第六話『村長の涙と、悪徳の処方箋』
白兎亭の奥にある村長の自宅。
通された居間は、村長の住まいにしても質素すぎるほどだった。古びた家具、擦り切れた敷物。出された茶も、薄い泥水のような味がした。
「……申し訳ございません。これが、精一杯のおもてなしでして」
ムロックは、俺たちの前で再び深く頭を下げた。
先ほどまでの狡猾な詐欺師の顔はどこにもない。そこにあるのは、生活に疲れ果てた一人の老人の姿だけだった。
「別に茶の味を文句を言いに来たわけじゃない。さっさと話せよ。なんであんな真似をした?」
俺が問い詰めると、ムロックは震える声で語り始めた。
「……全ては、領主ガバリエ様の命令なのです」
「領主?」
「はい。この辺り一帯を治めるガバリエ男爵様が、今年から『水利税』を……いきなり十倍に引き上げられたのです」
「十倍!? 」
リンネアが素っ頓狂な声を上げた。
無理もない。税金がいきなり十倍になれば、どんな優良企業でも倒産する。
「当村の特産品は『月光綿』という植物です。夜間に月の光を浴びて繊維を伸ばす、非常に繊細な作物でして……大量の水を必要とします。水を止められれば、綿は一か月も持たずに枯れ、村は干上がってしまいます」
「月光綿……聞いたことがあります。軽く、丈夫で、微かな光沢を持つ最高級織物の原料ですよね」
リンネアが感心したように補足する。なるほど、そんな高級品の産地なら、搾り取れると踏んだわけか。
「払えなければ、どうなる?」
「……村の若い娘たちを、屋敷へ奉公に出せと。名目は奉公ですが、実態は……その、愛人兼奴隷のようなもので……」
ムロックが悔しげに拳を握りしめる。部屋の隅では、ポポロが心配そうにガルムの服の裾を掴んでいた。
「明白な権利の乱用です!」
リンネアがテーブルを叩いて立ち上がった。
「水利権は公共性の高い権利です。領主といえど、生存権を脅かすほどの増税は認められません。王都の法務院へ提訴すれば、確実に勝てます!」
「……ええ、そうかもしれません。ですが先生……」
ムロックは力なく首を振った。
「法務院の審理には、半年はかかると聞きます。判決が出る頃には、村はとうに全滅しております」
「そ、それは……」
「それに、我々には裁判費用も、王都へ行く旅費もありません。だから……旅人のほうから、少しでも金を……」
リンネアが言葉に詰まり、唇を噛む。正論だが、遅すぎる。法律は弱者を守る盾だが、その盾が届く前に殺されてしまっては意味がない。
「……なるほどな」
俺は茶を一口すすり、不味さに顔をしかめた。状況は理解した。典型的な悪代官と、泣き寝入りする農民の構図だ。だが、俺の興味は「正義」にはない。「勝算」があるかどうかだ。
「じいさん。領主の館はどこだ?」
「ここから川沿いに半日ほどさかのぼった、川べりの平地にあります」
「川の水源は領主のものか?」
「はい。水源地に柵を作り、水門を管理しておられます。そこを閉められれば、我々はおしまいです」
上流が水を支配し、下流が生殺与奪を握られる。地理的条件は圧倒的に不利だ。だが――。
「下流(この村)から、上流(領主)に影響を与える設備はないか?」
「は? ……いえ、そんな大層なものは。あるとすれば、村外れにある『古い水門』くらいで……大雨のときに、下流の湿地帯を守るためのものですが」
「……水門?」
俺の脳内で、パズルのピースがカチリと嵌まった音がした。
「案内しろ」
***
村外れにある水門は、苔むした石造りの巨大な建造物だった。錆びついたハンドルと、分厚い鉄の扉。構造は古いが、堅牢さは失われていない。
「この水門を閉じると、川の水がせき止められ、横の貯水池に流れる仕組みです。ですが、普段は開けっ放しで……」
「これを完全に閉鎖したら、どうなる?」
「え? ……そうですね、貯水池がいっぱいになれば、行き場を失った水は上流へ逆流し、水位が上がるでしょうが……」
バックウォーター現象。下流の水位上昇が、上流の水位をも押し上げる現象だ。
「じいさん、もう一つ質問だ。領主の館は川のすぐそばって言ったな? どれくらい近いんだ?」
「どれくらい……と言いますと、庭の端はもう護岸ですし、川の上に突き出したテラスもあります」
「ほう、テラスか」
「はい。たしか、その下には半地下の倉庫を作って、自慢の『ポマリス(月果酒)』を寝かせているとか……。『川のせせらぎを聞きながら熟成させるのが最高だ』と、以前自慢していました」
「……ククッ」
笑いが漏れた。最高だ。お膳立てが過ぎる。
「よし、武器は決まった。ムロック村長、これから『水門の緊急安全点検』を行う」
「は、はい……?」
「もし今、この水門を全閉鎖したらどうなるか。行き場を失った水は上流へ滞留し、水位が上がる。川岸ぎりぎりに建てられた領主の『自慢のテラス』や『半地下倉庫』は……どうなると思う?」
ムロックがハッと息を呑んだ。
「み、水浸しに……!? 」
「そういうことだ。これは攻撃じゃない。村の安全を守るための、正当な『維持管理業務』だ」
俺がニヤリと笑うと、ムロックは青ざめた顔で震え出した。
「そ、そんなことをしたら、領主様が激怒して兵を差し向けます! 村ごと焼き払われてしまいます!」
「向こうが『水を止める』と脅すなら、こっちは『水をあふれさせる』と脅し返すんだ。これが対等な交渉テーブルだ」
「し、しかし……一時的に脅せても、後で何をされるか……!」
ムロックの懸念はもっともだ。この作戦は、あくまで相手を交渉の席に着かせるための「脅し(ブラフ)」に過ぎない。根本的な解決には、もう一手、決定的な「圧力」が必要だ。
「……そうだな。これだけじゃ弱い」
俺は腕を組み、ムロックを見た。
「じいさん。この川を使っているのは、あんたの村だけか?」
「え?」
「他にも、領主の被害に遭っている村はないのかと聞いているんだ」
「それは……隣に『ドワーフの鍛冶村』と、下流に『蜥蜴人の漁村』がありますが……。どちらも似たような状況だと聞いています。水がなければ、皆生きていけませんから」
「……待て。ドワーフと蜥蜴人と言ったか?」
「は、はい」
「なるほど。鍛冶屋と漁師か……使えるな」
俺の脳内で、新たな戦略が組み立てられていく。水攻めという「奇策」と、種族間の連携という「正攻法」。この二つを組み合わせれば、領主を完全に詰ませることができる。
「よし、方針変更だ」
俺はムロックの肩を叩いた。
「この水門作戦は『最初の脅し』として使う。その後に、本命の『外堀』を埋めるぞ」
「は、はあ……」
「あんたには案内役として付き合ってもらう。誰か信頼できる若衆を水門に配置して、俺の合図があったら閉められるようにしておけ」
「わかりました……」
「安心しろ。俺は金にならない仕事はしない。この解決の報酬は……そうだな」
俺は懐から羊皮紙を取り出し、リンネアへと差し出した。
「リンネア先生、契約書の作成だ。報酬は『宿代の免除』『旅の食料補給』。そして――この村の特産品、『月光綿』で作られた最高級糸の『独占販売権』。これでどうだ?」
ムロックはリンネアが書き上げた羊皮紙をおずおずと受け取り、信じられないという顔で俺を見た。村の命運を託す対価としては、あまりに安すぎると思ったのかもしれない。
「……本当に、それだけで?」
「ああ。だが、この権利書は俺の切り札になる。商談成立だな?」
ムロックは涙をためて、何度も頷いた。
「……ありがとうございます、ありがとうございます……!」
***
一時間後。
俺たちは再び馬車に乗り込んだ。御者台にはガルム。荷台には俺とリンネア、ポポロ。そして、案内役として強引に乗せたムロック村長。
「……本当にやるんですか、翔一」
リンネアが複雑な表情で尋ねてくる。彼女の正義感からすれば、俺のやり方は「際どい」のだろう。
「やるさ。法廷で勝てないなら、盤面ごとひっくり返すしかない」
「でも、相手は領主ですよ? 下手をすれば……」
「安心しろ。勝算はある」
俺は窓の外を眺めた。目指す領主の館は川の上流にある。だが、その前に寄るべき場所があった。
「御者殿、まずは隣の『ドワーフの村』へ頼む」
俺の指示に、ガルムが無言で手綱を振るう。
「外堀から埋めていく。……悪徳領主への『包囲網』、作らせてもらおうか」
(第三章 第六話 完)




