第七話『真実の天秤と、逆転の診断書』
「……本物の専門家だと?」
エリアスが片眉を跳ね上げた。
余裕の笑みは崩れていないが、その瞳には微かな警戒の色が見て取れる。
「弁護側の証人喚問を許可する」
ヴァルター市長の重々しい声が響く。
俺は舞台袖の控え室に向かって合図を送った。
重い扉が開き、一人の男がゆっくりと歩み出てくる。
白衣の上に、生体保存局のエンブレムが入った灰色の外套を羽織っている。
その顔には、不機嫌そうなあしわが刻まれていた。
会場がざわめく。
「おい、あれは……」
「生体保存局の上級保存官、ドクター・キースじゃないか?」
「なぜ身内の彼が弁護側に?」
驚きの声が波紋のように広がる。
エリアスの表情が、初めて凍りついた。
「……キース、何の真似だ?」
低い声で問いただすエリアスに、キースは一瞥もくれなかった。
彼は証言台に立つと、面倒くさそうに裁判長へ一礼した。
「証人、名前と所属を」
「生体保存局、上級保存官兼主任医師、ドクター・キースだ」
ぶっきらぼうな名乗り。
だが、その声には確かな権威と、揺るぎない自信が宿っていた。
「では、尋問を始めます」
リンネアが一歩前に出る。
「ドクター・キース。あなたはあの日、生体保存局にて、ポポロちゃんの診察および処置を担当されましたね?」
「ああ。私が診た」
「そのときのポポロちゃんの状態について、詳しく教えてください」
キースは懐からカルテを取り出し、淡々と読み上げ始めた。
「患者は重度の魔素中毒を発症していた。体内魔素濃度は致死レベル。意識は混濁し、全身の筋肉は過剰な魔素負荷により麻痺し、完全な脱力状態にあった」
「筋弛緩状態……つまり、動くことはできなかった?」
「ああ。自力での歩行はおろか、指一本動かすことさえ不可能な状態だった。呼吸を維持するのがやっとだ」
会場が静まり返る。
先ほどの若い局員の証言とは、真っ向から矛盾する内容だ。
「ですが、先ほどの証人は『ポポロちゃんが奇声を上げて暴れ、施設を破壊した』と証言しました。これについては?」
キースは鼻で笑った。
明確な嘲笑だった。
「ありえない。医学的に見て不可能だ。あの状態の患者が暴れ回るなど、死体がマラソンをするようなものだ。もしそう見えたのなら、それは集団幻覚か……あるいは意図的な捏造だろう」
「捏造……!」
リンネアが強い口調で繰り返す。
キースはエリアスのほうを向き、冷ややかな視線を浴びせた。
「これが決定的な証拠だ」
キースは一枚の羊皮紙を掲げた。
当日、彼が口述し、記録官が書き留めた正式な『診察記録』だ。
「ここを見ろ。患者の全身には、高濃度の魔素滞留を示す『青紫色の魔斑』が浮き出ていた。体温は手で触れられぬほどに上昇し、瞳孔は散大。脈拍は早鐘のように早いが、呼吸は浅く微弱……」
キースの声が一段と低くなる。
「つまり、いつ心臓が止まってもおかしくない瀕死の状態だ。エリアス、これでどうやって暴れ回れと――」
カンッ!
市長の木槌が鋭く鳴った。
「証人。証言に徹したまえ。相手方への発言は控えよ」
キースがハッとして口を閉じ、深呼吸をする。
「……失礼しました」
彼は視線をリンネアに戻した。
リンネアは頷き、尋問を続ける。
「では、証人に確認します。先ほどの証言、『ポポロが暴れた』というのは、この診察記録と照らし合わせて、医学的にありえることですか?」
「ありえない」
キースは断言した。
「この状態の患者が自力で立ち上がることすら不可能だ。まして暴れ回るなど、死体がマラソンをするようなものだ」
動かぬ証拠。
生体保存局では、診察のさいに複数の記録官が立ち会い、一言一句漏らさず記述することで客観性を担保している。その記録に齟齬がないよう、徹底した管理体制が敷かれているのだ。
その厳格なシステムが、皮肉にも局長自身の嘘を暴く刃となった。
「……な、なんてことだ」
「管理局が嘘をついていたのか?」
「子供を悪魔に仕立て上げようとしたのか?」
傍聴席の空気が一変する。
疑念の矛先は、ポポロから管理局へと反転した。
「……ま、待て。そのデータが本物だという保証はない!」
エリアスが声を荒らげる。
いつもの冷静さはどこへやら、その顔には焦りがにじんでいた。
「キース! 貴様、局のデータを勝手に持ち出し、あまつさえ改竄したな!? 裏切り者が!」
「改竄だと?」
キースの目が怒りに細められた。
「科学を冒涜するな、政治屋風情が。……データを都合よく書き換えるのは、いつもお前たちのやっていることだろう!」
「き、貴様……っ!」
そのときだった。
「ひっ……う、うわぁぁぁぁん!!」
エリアス側の証人席で、先ほどの若い局員が泣き崩れた。
キースの鋭い眼光と、会場中の非難の視線に耐えきれなくなったのだ。
「す、すみません! 言えと言われたんです……! 『暴れたことにしろ』って……そうしないとクビにするぞって、局長に……!」
決定打だった。
会場中が総立ちになる。怒号とブーイングが嵐のように巻き起こった。
偽証教唆。
「正典の番人」にあるまじき、卑劣な犯罪行為だ。
「静粛に! 静粛に願います!」
ヴァルター市長が木槌を乱打するが、騒ぎは収まらない。
俺はエリアスを見た。
彼は顔面蒼白で、ワナワナと震えていた。
「聞いたか、エリアス」
俺は静かに告げた。
「お前は自分の都合のために、病気の子供を悪魔に仕立て上げ、部下に嘘までつかせた。……これが、お前らの言う『秩序』かよ」
「……ぐっ……」
エリアスは言葉を詰まらせる。
完全にチェックメイトだ。
だが、市長はそこで終わらせなかった。
騒然とする会場を睨みつけ、一喝する。
「静まれッ!!」
ビリビリと空気が震えるほどの大音声。
劇場が一瞬で静寂に包まれた。
小柄な老人のどこにそんな力があるのかと思うほどの威圧感だ。
市長は鋭い眼光でエリアスを射抜いた。
「エリアス局長。偽証教唆は重罪だ。……だが、私にはそれ以上に解せないことがある」
市長は身を乗り出した。
「なぜ、そこまでした? 一介の獣人の子供を排除するために、なぜこれほど強引な手段を取る必要があった?」
「そ、それは……都市の安全のため……」
「嘘をつくな!!」
市長の一喝が飛ぶ。
「ただの魔素中毒患者なら、治療すれば済む話だ。それを隔離し、法を曲げてまで『異端』にしたがる理由……。貴官らが本当に恐れているのは、その子供の『病気』ではない。その『正体』ではないのか?」
エリアスが息を呑む。
図星を突かれた反応だ。
追い詰められたエリアスは、ギリと歯噛みし、ついに本音を漏らした。
「……あいつは……あの娘は『生きていてはならない』のだ!」
エリアスが叫んだ。
それは理性をかなぐり捨てた、恐怖と狂信の叫びだった。
「あれはただの獣人ではない! あのような『旧時代の遺物(巫女)』が目覚めれば、この都市の……いや、我々が築き上げてきた『秩序』そのものが崩壊する!」
会場が静まり返る。
ポポロの正体。
そして管理局がひた隠しにしてきた「恐れ」。
それが公の場で、初めて白日の下にさらされた瞬間だった。
(第四章 第七話 完)




