第九話『荒野の牙と、眠れる狼』
ザガン商会での特訓を終えたその足で、俺たちは街の裏通りにある酒場『荒野の牙』へと向かった。
時刻は夕暮れ時。
重厚な木の扉を押し開けると、紫煙と安酒、および男たちの熱気が混じり合った強烈な匂いが鼻をついた。
「…………うわぁ。柄が悪いですね」
リンネアが眉をひそめて小声で言った。
無理もない。店内には、見るからに荒っぽい男たち――――人間、ドワーフ、獣人など様々な種族の傭兵たちがたむろしている。
俺たちのような「スーツの男、美女エルフ、子供」という異色の組み合わせが入ってきたことで、店内の視線が一斉に突き刺さる。
俺は構わずカウンターへ進み、女主人に声をかけた。
「護衛を探してる。北の『大図書館都市』までだ」
「相場は金貨十枚からだよ。命の保証はしないけどね」
女主人はグラスを拭きながら無愛想に答えた。
商隊の定期便と同じスタンスか。
「金貨十枚か…………。ちと高いな」
俺がわざと大きな声で言うと、獲物の匂いを嗅ぎつけたハイエナたちが群がってきた。
***
「おい兄ちゃん! 俺に任せな! 金貨十五枚でどうだ?」
最初に声をかけてきたのは、身の丈ほどもある大剣を背負った人間の男だった。
装備は派手だが、剣の柄に巻かれた革は新しい。つまり、使い込んでいない。
ポポロが俺のジャケットの裾を引き、鼻をつまんで首を振った。
「…………翔一、ダメだよ。この人、すごく嫌な匂いがする」
「嫌な匂い?」
「うん。夏場に捨てられた生ゴミみたいな…………中身が腐ってる匂いだよ」
ポポロの表現は辛辣だが、的確だ。要するに、金だけ巻き上げて逃げる詐欺師か、実力不足の半端者ということだ。
「次は俺だ! 俺は魔法が使える!」
次に現れたのは、よれよれのローブを着た男だ。
だが、隣のリンネアが冷ややかな目で囁いた。
「…………却下です。微弱な魔力の残滓は感じますが、精々が『種火』を出せる程度でしょう。実戦では役に立ちません」
その後も数人が売り込みに来たが、どいつもこいつも帯に短したすきに長しだ。
本当に腕の立つ奴は、こんな風に安売りはしない。
「…………不作だな」
俺がため息をついたときだった。
「…………あ」
ポポロが、店の奥を指差した。
「翔一、あそこの人…………」
視線の先、酒場の隅にある一番暗い席に、一人の男が座っていた。
四十代ほどの男だ。無精髭を生やし、ボロボロの革鎧を纏っている。どこか野性的で、獣のような鋭い瞳をしているが、種族は判然としない。
周囲の傭兵たちは、なぜか彼を避けるように距離を取っていた。
「怖い匂いがするのですか?」
リンネアが、ポポロの視線の高さに合わせて尋ねた。
ポポロは首を振った。
「ううん。違うよ。
…………森の奥にある、すっごく大きな木みたいな匂い。
静かで、動かないけど…………とっても強くて、頼りになる匂い」
大木の匂い、か。
俺は目を細めて男を観察した。
装備は古いが、革の手入れは完璧だ。剣の柄は擦り切れ、持ち主の手に馴染んでいる。何年も使い続け、生き残ってきた証拠だ。
(…………当たりだな)
俺はニヤリと笑い、その席へと歩み寄ろうとした。
そのときだ。
「おいおい、よせよせ。あいつに関わるのはやめとけ」
先ほど断った大剣使いの男が、ニヤニヤしながら俺の前に立ち塞がった。
「あいつは『ガルム』。またの名を『主殺し』だ。
以前の戦場で、雇い主の部隊を見捨てて自分だけ逃げ帰ってきたっていう、クズ野郎だぜ」
周囲の傭兵たちも、嘲笑うように同調する。
「そうだそうだ。あんな薄汚い獣と一緒にいたら、寝首をかかれるぞ」
「腕は立つかもしれねえが、性根が腐ってんだよ。いざってときに雇い主を盾にして逃げるような奴だ」
なるほど。
「裏切り者」のレッテルに、「獣人差別」。それが彼が孤立している理由か。
だが、俺の目は節穴じゃない。
本当に部隊を見捨てるような奴が、あんなに綺麗に剣を手入れしているものか。それに、ポポロの鼻が「頼りになる」と言っている。
俺は男を無視して、ガルムの席へと歩み寄った。
***
俺が前の席に座っても、男は顔を上げようともしなかった。ただじっと、手元の木のジョッキを見つめている。
「ここ、いいか?」
俺が声をかけると、男の尖った耳がピクリと動いた。
ゆっくりと顔を上げる。その瞳は、まるで凍てついた湖のように冷たく、静かだった。
「…………席なら他にも空いてるだろう」
低く、腹に響く声だ。
「あんたに用があるんだよ」
俺はカウンターを指差した。
「仕事の話だ。まずは景気付けに、一杯奢らせてくれ。エールでいいか?」
俺の提案に、男は鼻を鳴らし、手元のジョッキを軽く持ち上げて見せた。
「断る。…………俺は今、飲みに来てるんじゃない」
チャプ、と音がした。
ジョッキの中身は、酒ではなかった。ただの水だ。
俺の評価が、一段階上がった。
こんな酒場の喧騒の中にいながら、こいつは酒を一滴も飲んでいない。
つまり、いつ仕事が舞い込んでもいいように、あるいはいつ襲われても対応できるように、コンディションを整えているのだ。
「…………なるほど。プロ意識が高いな」
俺はニヤリと笑った。
「単刀直入に言う。護衛を探してる。北の『大図書館都市』までだ」
男――――ガルムは、俺と、後ろに控えるリンネアとポポロを一瞥し、興味なさそうに言った。
「…………俺は高いぞ。それに、子連れの道楽に付き合う気はない」
「道楽じゃない。ビジネスだ」
俺は身を乗り出した。
「さっき、あんたの悪い噂を聞いたよ。『主殺し』だとか何とか」
ガルムの眉が動く。殺気が漏れた。
「だが、俺は噂より自分の目と、こいつ(ポポロ)の鼻を信じる。
あんたの目は死んでるが、腕は錆びてない。
今のあんたに必要なのは、その薄汚いレッテルを気にしない『まともな雇い主』と、実力に見合った『金』だろ?」
痛いところを突かれたのか、ガルムが黙り込む。
実力はあるのに、噂と差別のせいで正当な仕事にありつけていない。買い叩かれるのがオチだ。
そこが、俺の付け入る隙だ。
「報酬は金貨五枚だ」
俺は相場の半額を提示した。
「…………ふざけるな」
空気が凍りつく。
だが、俺は引かなかった。
「安いか? だが、今のあんたにこれ以上の額を出せる客は、この街にはいない。
このまま『裏切り者』として腐っていくか、俺の依頼を完遂して、地に落ちた評価を実力でひっくり返すか。…………どっちだ?」
***
ガルムが答えようとした、そのときだった。
「おいおい、兄ちゃん!」
ドカドカと足音を立てて、先ほどの大剣使いの男が割り込んできた。酒臭い息を吐きながら、俺の肩を掴む。
「忠告を無視するとはいい度胸じゃねえか! 人間の俺様を差し置いて、獣なんぞ…………」
男がガルムを指差して罵りながら、背負った大剣に手をかけた――――その瞬間。
――――ガァン!!
乾いた音が響いた。
次の瞬間、大剣使いの男は白目を剥いて床に崩れ落ちていた。
何が起きたのか、俺の目でも追えなかった。
ガルムは座ったまま、ジョッキを持っていた手とは逆の手で、腰に差した剣のさやを跳ね上げ、男のみぞおちを正確に突いたのだ。
抜刀すらしていない。ただの「動作」のついでだ。
「…………商談中だ。失せろ」
ガルムは静かに言い放ち、再び水を口に運んだ。
酒場が静まり返る。
圧倒的な実力差。まさに「大木」のような揺るぎなさだ。
俺は、思わず口元を緩めた。
(…………最高だ。こいつは『本物』だ)
「採用だ」
俺は革袋から金貨を取り出し、テーブルに叩きつけた。
「ただし、条件を見直そう。
前金で金貨五枚。目的地に無事到着したら、成功報酬として追加で三枚。計八枚だ。
…………これなら文句ねえだろ?」
ガルムは、テーブルの上の金貨と、俺の顔を交互に見た。
やがて、あきれたようにため息をつき、金貨を懐に入れた。
「…………いいだろう。その首、俺が守ってやる」
彼は立ち上がり、俺を見下ろした。
「だが、言っておくぞ。俺のやり方は荒い。途中で泣き言を言っても知らんぞ」
「望むところだ」
俺は手を差し出し、ガルムのゴツゴツとした手と握手を交わした。
非力な人間。魔法を使わない法律家。感覚の鋭い子供。および、最強の用心棒。
これで、すべてのピースは埋まった。
「明日は、食料の買い出しや最終準備に充てる」
俺は高らかに宣言した。
「出発は、明後日の早朝だ」
いよいよ、俺たちは荒野へと旅立つ。
(第二章 第九話 完)




