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第十四話『沈黙の行進と、最初の一手』

 翌朝。

 俺は宿の窓から、眼下を流れる川と、その対岸を見下ろしていた。

 西区『オルディス』。整然とした街並みは美しいが、どこか生活感がない。

「……なるほどな」

 俺は着替えを済ませながら、一つの確信を得ていた。

 身につけるのは、以前ドワーフの名工バルドゥルに作らせた特注の衣装。

 最高級の革を黒く染め上げ、フォーマルなスーツの形状に仕立てた『現代の鎧』だ。タイを締め、ジャケットを羽織ると、背筋がスッと伸びる感覚がある。

「翔一、そろそろ時間ですよ」

 リンネアが部屋に入ってくる。

 彼女は革張りのソファーから立ち上がった俺を見ると、眩しいものを見るように目を細めた。

「……その格好を見ると、いよいよ『開廷』という感じがしますね」

「ああ。俺にとっての正装(戦闘服)だからな」

 俺が襟を正して答えると、リンネアは静かに頷いた。その瞳には、これから始まる戦いへの覚悟が宿っていた。

「それで、作戦どおりに?」

「ああ。……今朝の検問所の様子はどうだった?」

「いつもどおりです。東区の住人たちが、橋の前で立ち往生しています。彼らの多くは、西区の役所で公録や帳簿を司る文書吏や、街の石組みや水源を見守る修繕職人たちのようですが……」

「先ほどから衛兵たちが、『今日からは通行許可証のない者は通さない』と言っているようです」

「今日からは『許可証』がないと通さない、か」

「はい。昨夜のうちに、西側が突如として新しい条例を制定したようです。『入街許可証のない者の通行を禁ず』と」

「寝耳に水だな」

 俺はあきれて肩をすくめた。

「当然、東区民はそんなもの持っていない。申請する暇もなかったはずだ」

「つまり、実質的な『完全封鎖』ですね。強引すぎます」

「感情的になってインフラを止めるか。セシリアという奴は、意外と短気らしい」

 俺はニヤリと笑った。

 街の命脈めいみゃくは、東区の労働力に依存している。橋を封鎖すれば、困るのは西区のほうだ。

「さあ行くぞ。相手が作ったばかりの『矛盾だらけのルール』を、この『正当なルール』で殴ってやる」

 俺は懐から、昨夜手に入れた『ディルマ都市憲章』を取り出した。


          ***


 午前八時。

 東区側の橋のたもとには、異様な集団が形成されていた。

 先頭に立つのは、黒づくめの男――俺だ。

 その後ろには、強面の住民たちが五十人ほど整列している。

 だが、誰一人として剣や斧は持っていない。

 彼らが手にしているのは、帳簿の束、製図台、あるいは墨壺や金槌といった高度な専門道具だ。

「いいか、絶対に手出しはするなよ。俺が合図するまで、お前らは『無言の彫像』だ」

 俺の小声の指示に、住民たちが無言で頷く。

 俺たちは一糸乱れぬ足取りで、橋のバリケードへと進んだ。

 ザッ、ザッ、ザッ。

 軍隊のような行進音に、西側の衛兵たちが慌てて盾を構える。

「と、止まれぇっ!!」

 バリケードの向こうから、一人の男が怒鳴り声を上げて飛び出してきた。

 昨日の衛兵だ。階級章を見るに、隊長クラスらしい。

「貴様ら! 何のつもりだ! 武器を持っての集団行動は反乱とみなすぞ!」

 男が剣の柄に手をかける。

 俺はバリケードの三メートル手前で足を止め、ゆっくりと両手を広げてみせた。

「反乱? 心外だな、衛兵殿。……いや、その階級章は『隊長』クラスか」

「いかにも! 私は西門守備隊長、ガリウスだ! この場の責任者として命じる、即刻立ち去れ!」

「なるほど、ガリウス隊長か」

 俺は名乗りを聞いて、ニヤリと笑った。責任者が誰か分かれば、話は早い。

 俺はよく通る声で、演説するように言った。

「よく見たまえ。これが武器に見えるか?」

 俺が背後を示す。

 住民たちが一斉に、手にした道具を掲げた。

 朝日に輝く羊皮紙の束。鈍く光る……街の機能を繋ぎ止める、無骨かつ精緻な保守道具。

「こ、これは……」

「西区を動かす執務しつむや、街の骨組みを支える職能の徒だ。我々はこれから、滞っているこの街の機能を繋ぎ止めるべく、各々の持ち場へ向かうところなのだよ。善良なるたみとしてな」

「ふ、ふざけるな! 昨夜通達されたはずだ! 新条例により、許可証のない者の入街は認めん! 即刻立ち去れ!」

 ガリウスが唾を飛ばして叫ぶ。

「新条例、ね……。昨夜いきなり決めて、今朝から施行か。我々に申請する時間すら与えずにな」

 俺は懐から『ディルマ都市憲章』を取り出し、パラパラとページをめくった。

「だが、それは順序が違うんじゃないか? この街の礎である『ディルマ都市憲章』には、こうある」

 俺が目配せすると、隣のリンネアが朗々とした声で条文を読み上げる。

「憲章付記『双子都市特則』、第五条。『双スルトモニ栄エルヲ旨トス。両区民ハ、生業ノ為ニ相互ノ往来ヲ妨ゲラレナイ』」

 俺は憲章を閉じ、ガリウスに突きつけた。

「聞こえたか? 生活のための移動は、いかなる場合も妨げられない。これは区の条例よりも上位にある『憲法』だ。昨日できたばかりの理不尽な条例で、先代町長の定めた最高法規を覆せると思っているのか?」

「ぐっ……だ、だが、防疫上の理由がある! 暴獣熱の……!」

「防疫、か。それこそ、現場の隊長あんたの判断レベルを超えている話だな」

 俺は一歩、前に踏み出した。

「今、役所では新たな居住を願う書類が山積み。街を広げる建築現場の鼓動も、凍りついたように沈黙しているはずだ。我々を通さないことは、憲章違反であるだけでなく、町の住民に対する『背信行為』ではないのか?」

「き、貴様……何者だ……!」

 ガリウスがたじろぐ。論理の刃に、返す言葉がないのだ。

 俺は黒いジャケットの襟を正し、冷徹に告げた。

「東区長ロックス氏の代理人、タナカ・ショウイチだ。……話が通じないなら、責任者を出してもらおうか」

 俺は塔の最上階を見上げ、声を張り上げた。

「――西区長、セシリア・シルヴェストル氏との面会を要求する!!」


(第三章 第十四話 完)

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