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第二話『空白の書架と、検閲の影』

 翌朝、宿の食堂で固いパンと薄いスープの朝食をとりながら、俺たちは今日の予定を確認した。

 昨日の成果はゼロだったが、まだ探索していないエリアは山ほどある。

「今日は『歴史・神話学区』を中心に回りましょう。昨日の魔法学区とは違い、歴史書なら『代弁士』に関する記述も多いはずです」

「そうだな。ま、気長に行こうぜ」

 俺はパンをスープに浸して柔らかくしながら言った。

 ふと横を見ると、ポポロが三つ目のパンをスープに放り込んでいるところだった。

「……ポポロ、食欲すごいな」

「うん! なんかね、すっごくお腹すくの! 体の中がポカポカして、元気いっぱいだよ!」

 ポポロは満面の笑みで答え、行儀悪くスープ皿を傾けて飲み干した。

 昨日は少し鼻を気にしていたが、今朝はケロッとしている。いや、むしろ元気すぎるくらいだ。

 頬が林檎のように赤く、瞳も妙にギラギラと輝いている気がする。

「まあ、食えるのはいいことか……。でもポポロ、今日は宿でお留守番だぞ」

「ええーっ! やだやだ! ボクも行く!」

 ポポロはパンを放り出して駄々をこね始めた。

「昨日より遠くまで歩くからな。それに、今日は難しい本ばかり探すから、ポポロには退屈だと思うぞ」

「むぅー……」

「ポポロちゃん。これを見てください」

 リンネアが鞄から数冊の本を取り出した。

 色鮮やかな表紙の、子供向けの絵本や学習図鑑だ。

「宿の女将さんにお願いして、借りてきたんです。『植物図鑑』に『世界の童話』、それから『はじめての文字練習帳』もありますよ」

「わぁっ! 図鑑!」

「いい子でお留守番できたら、夜には私が読み聞かせをしてあげます。どうですか?」

「……うん! ポポロ、お留守番する!」

 ポポロは目を輝かせて本に飛びついた。チョロい。

 俺たちは女将さんにポポロのことを頼み、安心して宿を出発した。

 ……はずだった。


          ***


『歴史・神話学区』は、魔法学区よりもさらに古びた塔が並ぶエリアだった。

 ここでも手順は同じだ。目録塔でカードを探し、現物がある塔へ移動する。

「……やはり、『代弁士』という項目は存在しませんね」

 数時間後。目録塔の検索台で、リンネアはため息をついた。

 予想はしていたが、直接的なキーワードは完全に封殺されているようだ。

「手詰まりか?」

「いいえ。正面突破がダメなら、からめ手でいきます。翔一、三百年前の『王位継承戦争』……別名『竜の黄昏』と呼ばれる動乱をご存じですか?」

「いや、初耳だ」

「私がまだ二十歳そこそこ……エルフとしては幼子だったころの事件です。当時、私の祖父が言っていました。『代弁士様が争いを止めに入られた。これで平和になる』と」

 リンネアは遠い目をして語る。

「ですが、その直後に代弁士たちは処刑され、彼らの資格は剥奪されました。代わりに作られたのが、今の権力者の管理下にある『弁護士』制度です」

「……なるほど。つまり、お前らの職業のルーツが切り替わったタイミングか」

「はい。歴史書には『代弁士が戦争を扇動したため、正義の騎士団がこれを討伐した』と記されています。ですが……祖父の言葉と、この公式記録。どちらかが嘘をついています。私はそれを確かめたいのです」

 リンネアは検索条件を変え、三百年前の年代と、当時の王家の名前で検索をかけた。

 今度はすぐにヒットした。

「ありました。……ですが、妙ですね」

 リンネアが怪訝な顔をする。

 出てきたカードには、俺たちの予想とは違うタイトルが書かれていたからだ。

「『聖王の平和なる即位』……? 戦争の記録を探したはずなのに」

「まあ、とりあえず現物を見てみようぜ」


          ***


 指定された塔へ移動し、俺たちは閲覧席でその本を開いた。

 分厚い羊皮紙の束だ。

 だが、読み進めるリンネアの表情が、次第に曇っていく。

 眉間に深い皺が刻まれ、ページをめくる指に力がこもっていく。

「……翔一。これは酷いです」

「ん? どうした?」

「デタラメです。いえ、もっと悪質ですね……事実を巧みに継ぎ接ぎして、まったく別の物語に仕立て上げています」

 リンネアは吐き捨てるように言った。

「この戦争は、王位継承権を巡る争いを、代弁士たちが仲裁し、平和的に解決しようとした出来事です。ですが……この本には、まるで逆のことが書かれています」

 リンネアは震える指で一節を指差した。

『邪悪なる扇動者・代弁士たちは、第二王子をそそのかし、王位簒奪さんだつの兵を挙げさせた。王都は彼らの放った火で焼き尽くされたが、正義の騎士団がこれを討伐し、辛くも秩序は守られた』

「……酷い。これではまるで、代弁士が戦争の元凶みたいじゃないか」

「ええ。真実は逆です。戦争を起こそうとしたのは騎士団側で、代弁士たちはそれを止めるために命を懸けたのです。それなのに……被害者と加害者が、完全に入れ替えられています」

「『大飢饉』の記録もそうだ。当時の政府の失策が原因のはずなのに、ここでは『代弁士たちが竜を操り、雨を止めたせいで起きた人災』になっている」

 リンネアは他の歴史書も次々と確認していく。

 だが、結果はすべて同じだった。

 すべての災厄、すべての悲劇は、かつて存在した「代弁士」というスケープゴートのせいにされ、現在の統治者たちがそれを救った「英雄」として描かれている。

「歴史の修正なんてレベルじゃありません。これは……組織的な『悪魔化』です。代弁士という存在を、歴史から抹消するのではなく、永遠の悪役として刻み込もうとしています」

「つまり、ここは『都合のいい歴史』しか置いてないってことか?」

「そのようです。昨日の『真実の瞳』も、意図的に内容が改変されていたのでしょう。……許せません」

 リンネアはパタン、と重い音を立てて本を閉じた。

 その瞳には、法律家としての静かな怒りが燃えていた。

「翔一、行きますよ」

「どこへ?」

「カウンターです。このふざけた『三文小説』の作者について、問いたださなければなりません」


          ***


 俺たちは閲覧室の受付に座る司書の男に声をかけた。

 丸眼鏡をかけた、温厚そうな中年の男だ。

「すみません。この歴史書の記述について、少し確認したいのですが」

「はいはい、なんでしょう?」

 男はにこやかに対応した。

 リンネアは、あえて冷静な口調で、しかし逃げ道を塞ぐように本を突きつけた。

「この『王位継承戦争』の記述ですが、私の知る史実とは大きく異なります。エルフの里に残っている当時の書簡や、他国の記録とも矛盾しています。これは、誰が書いたものなのですか?」

「おや……お客様はエルフの方でしたか。長命種の方には、よくそう言われますよ」

 司書は困ったように眉を下げたが、その口調には慣れっこだという響きがあった。

「ですが、当館の蔵書はすべて、厳格な事実確認ファクトチェックを経て配架された『正典カノン』です。個人の記憶や、地方の伝承とは食い違うこともあるでしょうが、こちらが『公的な正解』となります」

「公的な正解、ですか。……では、この記述の元になった『原本オリジナル』を見せていただけますか? 誰かが書き写す前の、一次資料があるはずです」

「原本、ですか」

「ええ。これだけ綺麗に清書されているということは、元になった古い資料があるはずです。それを見れば、どちらが正しいかハッキリします」

 リンネアの追及に、司書の笑顔が少し引きつった。

「……あいにくと、原本は劣化が激しく、一般公開はしておりません。保存のため、地下の特別書庫に収められていますので」

「保存? 隠蔽ではなくて?」

「まさか! 貴重な資料を後世に残すための措置です」

 司書は心底不思議そうに首をかしげた。

 その目にやましさは一切ない。あるのは、職務に忠実な公務員の「無関心」だけだ。

「お客様。先ほども申し上げましたが、当館の蔵書は『正典』です。それ以外の記述……お客様のおっしゃる『個人の記憶』や『伝承』のほうが、記憶違いや誇張を含んでいる可能性が高いのでは?」

 悪意すらない。

 彼は本気でそう信じているのだ。書き写された文字こそが真実であり、それ以外はノイズだと。

 (……ダメだこりゃ。こいつ、疑うこと自体を忘れてやがる)

 俺はため息をついた。

 嘘つきを問い詰めるより、信者を改宗させるほうが何倍も難しい。

「分かりました。では、その『正典』の正しさを証明する責任者はどなたですか? あなたではないのでしょう?」

「ええ、もちろんです。内容の精査は専門機関である『正典管理局カノン・オーソリティ』の管轄ですから」

 司書は面倒な客を追い払える口実を見つけ、ホッとしたように口を開いた。

「もし内容に異議があるようでしたら、そちらへお問い合わせください。もっとも、彼らが相手にしてくれるかは分かりませんが」

 司書はそう言い捨てると、「仕事に戻りますので」と事務的に会話を打ち切ってしまった。

 これ以上関わるな、という明確な拒絶だった。

「……なるほどな」

 俺はため息をつくふりをして、カウンターの奥、そして窓の外へと視線を巡らせた。

 司書は「地下にある」と言ったが、あれもマニュアル通りの定型句だろう。実際には、彼自身も原本の行方など知らないに違いない。

「リンネア、窓の外だ」

「……あれは? ただの『使送便』の馬車ですが」

 窓の下、塔の裏口に、小ぶりの箱馬車が停まっていた。

 都市のあちこちで見かける、学区間の連絡や書類配送を行う郵便馬車だ。何ら珍しいものではない。

「よく見ろ。荷台に積んでる木箱……普通の荷物と違う印がある」

「……あっ。箱の角に、黒い封蝋が」

「『天秤と剣』……正典管理局の紋章だな。普通の郵便に紛れて、検閲用のブツを回収してやがるんだ」

「目録塔で登録された新刊を、そのまま管理局へ直送しているのですね……」

 日常の風景に、当たり前のように検閲システムが組み込まれている。

 装甲車で物々しく運ぶより、よほどタチが悪い。

「決まりだな。さっき司書は言ってたよな。『持ち込まれた本はまず審査に回す』って。だが、今のあの態度……中身なんてろくに見てなかった」

「ええ。タイトルと目次だけ見て、自分の担当学区のものかどうか仕分けているだけでした」

「で、中身のチェックは丸投げだ。あの馬車に乗ってるのは、まだ誰も中身を読んでない『新刊』や『寄贈資料』……つまり、まだ検閲のメスが入っていない、まっさらな真実オリジナルの可能性が高い」

 俺たちは顔を見合わせた。

 案内されたわけじゃない。自分たちで暴いたのだ。

「あの馬車を追えば、本丸……『正典管理局』にたどり着けるはずです」


          ***


 その日は一日中、各学区を回ったが、成果は芳しくなかった。

 『代弁士』の項目を探そうにも、関連しそうな学区は広大で、一日ではとても回りきれない。

 だが、収穫はあった。この都市には、表向きのルールとは別に、不都合な情報を闇に葬る「正典管理局」という掃除屋が存在する。


 夕暮れ時。

 歩き疲れた俺たちは、一度宿に戻ることにした。

 朝、あんなに元気に本を読んでいたポポロの顔が見たかったからだ。

「ただいま、ポポロ。いい子にしてたか?」

 俺は部屋のドアを開けた。

 だが、返事はない。

 部屋の隅にある粗末なベッドの上で、小さな塊が震えていた。

「……ポポロ?」

 駆け寄ると、ポポロは真っ赤な顔をして、荒い息を吐いていた。

 額に触れると、火傷しそうなほど熱い。

「ショーイチ……あたま、いたい……」

「おい、しっかりしろ! どうしたんだ!?」

「きもちわるい……なんかもやもやして……」

 ポポロが苦しげに胸元をかきむしる。

 リンネアが血相を変えて飛んできた。

「翔一、これ……魔素当たり(マナ・ショック)かもしれません」

「魔素当たり?」

「この都市は外部よりも魔素濃度が高いですから。昨日の探索で、ポポロちゃんの許容量を超えてしまったのかもしれません。……宿は結界の外だから大丈夫だと思っていたのですが、甘かったですね」

 リンネアは悔しげに唇を噛んだ。

 症状としては重いインフルエンザのようなものらしいが、子供にとっては十分に危険だ。

 それに、この都市の空気そのものがポポロを拒絶しているようで、俺は薄ら寒いものを感じた。


(第四章 第二話 完)

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