第四話『審問会の招状と、臨時法廷の宣言』
翌朝。
宿の窓から差し込む朝日は、俺たちの重苦しい空気を照らすだけで、ちっとも心を温めてはくれなかった。
「……無理です、翔一」
テーブルに広げた地図と法律書を前に、リンネアが力なく首を振った。
その顔色は悪い。昨夜はほとんど眠れなかったのだろう。
「相手は正典管理局です。この都市における『法の番人』そのものです。正規の手続きで抗議しようにも、受理されるまでに数週間はかかります。その間に、ポポロちゃんは……」
言葉が途切れる。
ポポロは「魔素中毒」だ。数週間も放置されれば、命に関わる。
「それに、私には『調査権』がありますが、これはあくまで『公判(裁判)』が開かれている事件に対してのみ行使できる権限です。エリアスは裁判を経ずに、行政処分としてポポロちゃんを連れ去りました。これでは、私の手札は何も……」
リンネアは悔しげに拳を握りしめた。
巨大な権力の壁。
泣き寝入りするしかないのか。
「……いいや、あるぞ」
俺は荷物袋をあさり、一枚の羊皮紙を取り出した。
以前、旅の途中でポポロと交わした書類だ。
「これを見ろ」
「それは……『雇用契約書』?」
リンネアが目を丸くする。
俺が旅費を稼ぐためにポポロと結んだ、簡易的な労働契約書だ。
「俺たちの関係は、ただの仲間じゃない。雇用主と従業員だ。そして俺のいた国には『安全配慮義務』ってのがある」
「アンゼンハイリョ……?」
「雇用主は、従業員が安全に働けるように配慮する義務があるってことだ。もし従業員が仕事中に不当に連れ去られたなら、雇用主にはそれを取り戻す責任がある」
俺は契約書を指先で弾いた。
「あいつは未成年だ。しかも重病人だ。そんな子供を、令状もなしに連れ去り、適切な医療も受けさせずに監禁する。これは俺の国の法律じゃ、誘拐であり、人権侵害だ」
「し、しかし……ここは翔一が住んでいた国の法律は通じません」
「理屈は同じはずだ。この都市は『契約』を絶対視するんだろ? なら、正当な『雇用契約』を結んでいる俺の権利を、奴らは無視できないはずだ」
俺はリンネアの目を見据えた。
「俺は諦めない。ポポロは俺の従業員で、俺が守るべき家族だ。緊急事態なんだよ。命がかかってるんだ。……おいリンネア、この世界に『緊急避難』みたいな法律はないのか? 手続きをすっ飛ばしてでも、命を守るための特例措置みたいなやつは」
「緊急……命に関わる……特例……」
リンネアがブツブツとつぶやく。
その瞳に、微かな光が戻り始めた。
「……あります」
「え?」
「翔一、あなたは天才ですか……! そうです、公判中でなくとも、『緊急を要する場合』なら!」
リンネアがガバリと顔を上げた。
先ほどまでの沈鬱な表情は消え、そこには『星付き弁護士』の鋭い眼光が宿っていた。
「思い出しました。『盟約法』第百八条。盟約弁護士は、生命の危険など緊急を要する場合、都市の長または裁判所に対し、即座に『臨時法廷』の開催を宣言する権利があります!」
「臨時法廷?」
「ええ! 正規の手順を待たず、その場を仮の法廷とみなして審理を開始させる最強の権限です。そして、これが宣言された場合……」
リンネアはニヤリと笑った。不敵で、頼もしい笑みだった。
「判決が出るまでの間、争点となっている行政処分は『執行停止』されます」
「つまり……?」
「裁判が終わるまで、ポポロちゃんの拘束は解かれるということです!」
俺は拳を握りしめた。
勝てる。
理屈という名の武器が揃った。
「よし、行こう。正典管理局へ殴り込みだ」
***
正典管理局の本部、『黒い塔』。
その名の通り、黒曜石でできた巨大な尖塔は、周囲の建物を圧するような威圧感を放っていた。
一階の受付カウンター。
豪奢な制服を着た受付の役人が、俺たちを見るなり露骨に顔をしかめた。
「お引き取りください。局長のエリアス様は多忙です。アポイントメントのない面会は許可できません」
取り付く島もない。
だが、俺はひるまずにカウンターへ『雇用契約書』を叩きつけた。
「アポとかなんとか言ってる場合じゃないんだよ。おたくらが昨日連れ去ったポポロは、我が社の従業員だ」
「はあ? 従業員?」
役人があきれたように鼻を鳴らす。
「獣人の子供一匹に対して、何を言っているのですか。あれは『重要生体資料』として保護されたのです。所有権は局にあります」
「ふざけるな。ここに正当な契約書がある。未成年の従業員を、本人の同意も、保護者代わりの雇用主の許可もなく連れ去るのは『拉致』だ。しかもあいつは重篤な病気だぞ。死んだらどう責任を取るつもりだ」
俺は声を張り上げた。
ロビーにいる他の職員たちが、何事かとこちらを見る。
「し、静かに! ここは神聖な正典管理局ですよ!」
役人がうろたえる。
よし、注目が集まった。
「業務妨害で衛兵を呼びますよ! たかが冒険者が、法の番人に逆らえると思っているのですか!」
役人がカウンターの下の呼び鈴に手を伸ばす。
その瞬間だった。
「――いいえ。法に従うべきは、あなたたちのほうです」
凛とした声が響いた。
俺の背後から、リンネアが一歩前に出る。
彼女は胸元から、白銀に輝くバッジを取り出し、高く掲げた。
『天秤と剣』の紋章。
盟約弁護士――通称『星付き』の証だ。
「なっ……星付き……!?」
役人の目が点になる。
リンネアは冷徹な眼差しで役人を射抜いた。
「正典管理局による、法的根拠を欠いた身柄拘束。および、重篤な患者に対する医療の拒否。これは明確な『人権侵害』であり、緊急の救済を要する事態です」
「な、何を……局の決定は絶対で……」
「絶対ではありません! 法の下では、管理局も一当事者に過ぎない!」
リンネアの声がロビー全体に轟く。
そして、彼女は右手を突き出し、高らかに宣言した。
「よって、私、盟約弁護士リンネア・カエレスティスは、盟約法第百八条に基づき宣言します! 本件に関する『臨時法廷』の即時開廷を!」
「り、臨時法廷だと……!?」
「対象は『ポポロの身柄拘束の正当性』について! この都市に正規の裁判官が不在である以上、管理局長エリアスを被告とし、この都市の長――『大図書館都市市長』を暫定裁判長として招聘します!」
ざわっ、と周囲の空気が変わった。
ただの揉め事ではない。
法的な「手続き」が始まってしまったのだ。
「ば、馬鹿な! そんな勝手な……」
「拒否権はありません。臨時公判の開催は、大陸全土で効力を持つ『盟約法』によって保証された権利です。これを無視すれば、正典管理局こそが『法の敵』とみなされますよ?」
リンネアは一歩も引かない。
役人は顔を真っ赤にし、パクパクと口を開閉させている。
完全にこちらのペースだ。
「そして――臨時公判が宣言された以上、争点となっている今回の行政処分は、判決が出るまで『執行停止』となります」
リンネアは俺を見た。
俺は頷き、役人に詰め寄る。
「聞こえたろ? 裁判が終わるまでは、処分は保留だ。つまり、今すぐポポロを返してもらう」
「そ、そんな……」
「早くしろ! あいつが死んだら、お前を殺人幇助で訴えるぞ!」
俺が怒鳴りつけると、役人は悲鳴のような声を上げて奥へと走っていった。
***
数十分後。
奥の扉が開き、車椅子に乗せられたポポロが運ばれてきた。
「……んぅ……ショー、イチ……?」
ポポロはぐったりとしていたが、意識はあるようだ。
体にはまだ、魔素抑制のための拘束具がつけられていたが、俺はすぐにそれを外させた。
「ポポロ!」
俺は駆け寄り、その小さな体を抱きしめた。
熱い。まだ熱は下がっていない。だが、生きている。
「よかった……本当によかった……」
ポポロは俺の服を弱々しく掴み、安堵したように身を預けてきた。
その背後から、一人の男が現れた。
銀髪のエルフ、エリアスだ。
彼は不機嫌そうに、しかしどこか楽しげに俺たちを見下ろしていた。
「……やってくれるね。まさか、死に絶えたはずの『臨時公判権』を行使するとは」
エリアスの手には、羊皮紙の束が握られていた。
「いいだろう。法の手続きに従い、身柄は一時的に返還する。だが、勘違いするなよ? これは『執行停止』に過ぎない」
エリアスはその羊皮紙を、リンネアに投げ渡した。
「こちらもプレゼントがある。受け取りたまえ」
リンネアが受け取ったのは、黒い封蝋がされた禍々しい羊皮紙だった。
封を開けた彼女の表情が、一瞬で凍りつく。
「これは……『異端審問』への召喚状……!?」
「なっ……?」
「しかも、日付が……今日になっています! 私たちがここに来る前から、すでに作成されていた……?」
「なるほどな」
俺はエリアスを睨みつけた。
「俺たちが殴り込んでこなくても、最初から俺たちをハメるつもりだったってわけか。ポポロを餌にしておびき出し、まとめて始末するために」
「勘違いしないでくれたまえ。私はただ、この都市の秩序を守るために必要な手続きを進めていただけだ」
エリアスは冷ややかな目で俺たちを見下ろした。
「危険な『異端の芽』が見つかった以上、迅速に摘み取るのは管理局の義務だろう? 君たちがここに来ようが来まいが、結果は同じだったのさ」
「……よく言うぜ。その割には、俺たちの素性を随分と詳しく知ってるみたいじゃないか」
「有名人だからね。かの有名な『法廷荒らし』の噂は、師からも詳しく聞いているよ」
エリアスは意味深に口角を上げた。
「臨時公判と異端審問。……さて、君たちはどちらの準備を優先するのかな? 日程が重なれば、体が二つあっても足りないだろうがね」
「……望むところです」
リンネアは羊皮紙――裁判所への招状をしっかりと受け止めた。
「法廷で証明してみせます。あなたの行いが、いかに独善的で、法に背くものであるかを」
「フン。楽しみにしているよ、リンネア」
エリアスは踵を返し、黒い塔の奥へと消えていった。
俺はポポロを背負い、リンネアと顔を見合わせた。
ポポロは取り戻した。
だが、これは勝利ではない。
一週間後の決戦に向けた、最初の一手に過ぎないのだ。
「帰ろう、リンネア。……裁判の準備だ」
「はい、翔一!」
俺たちは黒い塔を後にした。
その足取りは、来る時よりもずっと力強かった。
(第四章 第四話 完)




