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第七話『傷だらけの黒馬』

 ヘイムダルから紹介状を受け取った翌日の午後。

 俺たちは街外れにあるという馬屋へと向かっていた。

 午後の日差しが、石畳の街をジリジリと焼いている。


「…………おい、ポポロ」

 俺は、隣を歩く小さな相棒を見下ろして尋ねた。

「お前、こんな時間にほっつき歩いてていいのか? 今頃は孤児院で、院長先生の『お勉強』のときじゃないのか?」


「ううん。午前中はちゃんと勉強したよ!」

 ポポロは悪びれもせず、胸を張って答えた。

「でも、お昼ご飯を食べた後に抜け出してきちゃった。院長先生には『午後からは、リンネアお姉ちゃんと課外授業です!』って言ってきた!」


「…………嘘をつくのが上手くなったな」

「へへん。誰かさんの影響だよ」


 リンネアが「教育に悪すぎます…………」と頭を抱えているが、俺は鼻で笑った。

 机上の空論より実地経験。その思考回路は嫌いじゃない。

 それに、これから行く場所には、こいつの「目」が必要だ。


 ***


 街の北門をくぐり、城壁の外へと出る。

 街道沿いの荒れ地――――街の喧騒から隔離された場所に、その店はあった。

 まるで昔の開拓時代の映画から抜け出してきたような光景だ。


 木造の平屋建ての建物。風雨に晒されて銀色に変色した板壁。軒先にぶら下がった二股の蹄鉄や手綱、鞍などの馬具類。

 敷地の奥には、丸太を組んだ柵で囲まれた馬房が並び、そのすぐ向こうには荒野へと続く街道が伸びている。


 看板には、塗料の剥げた文字で『ザガン商会』とだけ書かれていた。

 漂ってくるのは、強い獣の臭いと、革と機械油の混じった、どこか懐かしい匂いだ。


「…………なるほど。街中には置けない『荒野を越える』専門店って感じだな。」


 敷地内には、車輪の外れた荷車や、修理中の幌馬車が整然と並んでいる。

 作業場の前では、一人の男が馬車の車軸を点検していた。


「おい、客だぞ」

 俺が声をかけると、男はのっそりと立ち上がった。

 革のエプロンに作業着。白髪交じりの剛毛と、日焼けした精悍な顔。片目に着けた作業用ゴーグルが、いかにも職人らしい。

 種族は人間族のようだが、その頑強な体躯はドワーフにも引けを取らない。


「…………見ねえ顔だな。観光客か? ここは見世物小屋じゃねえぞ」

 店主のザガンは、油で汚れた布で手を拭いながら、俺たちを値踏みするように見た。


「紹介状がある」

 俺はヘイムダルからの羊皮紙を差し出した。

 ザガンはそれをひったくるように受け取り、一瞥すると、忌々しげに鼻を鳴らした。


「ケッ。あのヘビ野郎の紹介か。…………どうせロクな客じゃねえんだろ」

「ご名答。予算は金貨十枚だ」


 俺は単刀直入に切り出した。

「これで、俺たち三人と荷物を載せて『荒野を越えられる』馬と馬車を一式頼む」


 ザガンは、馬鹿にしたように高笑いした。

「ハッ! 寝言は寝て言え!

 まともな軍用ガロン一頭で金貨十五枚はするご時世だぞ?

 その予算じゃ、車輪が四つついてるだけのゴミと、明日にも寿命が尽きそうな老いぼれバーロが関の山だ」


 予想通りの反応だ。

 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。


「外見はボロでもいい。車軸と車輪さえしっかりしてればな」

「はん。素人が知った口を。…………まあいい、そこから好きなのを選びな。現状渡しで金貨五枚だ」


 ザガンが顎で示した先には、修理待ちの幌馬車が数台並んでいた。

 どれも使い古されているが、骨組みはしっかりしていそうだ。

 俺とリンネアが品定めをしていると――――


 ドォォォン!!


 突然、奥の馬房から凄まじい衝突音が響いた。

 見れば、一番奥の頑丈な柵で囲まれた馬房で、一頭の黒毛のガロンが暴れまわっている。

 太い丸太の柵に体当たりを繰り返し、後ろ足で蹴り上げている。その迫力は猛獣そのものだ。


「…………なんだ、ありゃ」

「ああ、気にすんな。ありゃあ処分予定の『狂いガロン』だ。」

 ザガンは吐き捨てるように言った。

「体格はいいんだが、気性が荒すぎて人を寄せ付けねえ。蹄も脚も調べたが外傷も病気も見当たらねえ。原因不明の凶暴化だ。」


 ザガンは忌々しげに地面に唾を吐いた。

「俺の手にも負えんから、今日中に肉屋が引き取りに来る手筈だ。

 暴れるからって『危険手当』までふんだくられちまうがな。」


 処分寸前の馬か。

 俺が興味を失いかけたとき、ポポロがその馬房の前まで歩み寄っていた。


「おい、ポポロ! 危ないぞ!」

 俺が止めるのも聞かず、ポポロは柵に張り付き、クンクンと鼻を鳴らした。

 および、暴れる馬をじっと見つめ、静かに言った。


「…………違うよ。この子、怒ってるんじゃない」


「あ?」


「泣いてるんだ」


 ポポロは俺の方を振り向き、馬の右足を指差した。

「右の後ろ足…………蹄の少し上のあたりから、変な匂いがする。

 化膿したみたいな、すごく『熱い匂い』と…………錆びた鉄の匂いだ」


「…………鉄の匂い?」

 俺は眉をひそめた。

 化膿なら分かるが、なぜ鉄の匂いがするんだ?


「もっと奥だよ! 骨と肉の隙間!」

 ポポロは断言した。

「動くと痛いから、じっとしていたいのに…………痛すぎて、じっとしていられないんだ。だから壁を蹴って、痛みを誤魔化してる」


 俺は、暴れる馬の動きを観察した。

 確かに、右後ろ足だけ、着地を庇っているようにも見える。

 凶暴なのではなく、激痛に錯乱しているとしたら?


 および、ポポロが言った「鉄の匂い」。

 もしそれが、体内に残った金属片だとしたら――――


 (…………なるほど。原因が取り除ければ、こいつは化けるか?)


 俺の頭の中で、勝算の計算式が組み上がった。

 俺はザガンに向き直り、ニヤリと笑った。


「おい親方。取引だ」


「あぁ?」


「どうせ肉屋に金を払って引き取らせるなら、そのガロン、俺たちが引き取ってやる。

 お前は処分料が浮いてラッキーだろ?」


 俺は、修理待ちの幌馬車の中から、塗装は剥げているが骨組みがしっかりしていそうな一台を指差した。


「その代わり、この幌馬車を金貨五枚で買う。

 さらに金貨三枚上乗せしてやるから、あんたの腕で、荒野を走れるように完璧に整備してくれ。

 ガロンの処分料が浮いた分と合わせて、悪い話じゃねえだろ?」


 合計、金貨八枚。これなら手元に金貨二十五枚が残る。護衛を雇っても十分な余裕だ。


 ザガンは俺と、暴れる馬と、指定された馬車を交互に見て、あきれたように鼻を鳴らした。

「…………正気か? そのガロンが使い物にならなくても、金は返さねえぞ」


「構わん。契約成立だ」


「…………ちょっと待て」

 ザガンが眉をひそめた。

「お前、何か知ってるのか? なんでそんなに自信満々なんだ?」


「さあな。ただの勘だ」

 俺は肩をすくめた。

「だが、その坊主の『鼻』は、俺が保証する。一度も外したことがない」


 ザガンは、ポポロと暴れる馬を見比べ、何かを考え込んだ。

 および、決断したように頷いた。


「…………いいだろう。だが、その前に確かめさせろ。そこまで言うなら、本当に何かあるのかどうか」


 ***


 三十分後。

 俺とザガン、およびリンネアが総出で、暴れる馬を無理やりねじ伏せた。


「やるぞ。しっかり抑えてろ!」


 ザガンは壁の医療棚から、消毒された鋭いナイフを取り出した。ガロンの怪我は日常茶飯事――――道具の準備は完璧だった。

 彼は馬の右足、ポポロが指摘した部分に刃を当てたが、手つきは慎重だった。


「…………見た目は何ともねえぞ? 腫れてもいねえ。本当にここなのか?」


「そこだ。迷わず切れ」

 俺が告げると、ザガンは意を決して刃を突き立てた。


 ブシュッ!

 切り口から、ドロリとした膿が勢いよく噴き出した。


「うわっ…………!?」

「まだだ! 奥に何かある!」


 ザガンは膿に構わず、傷口に指を突っ込み、何かを探った。

 および、ペンチを使ってそれを引き抜く。


 カラン、と床に落ちたのは、錆びついて折れた太い古釘の破片だった。

 ずっと昔に刺さり、傷口が塞がった後も、分厚い筋肉の奥深くで悪さをしていたのだ。


「…………こいつは」

 ザガンが息を呑んだ。

「古傷が内部で化膿してやがったのか。…………俺としたことが、こんな奥の異変には気づけなかった」


「リンネア、薬を!」

「はいっ! これを!」


 リンネアはポーチから、緑がかった銀色のペーストが塗られた特製の貼り薬を取り出した。

 『速癒膏そくゆこう』――――一流の薬師が調合する高級治療薬で、銀貨数枚はする代物だ。さすがは『星付き』弁護士、用意周到な備えである。


 彼女は手際よく患部の膿を拭き取ると、その貼り薬をペタリと貼り付け、包帯で固定した。


「よし…………。これで痛みは数十分で引くはずです。

 速癒膏の効果で、完全に治るまで三日ほどでしょう。」


 数分後。

 原因が取り除かれ、鎮痛成分が効いてきたのか、荒い息を吐いていた黒馬の瞳から、狂気の色が消えた。

 馬はゆっくりと立ち上がり、ブルルと鼻を鳴らすと…………恐る恐る、ポポロに鼻面を擦り寄せた。


「…………よしよし。もう痛くないね」

 ポポロが優しく鼻面を撫でる。馬はそれに答えるように、静かに瞼を閉じた。


 ザガンが、ポカンと口を開けてその光景を見ていた。

 および、俺の方を振り向くと、複雑な表情で言った。


「…………参ったな。まさか本当に原因があるとは思わなかった」

「どうだ? 俺の『勘』は当たっただろ?」


 俺は涼しい顔で答えたが、内心では安堵していた。

 ポポロの鼻が外れていたら、金貨八枚がパーになるところだった。


 俺は、この小さな獣人の子供を見つめながら思った。

 こいつの「感覚」は、俺が思っていた以上に鋭い。

 

 および、この黒馬もまた――――まだ俺たちの知らない「価値」を隠しているかもしれない。


(第二章 第七話 完)

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