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第九話『二十年の砂時計と、最短の商人』

 翌朝。


 俺たちは村総出の見送りを受けて、ククルカ村を出発した。


「翔一さん! リンネア先生! 本当にありがとうございました!」


「このご恩は忘れません!」


 ムロック村長をはじめ、トルバルド、サハギンたちも手を振っている。


 荷台には、謝礼として積み込まれた大量の食料と水。そして、最高級の月光綿の布が数反。


 懐には『独占販売権』の契約書。完璧な仕事だった。


 ……悪い気はしねぇな。


 俺は小さくつぶやき、遠ざかる村を眺めた。


「素直じゃないですね」


 リンネアがクスクスと笑う。


「次はどちらへ向かうのです?」


 俺は幌の隙間から、流れる景色を眺めた。


 地図によれば、この街道を二十リーグ(約百キロ)ほど行った先に、大きな町があるはずだ。


 視界の限り続くのは、乾いた黄金色の草原だ。頭上には雲一つない青空が広がり、遠くには霞む山々の稜線が見える。時折、傘を広げたような独特な形の木々が点在し、その下で草食動物の群れが休んでいるのが見えた。雄大だが、変わり映えのしない景色とも言える。


 ……平和すぎて、逆に眠くなってくるな。


「贅沢な悩みですね。この辺りは魔物も少なくて、旅には最適なんですよ」


 向かいに座るリンネアが、膝の上の分厚い法律書から顔を上げて微笑んだ。風が吹き抜けるたびに、草原がさざ波のように揺れる。草の乾いた匂いが鼻をくすぐった。


「そうだな。昨夜の喧騒が嘘みたいだ」


 俺はガルムに視線を向けた。


 彼は無言で手綱を操っているが、その背中からは少し疲れが抜けたように見えた。昨夜のどんちゃん騒ぎで、彼も少しは鋭気を養えたのだろう。


「今日は無理せず、街道沿いのドラゴ・ポスト(竜骨の道標)で野営にしよう。……さすがに昨日は飲みすぎた」


 俺がこめかみを押さえると、ポポロがケラケラと笑った。




          ***




 夜。


 街道沿いに点在する巨大な竜骨の下で、俺たちは焚き火を囲んでいた。


 夕食は、ククルカ村でもらった野菜たっぷりのシチュー。腹を満たした後は、それぞれが思い思いの時間を過ごす。ガルムは愛剣の手入れ。俺は次の商売の計画を練る。


 そして、リンネアとポポロは――青空教室ならぬ、星空教室を開いていた。


 俺も以前、リンネアから渡された蝋板を使って練習してみたが……どうにも性に合わない。複雑怪奇な異世界文字を覚えるより、ポポロに通訳させたほうが早いと早々に匙を投げたのだ。結果、俺は寝転がって星を眺め、ポポロだけが必死に勉強しているという構図になっている。


「違いますよ、ポポロ。ここの跳ねはもっと力強く」


「うぅ……こう?」


 ポポロが小さな手で蝋板に文字を刻んでいる。その表情は真剣そのものだ。額には汗がにじみ、自慢の耳もピンと立っている。文字の習得速度は、完全に俺より上だった。子供の柔軟な脳には勝てない。


 以前、俺が「契約書も読めない奴は商人になれない」と焚きつけたときは、あんなに嫌がっていたのに。今のポポロには、鬼気迫るような集中力があった。


 ……熱心だな。旅の間くらい、少しは休めばいいのに。


 俺はあきれて声をかけた。だが、ポポロは手を止めずに首を振った。


「だめだよ! 僕には時間がないんだから!」


「時間がない? 何を生き急いでるんだか」


 子供の気まぐれだろう。俺は軽く流そうとした。だが、そのときふと、リンネアの表情が曇ったのに気づいた。


「……翔一。あなたは以前、私から獣人の寿命について聞きましたね?」


「ああ。短命だって話だろ? 人間より少し短いとか……」


「少し、ではありません」


 リンネアの声が硬い。俺は焚き火の手を止めた。場の空気が、急に冷えたように感じた。


 ……おい、ポポロ。


 俺は努めて明るく呼びかけた。


「お前、なんか隠してることあるのか?」


 ポポロの手が止まった。ポポロは蝋板を置き、焚き火の炎をじっと見つめたまま、ポツリと言った。


「……ママがね、言ってたの」


「何をだ?」


「僕は……『先祖返り』かもしれないって」


「先祖返り?」


「うん。パパには耳も尻尾もなかったんだよ。でも、僕だけ狐の耳と尻尾が生えてて……鼻も耳も、すごく良くて」


 ポポロが自分の狐耳を触る。


「そういう子はね、昔の動物の血が濃く出てるんだって。だから……」


 ポポロは一度言葉を切り、俺のほうを向いた。その瞳は、炎の明かりを映して揺れていたが、決して怯えてはいなかった。


「寿命も、動物と同じくらいかもしれないって」


「……同じくらいって、どれくらいだ?」


「わかんない。でも……たぶん、あと十九年くらい」


 十九年。俺たちが当たり前のように浪費している時間が、こいつにとっては一生分のすべてだというのか。


 以前リンネアから「獣人は短命で、特にポポロのような狐族は二十年ほどしか生きられない」と聞いてはいた。だが、こうして本人の口から、具体的な数字として突きつけられると、その重みはまるで違う。俺は返す言葉を失った。


 ……確定なのか?


「ううん。お医者さんにも分からないって。でも……たぶん本当だよ。だって僕、生まれてまだ半年なんだ」


「……半年?」


「うん。普通の獣人なら、まだハイハイしてるころだよ。でも僕はもう、こんなに大きい。……成長が早いってことは、それだけ『終わり』も早いってことだもん」


 ポポロは胸に手を当てて、寂しげに笑った。


「自分の中の時計が、みんなより猛スピードで進んでる気がするの。だからね、のんびりしてられないの。早く文字を覚えて、計算もできるようになって、一人前の商人にならなきゃ」


「……なんで、そこまで商人にこだわる?」


「だって、パパとママを見つけて、楽させてあげたいもん。……僕がいなくなっても、二人が困らないくらい、いっぱいお金を残してあげたいの」


 健気すぎる動機だった。自分の死後、残される親のことまで考えているのか。まだ、生まれて一年も経っていない子供が。


 俺は奥歯を噛み締めた。理不尽だ。あまりにも理不尽だ。こんな小さな体に、才能と引き換えに死の砂時計を埋め込むなんて、神様という奴はとんだ悪徳商法だ。


「……翔一?」


 ポポロが不安そうに俺の顔を覗き込む。俺は大きく息を吐き出し、乱暴にポポロの頭を撫でた。


「……バカ野郎。勝手に『終わり』を決めるな」


「え?」


「いいか、ポポロ。俺は悪徳弁護士だ。神様だろうが運命だろうが、気に食わない契約はねじ伏せる。……お前の寿命が二十年だって? 誰が決めた? 契約書はあるのか?」


「け、契約書……?」


 ポポロが目を白黒させる。


「ないなら無効だ。俺が認めない」


 俺はニヤリと笑って、ポポロの額を指で弾いた。


「安心しろ。お前は俺が仕込んでやる。あのリンネアも黙らせるくらいの、超一流の商人に育ててやるよ。……その代わり、スパルタだぞ? 泣いてもやめさせないからな」


 ポポロは驚いたように目を見開き、やがて――パッと花が咲くような笑顔を見せた。


「うん! 望むところだよ、師匠!」


「師匠はやめろ。……ほら、さっさと続きをやれ。時間は金(寿命)なり、だろ」


「はいっ!」


 ポポロは再び蝋板に向かい始めた。その背中は、さっきよりも少しだけ大きく見えた。


 俺は焚き火に薪をくべながら、心の中で誓った。


 ……絶対に後悔なんてさせねぇぞ。


 二十年? 上等だ。なら、普通の奴が二十年かけてやることを、二年でやらせてやる。この理不尽な『時間制限』すらも味方につけて、必ず世界一の商人に仕立て上げてやる。


 俺は焚き火の向こうの小さな背中に、そう固く誓った。


(第三章 第九話 完)

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