第三章 第十一話『分断された双子街と、犬猫の喧嘩』
ドラゴ・ポストを出発してから、数刻。
日が西に傾きかけたころ、俺たちは大きな川のほとりにたどり着いた。
目の前には、巨大な中州を埋め尽くすようにして築かれた都市が見える。
双子都市『ディルマ』。
水運の要衝として栄えるこの街は、遠目に見れば一つの巨大な城塞都市のようだった。だが、近づくにつれて、その独特な雰囲気が伝わってくる。
「わぁ! 見て見て翔一! いろんな獣人の人がいるよ! あ、人間や、蜥蜴の人もいるね!」
幌の隙間から顔を出したポポロが、街道を行き交う人々を指差してはしゃぐ。
確かに、これまで通ってきた村々とは比較にならないほど、種族が入り乱れている。
「多種多様だな。……まるで人種の坩堝だ」
俺がつぶやくと、リンネアが頷いた。
「ディルマは『来る者を拒まず、去る者を追わず』を理念とした自由都市ですからね。先代の町長が、行き場のない亜人や移民を積極的に受け入れた結果、大陸でも有数の多種族都市になったそうです」
なるほど、聞こえはいい。だが、多様性はときに混沌を生む。
治安の悪化を危惧した町長は、晩年にある一つの改革を行ったという。
それが――街の『東西分割』だ。
川を境に、西側を『秩序区』、東側を『自由区』とする。
ルールを守り、平穏に暮らしたい者は西へ。
ルールに縛られず、己の実力で生きたい者は東へ。
市民は自分の性分に合った地区を選んで住むことができる。見事な社会実験だ。
「とりあえず、西側の『秩序区』へ行ってみましょう。治安もいいはずですし」
リンネアの提案に従い、俺たちは石造りの立派な門構えを持つ『西区』へと馬車を進めた。
***
「――入街を許可できない」
西門の衛兵は、冷たく言い放った。
銀髪に、長く尖った耳の先端に筆のような飾り毛がある。俺の知識にある『リンクス(オオヤマネコ)』に似た耳だ。切れ長の瞳が、俺たちを事務的に見下ろしている。
「は? なんでだよ。身分証ならあるぞ」
「書類の不備だ」
衛兵は、俺が提出したギルドカードと、ポポロの身分証を指先で弾いた。
「『西区入街管理法』第十八条。獣人の入街に際しては、指定医師による『暴獣熱予防接種証明書』の提示を義務付ける。……この子供の証明書はどこだ?」
「予防接種……?」
俺が首を傾げると、ポポロが「あっ!」と声を上げた。
「それなら知ってる! 腕に刺す『イガイガはんこ』のことでしょ? 僕、やったことあるよ!」
ポポロは袖をまくり上げ、細い二の腕を衛兵に見せた。
そこには、小さな点が十個、円形に並んだ古傷があった。
「ほら! これがあれば大丈夫なんでしょ?」
「……それがどうした」
衛兵は傷跡を一瞥しただけで、興味なさそうに視線を外した。
「そんな傷跡など、いくらでも偽造できる。私が求めているのは、西区認定医師が発行した『正式な紙の証明書』だ」
「なっ……! 書類がなければ、この傷があってもダメだって言うのか!?」
「左様。ここではルールが絶対だ」
衛兵は微動だにせず、鉄面皮のまま続けた。
そして、ガルムの提示したカード――『身分証』に視線を落とす。
「……それに、そっちの男の身分証。種族欄が『狼獣人』になっているな」
衛兵の言葉に、俺は改めてガルムを見る。
彼は一見すると大柄な人間にしか見えない。狼の耳も尻尾もない。だが、この世界では数万年に及ぶ異種交配の結果、見た目と種族が一致しないことは珍しくない。そのため、現在大陸の覇権を握る人間族が、個体を識別管理するために導入したのがこの『身分証』システムだ。
俺が当惑していると、リンネアが耳元に寄ってきて、微かな声で教えてくれた。
(翔一。この世界では数万年に及ぶ異種交配の結果、外見と血統が一致しないことは珍しくないのです。だから、大陸の管理権を持つ人間族が、個体を厳格に識別・管理するために導入したのが、その『身分証』なのです)
「……なるほど、戸籍の徹底管理というわけか」
「……それがどうした?」
「様式が古い。現行の『第四版』への更新が必要だ。外見から判断できん以上、ここではたった一つの不備も認められん」
「……随分とお役所仕事だな」
「秩序を守るためだ。例外は認めない」
衛兵は東のほうを指差した。
「ルールを守れぬなら、橋を渡って東へ行くがいい。あそこなら、証明書も許可証もいらん。……もっとも、何が起きても自己責任だがな」
「……へいへい。ご親切にどうも」
俺は憎まれ口を叩いて、馬車を反転させた。
明確なルールがあり、それを厳格に運用している。ある意味、住みやすい街なのだろう。窮屈だが。
「感じ悪いね! あんな耳の人、嫌いだ!」
「こらこら、声が大きいぞ、ポポロ」
頬を膨らませるポポロをなだめつつ、俺たちは橋を渡って対岸の『東区』へと向かった。
橋の上で、俺はガルムに尋ねた。
「なあガルム。さっきの『暴獣熱』ってのは何だ? そんなにヤバい病気なのか」
「ああ、獣人族だけがかかる流行り病さ」
ガルムが答える。
「発症すると理性を失って暴れ回り、七割が高い熱を出して死ぬ。……昔、俺の村でも流行ってな、地獄を見たよ」
「死亡率七割か。そりゃ衛兵が神経質になるのも分かるな」
「だがな、運良く生き残った奴は、二度とかからないんだ。完全な免疫ができる」
リンネアが補足するように頷く。
「エルフの賢者たちが、その免疫の仕組みを長年研究していたんです。そしてあるとき、偶然の産物として発見されたのが『十針の印』でした」
「偶然?」
「ええ。研究用の毒針を誤って自分に刺してしまった助手が、その後実験室でウイルスに触れても発症しなかったそうです。そこから、微量の毒を十本の針で皮下に注入する方法が確立されました」
なるほど、ワクチンの原始的な形か。
ポポロの腕の傷は、その『十針の印』の跡というわけだ。
「獣人にとっちゃ常識なんだがな。『証明書』なんて紙切れを要求されたのは初めてだ」
ガルムがあきれたように肩をすくめる。
「やっぱり、西の『オルディス』は頭が固ぇな」
***
東区の門番は、打って変わってフレンドリーだった。
「おう、旅人か! 歓迎するぜ!」
金髪の短髪に、首周りを剛毛が覆っている。ベルク族の青年が、ニカッと白い歯を見せて笑う。
その太い尻尾は、歓迎を表すようにブンブンと振られていた。
「手続き? ああ、そんなもん適当でいいよ。名前書いといてくれ。……ああ、ただな」
彼は人差し指と親指で輪っかを作って、俺にウインクしてみせた。
「『入街税』として、銀貨二枚ほど色をつけてくれると嬉しいなぁ。最近、西の連中が関税を上げてきたせいで、俺たちの懐も寒いんだよ」
「……なるほど。そういうことか」
俺は苦笑しながら、銀貨を弾いて渡した。
西は『規則』という名の壁で締め出し、東は『自由』という名の賄賂で通す。
どっちもどっちだが、商売人としては金で解決できる東のほうがまだマシだ。
門をくぐると、そこは熱気と喧騒の渦だった。
木造の建物が無秩序に立ち並び、道端には露店が溢れ返っている。肉を焼く香ばしい匂いと、どこか饐えたようなゴミの臭いが混じり合っていた。
「……賑やかだが、汚いな」
「西とは対照的ですね」
リンネアが眉をひそめる。
道端にはゴミが散乱し、昼間から酒を飲んで騒ぐ者たちの姿もある。
ふと、街の中央に目を向けると、そこには異様な光景があった。
街を二分するように流れる川。その上に架かる大きな石橋が、中央で厳重なバリケードによって封鎖されているのだ。
西側の衛兵たちが、橋の上に盾を並べて睨みを利かせている。
「……ありゃなんだ? 通行止めか?」
俺のつぶやきに、通りがかりのベルク族が答えた。
「ああ、あれは『国境』さ。こっちの連中が向こうで法を犯してばかりいるから、ついに閉鎖したんだとよ」
俺たちはメインストリート沿いの宿屋『咆哮亭』に荷物を下ろした。
宿の主人もベルク族で、俺たちが西門で追い返された話をすると、腹を抱えて笑った。
「ガハハ! そりゃ災難だったな! 西の『石頭女』の支配下じゃ、息をするのも許可証がいるぜ?」
「石頭女?」
「西区長のセシリアのことさ。……先代の町長が死んでから、あいつは変わっちまった。『東区は無法地帯だ、浄化すべきだ』なんて喚き散らして、俺たちベルク族を目の敵にしてやがる」
主人はジョッキを拭きながら、忌々しそうに吐き捨てる。
「俺たちの区長、ロックス様とは大違いだ。ロックス様はいいぞ。『やりたいことはやれ、責任は自分で取れ』が口癖だ。細かいことは言わねぇし、稼ぎはみんなで山分けだ」
自由と自己責任、か。
この街の設立者である先代町長は、孤児だったセシリアとロックスを引き取り、育てたという。
真面目で潔癖なセシリアには『秩序』を。
豪快で自由なロックスには『自由』を。
二人に異なる帝王学を授け、競わせることで、次代の町長を見極めようとしたのだろう。
だが、親父の死後、その天秤は均衡を失い、今は互いに反目し合う『冷戦状態』にあるようだ。
「……よくある跡目争いかと思ったが、意外と根が深いな」




