第二十二話『写本市場の熱狂、そして静寂の巨塔』
鉄の扉をくぐり抜けた瞬間、俺たちを包み込んだのは、静寂ではなく「熱狂」だった。
「――羊皮紙が足りないぞ! 次の入荷はいつだ!」
「インクをくれ! 『鉄喰い(アイアン)』の特級だ! 安物の煤インクなんぞいらん!」
「『カラムス(ペン屋)』! 誰か空いてる『カラムス』はいないか! 魔導物理学の写しがまだ終わらんのだ!」
そこは、巨大な市場だった。
だが、俺が知っている野菜や魚の市場とは決定的に違う。
飛び交っているのは、紙、インク、羽ペン、そして「書きかけの原稿」だ。
石造りの回廊には無数の露店がひしめき合い、ローブをまとった学者や、目の下に隈を作った学生たちが、血走った目で物資を奪い合っている。
「……すごいな。もっと静かな場所だと思ってたよ」
俺があっけにとられていると、隣でリンネアが懐かしそうに目を細めた。
「ここは『写本市場』……大図書館の心臓を動かすための、血管のような場所です」
「写本だって?」
「ええ。翔一、あなたは勘違いしていませんか? 『大図書館の本は、自由に借りられる』と」
「違うのか?」
「とんでもない!」
リンネアは首を激しく横に振った。
「大図書館に収められた書物は、一冊たりとも『防壁』の外へ持ち出すことは許されません。あれは人類の至宝。紛失や破損は万死に値する重罪です」
「……なるほど。持ち出せないから、書き写すのか」
「そのとおりです」
彼女は市場を行き交う人々を指差した。
「世界中の研究者は、この都市に滞在し、自分の手で、あるいは職人を雇って、必要な知識を書き写して持ち帰るのです。だからこそ、この都市では『紙』と『インク』が水や食料と同じくらい価値を持つのです」
俺は市場を見渡した。
ある店先では、質の悪い植物紙が高値で取引されている。
別の店では、若い学生が「紙が買えない」と頭を抱えている。
写本職人たちは、腱鞘炎になりそうな手で必死にペンを走らせている。
――需要と供給。
そのバランスが、圧倒的に崩壊している。
「……ククッ」
笑いが込み上げてきた。
俺のポケットには、カルタ・ファブリカとの『独占供給契約書』が入っている。
そして、俺たちがこれから供給するのは、ここにあるどの紙よりも白く、丈夫で、しかも圧倒的に安い「月光紙」だ。
「翔一? 何をニヤニヤしているの?」
ポポロが怪訝な顔で見上げてくる。
俺は少年の頭を撫で、市場の喧騒を指差した。
「いやな、ポポロ。俺たちはとんでもない『金脈』の上に立ってるってことに気づいただけさ」
この市場の連中が、俺たちの紙を見たらどうなる?
写本の手間が減り、保存年数が伸び、コストが下がる。
革命だ。
俺たちが持ち込んだ「ゴミ」が、この知の都の歴史を変えてしまうかもしれない。
……だが、そうなると、これからの戦場は「商談」と「法廷」だ。
剣や暴力が支配する荒野とは違う。ここでは知恵と言葉こそが武器になる。
「――ガルム」
俺は振り返り、用心棒の男を見た。
彼はすでに、俺の視線に気づいていた。いや、俺がこの市場を見た瞬間から、すべてを察していたのかもしれない。
「契約は『大図書館都市まで』だったな」
「ああ。俺の仕事は、お前をこの都市に送り届けることだ」
ガルムは短く答えた。その声に、迷いはない。プロの傭兵らしい、淡々とした確認だ。
「ここから先は『書類と契約』の世界だ。剣を振るう場所じゃねえ」
「……そうだな。だが、俺は『最後まで』見届けると約束した」
ガルムの瞳が、俺を真っすぐに捉える。
「お前が図書館の門をくぐるまでは、俺の仕事だ。……それでいいな?」
――クソ、律儀な奴だ。
俺は苦笑した。こいつは契約の「文言」ではなく、「精神」を守ろうとしている。
だが、それがプロフェッショナルというものだ。だからこそ、俺は彼を信頼した。
「……分かった。じゃあ、もう少し付き合ってもらうぞ」
そのときだった。
「翔一」
リンネアが、静かに口を開いた。
彼女は俺とガルムを見て、いつもの冷静な声で続ける。
「一つ、提案があります」
「何だ?」
「ガルムさんの契約は、確かに『この都市まで』です。ですが――新しい契約を結ぶのはどうでしょう?」
俺は眉を上げた。
「新しい契約?」
「ええ。月光綿の輸送です」
リンネアは、市場を行き交う学者たちを指差した。
「この都市では、紙は黄金以上の価値を持ちます。ククルカ村から運ばれてくる『月光綿』は、この都市全体を変える可能性を秘めた素材です」
彼女は真剣な眼差しで続ける。
「ですが、それだけに――狙われます。情報は必ず漏れます。盗賊団が、あるいは他の商人が、輸送隊を襲うでしょう」
「……なるほど」
俺は腕を組んだ。
商人ギルドの定期便は、次の出発まで何日も待つ必要がある。
それに、金貨に匹敵する価値を持つ月光綿を、顔も知らない商隊に丸投げするのは危険すぎる。
情報は漏れる。盗賊が狙う。裏切りもある。
「ガルム。お前、ククルカ村まで戻って、専用の輸送隊を編成してくれないか」
俺が問うと、ガルムは少し考えるような仕草をして――やがて、口の端を吊り上げた。
「……輸送隊の編成と護衛か。二つの仕事だな」
「ああ。村で信頼できる運び屋を雇い、荷物の安全を保証しろ。報酬は金貨十枚だ」
「へっ。用心棒から輸送隊長に出世か」
ガルムはニヤリと笑い、俺に向けて手を差し出した。
「引き受けた。一番乗りで届けてやるよ。……あばよ、相棒」
ガルムは軽く手を上げると、迷いなく雑踏の中へと消えていった。
ポポロが小さく手を振る。その姿が、人混みに呑まれていく。
だが、その背中は先ほどよりも軽く見えた。
「――さて」
俺は視線を上げた。
市場の熱気の向こう。
都市を二分するように流れる幅広の運河――『防火運河』の対岸に、その巨塔群は鎮座していた。
幾千もの塔が連なり、空を突き刺すようにそびえ立つ場所。
運河にかかる石橋には厳重な検問所があり、火気や不純物の持ち込みを厳しく制限している。
ここから先は、許可なき者の立ち入りを拒む、真の聖域。
「あれが、本丸か」
大図書館都市レクサンドリア。
あの中には、この世界の全ての知識が眠っているという。
「行きましょう、翔一」
リンネアが凛とした声で言った。
彼女の瞳には、かつてないほどの決意が宿っている。
「ここからが、代弁士への第一歩になると信じましょう」
「ああ、そうだな」
俺は襟を正し、喧騒の中へと足を踏み出した。
弾丸(紙)は確保した。
コネも作った。
だが、文字の読めない俺一人じゃ、この迷宮では迷子になるのがオチだ。
だが、俺には最強の「目」がついている。
俺がこじ開け、彼女が読み解く。それが俺たちの攻略法だ。
「さあ、始めようか。……この『知の迷宮』のどこかに、必ず俺たちの求める答えがあるはずだ」
(第三章 完)
いつも『勝者の法』をお読みいただき、ありがとうございます!
作者の田邑です。
これにて第3章「荒野の旅路編」が完結し、翔一たちはついに目的地『大図書館都市』へと足を踏み入れました。
旅の仲間たちとの絆、そして新たな商機(月光綿)を手に、物語はいよいよ後半戦へ突入します。
次回からは第4章『大図書館編』がスタートします!
ここからは剣も魔法も封じられた、純粋な「知」と「法」の殴り合い。
翔一たちの前には、「新たな強敵」が立ちはだかる予定です。
それは、あの男(第1章の宿敵)の意志を継ぐ者かもしれません……。
そして、旅を通じて少しずつ変わっていく仲間たち(特にポポロ!)の姿にもご注目ください。
文字の読めない主人公が挑む、前代未聞の「図書館攻略」。
「常識」をひっくり返す、知的下剋上の始まりです。
新章は1月26日(月)から始まります。ぜひご一読ください。
※面白かったら、★評価や感想をいただけると、執筆の励みになります!(切実)




