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第二話『宿場町オアシスと、消える死体の噂』

 大図書館都市を出発してから、三日が過ぎようとしていた。

 馬車はようやく盆地の外周を縁取る峠道を越え、かつての大戦の古戦場だったという広大な平原へと差し掛かったばかりだ。

「ここにはかつて、大陸でも有数の巨大都市国家があったそうです」

 向かいの席で、リンネアが静かに語り出した。その瞳は、窓の外を流れる何もない景色を映している。

「ですが、先の大戦で放たれた一発の『戦略級魔法』によって、一瞬にして街ごと消滅したと言われています。……住民も、歴史も、すべて」

 今はただ風が吹き抜けるだけの枯れ野原だが、その平原の中央に、中継地点として作られた町がぽつんと存在しているらしい。

「……まるで、最初からただの大平原だったみたいだな」

 御者台から顔を出したガルムが、低い声で言った。

 俺は窓から外を見渡した。枯れ草の海が風に揺れ、遠くの地平線まで何もない。かつて栄華を極めた都市の痕跡すら、魔法という理不尽な暴力の前には塵芥ちりあくたに等しかったわけだ。


 そんな荒涼とした景色の中を、馬車はただ淡々と進んでいく。

 ポポロがいない旅は、驚くほど静かで、そして効率的だった。

 休憩のたびに「ショーイチ、おなかすいた!」「あっちに面白そうな石があるよ!」と道草を食うこともない。ガルムの的確な鞭さばきと、リンネアによる地図読みのおかげで、予定よりも半日近く早く進んでいた。

「……車輪の音が、こんなに響くものだったとは」

 向かいのリンネアが、読みかけの本を閉じて苦笑した。

 ポポロのお喋りがないだけで、馬車のきしみや蹄の音がやけに耳につく。それが俺たちの間の沈黙を際立たせていた。

 俺は肩をすくめた。

「効率的でいいじゃないか。予定どおりに進めば、今日中には次の宿場町に着く」

「ええ。ですが……ガルムも少し手持ち無沙汰のようです」

 御者台のガルムは、いつもならポポロのために用意していた干し肉や果物を出すタイミングを失い、ただ黙々と前を見据えている。あの巨体の背中が、心なしか小さく見えた。


 昼過ぎ、俺たちの目の前に石とレンガで囲まれた堅牢な集落が現れた。

「『リフギウム』という宿場町のようです。この大平原のちょうど真ん中に建てられた、言わば『荒野の孤島』ですね」

 地図を見ていたリンネアが、教えてくれた。


          ***


 町に入ると、そこは法よりも暴力が幅を利かせる無法地帯の様相を呈していた。

 腰に剣を下げた傭兵崩れや、怪しげな薬を売る露天商。行き交う視線はどれも鋭く、獲物を値踏みするような光を帯びている。

 リンネアの整いすぎた美貌が、すぐに荒くれ者たちの視線を集めた。

 下卑た笑いを浮かべた男たちが数人、進路を塞ぐように近づいてくる。

「へへッ、上等な女連れじゃねえか。通行料を払ってもらおうか?」

「失せろ」

 ガルムが馬車から降り立つと同時に、ドスの利いた一言を放った。

 灰色の巨躯から放たれる圧倒的な殺気。狼族の血を引く男の威圧感に、男たちは顔を引きつらせて後ずさった。

「お、おい……こいつはやべえぞ……」

「一番いい酒と飯が出る宿を教えろ」

 俺は御者台から見下ろしながら、短く告げた。

 男は震えながら、町の奥を指差した。

「あ、あっちの『砂蠍亭サブル・スコルピオ』だ……。飯もそこそこいけるし、部屋も広い……」

「そうか」

 俺は懐から、銀貨が十枚ほど入った革袋を放り投げた。

 男は慌ててそれを受け止める。ずしりとした重みに、男の目が丸くなった。

「案内賃だ。釣りはいらねえよ」

「へ、へい! ありがてえ! 旦那、また何かあったら言ってくだせえ!」

 男たちは揉み手をしながら道を開けた。

 恐怖で支配し、最後に金で飼い慣らす。ここでは、それが最も通りが良い「法律」だ。後腐れを残さないための、安くない必要経費だ。


 『砂蠍亭サブル・スコルピオ』の酒場は、昼間から安い酒の匂いと紫煙に満ちていた。

 俺たちは奥のテーブル席を確保し、硬いパンと煮込み料理をつつきながら、周囲の会話に耳をそばだてた。

 今回の旅の目的の一つは、エドガーから託された手記に記された「風の鳴く洞窟」を探し出すことだ。正確な場所は分かっていないが、エルディアへ向かうルート上にあることは間違いない。

「……でよ、また消えたんだとさ」

「マジか? 『風の鳴く洞窟』か?」

 隣の席で飲んでいた、日焼けした行商人風の男たちの会話が耳に止まった。

 俺とリンネアは顔を見合わせ、さらに聞き耳を立てる。

「ああ。この前、若い冒険者があの辺りの山道で、一人で歩いている『金髪の女』を見たらしいんだ。こんな辺鄙な場所に不釣り合いな、目の覚めるような美人だったそうだぜ」

「またかよ。……で、その女はどこに消えた?」

「それが分からねぇんだ。冒険者も女の後をつけて、偶然洞窟に入っていくのを見つけたらしいんだが……中に入った途端、女の姿が煙みたいに消えちまった。慌てて逃げ帰って、もう一度行こうとしたらしいが、霧が深くて二度とたどり着けなかったってよ」

「へへッ、そいつは『巫女の幽霊』だな。場所はどの辺りだ?」

「ここから北へ百リーグほど行った、エルディアの膝元にある深い森の中だ。昔っから言うだろ? あのあたりには『巫女捨ての洞窟』があって、捨てられた巫女たちの怨念で隠されてるって」

 男たちは身震いして、安酒をあおった。


 俺は懐から、エドガーから譲り受けた『代弁士の手記』を取り出し、テーブルの下で広げた。

 そこには、かつての代弁士が書き残した謎の記述があった(もちろん俺には読めないため、リンネアに小声で読み上げてもらう)。

『役目を終えた巫女は、“風の鳴く洞窟”へ置いてくる。……翌日には、遺体はおろか遺骨すら残らない』と。

 地図にも載っていない、手記だけに記された場所。だが今の噂話にある『巫女捨ての洞窟』の特徴と、手記の記述は完全に一致する。

 さらに、そこへ消えたという「金髪の女」。

「……ビンゴだな。『巫女が捨てられる場所』。そして、『遺体も骨も残さず消える現象』。手記にある『風の鳴く洞窟』の正体は、その『巫女捨ての洞窟』で間違いない」

 俺は小声でつぶやいた。

 だが、リンネアの眉間には深いしわが刻まれたままだ。

「場所が特定できたのは結構ですが……腑に落ちません。骨一本残らないというのは、どういうことでしょう?」

「ああ。骨まで綺麗に食っちまう魔獣や猛獣なんて、この世界にはいるのか?」

 俺が尋ねると、リンネアとガルムは即座に首を横に振った。

「聞いたことがありません。ドクター・キースも、おっしゃっていましたが、少なくとも、この辺りの生態系で大型の捕食獣は確認されていません」

「ああ。野犬や小動物に、骨まで綺麗に平らげる力なんざあるはずもねえ」

 二人の断言に、俺はニヤリと笑った。

「なら、答えは二つに一つだ。何者かが持ち去ったか、あるいは『底なし沼』のような物理的なトリックがあるか……どちらかだ」

「持ち去る……誰がですか? あんな不吉な場所から」

「さあな。だが、死体が歩いて出ていくわけがねえ。必ず、それを運び出している『誰か』がいるはずだ」


 俺は手記を懐にしまい、立ち上がった。

「『風の鳴く洞窟』と『巫女捨ての洞窟』は同一だ。……だが、正確な場所は分かってねぇ。聞き込みを続けながら、まずはその百リーグ先の森を目指すぞ」

 リンネアは不安げに、ガルムは武者震いするように、それぞれ頷いた。

 旅の最初の目的地は、地図にも載っていない、死者が消える洞窟に定まった。


第六章 第二話 完

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