には、見たこともないほど綺麗な宝石が残されていた」
老人は懐から、小さな布包みを取り出した。中には、まだ換金していないのか、親指大の青い宝石が一つ入っていた。
かなりの大きさだ。宝石の価値など分からない俺でも、これがとんでもない高級品であることくらいは分かる。これ一つで、この村なら数年は食っていけるんじゃないか?
「遺体は残らなかったが、ワシは感謝しておる。あの子は女神様に導かれて、天国へ行ったんじゃろう。残されたワシらが飢えないようにと、施しまで残して……」
老人は宝石を握りしめ、涙ぐんだ。
俺はリンネアに目配せをした。彼女もまた、小さく頷く。
村長の家を辞し、貸してもらった空き家へと戻る道すがら、俺たちは口を開いた。
「……どう思う、リンネア」
「『聖水』というのは、おそらく幻覚作用のある薬草か、強力な睡眠薬でしょう。家族が眠っている間に、遺体を運び出したのだと思われます」
「ああ。だが、わざわざ宝石を置いていくか? ただの死体泥棒なら、そんな慈善事業をする必要はねえ」
俺は手記の記述を思い出した。
『巫女捨ての洞窟』に捨てられた巫女たちが消える現象。そして、この村での「天国への連行」。
二つの話に共通するのは、「先祖返りの少女」と「金髪のエルフ」、そして「消失」だ。
「もし、洞窟に消えた金髪の女と、この村に現れた金髪のエルフが同一人物だとしたら……?」
俺の中で、一つの仮説が形になりつつあった。
「彼女は死体を集めているんじゃない。……『買っている』のかもしれん」
「買っている?」
「ああ。死んだことにして、連れ去る。その対価として宝石を置いていく。……もしかすると、その少女はまだ生きているのかもしれない」
俺の言葉に、リンネアが息を呑んだ。
「だとしたら……彼女の目的は何なのでしょうか?」
「さあな。だが、少なくともただの悪党や幽霊じゃなさそうだ」
俺は村長の家を出て、夜風に当たりながら北の空を見上げた。
満天の星空の向こうに、黒々とした険しい山脈の稜線が見える。
「行くぞ。その『女神様』の正体を拝みにな」
風の鳴く洞窟への手がかりは、単なる古い伝承から、明確な「誰かの意思」を感じるものへと変わっていた。
俺は見えない糸を手繰り寄せるように、夜空に手を伸ばした。
指先の向こう、北の山脈の彼方で、何かが俺たちを待っている気がした。
第六章 第三話 完




