第五話『悪徳商人の憂鬱』
翌日の昼下がり。
俺たちは、路銀を整えるために街の商業区を歩いていた。
「……重いよぉ、翔一ぃ」
後ろでポポロが情けない声を上げている。
彼の背負う麻袋の中には、昨夜の賭場で稼いだ「ゲームの勝ち分」――かさばる銀貨や銅貨がぎっしりと詰まっていた。
俺の懐には、ボスから直々に受け取った「金貨十枚(口止め料)」が入っている。
だが、窓口で換金したゲームの配当金については、店員が嫌がらせのように全て小銭で寄越したのだ。
ざっと見積もって金貨三枚分。これまでの依頼でため込んだ小銭と合わせると、今の所持金は、金貨十三枚相当になる。
悪くない稼ぎだ。目標の五十枚まで、ようやく三割といったところか。
……だが、その重量は数リブ(数キロ)にもなる。物理的に邪魔すぎる。
「文句を言うな。それが『金』の重みだ」
俺は前を歩きながら、周囲の店先に並ぶ中古の馬車を横目で眺めた。
ここに来る道すがら、市場の馬車屋を何軒か冷やかしてみたが、結果は散々だった。塗装の剥げたボロ馬車を「極上品だ」と言って高値で売りつけようとする店主ばかり。足元を見られているのが見え見えだ。
まともなルートじゃ、予算内で良い足は手に入らない。
(……まずは、この物理的に重い現金をどうにかするのが先決か)
俺は頭の中で計算した。この世界に「銀行」はない。だが、高額な取引をする商人が、いちいちこんな重い袋を持ち歩いているとも思えない。
「なあ、リンネア。金を預かったり、紙切れ一枚で高額なやり取りができるような場所はねえのか?」
「それなら『商人ギルド』ですね」
リンネアが納得したように頷き、通り沿いにある豪奢な石造りの建物を指差した。
「彼らは商売のために、各都市の支部で換金できる『信用証書』を発行しています。一般人は使いませんが、大商人なら利用しているはずです」
「なるほど。『信用証書』か。……やることは、小切手と同じだな」
俺は懐から一枚の上質な紙片を取り出した。
以前、ドワーフの工房でヘイムダルから受け取った名刺だ。
「こいつの肩書は『商人ギルド・土地資産管理部長』だ。金融も扱ってるはずだ。
それに、あいつなら多少の手数料はまけてくれるだろ。……恩を売ってあるからな」
俺たちはその足で『リムガーレ商人ギルド』の門をくぐった。受付で訝しげな顔をされたが、ヘイムダルの名刺を見せると、すぐに最上階の執務室へと通された。
だが。
通された部屋の空気は、予想に反してピリピリと張り詰めていた。
「ふざけるな! 納期は待ってくれないんだぞ!」
怒号が飛ぶ。
部屋の中では、普段は冷徹なヘイムダルが、顔を真っ赤にして部下を怒鳴りつけていた。床には書類が散乱している。
「おや、取り込み中か?」
俺が声をかけると、ヘイムダルはハッとしてこちらを向いた。
「……タナカ、先生……」
彼は額の脂汗を拭い、努めて冷静さを取り繕ったが、その目には焦燥の色が濃い。
「申し訳ない。今は茶飲み話をしている余裕がないのです。両替なら、下の窓口でやってくれませんか」
「そう邪険にするな。こっちは大口の客だぞ」
俺はポポロに合図して、小銭の入った袋をドサリと床に置かせ、懐から金貨も取り出した。
「こいつをまとめて『信用証書』に換えてくれ」
ヘイムダルはため息をつきながらも、商人としてのさがか、すぐに手続きを始めた。
彼が差し出したのは、一枚の羊皮紙だった。
「これが『信用証書』です。主要都市のギルド支部なら、どこでも金貨に換えられます」
「……ただの羊皮紙に見えるが、偽造対策はどうなってる? 悪い奴が数字を書き換えたら終わりだろ」
俺が指摘すると、ヘイムダルはニヤリと笑い、証書の端を見せた。そこは波打つように切り取られており、赤い封蝋が半分だけ残っている。
「ご安心を。これは『割符』になっています。
切り離されたもう半分は、発行元の我々が厳重に保管している。換金の際は、現地支部で封蝋を確認して支払い、最終的にはこの割符を照合して決済します」
彼はさらに、封蝋を指差した。
「それに、この封蝋にはギルドが独占管理する特殊な鉱山でしか採れない『夜光石』の粉末が混ぜてある。暗闇で見れば本物は光るのです。
……素人が偽造しようとしても、この光までは真似できませんよ」
「……なるほど。現地の金庫から払わせて、あとで帳簿上で相殺するわけか。
物理的な照合と、特殊素材の証明。……原始的だが確実だな」
俺は納得して証書を受け取った。
「で? あんたの方はどうしたんだ? 随分と荒れてるようだが」
俺がカマをかけると、ヘイムダルは苦々しく吐き捨てた。
「……ええ。焦げ付くどころか、腐りかけていますよ。
関所の役人が、急に『領外への搬送許可』を出さないと言い出したんです」
話を聞けば、こういうことだった。
ヘイムダルは、バルドゥルの工房で作らせた高品質な武具や工芸品を、地方の都市へ卸す大規模な商隊を組んでいた。
だが、街の出口を管理する税務官が、急に新しい難癖をつけてきたらしい。
「『特別保安税』だそうです」
ヘイムダルは拳を震わせた。
「最近、街道で野盗が増えているから、警備費として荷物の評価額の『三割』を税として納めろ、と。
そんな馬鹿げた税率、払えるわけがない! 赤字です!
かといって払わなければ、荷物は関所で足止め。倉庫で腐らせることになる……!」
リンネアが眉をひそめた。
「『特別保安税』……? 領主法にそんな規定はありません。明らかに、その税務官の独断による違法な徴収です!」
「分かっていますよ!
ですが、相手は『許可証』という人質を持っている。文句を言えば『検査』と称して数週間待たされるのがオチだ。
賄賂を握らせようにも、相手が強欲すぎて話にならない……完全に手詰まりです」
悪徳商人と呼ばれた男が、より強大な「官僚」という悪徳に食い物にされている。
皮肉な話だ。
俺は、床に散らばっていた書類の一枚を拾い上げた。
そこには、ミミズがのたうち回ったような文字がびっしりと並んでいる。当然、俺には読めない。
だが、その紙の質感と、下部に押された仰々しい朱色の印章だけは、俺のよく知る「権力を笠に着た公文書」の匂いがした。
「リンネア。なんて書いてある?」
俺が差し出すと、リンネアは素早く目を通し、眉をひそめた。
「……関所からの通達ですね。『緊急保安上の措置として、荷物評価額の三割を徴収する』とあります」
「……なるほどな」
俺の口元に、自然と笑みが浮かんだ。
役人。官僚。前例主義者。
俺が前の世界で、最も得意としていた「獲物」だ。
「おい、ヘイムダル」
俺は彼を見下ろした。
「俺がその役人と話をつけてやる。その代わり……手数料は高いぞ?」
「……正気ですか? 相手は公権力ですよ?」
「役人ってのはな、法律を守る生き物じゃない。
『前例』と『保身』を守る生き物だ。そこを突けば、脆いもんだ」
ヘイムダルの目に、計算の光が戻った。
彼はニヤリと笑った。
「……いいでしょう。荷物が通るなら、言い値で払いますよ」
(第二章 第五話 完)




