第二十一話『門前の工房と、入国の切り札(カード)』
門前町の外れ、川沿いに建つその工場――『カルタ・ファブリカ (Charta Fabrica)製紙工場』の入口は、活気というよりは殺気立っていた。
俺たちが足を踏み入れると、入口で仁王立ちしていた親父――工場の責任者らしき初老の男が、俺たちを睨みつけた。
腕には太い血管が浮き浮き上がり、革のエプロンは染料とパルプで汚れている。頑固職人の見本のような男だ。
「ああん? なんだお前らは。関係者以外立ち入り禁止だぞ!」
「いやあ、良い匂いに誘われましてね。素晴らしい工場だ」
俺は両手を挙げて愛想よく近づいた。
「見世物じゃねえんだ。冷やかしなら帰れ。こっちは納期に追われて死にそうなんだ」
「でしょうね。見たところ、紙の強度が足りないようで」
俺が山積みの損紙を顎でしゃくると、親父の顔が引きつった。
「……なんだと?」
「羊皮紙は高価で分厚すぎる。かといって、その辺の草や葦を煮て作った紙じゃあ、繊維が短すぎてすぐにボロボロになる。違いますか?」
「……詳しいな、若造」
親父の目が、警戒から値踏みへと変わる。
俺は畳み掛けた。
「見たところ、苦肉の策で『混ぜ物』をしてるでしょう。……不足しているボロ布を補うために、安物の草パルプを」
「……仕方ねえだろうが! 街中から古着を買い集めても、量が足りねえんだよ! 純粋な『ラグペーパー』が良いことぐらい分かってる! だが、混ぜ物をしなきゃ商売にならねえんだ!」
図星だったようだ。
この世界の紙漉き技術は、原料不足という壁にぶち当たっている。
丈夫な紙を作るには、長い繊維を持つ「布」が大量に必要だ。だが、衣類自体がまだ貴重なこの世界で、紙にするほどの余剰な布なんてそうそう出回らない。
「つまり、混ぜ物なしの紙を作れるだけの、大量の繊維があればいいわけだ」
「はんっ。そんな夢みたいな話があるか。お前、俺に服でも売りに来たのか? 古着商に転向しろってか?」
親父が鼻で笑う。
俺は懐に手を入れ、一枚の布切れを取り出した。
第六話、あのククルカ村での契約の際に譲り受けた『月光綿』の端切れだ。
「これを見てください」
親父が面倒くさそうに布切れを受け取る。
そして――指で摘んだ瞬間、その目の色が変わった。
「……っ!? なんだ、この手触りは……絹か? いや、綿だ……!」
彼は布を光にかざし、さらに両手で引っ張った。
ビクともしない。鋼のような展性。
「月光綿……! 伝説の素材じゃねえか! 馬鹿野郎、こんな高級品、紙の原料にできるわけがねえ! 金貨がいくらあっても足りんわ!」
「ええ。普通に買えばね」
俺はニヤリと笑った。
「ですが、俺たちが持っているのは『製品』じゃない。『ゴミ』ですよ」
「……なに?」
「この綿を加工する過程で、大量の『落ち綿』や『端切れ』が出る。村じゃあ燃やすしかなくて困ってるんです。……産業廃棄物として、タダ同然で引き取れますよ」
「はぁ? タダ同然……?」
親父の目が、怪訝そうに細められた。
当然だ。いきなり「伝説の素材」を「格安で売る」なんて言われて、ホイホイ信じるバカはいない。
「……おい若造。お前、どこの回し者だ?」
「は?」
「そんな貴重なモンが、なんでお前ごときの手にある? 盗品か? それとも詐欺か? 俺は騙されねえぞ」
親父が月光綿を投げ返してきた。
さすがは職人、ガードが堅い。だが、想定内だ。
「盗品じゃありません。正規のルートです」
俺は懐から、羊皮紙の巻物を取り出して広げた。
ククルカ村との『独占販売契約書』だ。村長の署名と、血判代わりの拇印が押してある。
「ほら、これが契約書です。俺たちには、月光綿の加工・販売に関する全権が委任されています」
「はんっ! こんなもん、いくらでも偽造できるだろうが! どこの馬の骨とも知れん若造の紙切れなんか、信用できるか!」
親父は鼻で笑い飛ばした。
まあ、そう来るよな。
俺は肩をすくめ、背後の「切り札」に目配せをした。
「……リンネア先生。出番ですよ」
「まったく……人使いが荒いですね」
ため息交じりに、リンネアが一歩前に出る。
彼女はフードを少し上げ、その長い耳と、胸元のバッジを露わにした。
「法務院登録、盟約弁護士(星付き)のリンネア・カエレスティスです。……この契約書の作成には私が立ち会い、その署名が真正であることを確認しています。法務院に登録された盟約弁護士の名にかけて、この文書の法的効力を私が保証します」
「な……ッ!?」
親父がのけぞった。
エルフ。そして、誰もが知るエリートの証『星付き』のバッジ。
「ほ、星付き!? なんでそんな雲の上のエリート様が、こんな薄汚い工場に……!?」
「彼らは私のクライアントであり、信頼できるビジネスパートナーです。……工場長、彼らの提案に嘘偽りはありませんよ」
リンネアの凛とした声が響く。
親父は口をパクパクさせ、俺とリンネアを交互に見比べた。
疑いが、驚愕と動揺に変わっていく。
俺はダメ押しの一手を打った。
「それに工場長。俺たちは『前金』を寄越せなんて言いませんよ」
「……あ?」
「代金は、最初の荷(月光綿)が届いて、あんたが自分の目で品質を確認してからでいい。……これなら、あんたにリスク(損)はないはずだ。違いますか?」
親父が息を呑んだ。
伝説の素材。星付きの保証。そして、完全後払いの好条件。
これで断る理由は、もはやどこにもない。
彼は震える手で月光綿の端切れを握りしめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……条件は?」
「二つ」
俺は指を二本立てた。
「一つ。この原料の独占供給契約を、俺たち『タナカ商会(仮)』と結ぶこと」
「……いいだろう。他所に流されてたまるか」
「そして二つ目。……俺たちを、あんたの工場の『重要取引先』として、都市への入国を推薦してほしい」
親父は一瞬きょとんとして、次の瞬間、ガハハと豪快に笑い出した。
「なんだ、そんなことか! お安い御用だ! ついでに宿も用意してやるよ!」
***
そして、翌朝。
親父が用意してくれた宿で英気を養った俺たちは、再び正門の前に立っていた。
ただし今度は、横にある「業務用搬入口」だ。
「……はい、確認しました。『カルタ・ファブリカ (Charta Fabrica)製紙工場』の特別顧問および原料供給責任者、タナカ様一行ですね」
先ほどとは別の衛兵が、親父(グーテンベルク工場長)の署名入り推薦状を見て、直立不動で敬礼した。
横では、リンネアが呆れたように溜息をついている。
「……翔一。いつの間にそんな役職に就任したのですか? 先ほどの契約書には、そんな文言は……」
「特約条項の欄外に小さく書いといたんだよ。『乙は甲の特別顧問として待遇される』ってな」
俺は肩をすくめた。
ポポロが得意げに胸を張る。
「僕たち、紙屋さんもやることになったんだね!」
「ま、そういうことだ。……さあ、行こうぜリンネア。おとなしく待ってるなんて、性分じゃないんでな」
重厚な鉄の扉が、ゆっくりと音を立てて開いていく。
その隙間から、ひんやりとした空気が流れ出してきた。
一定に保たれた温度。湿度。
そして、圧倒的なインクと紙の匂い。
目の前に現れたのは、空を埋め尽くすほどの本、本、本。
知の迷宮への入り口が、今、開かれたのだ。
(第三章 第二十一話 完)




