表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/48

第三章 第三話『狼の対話と、隔世の血』

第三章 第三話『狼の対話と、隔世の血』



 深夜。


 草原の夜は、恐ろしいほどに静まりかえっていた。


 風の音も虫の声も、全てが闇に溶けて消えている。あるのは、頭上に広がる満天の星空と、冷たく澄んだ空気だけだった。


 俺たちは交代で見張りに立っていた。今は俺とガルムの番だ。


 焚き火はとっくに消し、埋め戻してある。月明かりだけが頼りだった。


 俺は寒さを紛らわせるために、ブランケットを肩まで引き上げた。異世界の夜は、昼間の暑さが嘘のように冷え込む。


「……静かすぎるな」


 俺がポツリと呟くと、隣で剣の手入れをしていたガルムが、手をやめた。


「ああ。虫が鳴くのをやめた」


「え? 」


「何かが、来るぞ」


 そのとき、繋いであったコクヨウが不安げに鼻を鳴らし、前足で地面を掻いた。


 それまでわずかに聞こえていた風の音すら、ピタリと止む。


 世界が息を止めたような、重苦しい静寂が訪れた。


「……全員起きろ」


 ガルムの低く鋭い声が響いた。


 仮眠をとっていたリンネアとポポロが、弾かれたように飛び起きる。


「何が来るんだ?」


「囲まれた。……風下から近づいてきやがった。匂いを消すためにな」


 ガルムは剣の柄に手を掛けたが、抜こうとはしなかった。ただ、油断なく闇を見据えている。


 やがて、草むらを音もなく分けて、六つの黒い影が現れた。


 体長一メートル五十センチほど。通常の狼よりも一回り大きい。


 月光に照らされた毛並みは、闇そのものを纏ったように濡れて黒く光っている。そして何より、その瞳には、獣特有の凶暴さとは違う、冷徹な知性が宿っていた。


 ただの獣ではない。


「……ナイトウルフ(夜行狼)か」


 ガルムが低く呟いた。


 俺は万能斧を構え、前に出る。リンネアがポポロを背に庇い、護身用の短剣の柄に手をかける。


 だが、狼たちは襲い掛かってこなかった。一定の距離を保ち、こちらを値踏みするように観察している。


「怖いけど……悪い匂いじゃない」


 ポポロが背後で小さく呟いた。


 その言葉に反応したのか、リーダー格と思われる一際大きな狼が、一歩前に進み出た。


 ガルムが俺を手で制する。


「待て。手出しするな。……俺に任せろ」


 彼は武器から手を離し、両手を広げて無防備な姿を晒した。


 そして、喉の奥から低く、腹に響くような唸り声を発した。


「グルルル……ヴォフ、ガァ……」


 それは威嚇ではなく、まるで歌うような独特の抑揚を持っていた。


 空気そのものを震わせるような、重低音の響き。


 リーダー狼が耳をピクリと動かし、同じような唸り声で応える。


「……会話してるのか?」


「狼族の言語ですね」


 リンネアが驚きを隠せずに囁く。


 ガルムと狼の対話は数分続いた。俺には唸り声の応酬にしか聞こえないが、そこには明らかな意思の疎通があった。張り詰めていた殺気が、少しずつ和らいでいくのを感じる。


 やがて、ガルムがこちらを振り返った。


「『通行料』を払えば見逃してくれるそうだ。彼らは腹を空かせている」


「それだけか? 襲ってくるつもりは?」


「今のところはない。彼らは無益な争いを好まない、誇り高い種族だ。ただ、群れの子供たちが飢えているらしい」


 ガルムの視線の先には、群れの後ろに隠れるようにしている、あばら骨の浮いた痩せた子狼たちの姿があった。


 俺は腰の袋から干し肉を取り出した。貴重な食料だが、命には代えられない。それに、ここで恩を売っておくのは悪い取引ではない。


「分かった。これを持っていけ」


 俺は干し肉の半分を、放り投げずに丁寧に地面に置いた。


 リーダーがガルムを見やる。ガルムが短く唸ると、狼たちは警戒しながらも肉に近づき、子狼たちに分け与え始めた。


 ハフハフと肉を貪る子狼たちの姿は、そこらの犬と変わらない。


「……いい仲間を持ったな、と言っている」


 ガルムが少し照れくさそうに通訳した。


 狼たちは肉を食べ終えると、リーダーが一鳴きして群れをまとめた。


 去り際、リーダーはガルムの近くまで歩み寄り、その濡れた鼻先を、ガルムの手に一度だけ押し付けた。


 それは、種族を超えた敬愛の証に見えた。


          ***


 夜明けとともに、狼たちは草原の彼方へと消えていった。


 朝霧の中、出発の準備をしながら俺はガルムに声をかけた。


「助かったよ、ガルム。……それにしても、やはり酒場の噂は本当だったんだな」


 ガルムは荷物を縛り上げながら、背中越しに答えた。


「……噂?」


「とぼけるなよ。お前が『獣人』だって話だよ。狼と会話できるなんて、もう言い逃れできないだろ」


 俺の言葉に、ガルムの手が止まった。

 彼は観念したように息を吐くと、ゆっくりと振り返り、どこか遠い目をした。


「……ひいばあちゃんが、狼族ヴァルグだったんだ。俺は隔世遺伝(先祖返り)ってやつだな」


 彼は作業の手を止めずに、淡々と語った。


「血は薄いから、見た目は人間と変わらん。耳も尻尾もないしな。だが……こういうときには役に立つ」


「役に立つどころじゃない。お前がいなけりゃ、今頃俺たちは狼のえさだ」


 俺は正直な感想を伝えた。ガルムはふん、と鼻を鳴らしたが、その表情は昨日よりも穏やかに見えた。


「ガルムおじさんも獣人さんなの?」


 ポポロが荷台から顔を出し、純真な瞳で問いかける。彼には酒場の噂話など関係ない。ただの純粋な興味だ。


「僕と同じ? でもフサフサじゃないよ?」


「ああ、お前ほど立派な尻尾はないさ。だが、遠い親戚みたいなもんだ」


 ガルムはポポロの頭を、大きな手で無造作に撫でた。ポポロは嬉しそうに目を細める。


 俺は改めて、この凸凹なパーティーを見回した。


 元悪徳弁護士の人間、生真面目なエルフ、純真な獣人の子供、および狼の血を引く用心棒。


 共通点は何もない。だが、昨夜の焚き火と狼たちとの対話が、俺たちを少しだけ「仲間」に近づけた気がした。


「よし、出発するぞ。次の街までには、もう少しマシな文字が書けるようになれよ、翔一」


「へいへい、努力しますよ、先生」


 俺は御者台に上がり、手綱を振るった。


 車輪が回り出し、俺たちは朝日に輝く草原の海へと再び漕ぎ出した。



(第三章 第三話 完)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ