第四話『銀色の音、共犯者の契約』
その時。
テーブルの下で、何かが俺のズボンの裾をクイクイと引いた。
見下ろすと、テーブルの陰から、ポポロが顔を覗かせていた。
その大きな狐の耳が、ピクリ、ピクリと小刻みに動いている。
ポポロは、俺に抱きつくふりをして、耳元で小さく囁いた。
「……翔一。あのサイコロ、『音が違う』よ」
「……あ?」
「トカゲのおじさんが、袖の中に手を入れた時だけ……振った時の『カチッ』って音が、重たくなるんだ。
中にお水が入ってるみたいな、チャプッとした変な音」
俺の思考が、高速で回転する。
中身が液体? 重心移動?
……そうか。この世界にもあるのか。
俺の世界で言う『水銀』――こっちで言うなら、錬金術に使われる液状金属『流銀』か! 中を空洞にして、その重たい液体金属を入れたサイコロだ。特定の振り方をすることで重心が偏り、出目を操作できる古典的なイカサマ道具だ。
さらに、ポポロは鼻をひくつかせた。
「……あと、おじさんの右の袖からだけ、『変な油の匂い』がする。機械油みたいな、すっごく嫌な匂い」
――滑り止めだ。
袖の中に隠した細工用のサイコロを、素早くすり替えるための潤滑油。
(……なるほどな。見えねえわけだ)
俺の目には見えない。だが、獣人の五感には、その不正は叫び声のように届いていたのだ。
俺の口元に、凶悪な笑みが浮かんだ。
タネが割れれば、あとはこちらの土俵だ。
「……おい、ポポロ。次、あの『水みたいな音』がしたら、俺の足を叩け」
「うん」
次の勝負。
壺振りの男が、無造作に壺を振る。
カラン、チャプッ……ボトッ。
その瞬間、ポポロが俺の足を叩いた。
来た。イカサマサイコロだ。
俺は、手元に残った木札を全て『大』に叩きつけた。
周囲がどよめく。負けが込んでる素人が、やけっぱちになったと思ったのだろう。
男がニヤリと笑い、壺を開けようとした――その瞬間。
「――待て」
俺の手が、男の手首をガシリと掴んだ。
その力は強く、逃さない。
「な、なんだ客さん。負けが込んで乱暴はいけねえな」
「いやいや。あんたの手元が狂ったみたいだから、止めてやったんだよ」
俺は、テーブルの上の壺を指差した。
「開ける前に、提案だ。
この勝負、俺が勝ったら倍付け。負けたら全額没収でいい。
ただし――そのサイコロ、『これで割らせてもらってもいいか?』」
俺は、テーブルに置いてあった吸い殻入れ――分厚い石造りの灰皿を掴み上げ、目の前に突きつけた。
「……は?」
男の爬虫類特有の縦に割れた瞳孔が、驚愕で丸く見開かれた。
「もし中から、ただの骨屑が出たら俺の負けだ。腕の一本でも置いていくよ。
だが……もし、『ドロリとした銀色の液体(流銀)』が出てきたら……どう落とし前をつけてくれるんだ?」
俺の目は笑っていなかった。
そして、テーブルの下から、ポポロが鼻をつまんで顔を出した。
「くさーい! このおじさんの袖、油でベトベトだよ!」
その子供の無邪気な声が、決定打だった。
周囲の客たちの目が、疑念から確信、および殺意へと変わる。
「おい、まさか……」「『竜の顎』ばっかり出てたのも、全部インチキだったのか!?」
賭場が騒然となる。
壺振りの男は震え上がり、その緑色の鱗からみるみるつやが失せていった。
彼はガックリとうなだれた。
「……わ、悪かった。俺の負けだ。金は返す……だから、親分には言わないでくれ……!」
「返すだけじゃ足りねえな。
俺たちへの精神的苦痛への慰謝料と、ここでの口止め料。……色をつけてもらおうか」
騒ぎを聞きつけ、店の奥から強面の大男――この賭場の顔役が現れた。
彼は状況を一目で理解すると、苦虫を噛み潰したような顔で、懐から革袋を放り投げた。
「……持ってけ。金貨十枚だ。二度と来るな」
俺はそれを受け取り、さらにテーブルの上の木札(勝ち分)を指差した。
「こっちの換金も頼むぜ」
顔役は舌打ちをし、部下に顎でしゃくった。
「……換金してやれ。ただし、金貨はやらねえぞ」
数分後。
俺たちは賭場の裏口から放り出された。
俺の懐には、顔役からふんだくった金貨十枚が入った革袋。
およびポポロの背中には――嫌がらせのように全額銀貨と銅貨で支払われた、ずっしりと重い麻袋があった。
ポポロはよろめきながらも、その袋を両手で必死に抱えている。
店の外で待っていたリンネアは、俺たちが無事に出てきたことに安堵しつつも、ポポロの荷物の大きさと、俺の懐の膨らみを見て「また悪どいことを……」とあきれていた。
俺は、屋台で買った脂の滴る串焼きを、ポポロの目の前に差し出した。
手が塞がっているあいつには、こうするしかない。
「……わっ! ありがとう!」
ポポロは重い荷物を抱えたまま、器用に串焼きに吸い付き、ハフハフとかぶりつく。何の肉かは知らないが、腹を空かせた獣人にはご馳走だ。
「……悪くなかったぞ。お前の耳と鼻」
俺は、夜空を見上げながら独り言のように呟いた。
文字の読めない俺の「目」となるのがリンネアなら、俺の感知できない気配を探る「センサー」として、こいつは使える。
「じゃあ……! 」
ポポロが串焼きを口にくわえたまま、目を輝かせて俺を見上げる。「連れて行ってくれるの!?」
俺は立ち止まり、その小さな目を見据えた。
「いいだろう。お前を連れて行く。……ただし、条件がある」
「条件?」
「ただの雑用係は、今夜でクビだ」
ポポロが息を呑む。
俺はニヤリと笑い、続けた。
「これからは、お前を俺の『道具』として雇ってやる。
その耳と鼻を使って、自分の食い扶持と、旅にかかる金くらい、自分で稼いでみせろ」
それは、子供に対する言葉ではなかった。
対等なビジネスパートナーに対する、シビアな契約条件。
だが、ポポロは怯まなかった。
串焼きを飲み込み、口の周りを拭って、荷物の重さに耐えながら力強く頷いた。
「うん! 分かった! 僕、稼ぐよ!
翔一の役に立って、自分の分は自分で稼ぐ!」
「……言質は取ったぞ」
俺は歩き出した。
リンネアが、やれやれとため息をつきながら、それでも少し嬉しそうに微笑んで後に続く。
凸凹な三人組。
だが、今の俺たちには、確かに「チーム」としての形ができあがりつつあった。
(第二章 第四話 完)




