第六話『開廷、大図書館都市中央法廷』
一週間後。
決戦の朝が来た。
俺たちは馬車に揺られ、都市の中央区画へと向かっていた。
目指す場所は「裁判所」ではない。この都市には、常設の司法機関が存在しないからだ。
代わりに指定されたのは、普段は演劇や学術発表に使われる巨大なホール――『大図書館都市中央公会堂』だった。
「……すごい人ですね」
公会堂の前に詰めかけた群衆を見て、リンネアが緊張した面持ちでつぶやく。
ポポロの一件は、市長の介入によって大々的に告知されていた。『正典管理局の異端審問が、史上初めて公開される』と。
野次馬、学者、そして何より、管理局の横暴に不満を持つ市民たちが、この歴史的なショーを一目見ようと集まっていたのだ。
「いい傾向だ。観客は多ければ多いほどいい」
俺はニヤリと笑った。
密室でのだまし合いなら分が悪いが、劇場での殴り合いなら、俺たちの土俵だ。
***
ホールの中は、熱気で満ちていた。
すり鉢状にせり上がった客席は、数千人の傍聴人で埋め尽くされている。
その最前列付近に、見知った顔を見つけた。
「あ、製紙工場の親父さんだ!」
ポポロが小声で指差す。
あの頑固な工場長が、腕組みをしてこちらを見守っている。他にも、資料探しで世話になった学者たちの姿もあった。
完全なアウェーではない。それだけで心強かった。
正面の舞台上には、三つの席が設けられている。
右手が検察席(管理局)。
左手が弁護席(俺たち)。
そして中央の一段高い場所には、豪奢な装飾が施された裁判長席が鎮座していた。
カァン、カァン、カァン――。
開廷の鐘が鳴り響く。
劇場が静まり返る中、裁判長席に一人の老人が現れた。
大図書館都市市長、ヴァルター・ローゼンベルク。
白髪を後ろになで付け、顔には深いしわが刻まれている。その耳は丸く、彼が人間族であることを示していた。
小柄な老人だが、その双眸は猛禽類のように鋭く、会場全体を射抜いている。
「これより――」
市長の枯れた、しかしよく通る声が響いた。
「正典管理局による異端審問、および盟約弁護士リンネアによる臨時公判の『併合審理』を執り行う」
市長は双方を見渡した。
「まず、本件の性質を整理する。正典管理局は『対象を異端として管理下に置く』ことを求めた。対して弁護側は『不当拘束の取り消し』を求めている。……本職は、弁護側の訴えを管理局の異端審問に対する『反訴』とみなし、同一の法廷にて審理することを決定した」
市長の鋭い目が、エリアスとリンネアを順に射抜く。
「双方の争点は対象が同一であり、かつ判断が相互に影響する。よって効率的に真実を明らかにするため、併合審理とする。……双方、異論はあるか?」
一瞬の沈黙。
「――異議があります」
エリアスが立ち上がった。
その表情は冷ややかで、しかし確固たる信念に満ちている。
「市長閣下。異端審問は正典管理局の専権事項です。我々は盟約によって『異端の判定と処分』を任されている。これは行政的な権限であり、通常の訴訟手続きとは性質が異なります」
エリアスは資料を取り出し、掲げた。
「管理局の内規において、異端審問は『密室』で行われると定められています。理由は――対象者の危険性から、裁判官および傍聴者の安全を守るためです」
エリアスは会場を見回した。
「対象者は、生体保存局において激しい魔素反応を示し、制御不能な状態に陥りました。このような危険な対象を公開法廷に出廷させることは、ここにいる全ての方々の命を危険にさらすことになります」
会場がざわめく。
確かに一理ある。危険な存在なら、密室で扱うべきではないか?
だが。
市長はまったく動じず、静かに木槌を一度鳴らした。
「エリアス局長。貴官の主張は理解した。……だが、却下する」
「なっ……!」
「理由を述べよう」
市長は冷徹な目でエリアスを見据えた。
「第一に、その『危険性』こそが本件で争われるべき事実である。対象が本当に危険なのか、それとも単なる病人なのか。それを判断するのが本法廷の役割だ。未確定の事実を根拠に密室化することは、被告の防御権を著しく侵害する」
「し、しかし……」
「第二に、安全管理は手段の問題に過ぎない。本法廷には十分な衛兵が配置されている。対象が危険だと主張するなら、拘束具をつけた状態で出廷させればよい。密室にする理由にはならん」
市長は指を立てた。
「第三に、弁護側の臨時公判は『不当拘束の取り消し』を求めるものであり、管理局の行政処分そのものを争点としている。つまり、管理局が原告となる異端審問に対する『反訴』に相当する」
「……」
「同一の対象者に関する二つの訴訟を分離すれば、矛盾した判決が出る危険性がある。一方で『異端だから拘束せよ』、他方で『拘束は不当だから解放せよ』……このような矛盾を防ぐため、併合審理は裁判長に認められた裁量権だ」
市長の論理は完璧だった。
「そして最後に――」
市長の声が一段と低く、重くなる。
「法の下の平等を保つため、一方が密室、一方が公開という不均衡は許されない。盟約法第百八条に基づく臨時公判は『公開』が原則だ。よって、併合された以上、異端審問も公開となる」
エリアスの顔が一瞬だけこわばった。
だが、すぐに無表情に戻る。
「管理局といえども、法廷では一当事者に過ぎん。特権は認めない」
市長は木槌を鳴らした。
「改めて問う。双方、異論はあるか?」
「……ありません」
エリアスが静かに、しかし確固たる声で答える。
表面上は従順だが、その瞳には何の感情も映っていない。
リンネアは安堵の表情で頷いた。
「ありません」
「では、まずは本訴の申立人である管理局側、訴えの趣旨を述べよ」
「はっ」
エリアスが口を開く。
彼は手元の資料を見ることなく、朗々とした声で、まるで観客に語りかけるように話し始めた。
「我々は何も、いたいけな少女を虐めたいわけではありません。ただ、この都市の、ひいては世界の『秩序』を守りたいだけなのです」
エリアスは手元の資料を一枚抜き取り、高々と掲げた。同時に、写しが裁判長と弁護席へ配られる。
「これは対象――ポポロの体内魔素量を測定したデータです。ご覧ください。通常の獣人の数十倍……いや、数百倍の異常数値を示しています」
「なっ……」
リンネアが息を呑む。
「これはもはや生物の域を超えている。彼女は人の形をした『暴走する魔素炉』です。いつ爆発し、周囲を汚染するか分からない時限爆弾だ」
エリアスは冷ややかに言い放った。
「よって、我々は主張します。対象は『知性ある個人(法的保護の対象)』ではなく、『危険指定物』として管理されるべきである、と」
会場がざわめく。
「危険指定物」――つまり、モノ扱いだ。
モノであるならば、人権も雇用契約も適用されない。所有権は管理者である管理局に移り、破棄(殺処分)も自由自在となる。
恐ろしいロジックだ。
だが、俺は慌てなかった。
想定どおりだ。奴の土俵に乗らなければいい。
ヴァルター市長が静かに告げる。
「管理局側の主張を了解した。……では、弁護側、趣旨を述べよ」
「はい」
リンネアが立ち上がった。
華奢な体だが、その背筋はピンと伸びている。
彼女は証拠品提出のテーブルへ進み出た。
そして、使い込まれた数枚の蝋板を取り出し、高く掲げた。
「管理局長は『数値』を根拠に『モノ』と断じましたが、それは一方的なこじつけです!」
「これは、ポポロちゃんが旅の間につけていた日記です。そして、こちらが翔一と共に商売について学んだ記録です」
リンネアは蝋板を掲げた。
そこには、拙い文字で日々の出来事や、計算式が刻まれていた。
「この子には意思があり、学習能力があり、そして喜びや悲しみを感じる『心』があります。私たちと交わした雇用契約は、その信頼関係の上に成り立っているのです!」
リンネアの声が劇場に響く。
「これを見ても、この子をただの『炉』と呼べますか? 法とは、人の幸福を守るためにあるはずです。この子の『心』を無視して、何の秩序ですか!」
熱い弁論。
感情論と切り捨てられるかもしれないが、人間族や多くの獣人族の傍聴席には響いたようだ。
「そうだ」「子供じゃないか」という声がちらほらと聞こえる。
ヴァルター市長は、静かに双方の主張を聞いていた。
その表情からは、どちらに傾いているか読み取れない。
「ふむ。定義の争いか。……エリアス局長、反論は?」
「ええ、もちろん」
エリアスは薄く笑った。
余裕の笑みだ。
「『心』とおっしゃいましたか。……では、その『心』の実態をご覧いただきましょう。当時の状況を知る者を連れてきました」
エリアスが合図を送る。
舞台袖から、一人の若い男が入ってきた。
生体保存局の制服を着た局員だ。ひどく顔色が悪い。
「証人、名前と所属を」
「は、はい……生体保存局、管理課の……」
男は震える声で名乗った。
エリアスの冷徹な視線が、彼を射抜いている。
「あの日、君は現場にいたね。対象が保護されたときの様子を、この法廷で証言したまえ」
「は、はい……」
男は一度だけ俺たちのほうを見て、すぐに目をそらした。
そして、意を決したように――いや、諦めたように口を開いた。
「対象は……ポポロは、突然奇声を上げて暴れ出しました。制止しようとした職員を魔法で吹き飛ばし、施設を破壊しようと……」
「嘘だ!」
俺は思わず声を上げた。
あの日、ポポロは高熱で苦しんでいただけだ。暴れるどころか、立つことさえできなかったはずだ。
「静粛に」
市長が木槌を鳴らす。
「証言を続けなさい」
「……は、はい。あれは……明らかに理性を失った『魔獣』の姿でした。口から呪いのような言葉を吐き散らし……私たちは恐怖で……」
会場がどよめく。
「やはり悪魔憑きか」「危険だ」という声が大きくなる。
偽証だ。
完全に言わされている。
エリアスは、魔法による記録ではなく、もっと原始的で、しかし効果的な手段を使ってきた。
恐怖による支配。部下に偽証させることで、事実を捏造したのだ。
「ご覧のとおりです」
エリアスは勝ち誇ったように言った。
「理性などない。あるのは破壊衝動のみ。これを『人間』として扱えと? 正気ですか、弁護人」
リンネアが唇を噛む。
決定的な証言。これを覆すのは容易ではない。
だが。
俺は笑っていた。
(やってくれたな、エリアス。……その手が来るのを待ってたぜ)
俺はリンネアの肩を叩き、席を立った。
「裁判長。弁護側からも、新たな証人の喚問を申請します」
俺は控え室のほうを指差した。
「今の証言が真っ赤な嘘であることを証明できる、本物の専門家を呼んでいます」
(第四章 第六話 完)




