第二十話『門前の巨大城塞と、無慈悲な入国審査』
峠を越え、眼下にその全貌が現れた瞬間。俺は思わず息を呑んだ。
「……まるで、電子回路(基板)だな」
俺は馬車から身を乗り出し、呆れたように呟いた。
巨大な盆地の中央。そこに、異様な光景が広がっていた。
無数の円筒形の建物――塔のような石造りの構造物が、びっしりと林立しているのだ。
一つ一つが巨大なコンデンサのようにも見えるし、あるいは冷却塔のようにも見える。
それらの塔同士を、空中に張り巡らされた無数の渡り廊下が繋いでいる。幾重にも重なり合い、まるで蜘蛛の巣か、あるいは複雑怪奇な回路パターンのようだ。
だが、何より異様なのは「色」だ。
その中央エリアには、生活の色がない。煙突からの煙も、洗濯物も、市場の極彩色もない。
ただ、石とレンガの灰色だけが沈黙している。
対照的に、その周囲を取り囲む「ドーナツ状」のエリアは、ごった煮のような熱気を放っていた。
工場が黒煙を吐き、ひしめき合う住宅街からは喧騒が聞こえ、街道は蟻の行列のような馬車で埋め尽くされている。
「中心部だけ時間が止まって、周りだけが必死に動いている……。なんだか、歪な構造だな」
「歪? ふふ、言い得て妙ですね」
隣でリンネアが、懐かしそうに目を細めた。
彼女の視線は、その灰色の塔群に注がれている。
「あの中央区画に『住人』はいません。あそこは、本のためだけの聖域なのです」
「聖域? 人が住んでないのか?」
「ええ。私は修習生時代に一度だけ訪れたことがありますが……あの中での火気は厳禁。飲食も厳しく制限されます。ですから、司書も、修復師も、学者たちも、全員がこの周囲の『衛星都市』から毎日『通勤』しているのです」
「なるほど。職住分離ってやつか」
俺は納得した。
火事を防ぐため、生活空間を完全に排除する。その結果、周囲に巨大なベッドタウンと工場地帯が生まれたわけか。
合理的だが、どこか狂気じみた「本への執念」を感じる。
「あれが、大図書館都市『レクサンドリア』……」
ポポロが目を丸くしている。
御者台のガルムも、珍しく感嘆の息を漏らしていた。
「要塞だな。攻め落とすには骨が折れそうだ」
「物騒な感想はやめてくれよ。俺たちは平和な商談(あるいは法的闘争)をしに来たんだからな」
俺は苦笑しながら、馬車を正門へと進めさせた。
***
だが。
予想はしていたが、やはり「アレ」が待っていた。
「――停止せよ。入国審査を行う」
巨大な鉄の門の前。
青い制服に身を包んだ衛兵たちが、立ちはだかった。
彼らの装備は洗練されている。槍や剣だけでなく、腰には警棒のようなものを下げている。おそらく、捕縛用の魔導具か何かだろう。
俺たちは馬車を降り、審査官の前に並んだ。
「身分証の提示を」
事務的な声。
まずリンネアが一歩前に出る。
彼女は懐から、あの『星付き(ステラ)』のバッジがついた身分証を取り出した。
「法務院登録、盟約弁護士(星付き)のリンネアです」
彼女は懐から、あの『星』の意匠が刻まれたバッジを取り出し、審査官に手渡した。
審査官は無言で一礼すると、カウンターに置かれた奇妙な装置を引き寄せた。
真鍮のような鈍い金色の金属で覆われた、顕微鏡と映写機を混ぜたような無骨な箱だ。
彼がバッジを装置のスリットに差し込み、横のレバーを引く。
すると、箱の内部でカチリと音がして、青白い光が漏れ出した。電気ではない。この世界特有の、発光する鉱石の光だ。
――ブォン、と低い唸り音と共に、装置のレンズから光が放たれる。
その光がバッジの中央に埋め込まれた透明な結晶を通過した瞬間、背後の白い壁に、驚くほど精緻な『文字と紋章』が投影された。
「……ほう」
俺は思わず声を漏らした。
ただの光ではない。バッジの結晶に含まれる特殊な物質が、装置の光と反応して特定の色と波長を生み出しているらしい。
壁に浮かび上がったのは、偽造不可能な光の戸籍謄本だ。
「……氏名、リンネア・カエレスティス。種族、エルフ。出身、西の『深緑の樹海』……父の名は……」
審査官が、投影された光の文字を目で追いながら、淡々と読み上げていく。
俺にはミミズ文字の羅列にしか見えないが、そこには彼女の生年月日や両親の名前、そして『種族法務士』『広域弁護士』を経て、最高位である『盟約弁護士』に至るまでの経歴がすべて刻まれているのだろう。
「……確認しました。間違いありません」
審査官はレバーを戻し、光が消えると同時に、バッジを恭しくリンネアに返却した。
その態度は、先ほどまでの事務的なものとは一変していた。
「大陸全土の調停権を持つ『盟約』の資格者に対し、煩雑な手続きを求めたご無礼、お許しください。……ようこそ、知識の都へ」
審査官が深く頭を下げる。
さすがは星付き。
俺は心の中でガッツポーズをした。この調子なら、同行者である俺たちも――。
「――で、そちらの三名は?」
審査官の鋭い視線が、俺たちに向けられた。
俺は愛想笑いを浮かべ、一歩前に出た。
「ああ、俺たちは彼女の助手兼、護衛でしてね。ほら、弁護士の仕事ってのは荷物が多いでしょう? こっちは御者のガルムに、荷物持ちのポポロ。俺は事務員のタナカです」
「身分証は?」
「あー……旅の途中で紛失しましてね。ですが、リンネア先生の保証があれば……」
俺はチラリとリンネアを見た。
彼女も頷く。
「ええ。彼らは私の正式な依頼人……いえ、パーティーメンバーです。身元は私が保証します」
これで通れるはずだ。普通の街なら。
だが、審査官は冷ややかな目で首を横に振った。
「却下いたします」
「……はい?」
「当都市の入国規定により、外部からの立ち入りは『市民』『有資格者』あるいは『招待状を持つ者』に限られます。弁護士の同行者であっても、資格なき者の入国は認められません」
「なっ……! そんな法律、どこにあるんですか!」
俺が食ってかかると、審査官は背後の石版を指差した。
そこには、達筆な流文字で何かがびっしりと刻まれている。
「『大図書館都市憲章、第七条。知識の保全のため、無用な者の立ち入りを禁ず』。……通れるのは先生お一人だけです」
「そ、そんな……」
リンネアが困惑した顔をする。
俺は舌打ちを堪えた。
お堅い役所仕事だ。だが、理屈は分かる。ここは世界中の知識が集まる場所。盗難や破損を防ぐため、セキュリティが厳重なのは当然だ。
「……分かった。少し時間をくれ」
俺は一度引き下がり、仲間たちの元へ戻った。
「どうするんだ、翔一。強行突破か?」
ガルムが物騒なことを言いながら、剣の柄に手をかける。
「馬鹿野郎。指名手配になりたいのか。……正攻法がダメなら、裏口を探すまでだ」
俺は周囲を見渡した。
ここは門前町。都市に入るための物資や、ここから出荷される製品を扱う問屋が軒を連ねている。
人の出入りは多い。商人らしき馬車も頻繁に行き交っている。
その時。
ポポロがお腹をさすりながら、情けない声を上げた。
「……翔一。僕、お腹すいた。それに、もう夕方だよ?」
見上げれば、空は茜色に染まり始めている。これ以上の押し問答は時間の無駄か。
「……そうだな。一旦引こう。作戦の練り直しだ」
俺はリンネアに目配せをし、踵を返した。
「リンネア、お前は先に入っててくれ……と言いたいところだが、宿の手配もまだだ。今日は門前町で一泊して、明日の朝イチで申請し直そう」
「ええ……分かりました。でも、どうするのですか? 正規の手続き以外に方法は……」
「それを探すんだよ。飯でも食いながらな」
***
門前町は、予想以上に賑わっていた。
都市に入れない商人や旅人、あるいは都市から出てきた労働者たちで溢れかえっている。
宿を探して大通りを歩いていると、ふと、川沿いの方から風に乗って独特な匂いが漂ってきた。
「……ん? なんだこの匂い」
俺は鼻をひくつかせた。
薬品のような、それでいてどこか懐かしい、植物を煮たような匂い。
気になって路地を覗くと、川沿いに巨大な水車小屋が建ち並んでいるのが見えた。
「行ってみよう」
俺の勘が、何かを告げている。
近づくにつれて、ゴオオオオッというボイラーの音や、水車の回る音が大きくなる。
そして、建物の裏手から、男たちの言い争う声が聞こえてきた。
「また破れた! クソッ、繊維が短すぎるんだよ!」
「仕方ねえだろ! パルプの質が落ちてんだ! こんな安物の原料で、百年持つ紙なんて作れるかよ!」
「工場長に言え! このままじゃ納期に間に合わねえってな!」
怒号と共に、窓からクシャクシャに丸められた紙屑が投げ捨てられる。
俺はその紙屑を拾い上げ、広げてみた。
……ボロボロだ。繊維が定着しておらず、少し引っ張っただけで千切れてしまう。
「……なるほどな」
俺の脳内で、パズルのピースがカチリと嵌まる音がした。
図書館都市。本。紙。そして、品質不足に悩む現場。
「ポポロ、ガルム。……そしてリンネア」
俺はニヤリと笑い、仲間たちを振り返った。
「宿探しは後回しだ。……千載一遇の『商談』が転がってるぞ」
(第三章 第二十話 完)




