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第四話『異界の審判(中編)』

第一章 第四話『異界の審判(中編)』


「待ちなさい!」

 リンネアが、即座に子供の前に立ちはだかった。


 兵士長は鼻で笑った。「なんだ、エルフの嬢ちゃん。邪魔をするのか? こいつは、この辺境伯様の土地で罪を犯したんだ。我らが『領主法』で裁くのが、当然の権利だろうが」


 一見すると、非の打ちどころのない主張だった。

 しかし、リンネアは全く動じなかった。


「いいえ、違います!」

 彼女は、その正論に、さらに高次元の「正論」を真っ向から叩きつけた。

「『古き盟約』は、各種族の『移動の自由』と『自らの種族法で裁かれる権利』を保障しています! たまたまあなたたちの土地にいたからといって、その者の権利を無視し、一方的にあなたたちの法で裁くことは、『古き盟約』が保障する種族の自治権に対する、重大な侵害行為です!」


 彼女は、兵士たちの狼狽するような顔を真っ直ぐに見据えた。

「『古き盟約』に基づき、このような場合、まず所属する種族の代表に使節を送り、身柄の引き渡しと裁判権の所在について協議を行うのが、正式な手続きのはずです! あなたたちは、その手続きを取りましたか!?」


「……」

 兵士たちは言葉に詰まる。

 彼らはただ、スケープゴートとしての獲物を狩りに来ただけだ。そんな高尚な手続きなど、知る由もない。


「していないのですね。であるならば、あなたたちのその行為は、法の執行などではない。ただの『不法な身柄拘束』です!」


 (……なるほどな。こいつは、俺のいた世界で言うところの、『国際法』の専門家か。見事な正論だ。……だが、正論だけでは、ああいう脳筋は動かせん)


 翔一は腕を組んで、その光景を冷ややかに傍観していた。

 しかし、兵士長が掲げたその羊皮紙が目に入った瞬間、彼の眉がぴくりと動いた。


 彼はまず、そこに書かれている「文字」に意識を集中させた。

 そして、絶句した。


 (……読めない)


 そこにあるのは文字ではない。ただの、意味を持たないミミズのような線の羅列。この世界の共通文字『流文字』が、彼には全く理解できないのだ。

 背筋を、今まで感じたことのない種類の冷たい汗が、すっと流れ落ちた。


 知識こそが、彼の唯一の武器であり、矜持だった。

 読み、書き、話し、論破する。それこそが田中翔一という人間の、存在証明そのものだった。

 だが、この世界では、その根幹である「文字」が、読めない。


 (……非識字者イリテレイト……? この俺が……?)


 弁護士として死刑宣告? 違う。もっと酷い。

 彼はこの瞬間、ただの「文盲」になったのだ。

 目の前の、あの青臭いエルフの小娘や、何歳かも分からない狐の子供の助けがなければ、この世界で一人で生きていくことすらままならない。

 これまで常に他者を見下し、知識で支配してきた男が、最も侮蔑していたはずの「無知な弱者」の側に堕とされた。

 それは、彼のプライドに対する、死よりも残酷な宣告だった。


 しかし、

 (……ここで終わるわけにはいかない)

 絶望の淵で、彼の悪党としての本能が、生存への渇望が、彼を無理やり再起動させた。


 彼は傍観者でいることをやめた。いや、やめざるを得なくなった。

 この状況を正確に把握するためには、情報が必要だ。そして、その情報を得るためには、目の前のあの小娘を利用するしかない。


「おい、リンネア」

 翔一は、子供を庇って兵士と対峙する彼女の背中に、低い、焦燥を孕んだ早口で囁いた。

「その紙切れに何が書いてある? 一字一句、正確に読み上げろ」


「はあ!? 今、それどころでは……!」

「いいから、やれ! 早くしろ!」


 彼の有無を言わせぬ気迫に、リンネアは一瞬だけ怯んだ。

 彼女は不審に思いながらも、兵士が掲げる羊皮紙に書かれた文字を読み上げた。


「え、ええと……『本日、グレンジャー辺境伯領の森において、密猟対策のための特別取締を実施する。

 対象、狐の獣人。彼らは狡猾な密猟者である疑いが強いため、見つけ次第、問答無用で拘束することを許可する。以上』……で、ですが、具体的な人名も、署名もありません……!」


「――そこまでで、いい」

 リンネアの言葉を、翔一が遮った。

 彼の口元に、いつものあの悪魔のような笑みが、ゆっくりと浮かび上がっていく。


 (……なるほどな。話は、聞かせてもらった)


 被疑者名が個人名ではなく、「種族(狐)」。

 罪状も、日時も場所も特定されていない「包括的な命令」。

 そして、リンネアが指摘した「署名の不備」。


 それは、彼がこれまで何千、何万と目にしてきた、権力者が自らの都合の良いように、弱者をスケープゴートにするときに使う、典型的な「手口」だった。

 文字は読めない。この世界の法律も知らない。

 だが、

「法の抜け穴」の匂いだけは、嫌というほど分かる。


 彼は、思わず口を挟んでいた。

「……待て。茶番はそこまでにしろ。その紙切れを、本気で『法的な文書』だと思って見せているのか?」


 突然の介入に、兵士たちが訝しげな視線を向ける。


「まず、それは法的な文書ですらない。ただの差別的な『狩猟許可証』だ」

 翔一はリンネアの隣に並び立ち、冷たく言い放った。


「それに、彼女が言った『古き盟約』。あれは各種族間の取り決め、いわば条約だ。

 ……法学の初歩だがな、一地方の『領主法』ごときが、上位法である『条約』に優先するわけがないだろう? それとも、お前たちの主人は、古き盟約を破棄して、全種族を敵に回すつもりか?」


 兵士たちの顔に、狼狽の色が浮かぶ。そんな理屈、考えたこともない。だが、目の前の男のあまりに堂々とした態度に、反論の言葉が出てこない。


「ふむ……」

 翔一は、まるで品定めでもするかのように顎に手を当てて、ゆっくりと言葉を続けた。

「無効な令状で、正規の手続きも踏まず、未成年者を不法に拘束しようとする。公的な立場を利用して人を監禁する行為……。

 俺の故郷の法で言えば、これは『職権濫用』による『不当逮捕』。さらに相手が子供ならば『誘拐』も追加される重罪だ。……さて、貴様らの法ではどうなる?」


 彼は悪魔のように、にやりと笑った。

「どの罪状で告発してやるのが、お前たちにとって一番『面白い』ことになるかな」


(第一章 第一話 完)

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