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第四話『消えた黒馬と、甘い果実の代償』

 緑の絨毯を敷き詰めたような草原を、俺たちの馬車はひたすらに進んでいた。

 日差しは強いが、時折吹き抜ける風が草の波を揺らし、点在する木々の葉をざわめかせる。

 前回の野営地だった小高い丘を離れてから数時間。リムガーレを出て三日目の昼過ぎだ。

 道中、等間隔に設置された巨大な竜の肋骨――『竜骨の道標ドラゴ・ポスト』をいくつも通り過ぎてきた。景色は少しずつ変化し、木立の数が増え始めていた。

 しかし、厳しい暑さは変わらない。

 水筒の水はとうに底をつきかけていた。

「……暑い。溶けるぅ……」

 荷台の幌の下で、ポポロがぐったりと伸びている。自慢の狐耳もぺたりと垂れ下がり、尻尾も力なく揺れているだけだ。

 御者台に座るガルムも無言だ。使い込まれた革鎧を着ている彼にとって、この日中の移動は苦行に近いだろう。

「もう少しです。地図によれば、この先に集落があるはずです」

 リンネアが汗を拭いながら、励ますように言った。彼女自身、顔を赤くして相当参っているようだが、気丈に振る舞っている。


 やがて、木立のトンネルを抜けた先に、ひときわ鮮やかな緑の影が見えてきた。

 近づくにつれ、それが豊かな水源を持つ村であることが分かる。

 街道沿いのオアシス、ククルカ村だ。

 村に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 むせ返るような草いきれと、どこか甘い花の香り。村の中央には清らかな水路が引かれ、白い綿花のような植物が一面に咲き乱れている。

「わあ……! 水だ! お花だ!」

 ポポロが歓声を上げて身を乗り出す。

 だが、俺が気になったのは、景色よりも住人たちだった。

 長い耳に、愛らしい顔立ち。ぴょんぴょんと跳ねるように歩く姿。

 兎人族ラビットマンだ。

 彼らは馬車が入ってくると、長い耳をピクリと動かしてこちらを一斉に見た。だが、すぐに視線を逸らし、何かをヒソヒソと話し合っている。


 (……なんだ? 歓迎ムードってよりは、獲物を値踏みするような目だな)


 俺は直感的に警戒心を抱いた。

 この村、どこか空気が淀んでいる。

 街道沿いには、旅人向けの宿屋が数軒並んでいた。

 だが、俺はその看板を見て、思わず二度見した。

『旅人歓迎! 一泊二食付き 銀貨一枚!』

『当宿も銀貨一枚! 朝食には名物の果物付き!』

『激安! 銀貨一枚ポッキリ!』

「……おいおい、価格破壊にも程があるだろ」

 俺はあきれてつぶやいた。

 銀貨一枚。……確か、リムガーレの屋台で串焼き一本がそれくらいだったはずだ。日本円にすれば五百円程度。

 素泊まりでも怪しい金額で、二食付きとは正気を疑う。

「相場の十分の一以下ですね。……怪しいです」

 リンネアも眉をひそめる。

 通常、街道沿いの宿場町というのは足元を見てくるものだ。これほど一律に、しかも異常な安値を提示しているのは、裏で何らかの協定カルテルが結ばれているとしか思えない。

「どうする? 野宿にするか?」

 俺が提案すると、荷台からポポロの悲痛な声が上がった。

「えーっ! もう無理だよぉ……ふかふかのベッドで寝たいよぉ……」

 ガルムも無言で肩をすくめる。彼の疲労も限界に近いようだ。

 俺はため息をついた。

「仕方ない。一番マシそうなところに入って、事情を聞いてみるか」


 俺たちは、村の中で最も大きく、小奇麗な建物――『白兎亭』という看板が出ている宿の前で馬車を停めた。

 扉を開けると、カウンターの奥から一人の老人が現れた。

 白髭を蓄え、長い耳が垂れ下がった、人の好さそうな兎人族だ。

「いらっしゃいませ! ようこそ白兎亭へ!」

 老人は満面の笑みで揉み手をした。

「空いてるか?」

「ええ、ええ! お部屋は選び放題ですよ。一泊二食付き、銀貨一枚でございます!」

 俺はカウンターに肘をつき、老人をじろりと見据えた。

「なぁ、じいさん。表の看板、ありゃ本当か? 後から追加料金だの、サービス料だのふっかけるんじゃねえだろうな」

「滅相もございません!」

 老人は大げさに手を振った。

「私はこの宿の主で、村長のムロックと申します。

 実はですね、今は季節外れで旅人様が少なくて困っておるのです。そこで、村を挙げての『大感謝キャンペーン』を実施中でして」

「キャンペーン?」

「はい。まずは安く泊まっていただいて、この村の良さを知ってもらう。そうすれば、口コミでお客が増える……薄利多売というやつですじゃ」

 ムロックと名乗った老人は、へへへと愛想笑いを浮かべた。

 筋は通っている。閑散期の集客戦略としてはありふれた手だ。

 そのとき、ムロックの視線が、窓の外に繋がれたコクヨウに向けられた。

「ほう……こりゃまた、立派な黒馬ですなぁ」

 その目が、一瞬だけねっとりと細められたのを、俺は見逃さなかった。

 だが、すぐに好々爺の顔に戻る。

「厩舎も空いております。新鮮な牧草もサービスしますよ」

「……分かった。世話になるよ」

 俺は警戒心を解かぬまま、宿帳(契約書)にサインをした。文字はリンネアに確認してもらったが、特に怪しい条項はないとのことだ。

「はい、確かに。これで契約成立です」

 ムロックは宿帳を大事そうにしまい込むと、奥へ向かって声を張り上げた。

「おい! お客さんだ! とびきりのご馳走を用意しな!」


          ***


 出された夕食は、値段を考えれば上等すぎるものだった。

 たっぷりの野菜が入った温かいスープに、焼きたてのパン。そしてデザートには、この村の名産だという甘い果実。

「おいしーい!」

 ポポロは目を輝かせてスープを啜っている。

 俺も匙を口に運んだ。素朴だが、体に染み渡る優しい味だ。

「……疑いすぎだったかもしれませんね」

 リンネアがパンをちぎりながら言った。彼女も久しぶりのまともな食事に、表情が緩んでいる。

「まあな。タダより高いものはないが、安くて美味いなら文句はない」

 俺も肩の力を抜いた。


 だが、食事を終えて部屋に戻ると、急激な睡魔が襲ってきた。

 旅の疲れだろうか。それにしては、泥のように体が重い。

「ふわぁ……もう、だめ……」

 ポポロが一番最初にベッドに倒れ込み、すぐに寝息を立て始めた。

 リンネアも、椅子に座ったまま船を漕いでいる。

「……おい、ガルム。見張りは……」

「……ああ。俺が……」

 ガルムもまた、壁に背を預けたまま、瞼を重そうに閉じた。

 俺も、もう限界だった。頭の芯が痺れるような感覚。思考がまとまらない。


 (……なんか、変だぞ……)


 最後の理性が警鐘を鳴らしたが、俺の意識は深い闇の底へと引きずり込まれていった。


          ***


 深夜。

 静寂が宿を支配していた。

 ガルムは、ふと意識を取り戻した。

 野生の勘が、強制的な眠りの淵から彼を呼び覚ましたのだ。


 (……足音?)


 彼は重い瞼をこじ開け、耳を澄ませた。

 静かだ。虫の声すら聞こえない。だが、風に乗って、微かに何かが聞こえる。

 キィ、キィ……。

 油の切れた車輪が軋むような音。

 そして、サササッ、という、衣擦れのような無数の音。

 ガルムは剣に手を伸ばそうとした。だが、指先が痺れて動かない。

 薬だ。スープか、あるいは水か。

 兎人族は臆病だが、薬草の知識には長けている。


 (……くそ……)


 窓の外を見ようと首を動かすが、何も見えない。

 兎人族の隠密行動は、熟練の狩人ですら欺く。

 意識が再び遠のいていく。

 抗えない眠りの波に飲み込まれる直前、ガルムは確かに聞いた。

 ヒヒーン、という、押し殺したような馬のいななきを。


          ***


「……おい! 起きろ! 翔一!」

 怒鳴り声と共に体を揺さぶられ、俺は跳ね起きた。

 頭が割れるように痛い。最悪の目覚めだ。

「……なんだよ、朝っぱらから」

「いいから来い! やられた!」

 ガルムの形相に、俺の眠気は一瞬で吹き飛んだ。

 俺たちは部屋を飛び出し、裏庭の厩舎へと走った。

 そこには――何もなかった。

 空っぽの馬房。

 繋いであったはずのコクヨウも、荷物を積んだままの馬車も、影も形もない。

「コクヨウ! コクヨウ!?」

 遅れてやってきたポポロが、半泣きで走り回る。だが、どこにもいない。

「……あそこを見ろ」

 ガルムが指差した地面には、無数の痕跡が残されていた。

 車輪を引きずった跡と、それを隠すように上書きされた、無数の兎の足跡。

 それらは村の奥にある、鬱蒼とした茂み――『迷いの森』の方角へと続いていた。

「……ちっ。逃げ足の速いウサギどもめ」

 俺はギリ、と奥歯を噛み締めた。

 状況は明白だ。昨夜の安宿も、ご馳走も、全てはこのための撒き餌だったのだ。

「……やられたな。『キャンペーン』の正体はこれか」


 俺たちは踵を返し、宿のロビーへと向かった。

 カウンターには、ムロックが一人で立っていた。

 昨日の好々爺の仮面は、もうどこにもない。

 そこにいるのは、冷酷で計算高い商人の顔をした、一人の古狸――いや、古兎だった。

 彼は武装した兵士を侍らせているわけでもない。ただ一人、余裕の笑みを浮かべて俺たちを見つめていた。

「お目覚めですかな、お客さん」

 俺はカウンターに詰め寄った。

「とぼけるな。馬と馬車をどこへやった?」

 俺の剣幕にも、ムロックは眉一つ動かさない。

「ああ、お馬さんたちなら、当村の『特別保管庫』で大切にお預かりしておりますよ。……最近は、宿代も払わずに夜逃げする不届きな旅人が多くて困っておりましてな。念のため、お支払いが済むまで『保証金代わり』として確保させていただいたのです」

 ムロックは、手にした一枚の羊皮紙を、これ見よがしにピラピラと振ってみせた。

「なに、ご心配なく。チェックアウトの精算さえ済めば、すぐにお返ししますとも」

 そう言って突き出された羊皮紙には、目が飛び出るような数字が躍っていた。

「……金貨、五枚だと?」

 銀貨一枚の約束が、いつの間にか金貨五枚。日本円にして約二十五万円相当に化けていた。


(第三章 第四話 完)

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