第六話『法という名の劇薬』
街の東門にある関所の詰所。
そこには、ふんぞり返って椅子に座る、恰幅の良い男――税務官がいた。
「だから、払えないなら通せないと言っているだろう。これは街の安全を守るための、神聖な税なのだよ」
税務官は、俺たちを見ても鼻で笑うだけだった。
リンネアが前に出ようとするのを手で制し、俺は慇懃無礼な態度で切り出した。
「お役目、ご苦労様です。
我々は、税を払わないと言っているわけではありません」
「ほう? 物分かりがいいな。なら、さっさと……」
「ただ」
俺は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、デスクの上に広げた。
「我々商会としても、帳簿をつけねばなりませんのでね。
この『徴収証明書』に、あなたの署名と公印、および『徴収根拠となる領主法の条文』の明記をお願いします」
「……? 」
税務官の動きが止まった。
「当然でしょう? 公的な税ならば、必ず根拠となる条文があるはずだ。
『特別保安税』でしたか? それが領主法の第何条に基づくものか、ここに書いていただきたい」
俺は畳み掛けた。
「ああ、ご心配なく。
我々はこの証明書を持って、辺境伯様の城へ行き、『二重課税の還付申請』を行いますので」
「か、還付……? 」
「ええ。我々はすでに通常の商業税を納めています。
その上で、さらに保安税を払うのですから、当然、領主様から何らかの補填があるはずでしょう?
もし、この税が『領主様の認可を受けていない』ものだとしたら……」
俺はリンネアを振り返り、尋ねた。
「……なあ、リンネア先生。
領主法では、そういう手合いはどういう扱いになる?」
俺が水を向けると、リンネアは姿勢を正し、冷徹な声で即答した。
「第百八条『公金横領』および『領主への背任罪』に問われます。
その量刑は――『斬首』。情状酌量の余地はありません」
俺は声を潜め、税務官の顔を覗き込んだ。
「だ、そうだ。物理的に首が飛ぶことになる。
……さあ、署名を。堂々と税を集めているなら、書けるはずですよね?」
税務官の顔色が、みるみるうちに蒼白になった。
脂汗が滝のように流れる。
そんな税法など存在しない。ただの小遣い稼ぎだ。
だが、公文書に署名してしまえば、それが「動かぬ証拠」となって領主の目に触れる。
保身。恐怖。破滅の予感。
「ま、待て……! 」
税務官は震える手で羊皮紙を押し返した。
「よ、よく調べたら……今回の商隊は、『特例措置』の対象だったようだ!
そ、そうだ! 今回は特別に、保安税は免除してやろう! だから早く行け!」
「おや、そうですか? それはありがたい」
俺は羊皮紙を懐にしまい、ニッコリと笑った。
「では、通行許可証を。……今すぐに」
***
数時間後。
ヘイムダルの商隊は、無事に関所を通過し、街道へと消えていった。
商会に戻った俺たちの前には、約束通りの報酬が積まれていた。
成功報酬としての金貨二十枚。
これで、旅の資金は合計で金貨三十三枚になった。
「流石ですね、タナカ先生。暴力を使わずに人を殺す術を知っている」
ヘイムダルは上機嫌で、琥珀色の液体の満ちたグラスを勧めてきた。
「……『火酒』の十年物です。祝いにどうぞ」
一口含むと、芳醇な果実の香りと、喉が焼けるようなアルコールが鼻に抜けた。俺のいた世界でいう、上等なブランデーのような味だ。
「よせ。俺はただ、役人の習性を利用しただけだ」
俺は報酬の金貨を懐に入れた。
「ところで、先生。この後はどちらへ?」
「『大図書館都市』だ。資格を取りにな」
「ほう、図書館都市ですか。……というと、正規の弁護士資格でも?」
ヘイムダルが興味深そうに尋ねる。
「いや、『代弁人』だ」
その言葉を聞いた瞬間、ヘイムダルの片眉がピクリと上がった。
だが、彼は驚くというよりは、得心がいったように頷いた。
「……なるほど。噂は本当でしたか」
彼はグラスを回しながら、値踏みするように俺を見た。
「あの法廷で『星付き』が指名した『臨時・代弁人』。
まさかその一度きりのハッタリではなく、本気で『真の資格』を狙うおつもりとは……。
フフッ、面白い。実に面白い投資先だ」
ヘイムダルはニヤリと笑い、身を乗り出した。
「それなら、いい提案がありますよ。
来週、うちの商会から図書館都市へ向かう『定期便』が出ます。最高級の馬車と、精鋭の護衛付きでね」
彼は、悪魔の囁きのように言った。
「本来なら安くはない運賃をいただきますが……今回は特別です。
タダで乗せて差し上げましょう。今回のお礼……いえ、未来の『代弁人』様への先行投資ということでね」
「……タダだと?」
俺の耳がピクリと反応した。
自分たちで馬車を買って、食料を用意して、護衛を雇えば金貨五十枚はかかる事業だ。それがタダ?
「所要時間は?」
「定期便なら馬を乗り継いで行きますから、五日ほどで着きますよ。ご自分たちで行けば、二週間はかかる道のりですがね」
二週間の過酷な旅が、たった五日の快適なクルージングに変わる。しかも無料。
俺の頭の中で、そろばんが激しく音を立てた。
金も浮く。時間も浮く。断る理由がない。
「……悪くねえ話だ」
俺が乗り気になった、そのときだった。
「お断りします!」
鋭い声が響いた。
リンネアだった。彼女は厳しい表情で、ヘイムダルを睨みつけていた。
「おい、リンネア。タダだぞ? 金貨五十枚が浮くんだぞ?」
「タダより高いものはありません! 翔一くん、あなたは『商隊護衛約款』をご存じないのですか?」
「約款?」
「ええ。一般的に、定期便の護衛契約には『緊急事態条項』が含まれています」
リンネアは、ヘイムダルに向かって指を突きつけた。
「『盗賊や魔獣の襲撃に際し、護衛は積荷の保全を最優先とする。同乗者の生命・財産の安全については、その限りではない』……そうでしょう?」
ヘイムダルは、悪びれもせず肩をすくめた。
「……流石は『星付き』だ。よくご存じで。
ええ、事実です。我々が運ぶのは、時に人の命より重い価値を持つ品々ですからね。
普段は最強の護衛が皆様を守りますが……万が一、『どちらか』を選ばねばならないときは、迷わず荷物を選びます」
つまり、究極の二択になったら、客を囮にしてでも商品を逃がすということだ。
高い金を払わせておいて、命の保証はない。それが商人の論理か。
「……そういうことかよ」
俺はため息をつき、ヘイムダルを睨んだ。
「危うく、荷物のオマケで死ぬところだったぜ」
「人聞きが悪い。あくまで『全滅の危機』なんていう、万が一の話ですよ?」
ヘイムダルはニヤリと笑った。
「断る。他人にハンドルを握られるのは性に合わねえ。俺たちは、俺たちの足で行く」
俺はきっぱりと告げた。
リスクは自分で管理する。それが俺の流儀だ。
「だが、定期便の代わりに頼みがある」
俺は言った。
「さっき来る道すがら、市場の中古馬車屋をいくつか覗いてみたが、どこもガラクタばかりで、足元を見てきやがる。
『まともな馬車』を安く売ってくれる業者を紹介しろ。あんたのコネでな」
ヘイムダルは少し考え込み、やがてニヤリと笑って一枚の羊皮紙にさらさらと紹介状を書いた。
「……賢明な判断です。いいでしょう。
私の知る限り、一番腕はいいが、一番偏屈な馬屋を紹介します。
普通の客なら追い返されますが……先生なら、あるいは」
彼は紹介状を俺に手渡した。
そこには、街の外れにあるという馬屋の場所が記されていた。地図は読めないが、これを見せればたどり着けるだろう。
商会を出た後、俺は隣を歩くリンネアに声をかけた。
「……いよいよだな。これで足が手に入れば、あとは出発するだけだ」
「ええ。そうですね」
「本当にいいのか? お前はこの街で『星付き』として生きてきたんだ。
俺についてくれば、そのキャリアを棒に振ることになるかもしれないぞ」
俺が念を押すと、リンネアはふっと笑った。
「何を今更。私の家はもうありませんし、キャリアなんて、あなたが法廷でひっくり返したときに粉々になりましたよ」
彼女は、まっすぐ前を見据えて言った。
「それに、私は見届けたいんです。あなたが目指す『代弁人』への道が、この世界にどんな風穴を開けるのかを。
……そのための『目』が必要なんでしょう? パートナーさん」
「……違いない」
俺は苦笑し、歩き出した。
金と、コネ。そして、覚悟を決めた仲間。
旅に必要な「武器」は揃った。
あとは、荒野へ飛び出すための「足」を手に入れるだけだ。
(第二章 第六話 完)




