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第三章 第十三話『軍師の契約と、遺された憲章』

 ロックスの誘いを受けてから、数時間が経った。

 日が沈み、東区リベラの夜が始まっている。

「契約の話なら、酒を飲みながらのほうがいいだろ?」

 そう言ってロックスが連れてきたのは、東区でも最大の宿屋『咆哮ほうこう亭』だった。一階の酒場は広く、荒くれ者たちが集まるには都合がいい。

 広場での一件を聞きつけたのだろう。ロックスの「新しい軍師」を一目見ようと、次々と住民たちが集まってきた。筋骨隆々とした獣人もいれば、やけに落ち着きなくジョッキを傾ける者たちもいる。荒くれ者の集まりにしては、妙に様子が違う。

「ガハハ! 飲め飲めぇ! 今日は俺の奢りだ!」

 ロックスが樽ごとのエールをあおりながら、豪快に笑う。

 その向かいで、俺は出された羊皮紙を前に腕を組んだ。

 酒場を見回してから、俺はロックスに目を向けた。

「……おい、ロックス。こいつらは何者だ?」

 ロックスはジョッキを置いて、ニヤリと笑った。

「何者って……俺の仲間だよ。こいつらがいなきゃ、この双子都市は回らねえ」

「回らない?」

「ああ」

 ロックスは腕を組み、酒場を見渡した。指先にインクがにじんだ男、煤に汚れた頑健な腕を持つ職人――。

「役所で公録を扱う文書吏、街の石組みや水源を見守る修繕職人、建築現場で腕を振るう棟梁たち……。こいつらは全員、西区で働いてる」

「……西区で?」

 俺は眉をひそめた。

「この街が分かれる前はな、今の西区が役所や工房、市場が集まる場所だった。東区は主に住むための区画だったんだよ」

 ロックスは苦笑しながら続ける。

「親父――先代市長が、この街を二つに分けたんだ。西区は『秩序』、東区は『自由』。それぞれの理念を掲げて、セシリアを西の区長に、俺を東の区長に任命した」

 ロックスは少し目を伏せる。

「住民にはどちらに住むか選ばせた。『秩序』を選んだ者は西に、『自由』を選んだ者は東に――。そして親父は、街が分かれて間もなく亡くなった」

「……ふむ、事情は分かった」

 翔一は静かに頷いた。

「だが、仕事場まで移せるわけじゃねえ。役所も工房も西区にある。だから、こいつらは今も毎日、橋を渡って西区に通ってるんだよ」

 なるほど――。

 俺は小さく息を吐いた。西区の「秩序」は、東区の労働力によって支えられている。その構造が、今この瞬間まで辛うじて機能してきたわけか。

「……つまり、西区が橋を封鎖すれば」

「ああ。困るのは、西区のほうだ」

 ロックスは不敵に笑った。

「それが分かってるから、セシリアも今まで強気には出られなかったんだ。だが……今回は違う」

 ロックスの表情が険しくなる。

「昨夜から、西区は完全に橋を封鎖した。理由は『暴獣熱の危険性』だとさ。役所にも現場にも行けねえ。こいつらは路頭に迷ってる」

 酒場の雰囲気が、一気に重くのしかかってくる。

 俺は腕を組み、改めて状況を整理する。

 西区が東区の労働力に依存しているなら、封鎖は西区にとっても自殺行為だ。それでも強行したということは、セシリアは本気で東区を切り捨てるつもりか、あるいは――何か別の目算があるのか。

 俺は思考を一旦脇に置き、目の前の羊皮紙に視線を戻した。

「……方針は見えた。ところで、契約書を作るんじゃなかったのか」

「おう! だから紙を持ってきたじゃねぇか。さっさと書いてくれよ、先生・・?」

 ロックスがニヤニヤしながら顎をしゃくる。

 俺は小さく息を吐き、隣で静かに紅茶をすすっているリンネアを見た。

「リンネア、頼む」

「……ええ、分かっています」

 リンネアは真面目な顔で頷くと、流れるような手つきで羽ペンをとった。

「おい、待て待て」

 ロックスが片手を上げて制止する。

「契約ってのは当事者同士で交わすもんだろ。なんで嬢ちゃんに書かせるんだ? お前が書けよ」

「……」

 俺は一瞬沈黙し、それからバツが悪そうに頭をかいた。

「……俺は、この国の文字が読めないし、書けないんだ」

 俺の告白に、ロックスはきょとんとした顔をした。

「あ? 先生・・って呼ばれてるのにか?」

「ああ。六法全書ほうりつは全部頭に入っているが、文字だけはどうにもな」

「へぇ……意外な弱点があったもんだ」

 ロックスはまたニヤリと笑い、ジョッキを置いた。

「まあいいさ。安心しろよ翔一。俺は生まれてから一度だって、口約束でさえ破ったことはねえ」

 その言葉には、不思議な説得力があった。区長として、対して荒くれ者たちの長としての矜持が垣間見える。

「紙切れなんぞなくたって、俺は裏切らねぇよ。お前が俺を信じてくれるならな」

「……ありがたい言葉だが、俺は弁護士フォーマルなもんでな。形に残さないと落ち着かないんだ」

「ガハハ! 疑り深い野郎だ!」

 ロックスは豪快に笑うと、再びリンネアに顎をしゃくった。

「いいぜ、書いてくれ。俺の信用をその紙とやらに刻んでやるよ」


 リンネアは淡々と、しかし素早く契約条項を記述していく。

「条件を言うぞ」

 俺は指を三本立てた。

「第一に、報酬は金貨十枚。前払いだ」

「ぶっ!」

 飲んでいたエールを吹き出しそうになりながら、ロックスが目を丸くする。

「じゅ、十枚!? お前、足元見過ぎじゃねぇか!?」

「嫌なら断れ。だが、俺を雇えば『西』に勝てる。安い投資だろ?」

「……くっ、まぁいい! 金ならある! お前が本当にセシリアの鼻を明かしてくれるなら、安いもんだ!」

 ロックスは膝を叩いて承諾した。

 見た目は粗野だが、こいつは自身の懐具合よりも「結果」を重視するタイプらしい。あるいは、単に仲間たちのために現状を打破したいという、お人好しな一面があるのかもしれない。

「第二に、作戦指揮権の『全権委任』だ。俺が右と言えば、たとえ崖があっても右へ行け。作戦中の質問は一切認めない」

「……俺にもか?」

「お前にもだ、ボス(・・)」

 ロックスは少し考え込み、そしてニカッと笑った。

「いいだろう! 俺は頭を使うのが苦手でな。難しいことは全部お前に任せる。俺は先陣を切って暴れられればそれでいい!」

 ……なるほど。この屈託のなさが、荒くれ者たちを束ねるカリスマ性なのだろう。

「そして第三に――『非暴力』の徹底だ」

 俺の言葉に、酒場の空気が一瞬止まった。ロックスがきょとんとした顔をする。

「非暴力? 殴っちゃいけねぇのか?」

「ああ。西の衛兵だろうと区長だろうと、手出しは一切無用だ。相手が剣を向けてきても、決してやり返すな」

「なんでだ? 喧嘩売るのに武器なしかよ?」

「俺たちがやろうとしているのは『戦争』じゃない。『抗議』だ」

 俺は諭すように言った。

「相手は秩序を重んじる西区だ。こちらが暴力を振るえば、それを口実に鎮圧されるだけだ。だが――手を出さない相手を一方的に殴れば、悪者になるのは向こうだ」

「……殴られ損ってことか? 気に食わねぇな」

「勝つためだ。我慢できるか?」

 ロックスは腕を組み、唸り声を上げたが、やがて力強く頷いた。

「……分かった。お前が『勝てる』と言うなら信じよう。俺たちは馬鹿だが、約束は守るぞ」


 ロックスは完成した羊皮紙を受け取ると、そこに慣れた手つきで署名をした。

 俺には相変わらずミミズがのたうっているようにしか見えないが、その筆運びには迷いがない。意外なほど達筆……なのかもしれない。

「これで文句ねぇだろ?」

「ああ、完璧だ」

 俺が契約書を懐にしまうと、ロックスがまたジョッキをあおった。

「で、どうするんだ? まずは何から始める?」

「情報収集だ。……ロックス、この街の『法律』に関する資料はあるか?」

「法律? そんなもん、俺が知るかよ。この街の掟は『自由』だ」

「不文律の話じゃない。もっと古い、この街ができたときのルールブックのようなものだ。親父さん――先代町長の遺品でもいい」

「親父の……?」

 ロックスは少し考え込み、やがて「ああ」と手を打った。

「そういや、親父が大事にしてた本があったな。『俺の魂だ』とか言って、金庫の奥にしまってあるやつが」

「それだ。今すぐ持ってきてくれ」


 数分後。

 ロックスが持ってきたのは、装丁のしっかりした一冊の古い本だった。表紙には金文字で何かが記されている。

「『ディルマ都市憲章』……」

 リンネアが表紙の文字を読み上げ、丁寧にページをめくる。

「……翔一、これはこの街が設立されたときの古い憲章ですね。……あっ、これは」

「どうした?」

「巻末に、手書きで追記があります。『双子都市特則』……日付は数年前、先代町長が亡くなる直前のものです」

「……なるほど。街を二分するときに、親父さんが書き加えた『遺言』ってわけか」

 俺はニヤリと笑った。

 手の中にあるこの古びた本こそが、最強の武器になると確信していた。


(第三章 第十三話 完)

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