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第三話『少年との密約、および夜の賭場』

 騒音トラブルを解決した翌日の夕暮れ時。

 リンネアの事務所は、ある一つの「議題」で紛糾していた。


「だーかーら! 僕も行くってば!」

「却下だ」


 俺は、手元の依頼書(といっても、俺には読めないミミズ文字の羅列だが)から目を離さずに、冷たく切り捨てた。

 足元には、箒を握りしめたポポロが食い下がっている。

 あの日以来、こいつは毎日こうして孤児院を抜け出しては、勝手に事務所の掃除や雑用をこなしているのだ。


「どうしてさ! 僕、掃除もできるし、洗濯だって上手になったよ! 荷物だって持てるもん!」

「家事スキルとサバイバルスキルは別だ。俺たちが行くのは、ピクニックじゃねえんだぞ」


 俺は面倒くさそうにため息をついた。

 あれから数日。ドワーフとエルフの揉め事を解決して得た金貨と銀貨は、食費と生活費で順調に目減りしている。目標の金貨五十枚には程遠い。

 そんな閉塞感もあってか、俺の言葉には棘があった。


「いいか、ガキ。荒野には魔獣が出る。野盗も出る。自分の身も守れない奴を連れて行く余裕は、俺にはない」

「守れるもん! 逃げ足なら誰にも負けないよ!」

「逃げるだけじゃ、荷物は守れねえだろ」


 正論で叩き潰され、ポポロが唇を噛んで俯く。

 見かねたリンネアが、助け舟を出した。


「…………翔一くん。そんな言い方はありません。この数日、ポポロがどれだけ献身的に働いてくれたか、あなたも分かっているでしょう?」

「感情論で動くな、優等生。情で旅人が務まるなら、今頃街道は花畑だ」


 俺は立ち上がり、ジャケットを羽織った。

「議論終了だ。俺は稼ぎに行ってくる」

「稼ぎって…………もうギルドも役所も閉まる時間ですよ?」

「昼の仕事がダメなら、夜の仕事があるだろ」


 俺の目が、ギラリと怪しく光った。

「手っ取り早く金を増やす場所に行く。…………裏通りの『古銀貨オールド・シルバー亭』だ」


「なっ…………! まさか、賭博ですか!?」

 リンネアが色めき立つ。「ダメです! あそこは違法スレスレの…………いえ、『星付き』として看過できません!」

「なら、ここで留守番してろ。指をくわえて破産の日を待つか、リスクを取って種銭を増やすか。俺は後者を選ぶ」


 俺がドアノブに手をかけた、その時だった。

 小さな影が、その前を塞いだ。


「僕も行く!」

 ポポロだった。その瞳は、まだ諦めの色に染まっていない。


「…………おい。ガキが入れる場所じゃねえぞ。それに、門限はどうした。孤児院の院長に怒られるぞ」

「平気だもん! それに…………」

 ポポロは、チラリとリンネアの方を見て、悪戯っぽく笑った。

「院長先生には言ってきたよ。『今夜はリンネアお姉ちゃんのところにお泊りして、流文字りゅうもじを教えてもらう』って!」


「なっ…………!? 」

 リンネアが絶句する。

「ポ、ポポロ!? 院長先生に嘘をつくなんて、いつの間にそんな悪い子に…………!」


「嘘じゃないもん! 翔一のお仕事を見るのは、一番のお勉強だもん!」

 ポポロは俺に向き直り、挑戦的な目で言った。

「連れてってよ、翔一。僕が役に立つって、証明してみせるから」


 俺は、その生意気な獣の子供を見下ろした。

 孤児院という聖域(安全圏)を、自らの嘘と意思で抜け出してきた。その度胸だけは、買ってやってもいい。


「…………チッ。いいか、店に入ったら一言も喋るな。大人の世界を見せてやるよ。ビビって泣き出しても知らねえぞ」

「うん!」


「ちょ、ちょっと! 私は認めませんよ! もし院長先生にバレたら…………ああもう、私も行きます! アリバイ工作の共犯になるなんて…………!」

 結局、リンネアはポポロのついた嘘を真実にするため、および俺の暴走を止めるために、ついて来ざるを得なかった。


 ***


 夜の帳が下りた路地裏。

 酒場『古銀貨亭』の地下にある賭場は、紫煙と、酒と、および欲望の熱気に満ちていた。


 ガヤガヤとした喧騒。様々な種族の男たちが、血走った目でサイコロやカードを見つめている。

 健全なリンネアは、入り口で「空気が悪い」と顔をしかめて待機しているが、ポポロは俺の影に隠れるようにして、興味深そうにキョロキョロと辺りを見回していた。


「…………いいか、余計なことはするなよ」


 俺が座ったのは、魔獣の骨を削った二つのサイコロを使う『竜のドラゴン・ジョー』と呼ばれるテーブルだ。

 ルールは単純。壺の中で振られた二つのサイコロの合計数が、ある数より大きいか小さいかを賭ける。

 合計が二から六なら『ロー』。八から十二なら『ハイ』。当たれば配当は二倍。


 ただし、合計が『七』になった時だけは、『竜の顎』と呼ばれ、親(胴元)の総取りとなる。

 確率的に『七』は最も出やすい数字だ。これが胴元の利益(テラ銭)になる仕組みだ。


 俺は、手持ちの銀貨を木札チップに変え、勝負に出た。

 元弁護士の頭脳。確率計算は完璧だ。場の流れ、壺振りをする男の癖、あるいは客たちの賭け方。全ての情報を処理し、最も勝率の高い方へ張る。


 だが。


「…………『竜のセブン』! 親の総取り!」


 勝てない。

 ここぞという大勝負で、必ず『七』が出るか、あるいは俺が張ったのと逆の目が出る。

 手元の木札の山が、じわじわと減っていく。


 (…………おかしい)

 俺は、冷や汗を拭うふりをして、鋭い視線を壺振りの男に向けた。

 首筋までびっしりと鱗に覆われた、トカゲ族の男だ。無表情で、機械的にサイコロを振っている。

 魔法を使っている気配はない。だが、何かが俺の計算を狂わせている。


 (イカサマだ。間違いねえ。だが、タネが分からん)

 サイコロのすり替えか? 壺に仕掛けがあるのか?

 証拠がなければ、ただの負け惜しみだ。このままでは、虎の子の資金が溶ける。


(第二章 第三話 完)

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